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2014年8月19日 (火)

安倍首相の政治資金管理団体(晋和会)でも、こんなことが?「告発」制度に接して

“一般人”として、東京地検に入る!

きのう818日、安倍首相の政治資金管理団体(晋和会)の政治資金収支報告書における虚偽記載を告発する告発人と代理人弁護士の二方と、その後の記者会見の手伝いとして、弁護士会館に集合し、告発状を提出するため、東京地検に向かった。やや曇りがちの空のもと、日比谷公園の木々はわずかに戦ぐばかりで、猛暑の一日になりそうだった。

9に帰ってきたキムタクの「HERO」Ⅱの視聴率が20%を超えたか否かが毎週話題のようだが、ドラマでは検事や検察事務官が激しく出入りする東京地検の玄関、いや、現物は違う。広い階段に、広いガラス張りの正面、階段と歩道の境には柵が在って、狭く開いた入口ではガードマンがチェック、弁護士と一般人の人数が確認されて階段を上る。なんとテレビカメラの望遠が歩道の端に23並んでいたような。

小さな窓のある、むかしながらの受付で、弁護士と一般人とが別々の用紙に氏名・目的を記入、ロビーの長椅子に案内される。と、マスコミらしい人が名刺を配り始める。Fテレビの女性記者ということが分かったのだが、警備の人が飛んできて、ここでの取材はお断りです、と注意されていた。「いや、名刺を配っているだけです」と。まもなく、こちらへどうぞ、と案内されたのが、ロビーと目と鼻の先の「面談室」(面会室?)、長机と椅子10人分ぐらいの殺風景な一室、検事や検察事務官が現れるわけではなく、文書課の女性職員がマスクをかけての対応である。名前は名乗るが、ここでは代理人の弁護士の二方とのやり取りで、告発人も随行の私も「一般人」として、同席したのだった。 

弁護士の方のお話では、告発がすんなり「受理」されることはむずかしく、すったもんだがあってコピーなら預かるとか、預からないとか、入口のところでもめることもあるという。今回は、預かるが受理ではない、いつになるか分からないが受理すれば通知する、ということが確認されて終了。不特定多数の市役所の窓口、病院職員がマスクというのは当たり前にしても、今回のような状況で「あり」なのかなあ、というのが率直な“一般人”の感想だった。

受理すると、起訴か不起訴の判断がなされ、たとえ不起訴でも、検察審査会に審査を求めることができるから、検察庁としては受理することが厄介らしいのだ。となると、何のための告発制度なのか疑ってしまう。

盛況だった記者会見、翌日の報道は・・・

議員会館内での記者会見や集会、テーマこそ違うが、何回かつき合わされている。開始までの入館証配りである。開始前後の3040分、会館ロビーで、紹介議員からお預かりした入館証を参加者に手渡し、場所の案内をする程度なので、よほどのことがない限り、立っている時間の方が長い。今回は、議員の秘書さんがしばらく一緒でおしゃべりしていたので、退屈することはなかった。私が会場に入ったころは、22名の方々が詰めかけ、代表というテレビカメラも回っていた。年々、女性記者たちが多くなるのは頼もしいが、まだ、10人には遠い。受付の控に拠れば、朝日・毎日・読売・日経・産経の全国紙はじめ、東京新聞、中国新聞などと共同・時事の通信社に、NHK、フジテレビ、日テレ、TBSテレビ、テレビ東京ほかということになる。この告発のきっかけになった件を報道し、その後も追跡しているサンデー毎日の記者もいて、当日発売のサンデー毎日を頂戴した。

18日は、先月亡くなった犬の月命日であった。アルバムでも広げ、ゆっくり思い出にひたろう、と帰路を急いだ。

Kisyakaiken

ネット上で、報道が確認できたのは、時事、共同の配信、朝日、東京、産経、日経ほか、通信社配信による数紙で、海外の新聞も数紙見られた。

告発の中身については、告発人4人中の一人と代理人8人の代表である澤藤統一郎弁護士のブログに詳しい。

・澤藤統一郎の憲法日記(8月18日)http://article9.jp/wordpress/?p=3323

・醍醐聰のブログ(819日 )  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/

 

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2014年8月 9日 (土)

白蓮ブームに乗るわけではないが・・・、短歌への誘い

もう、50数年前のことになる。50歳代の母が短歌をはじめたばかりで、地元の豊島区民短歌会に参加していた頃、母にも勧められ、高校生のいたずら心で、三首を初めて投稿した。受験生の身で歌会に参加することはなかったが、歌会から帰宅するなり母は、謄写版刷りの歌会詠草を取り出して「光子の歌が点を取ったよ」と見せられた。残念ながら、その資料はもちろんないのだけれど、投稿した三首のなかの二首は、いまでも覚えている。文法的な間違いもあって添削したいところなのだが。

・見い出せる旧友避けて着席す入試迫りし模試会場

・夕刊を配りし少年等の囲む火の白き煙は星空に消ゆ

「二首目は宮崎白蓮も採ってくれたんだよ」と母は自分のことのようによろこんでいた。宮崎白蓮、柳原白蓮の話は母から何度も聞かされていて、いわば歴史上の人物と思っていただけに驚いたのを覚えている。白蓮が点を入れてくれた理由も母はメモを取ってくれていたようだったが、思い出せない。二首目、わが家の隣は空地をはさんで新聞配達所だった。配達員の宿舎も兼ねていて、未明から賑やかなことだった。それに、アルバイトの中高生たちもよく出入りしていて、その空地の焚火で暖をとっていたところを題材とした。

当時の区民短歌会は、たしか豊島新聞社が主催していたのではなかったか。選者は、白蓮のほかに、阿部静枝、四海民蔵、遠山光栄、富永貢らすべて豊島区在住のそうそうたるメンバーであったと思う。

 その後まもなく母を亡くした私は、母が師事していた『ポトナム』の阿部静枝先生の指導を受けることになった。その後は、新聞投稿欄や短歌コンクールに応募の経験を経ないまま今日に至っている。いや、唯一、河野裕子が「桜花の記憶」で角川短歌賞を受賞した年、佳作かであったのが最初で最後であった。私の短歌のスタートに「白蓮ありき」の思いがめぐる。

 朝ドラの「花子とアン」、いま登場人物たちは関東大震災から立ち直ったという運びだが、日中戦争下、翼賛の道を歩むことになる村岡花子や白蓮がどのように描かれるのかを注視したい。 

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2014年8月 7日 (木)

100年前のシカゴと何が違うのか~上海の精肉工場事件とは何であったのか

720日、内部告発に端を発し、上海のテレビ局記者の潜入取材による映像―上海の福喜食品工場の精肉過程の映像を見たときは衝撃が走った。日本でも722日から23日にネットや新聞で報道され、その後、中国の関係当局も捜査、回収、幹部逮捕に至っているが、マクドナルドはじめ多くのファストフード店、外食チェーン店、日本国内の食品業界への影響が拡大している。この事件報道の途中から、件の上海の工場は、アメリカの多国籍企業である食材卸会社OSIグループ傘下の工場であり、日本の輸入元が伊藤忠であることも伝えられるようになった。OSIの本社は、イリノイ州第2の都市オーロラにあり、その前身は、1909年設立された食肉加工会社であった。イリノイ州と聞いて思い出したのが、つぎの詩であった。「シカゴ」と題する詩は、つぎのように始まる。

世界のための豚屠殺者、

機具製作者、小麦の積み上げ手、

鉄道の賭博師、全国の貨物取扱人、

がみがみ怒鳴る、がらがら声の、喧嘩早い、

でっかい肩の都市。

荒々しく、強引ともいえる饒舌さで、新興都市シカゴの民衆のエネルギーと資本主義の裏面を歌い上げている。サンドバーク自身はイリノイ州のゲイルズバーグにスウェーデン移民の子として生まれ、様々な職業を転々とし、放浪者であったこともあったが、ジャーナリストとして、社会民主党の党員としての活動の傍ら、シカゴでの記者生活のなかで1916年『シカゴ詩集』を出版、以後シカゴ・デイリー・ニュース記者として、1932年まで活躍、以後は、リンカーン伝ほか、詩集や小説を発表、晩年は、執筆の傍ら家族らとノースカロライナ州での山羊牧場経営にも携わる。

それに続いて思い起こしたのが、シカゴの食肉工場を舞台にした、シンクレアの小説『ジャングル』であった。発表されたのはいまから100年以上前の1906年、『シカゴ詩集』の10年も前のことだった。

私が、この二人の作家の名前を知ったのは、いつだったのだろう。いわゆる疎開世代の次兄が、英文科に進み、アメリカ文学を専攻した。その兄が、7歳年下私に、熱く語ったのが、いまから思えば、アメリカと日本の文化の違いだったのだろうか。いや、日本の行く先を何となく暗示したかったのか。とくに、小説や映画から仕入れた知識だったに違いない。赤坂離宮にあった国立国会図書館(その頃は子ども入館できた)やアメリカ文化センターに連れて行ってくれたこともある。卒論は、詩人のブライアントだったらしい。そのころ、盛んに、とび出してきた名前が、アプトン・シンクレアとカール・サンドバークだった。シンクレアはいまだに読むに至っていないが、食肉解体と缶詰工場の腐敗ぶりと労働条件の過酷さが恐ろしかったのかもしれない。そして、1960年代になって、私自身初めて手にしたのが、サンドバークの『シカゴ詩集』(安藤一郎訳 岩波文庫 1957年、原書出版1916年)であった。私がポトナム短歌会に入会してから数年後、『ポトナム』に初めて掲載された文章が「『シカゴ詩集』をめぐって―その現代的意義」(196778月)であった。それから、半世紀近くも経て、いま、また、思い出したというわけである。読みたいと思ったシンクレアの『ジャングル』の古本は高いので、近くの公共図書館の相互貸借で、他館から借り出さなければならないだろう。

上海の福喜工場の衛生・品質管理については、行政やOSI、伊藤忠、マクドナルドなどによる査察が定期的にかなりの頻度でなされたとの報道もあったが、その都度、事前に通報され、まったくチェック機能は果たしていなかったこともわかった。監査が終了すると、腐った肉や床に落ちた肉などの混入、消費期限の改竄などが再開されるということであった。ということからも、幹部や従業員のモラルの問題ではなく、もはや組織ぐるみの「犯罪」ではなかったのか。多国籍企業における責任の在り方にも問題があるのではないか。この件についても、いくつかの謝罪会見がなされたが、その時期と言い、内容と言い、どれも他人ごとであったように思われた。食材や食品の安全には何が必要なのかの深い検証がないまま、頭さへ下げれば一件落着のような風潮が見て取れ、それを報道するメディアも一過性に甘んじているのではないか。

 

 

 

 

 

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