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2014年9月12日 (金)

沖縄のメディアは、「昭和天皇実録」をどう読んだか

ネット上で、琉球新報と沖縄タイムズの910日付の社説のみネット上で読んだので、追記しておきたい。上記本文で紹介した4紙の論調との違いが明確に表れている。いずれも、「沖縄メッセージ」ほか、具体的に言及している点である。琉球新報の方がより明確である。沖縄タイムズが昭和天皇の沖縄巡幸の願いに「贖罪」を忖度し、いまの天皇夫妻がその遺志を引き継いでいるとも記している点は、日本国憲法下での天皇の間接的な政治への関与を言及しながら、政治的利用にもなりかねない論調ではないか。

琉球新報:(社説)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231371-storytopic-11.html

二つの責任を明記すべきだ

(要約)昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3回、切り捨てられている、とする。

①最初は沖縄戦。近衛首相の進言にもかかわらず、天皇は「今一度戦果を挙げなければ実現は困難」との見方を示し、沖縄戦は避けられなくなり、日本防衛の「捨て石」にされた。

 ②45年7月、天皇の特使として近衛をソ連に送ろうとした和平工作の「和平交渉の要綱」は、日本の領土について「沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とする」として、沖縄放棄の方針が示された。

③沖縄の軍事占領を希望した「天皇メッセージ」で、天皇は47年9月、米側にメッセージに「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した。実録は米側報告書を引用するのみ。

「天皇メッセージ」から67年。沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中している。これら三つの局面で発せられた昭和天皇の肉声が「実録」には明らかにされていない。天皇の発言をぼかしながら、沖縄訪問の希望のみが繰り返され、「贖罪(しょくざい)意識」を印象付けようとしているように映る。沖縄に関する限り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある。この点をあいまいにすれば、歴史の検証に耐えられない。

沖縄タイムズ:(社説)

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=82631

戦後史の理不尽を正せ   

(要約)沖縄に関係する記述お腹で注目されるの「天皇メッセージ」についてである。1947年9月19日、昭和天皇の意向としてマッカーサーに伝えられたシーボルトの報告書(進藤栄一が1979年に米国立公文書館で発掘)には「天皇は、米国が沖縄の軍事占領を継続することを希望している」「その占領は米国の利益となり、日本を守ることにもなる」とあり、発表当時、政府は国会答弁で、事実関係の有無を一切明らかにせず、逃げの一手に終始した。 実録で昭和天皇の生の言葉が紹介されているわけではないが、シーボルトの「報告書」の存在することを正式に認め、その内容を引用したということは、大きな意味を持つ。新憲法下でも、天皇が政治に間接的に「関与」していた天皇像を浮き彫りにする。 

昭和天皇は、1946年(昭和21)2月に横浜を訪れたのを皮切りに、戦後、8年余りの間に沖縄を除くすべての都道府県を回った。全国で唯一、沖縄への「地方巡幸」が実現できなかったのは、沖縄が米国の施政下にあったからである。 実録からは、復帰後、沖縄訪問を希望し続けていたことが分かる。贖罪(しょくざい)意識があったのかもしれない。 

(今の)天皇陛下は2012年12月、79歳の誕生日に合わせて記者会見し、「日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないか」と述べた。昭和天皇が果たせなかったことを天皇ご夫妻が意識的に引き受けているのは明らかである。

 問題は、そのような思いが生かされないまま、冷戦期に出来上がった基地網を再編・新設し、半永久的に維持しようと日米両政府が躍起になっていることだ。  戦後史の理不尽は解消されていない。 

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