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2014年9月26日 (金)

これでいいのか、花子と白蓮の戦前・戦後(1)NHK「花子とアン」が明日で終る

 今年331日から始まった朝ドラ「花子とアン」、いま、なぜ村岡花子?との思いで、ときどき見ていたところ、視聴率が高いと評判のようだった。それも、わき役だったはずの柳原白蓮(ドラマでは嘉納蓮子)と宮崎龍介の出奔劇が大いに影響しているらしい、とのことであった。新聞や週刊誌でも、またネット上ではさらにさまざまな記事が登場するようになった。とくに戦時下の花子や白蓮に触れた資料をメモしておきたい。 

◇「花子とアン」とその時代142014427日、29日、55日、10日)

ブログ「峡陽文庫」http://kaz794889.exblog.jp/21900659/

 今週の本棚「花子とアン」の世界(鼎談・高畠勲・岩間陽子・中村桂子)

毎日新聞2014831

 松尾羊一:「花子とアン」によせて~ラジオと時代 

 赤旗201497

 みんなのアンテナ「花子とアン」いよいよ最終盤~戦時場面の多くの感想

  赤旗2014920

 古澤有峰:「花子とアン」から考える、文学者の戦争協力1~3 (2014 84日、15日、17 )

ブログ「古澤有峰Official Web Site

http://www.yumifurusawa.com/info/2014/0817052306.htmlほか

 対談・村岡花子と短歌(佐佐木幸綱・村岡恵理・司会栗木京子)                  短歌 20149

 事実とテレビ小説との違い~実在した村岡花子とNHK連続テレビ小説「花子とアン」の花子の違い
  
http://chihojichi.web.fc2.com/NHK-HANA-ANNE.html 

  私は、戦時下の花子と白蓮がどう描かれるのかに着目していた。89日の拙ブログ記事でも触れたが、終盤9月半ばから朝か再放送かのどちらかを見るようにしていた。
 ドラマがいくらフィクションだといっても、村岡花子の名をかたるドラマである以上、やはり事実、史実に忠実であってほしい。都合のいいところだけをつなげて、その実在の人物への称揚に繋げるような作り方や宣伝の仕方は慎まなければならないはず。「坂の上の雲」でも、NHKは、事実とも、小説とも違う実在の人物の名をかたってドラマを作り上げてしまった。視聴者がドラマで歴史を学んだような錯覚を持つことがコワいのだ。 

 内閣情報局は、花子をどう見ていたか

  すでにこれまでも何度か使っている『最近に於ける婦人執筆者に関する調査』(内閣情報局第一部作成 19417月)という資料のコピーが手元にある。表紙には「部外秘」の印がある75頁ほどの冊子。その作成目的は、19405月号より19414月号までの八大婦人雑誌における主な婦人執筆者に就き量的・質的の2方面から考察し、輿論指導上の参考資料として、調査した、と記す。さらに凡例では「長期戦下銃後の一端を担ふ婦人に対し或程度の指導力を持つと認めらるる婦人執筆者群の動向に関して調査し」たとある。調査対象は、発行部数順に、主婦之友122万、婦人倶楽部98万、婦人公論19.3万、婦人之友8.5万、新女苑6.4万、婦人朝日35万、婦女界2.9万、婦人画報1.8万の八誌である(発行部数は19406月調査)。執筆者を歌人、作家、評論家と分類し、村岡花子は、評論家に分類されている。評論というジャンルをこえての総登場回数で多いのは、宮本百合子22、山川菊栄19、羽仁もと子19、阿部静枝11、奥むめお9、竹内茂代9などである。この調査対象期間において、村岡花子は、婦女界2(座談会2)、新女苑1(雑文)、婦人朝日1(雑文)の4回(筆者の調査では、さらに婦人倶楽部1がある)にとどまる。この資料の執筆者は花子について「恐ろしく人付合の良い常識の発達した人である。此の如才のない常識的な面が何時の間にか彼女を有名人にしてしまつた観(ママ)があるが、有名になるだけ、思想の貧困さが目立ち、長所がかえつて鼻に突くやうに思はれる。有名に堕する事なく動いて呉れれば、誰よりも好ましい人であらう」などと評している。さらに雑誌の出版社の評判も採録され、一社だけのコメントが付され「何よりも話し上手なので、座談会などでは座持ちがよく、一人喋る感がある。明るく、気さくで、お人よしなので、雑誌社が使うのには便利な人」と記されている。  

 花子は、同時期の調査対象外の雑誌、たとえば、『少女之友』では連載「女学生論」があり、『逓信協会雑誌』には「女性の声」という投書欄の選者を務め、『家の光』『公論』『国民六年生』『ホームライフ』『愛育』『家庭』など、多方面への寄稿が散見できる。さらに、1941年には『心の饗宴』(時代社)、1942年には『母心抄』(西村書店)、『私の隣組随筆集』(翼賛図書刊行会)、『母心随想』(時代社)などが立て続けに単行書として刊行されるという活躍ぶりであった。当時の出版用紙は、内閣情報局の監督下に194012月に設立された日本出版文化協会が、1941621日施行の「出版用紙割当規定」により、出版事業者が提出する企画届をもって査定をしていた。内容的にも、その基準に合致していたと判断されていたことになる。少なくとも、内閣情報局の一員、メディアの担当者が、上記のように花子を見ていたことは確かであり、彼女の一面を突いてはいないか。

 さらに、花子の「質的考察」においては、住所・電話番号・学歴などの個人情報と共に、「放送局嘱託」となっている。この資料では触れていないが、1932年日本放送協会は、女子アナウンサーを募集して、37人の中から、2人が嘱託で採用され、その一人が花子だったのである。193261日から「子供の時間」に全国向けに「コドモの新聞」コーナーが新設され、1935年からは関屋五十二(19021984)と組んで、原則的に一週間交代で担当していた。19411130日まで、いわば太平洋戦争開始直前まで続けられていた(『日本放送史・上』239頁、53840頁。頁により記述に食い違いがあったので、放送博物館に確認)。なお、19411月からは「子供の時間」は「ラジオ少国民の時間と名称が変わっている(『日本放送史・上』365頁』)。

ちなみに、上記調査で登場回数ベストワンの宮本百合子については、上記資料の「考察」に、つぎのような記述がある。いかに理解すべきか、興味深いものがある。

「中條百合子の名を以つて知られ、よし理論の立役者でないにせよ、最も華々しく文芸を通して実際運動に携はり、最後迄、踏みとどまつた一人である。(中略)中條から宮本に改名したのも、此の夫君の検挙後の事であれば、尚更、問題視されて良い。元来、作家としてプロ文壇に登場した人であつたが、早くから天才少女として知られ、」てゐるだけに、評論に、随筆に、批評に、其の存在は、思想の貧困を喞つ女流言論界に今尚異彩を放つてゐる。此の多方面な才能は現時の婦人雑誌界に於ける彼女の地位を不動のものとし、極めて便利な、重宝なる人としたのであるが、それだけに婦人層に与へる影響力は、其の大半が無批判を極める層であつてみれば、心理的にも大きく、彼女の才能のためには残念ではあるが、自重がのぞましい」 

 また、山川菊栄についてはつぎのようにも記されている。

   「昔日、境真柄、伊藤野枝等と「赤爛会」を組織し、左傾思想の宣伝をなし、一つは山川均の夫人なる故もあらうが、此の方面に厳然たるものであり、其の記憶が今尚生々しいものであるだけに、時局下の言論界が此の人の再登場を促した事は、たとひ、其の転向が完璧のものであつても、軽視さるべきでない。思想の洗練され円熟の境に達してゐる事は、驚くべきであるが、それだけに、悪意をもつてすれば、偽装の時局便乗の疑点も感ぜられ、昔日の筆法を残すと思はれるのは此の人のためにも残念である」

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