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2014年11月 5日 (水)

ドイツ、三都市の現代史に触れて~フランクフルト・ライプチッヒ・ベルリン~2014.10.20~28(4)

ゲーテとバッハに近づく 

 1023日、昨夜、雨の中、車で駆けつけた店はマルクト広場から入った路地だったが、けさのマルクト広場は、雨は上がりの静かな佇まいだった。旧市庁舎内のインフォーも歴史博物館も10時からである。広場から、アーチをくぐって裏に回ると、力強さが伝わる若き日のゲーテ像、その後ろが金の装飾が輝く旧証券取引所だった。横に回ると、旧市庁舎とトラムの走る道路を挟んで建物を結ぶような空中回廊、その下をくぐって進むと、トーマス教会。トーマス教会は12世紀からの歴史を刻む。バッハの墓所であることでも知られているが、ここに移されたのは1950年と、その歴史は浅いことがわかった。今あるオルガンは、2000年に設置されたもので、それから、いくつかの公的助成と寄付による本格的な大改修の道が開けたという。塔の高さ68m、屋根は63度とかなりの傾斜だそうだ。教会前の緑地では、メンデルスゾーンの記念碑とバッハの屋根つき?の胸像に出会った。今日は、ゲバントハウスとメンデルスゾーンハウスを経て、午後には、旧市庁舎に戻って歴史博物館の見学という予定をたてていた。

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旧市庁舎全景

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旧市庁舎横

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ゲーテ像の後ろが旧証券取引所

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トーマス教会全景

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トーマス教会内、バッハ墓所

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メンデルスゾーンの記念碑と向かい合っている

バッハ像

ライプチッヒ大学図書館へも

大通りを西に進むと青銅のドームを持つ大きな建物が見えてきた。後で調べたところ連邦行政裁判所だったのだが、その手前の十字路には新市庁舎があった。ライプチッヒ大学もこの辺りではないか、寄ってみようと地図を確かめていると、買い物の袋を下げた年配の女性からは“Can you speak English? と問われ、あの裁判所を曲がったところだと教えてくれた。建物に沿って、自転車がずらりと並び、なるほどキャンパスの一画に入った感じであった。事実、学生の出入りする、建物の一つに、ライプチッヒ大学図書館の看板があった。学生と一緒に中に入ると、ホールが吹き抜けになっていて正面には広い階段が続く。上がっていいものかどうか戸惑っていると、受付の男性が近づいて、どうぞ、どうぞ、という具合。私たちは2階に上がり、吹き抜けを囲む形の回廊を一巡りして、一つの重いドアを引くと、そこには書庫と閲覧室が広がっていた。分野別に部屋が別れているようであった。 ついでに、トイレも拝借してホールに戻ると、受付の紳士が図書館ガイドのリーフレットを持ってこられた。ホールでは、何かの催事があるらしく、照明器具が運び込まれている最中だったし、歌声もどこからか聞こえてくる。 

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ライプチッヒ大学へ

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ライプチッヒ大学図書館

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ライプチッヒ大学図書館配置図

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閲覧室を覗く


ライプチッヒの迷路~思いがけず滝廉太郎記念碑に

ゆっくりもしていられず、メンデルスゾーンハウスに向かおうとするが、ベートベンシュトラッセ、モーツアルトシュトラッセ・・・、もう大学ではないらしく、さてどちらに進めばいいのか地図を見ていると、赤いジャケットの女性が寄ってこられ、地図をのぞき込む。その地図を見て、ここはどこと尋ねると、もうこの地図からはみ出した所を指すではないか。大通りに戻れということであった。お礼を言って別れると、向かいの店から飛び出してきた男性が手招きをしてくれるので行ってみると、外壁の工事で足場が組まれている壁を指す。近づいてみると、なんと「滝廉太郎」の下宿跡の記念碑が建っていて、日本語も併記されている。そういえば、滝廉太郎のことは、何かの案内書で読んだことがあったが、ここだったのである。訪ねる予定もなかったのだが、思いがけないことだった。そのレストランで、一休みをして、もう一度先の店のオーナーらしい男性にメンデルスゾーンハウスへの行き方を訪ねていると、お客の青年のひとりが近づいて来て教えてくれた。 

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碑の後ろのレストランのオーナーが教えてくれた滝廉太郎の碑


ドイツの歴史認識の深さに圧倒される

ともかく、その方向に歩き出すと、新市庁舎まで、戻ることができた。歴史博物館見学もあるので、マルクト広場に戻ろうと、賑やかそうな大通りを進むと、そこがペーター通りで、ファッションの店が多く、パサージュの商店街にもつながる華やかな通りだった。旧市庁舎が見えてきたところのビルの壁に、「'89」と大きく書かれた写真と地図つきのパネル板が埋め込まれていた。よく見ると、1989年のベルリンの壁崩壊の時期に繰り広げられた市民への弾圧や抵抗活動のなされた場所としてのモニュメントであった。そのパネルに拠れば、ライプチッヒ市街の20数か所に同様のパネル板が建てられているようだった。そして、歴史博物館に入場、私たちは、近現代のブロックに限ったが、ライプチッヒ、ドイツのナチス時代、1945年以降の東独時代の記録が所狭しと掲げられ、そのメッセージが熱い。連れ合いは、30€もする厚い英文併記のカタログを購入していた。そして旧市庁舎内のレストランで遅い昼食となった。さらに、周辺の例のパネルの記念碑の数か所を見て回った。街行く人は、どれほどの関心を寄せているのだろうか。時折、立ち止まって読んでいる人にも出会ったが、地元の人か来訪者かは分からなかった。また、朝から気になっていた、1989年からドイツ再統一10周年記念に建てられていた記念塔がニコライ教会のすぐそばに立っていたのだ。

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 歴史博物館、ルターから始まるライプチッヒの近現代史

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 歴史博物館の館内案内

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ライプチッヒは「本のまち」を象徴的に表現したという部屋一杯の白い本
シッカリ固められていて、頁はめくれませんでした

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ペーター通りの花屋さん、チェーン店らしい。これはコキア?

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もう街はクリスマス気分・・・

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通り抜けしてみたい・・・

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正面にマルクト広場の旧市庁舎が見える、こんな街角にも、1989年の記念碑が

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夕方になって、ようやく見つけた、1999年に建てられた、1989年からの10周年記念塔。今年は25周年記念にあたる。ニコライ教会では、1982年から毎週月曜日に、平和への祈りの集会が開かれ、民主化の抵抗運動の拠点となっていた。1989年10月9日、ニコライ教会前広場の7万人集会が、”FriedlicheRebolution”平和革命の始まりだった。東独全域に広がり11月9日のベルリンの壁崩壊につながった。以下のパンフレット参照ください。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/panhuomote.jpg

http://dmituko.cocolog-nifty.com/panhunaka.jpg

 昼食も遅かったので、夕食は軽いものでと、中央駅、駅なかのアジア系の店で、それぞれ、焼きそば、カレーライスで済ませたが、決しておいしいものではなかったと・・・。所期の目的を達せられなかった一日だったけれど、別の収穫はあったねと私は棒になった足を引きづりホテルに帰ったのだった。

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