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2014年9月11日 (木)

再び友愛労働歴史館へ~阿部静枝コーナーの展示が始まった

  

  歴史館の阿部静枝展示コーナーは、下記の案内のように同館の企画展「同盟結成から50年~その今日的意義を探る」のなかの第Ⅳ部「同盟ゆかりの人々」で、1か月余り展示され、その後、武藤光明、続いて西尾末広に入れ替わるコーナーである。すでに8日から始まっていたが、910日には、菅原千代さんの「宮城時代の阿部静枝について」の報告がされる学習会があるというので、静枝が1922年、創刊直後から50年以上、選者を務めた短歌雑誌「ポトナム」、現在の編集人の藤井治さんはじめ全部で6人の参加となった。なかには、今回資料の提供もなさった、静枝の姪にあたるHさんもいらした。私も、6月の半ばに、企画展のことを知り、このコーナーの展示資料に少しだけかかわったことは、下記のブログ記事に詳しい。

 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2014/07/post-927a.html

 

Abekonazenkei

Abetenjihin

Potonamutuitougo

 例の静枝の肖像画を中心に、静枝(18991974年)が歌人として、無産政党の活動家として、また評論家として歩んだ足跡を、写真や著書、自筆の色紙、年表やゆかりの品々の展示によって、たどるものであった。私が寄贈した、短歌が染め抜かれた手ぬぐいや追悼号、写真などもあって、そんな品々の居所が定まり、どこかちょっとほっとした気持ちにもなった。展示ケースの端には20数ページのスライドも用意されていた。事務局のMさんは学習会冒頭、そのスライドを使って、静枝の生涯をわかりやすくたどってくださった。1974831日に亡くなり、910日が池袋祥雲寺での告別式であったから、まさに没後40年の集いであった。菅原さんが同郷の歌人阿部静枝の存在を知って、調べ始めて2冊の編著をまとめた経緯や静枝の生き方の立脚点は、古事記や日本書記から説き起こす「女流歌人論」(1931年)にあったとの私論が報告された。が、私にはやや想定外の内容であった。静枝の短歌表現の曲折や言説の変容は、複雑な要素が錯綜していると思う。レジメや資料に短歌作品が提示されていなかったのもさびしく思われた。参加者から乞われて、何首か朗読されたのだが。

 東京にも大雨警報が出たのだが、帰り際にはポトナムの6人が近くのカフェに立ち寄り、静枝について、ポトナムについて、しばし語り合った。その内に雨脚も弱まり、暮れかけた芝のビル街からそれぞれ帰路に就くのだった。

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企画展「同盟結成から50年~その今日的意義を探る」

「第Ⅳ部 同盟ゆかりの人々ー阿部静枝 その人と生涯ー」

 と き:201498日(月)~20141024日(金) 10001700

 ところ:友愛労働歴史館展示室

 テーマ:「阿部静枝 その人と生涯―歌人・社会運動家として生きて」

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なお、展示及び当日の模様は「友愛労働歴史館たより」85号にも詳しい。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/uairoudourekisikaikan85.pdf

 

 この日に先だって、まだ、残暑が厳しかった822日、ほんとに何十年ぶりかで阿部静枝先生のお墓(八柱霊園)にお参りした。数年前までは、8月の末には「秋草忌」が毎年とりおこなわれていたと聞いていた。 

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