オルセー美術館展へ出かけました
オルセー美術館、もう一度、行ってみたい
3・11以降、室内犬になってしまい、去年の夏以来、介護が必要になった高齢犬を、この7月に見送った。連れ合いともども、二人で家を空けることができなくなっていた3年間余り、旅行は封印していたのだが、また、出かけてみたい衝動に駆られている。もう一度訪ねたい街はいろいろあるけれども、パリもその一つ。2回ともオランジェリー美術館は工事中で入ることはできなかったし、ルーブルもオルセーも、それにこじんまりとしたマルモッタン美術館でさえ、十分な時間を取ったとは言いがたい。たしか、2007年の都美術館でのオルセー展のときの混み様を思い出すと気が進まなかったけれど、80点以上作品がやってきた今回の「オルセー美術館展」(~10月20日。国立新美術館)、8月5日、週日だったためか、それほどの混み様でもなく楽しむことが出来た。
日本テレビだったか、東出クンがナビゲーターの番組を偶然途中から見てしまったのだが、私はあの手のガイドは苦手で、おしゃべりより、作品とデータを愚直に映してくれた方がありがたい。日本人は印象派が好きだとか言われているそうだが、たしかに私も、嫌いではない。明るくて、穏やかで、分かりやすい。といいながら、私が自然と足を止めたのが、何ともパリ郊外や田園の冬の風景であった。モネの「かささぎ」、ピサロの「白い霜」、シスレーの「ルーブシエンヌの雪」であり、思わず手が伸びた絵葉書であった。
気になる画家たち~クールベ、カイユボット、ラトゥール
かつて、オルセー美術館を訪ねたとき、たしか一部が工事中だったけれども、入り口を入った途端、クールベ(1819~1877)の作品に度胆をぬかれたことを思い出す。後から知った「世界の起源」(1866年)と題された作品だった。そのとき、クールベ(1819~1877)の大作「オルナンの埋葬」(1849~50年)、「画家のアトリエ」(1855年)は、それまでの歴史画の形式をとりながら、村人たちと画家たちという、まるで対照的な人たちの群像を通して、リアルな細部と物語性を醸し出しているのにひかれた。今回出品の「市から帰るフラジェの農民たち」(1855~60年)と「裸婦と犬」(1961~62年)においても、大作ではないが、同様のことを感じた。農民の日常と裸婦、そしてそこに登場する動物たちも描き分けている。農民を助ける牛や馬であり、売れ残った豚だったのだろうか、一方は裸婦と口づけをするかに見える犬はプードルか。しかし、裸婦が見せている一方の足裏が汚れているのは、クールベらしいと思った。
カイユボット(1848~1894)は、オルセー美術館のコレクションの基礎を築いたとのことは、最近まで知らなかった。生まれた家が裕福で、1876年の第2回印象派展から、自らの作品を出品し続ける一方、仲間の画家たちの絵を買い上げ、経済的に支え、自らの絵は売ることがなかったという。遠近法がくっきりとした都市の光景を好んで描いたと、昨年のカイユボット展を紹介していた日曜美術館で聞きかじっていたが、今回、「床に鉋をかけるひとびと」に再会できたことは何よりだった。農民を描く画家は多かったけれども、当時の都市で働く人々、職人たちの姿は珍しく、上半身裸の3人の男たちの屈む背中を照らす逆光、鉋を持つ手、単調な床板の直線~なるほどここにも遠近法が強調されているのだが~、から伝わるメッセージが直截であったからだ。当時、画壇のアカデミズムやサロン派に抗して、印象派を支援するということは、覚悟があってのことで、没後もそのコレクションを受け入れるところは少なかったというのである。
ラトゥール(1836~1904)も、短歌の仲間から教えてもらって、はじめて知った。千葉市での短歌教室の当初からのメンバーで、絵も描くTさんから、ラトゥールの作品に取材したという短歌が歌会に提出された。やや難解な作品に私も戸惑っているときに、その画家のことを教えられたのだった。それからというもの、とても気になる画家になってしまったのである。陰影と光源とを明確にする、どちらかというと暗い群像画が多いと思っていたのだが、今回も出品している「花瓶のキク」(1873年)のような、花、とくにバラを描いた作品が多いことも知った。ファンタン=ラトゥールという品種のバラも作られたそうだ。しかし、私が惹かれるのは、やはり、妻の家族を描いた、記念写真めいた「デュブール家の人々」(1878年)や当時の詩人や作家、画家たちがその雰囲気を漂わせながら思い思いのポーズと視線が描かれた「テーブルの片隅」(1872年)のような集団肖像画で、その時代の文芸のありようがわかるような気がするのである。ドラクロアの自画像を真ん中に集う画家たちの「ドラクロア礼賛」(1864)やいわば「マネ礼賛」でもある『バティニョルのアトリエ』(1870)を見た記憶は薄れるが、カタログや画集でみても、興味深いものがある。ルーブルで名品の模写に励み、クールベの画室にも通い、ホイッスラーにも大きな影響を受けたという、地味な画家ではあるが目が離せない。
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