白蓮ブームに乗るわけではないが・・・、短歌への誘い
もう、50数年前のことになる。50歳代の母が短歌をはじめたばかりで、地元の豊島区民短歌会に参加していた頃、母にも勧められ、高校生のいたずら心で、三首を初めて投稿した。受験生の身で歌会に参加することはなかったが、歌会から帰宅するなり母は、謄写版刷りの歌会詠草を取り出して「光子の歌が点を取ったよ」と見せられた。残念ながら、その資料はもちろんないのだけれど、投稿した三首のなかの二首は、いまでも覚えている。文法的な間違いもあって添削したいところなのだが。
・見い出せる旧友避けて着席す入試迫りし模試会場
・夕刊を配りし少年等の囲む火の白き煙は星空に消ゆ
「二首目は宮崎白蓮も採ってくれたんだよ」と母は自分のことのようによろこんでいた。宮崎白蓮、柳原白蓮の話は母から何度も聞かされていて、いわば歴史上の人物と思っていただけに驚いたのを覚えている。白蓮が点を入れてくれた理由も母はメモを取ってくれていたようだったが、思い出せない。二首目、わが家の隣は空地をはさんで新聞配達所だった。配達員の宿舎も兼ねていて、未明から賑やかなことだった。それに、アルバイトの中高生たちもよく出入りしていて、その空地の焚火で暖をとっていたところを題材とした。
当時の区民短歌会は、たしか豊島新聞社が主催していたのではなかったか。選者は、白蓮のほかに、阿部静枝、四海民蔵、遠山光栄、富永貢らすべて豊島区在住のそうそうたるメンバーであったと思う。
その後まもなく母を亡くした私は、母が師事していた『ポトナム』の阿部静枝先生の指導を受けることになった。その後は、新聞投稿欄や短歌コンクールに応募の経験を経ないまま今日に至っている。いや、唯一、河野裕子が「桜花の記憶」で角川短歌賞を受賞した年、佳作かであったのが最初で最後であった。私の短歌のスタートに「白蓮ありき」の思いがめぐる。
朝ドラの「花子とアン」、いま登場人物たちは関東大震災から立ち直ったという運びだが、日中戦争下、翼賛の道を歩むことになる村岡花子や白蓮がどのように描かれるのかを注視したい。
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