100年前のシカゴと何が違うのか~上海の精肉工場事件とは何であったのか
7月20日、内部告発に端を発し、上海のテレビ局記者の潜入取材による映像―上海の福喜食品工場の精肉過程の映像を見たときは衝撃が走った。日本でも7月22日から23日にネットや新聞で報道され、その後、中国の関係当局も捜査、回収、幹部逮捕に至っているが、マクドナルドはじめ多くのファストフード店、外食チェーン店、日本国内の食品業界への影響が拡大している。この事件報道の途中から、件の上海の工場は、アメリカの多国籍企業である食材卸会社OSIグループ傘下の工場であり、日本の輸入元が伊藤忠であることも伝えられるようになった。OSIの本社は、イリノイ州第2の都市オーロラにあり、その前身は、1909年設立された食肉加工会社であった。イリノイ州と聞いて思い出したのが、つぎの詩であった。「シカゴ」と題する詩は、つぎのように始まる。
世界のための豚屠殺者、
機具製作者、小麦の積み上げ手、
鉄道の賭博師、全国の貨物取扱人、
がみがみ怒鳴る、がらがら声の、喧嘩早い、
でっかい肩の都市。
荒々しく、強引ともいえる饒舌さで、新興都市シカゴの民衆のエネルギーと資本主義の裏面を歌い上げている。サンドバーク自身はイリノイ州のゲイルズバーグにスウェーデン移民の子として生まれ、様々な職業を転々とし、放浪者であったこともあったが、ジャーナリストとして、社会民主党の党員としての活動の傍ら、シカゴでの記者生活のなかで1916年『シカゴ詩集』を出版、以後シカゴ・デイリー・ニュース記者として、1932年まで活躍、以後は、リンカーン伝ほか、詩集や小説を発表、晩年は、執筆の傍ら家族らとノースカロライナ州での山羊牧場経営にも携わる。
それに続いて思い起こしたのが、シカゴの食肉工場を舞台にした、シンクレアの小説『ジャングル』であった。発表されたのはいまから100年以上前の1906年、『シカゴ詩集』の10年も前のことだった。
私が、この二人の作家の名前を知ったのは、いつだったのだろう。いわゆる疎開世代の次兄が、英文科に進み、アメリカ文学を専攻した。その兄が、7歳年下私に、熱く語ったのが、いまから思えば、アメリカと日本の文化の違いだったのだろうか。いや、日本の行く先を何となく暗示したかったのか。とくに、小説や映画から仕入れた知識だったに違いない。赤坂離宮にあった国立国会図書館(その頃は子ども入館できた)やアメリカ文化センターに連れて行ってくれたこともある。卒論は、詩人のブライアントだったらしい。そのころ、盛んに、とび出してきた名前が、アプトン・シンクレアとカール・サンドバークだった。シンクレアはいまだに読むに至っていないが、食肉解体と缶詰工場の腐敗ぶりと労働条件の過酷さが恐ろしかったのかもしれない。そして、1960年代になって、私自身初めて手にしたのが、サンドバークの『シカゴ詩集』(安藤一郎訳 岩波文庫 1957年、原書出版1916年)であった。私がポトナム短歌会に入会してから数年後、『ポトナム』に初めて掲載された文章が「『シカゴ詩集』をめぐって―その現代的意義」(1967年7~8月)であった。それから、半世紀近くも経て、いま、また、思い出したというわけである。読みたいと思ったシンクレアの『ジャングル』の古本は高いので、近くの公共図書館の相互貸借で、他館から借り出さなければならないだろう。
上海の福喜工場の衛生・品質管理については、行政やOSI、伊藤忠、マクドナルドなどによる査察が定期的にかなりの頻度でなされたとの報道もあったが、その都度、事前に通報され、まったくチェック機能は果たしていなかったこともわかった。監査が終了すると、腐った肉や床に落ちた肉などの混入、消費期限の改竄などが再開されるということであった。ということからも、幹部や従業員のモラルの問題ではなく、もはや組織ぐるみの「犯罪」ではなかったのか。多国籍企業における責任の在り方にも問題があるのではないか。この件についても、いくつかの謝罪会見がなされたが、その時期と言い、内容と言い、どれも他人ごとであったように思われた。食材や食品の安全には何が必要なのかの深い検証がないまま、頭さへ下げれば一件落着のような風潮が見て取れ、それを報道するメディアも一過性に甘んじているのではないか。
| 固定リンク
コメント