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2014年11月 1日 (土)

ドイツ、三都市の現代史に触れて~フランクフルト・ライプチッヒ・ベルリン~2014.10.20~28(1)

 旅をしながら、パソコンでメモを取るという芸当ができないので、手許のメモと資料で綴っていきたい。今回は、20115月に予定していた旅行を311に出遭ってキャンセルして以来の海外行きとなった。この間、今夏1710か月で亡くなった老犬の介護が始まり、二人で家を空けられなかったことにもよる。行き先は、2008年のドイツ行きで、駆け足だったベルリンにもう一度という思いとドレスデン、ワイマールを除いた都市を訪ねるということで、フランクフルト2泊、ライプチッヒ2泊に落ち着いた。当方の体調も考えて、ベルリン3泊が限度かなと、いつもお世話になっている旅行会社に、往復の航空券と鉄道、ホテルを依頼したのが、9月初旬だった。連れ合いは、前には利用しなかったグーグルマップによる路線とストリートビュー検索で準備しているようだった。

 

フランクフルト、初めまして

 

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 1020日、フランクフルト空港は乗継ぎで何回か降りてはいるが、滞在するのは初めて。着陸の少し前に、ルフトハンザのパイロットがストライキに入ったので、乗り継ぎの方にはご迷惑をかけます、のアナウンスがあった。「よくがんばるなあ」と。自分たちが乗る便でないこともあってか、まずは応援の気分である。日本の航空会社では、ストライキが実施されたことはほとんど聞いたことがない。フランクフルト空港14時25分着。ホテルのモノポールに着いたのは予定の16時30分をだいぶ過ぎていた。ホテルは、フランクフルト中央駅南口の真ん前、ビジネスホテル風で、自由に利用できるというロビーのカフェで日本人らしい姿も見かける。片言の日本語を話すカウンターの方に、旧オペラのレストランの夕食の予約をしてもらう。室内はシンプル、冷蔵庫のものは無料との触れ込みである。ひと風呂浴び、駅前からのバスに乗るつもりが、教えられた64番で待っていても来ないので、U102ホームから二駅、旧オペラに向かう。630分、あたりはすっかり暮れて、旧オペラは、噴水とともにライトアップされ、ルネサンス様式の美しい姿を見せていた。パリのオペラ座をモデルに1880年建設、第2次大戦で破壊、1981年に修復されたそうだ。レストランは、天井や壁の装飾、格調高い雰囲気のなかで、私は魚介スープ・マッシュルームのクリームソーススパゲティ・サラダとイチゴのアイスクリームにした。日本を発つ2日前に、何しろ右手の人差し指を、けがしてしまい三針縫った身なので、ワインは自信がなくて、ソフトドリンクにする。下の写真、そんな雰囲気が伝わるだろうか。連れ合いはシュニッツエルとワイン、これも実においしそうであった。帰り道は、かなりの冷え込だった。

 

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ハイデルブルクの街を駆け抜けて

1021日、6時過ぎ起床、真っ暗で、空の様子がわからない。朝食時には、たしかに日本人、中国人が多いようだった。予報は、曇りだが、傘を持ち、ハイデルベルク城へとまず遠出した。中央駅DB9番ホーム、750発、マンハイム乗換えで、旧ハイデルベルク駅下車、バス乗り場で、ぼんやりしていて33系を逃してしまったらしく、歩きはじめた。10分ほどでカール広場に着く。ケーブルカーに乗ると、3分もかからず城に着く。これで6€、高いね、と思わず顔を見合わす。今度は、城内への入館料6€を払って、日本語の案内リーフレットをもらう。よく見ると、6€はケーブルカー料金込みだったらしい。ハイデルベルク城は、まさに古城の風情で、それぞれの館の建設の時期や様式が異なり、その朽ちよう、崩れようも異なるので、その感がいっそう強い。中世には幾度かの戦禍や落雷に見舞われ、18世紀には廃城になっていたのを、19世紀に入って、保存・修復がなされるようになった。とくに印象に残ったのは、ワインの大樽と薬事博物館であった。17世紀から18世紀の城主たちが、12.5万ℓ、19.5万ℓ、22万ℓと、競うように大きな樽を建造していたようだ。もう一つ、薬事、というより医療の必要性と熱情がこもっているコレクションは、もともとミュンヘンにあったものが、1944年の空襲で、ここに移されたという薬事博物館であった。また、城全体について、完全に修復するのではなく、遺跡として残していくという姿勢も伺えた。ここにもゲーテの記念碑とベンチがあると聞いていたのに見つからない。受付に戻って尋ねたところ、工事中で重機が動いている先の庭園にあることが分かった。ゲーテには敬意を表した後、見渡せば、さらに城の裏には庭園が広がっていた。振り返ると、辛うじて円筒の姿をさらす火薬庫が草や樹木に覆われている空濠に今にも崩れ落ちそうな感じであった。が、さすがに、観光地なのか、中国人の幾組かのグループがやってきては、写真を、長い棒の先にデジカメを付けて自分や家族を写している光景をよく見かけた。

もう一度、最初の展望台に戻り、ネッカー川をはさんで広がるハイデルベルクの街並み、赤い屋根が密集し、凹凸をなす街の歴史を実感した。これから訪ねる大学はどの辺りなのだろうか。

 

以降、私のデジカメは、充電方法を間違って、バッテリー切れ、連れ合いの写真拝借。

 

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ワイン22万リットルの大樽

 

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火薬庫の先の庭園に、ゲーテ記念碑はあった

 

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対岸には、哲学の道があり、眺めもいいという

 

ケーブルを降りたところからマルクト広場を経て、ドイツでいちばん古いと言われるニュールンベルク大学へと移動、旧校舎の方には、博物館と大講堂、そして学生牢があるはず。大学には権力の介入を許さないという、大学の自治の象徴でもある学生牢は、旧校舎の3階にわたってあり、どの部屋もさまざまな壁いっぱいの落書きに圧倒される。現在、ヨーロッパの都市のあちこちで見られるビルの壁面や鉄道沿線の列車や石塀の落書アート?の原型のようでもある。観光客はここまではなかなか入っては来ないが、出会った女性の一人から、階段に設けられている鉄条の扉を閉めた中から、カメラを差出され、撮影してくれないかの申出に、少し戸惑う。しかも、もうちょっと下がって全身をとの注文まであった。どの国の方だろう、おんな一人旅の思い出の一コマとなっただろうか。

 

それからが、大変だった。なにしろ、予定の列車まで、あと25分もない。旧市街をだいぶ奥まで来てしまったので、間に合うのだろうか。連れ合いは、すごい勢いで歩き出し、ときには走って、振り返る。当方も、必死に追いかけるが、何せ、ニトロの錠剤をお守りのように持ち歩いている身でもある。苦しくなったらどうしよう。もう、二人とも汗びっしょりで、1258分発が2分ほど遅れて間に合ったのである。その後も、ドイツの列車の遅れには、結構戸惑ったものだが、この時ばかりはありがたかった。ホテルからテイクアウトした、パンやフルーツで空腹をしのぐ。フランクフルト中央駅にはなんと30分遅れの14時半を過ぎていた。後の予定は詰まっている。

 

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ハイデルベルク大学大講堂、旧校舎内、正面の中央、白い胸像がバーデン大公フリードリヒ、その右が大学創立者のルプレヒトⅠ世、正面の絵は、フェルディナンドケラーの知恵と芸術の女神アテネが、天井には、4つの学部、神学・法学・医学・哲学が表現されている。1886年500周年を記念して完成、現在も式典に使用されているとのこと

 

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学生牢1

 

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学生牢2

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旧市街、こんなお店でお茶でものみたかった!

 

 

美術館のカフェで雨脚を見つめる

フランクフルト中央駅に戻って、今度はマイン川を渡り、シュテーデル美術館へと急ぐ。川沿いの遊歩道は、黄葉がはらはらと舞い散り、まるで映画の一シーンのようだった。このあたりは、美術館や博物館が建ち並ぶ地区で、シュテーデル美術館は、すぐに見つかった。銀行家シュテーデルの収集による美術館で、全部を見るには相当の時間と根気が必要と思われた。1階が近現代180019452階が中世13001800、地階1945~、という時代別の展示である。

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  まずは1階からだが、クールベ(フランクフルトの橋)、モネ(昼食、秋の河畔)、ルノアール(読書する少女)、ゴッホ(農家風景)などは軽く?通り過ぎたが、ここでムンク(漁夫と娘)やハンマースホイ(室内)と出会ったのは思いがけず、懐かしかった。また、ロダンも何点かあったが、ドガは踊り子の絵もさることながら、彫刻も何点かあり、小品ながら、その躍動感はさすがと思われた。7月に17歳の飼い犬を亡くしたばかりなので、F.マークという人の「雪の中の犬」の雪上で横たわり、安心しきって眠っている大きな白い犬の前では、思わず立ち止まる。この絵は、人気らしく、ショップでもこれをモチーフにしたグッズも多かった。

つぎは、2階なのだが、上がる中央階段の正面、両側の壁いっぱいに主に中世の宗教画や肖像画が所狭しと展示されていた。ルーベンスやフランス・ハルス、ハンス・ホルバインらの名前も見える。もったいないような展示だが、2階には、ラファエロ、フェルメールがあるはずで、先を急いだ。第1室にフェルメールの他作品はあるのに、「地理学者」は見当たらない。係員に聞いてみると、いまは展示がない、貸し出中とのことだった。そんなこともあろう、とあきらめて、回り始める。連れ合いは、宗教画や歴史画ばかりと思いきやこの時代に印象派の芽生えが色々な絵にあるではないかと、しきりに気に入った風景画などを写真に収め、キャプションに顔を寄せて読んでいると、絵に30センチ以上近づかないで、と注意を受けていた。私は、しつこく、念のため、またフェルメールの地理学者はどこかと別の監視員に聞いてしまった。「来年3月には返却される」とのことだった。この時代の作品にしばしば登場する動物たちは、どれも生活感が漂っている場合が多く、まさに「共生」していた様子が伺える。ヨハン・ハインリヒ・Roos(1631~1685)という画家の、羊飼いたちにとって家族同然の牛たちを何度も描いているのが、興味深かった。また、ジョン・Hoppnerのウサギを抱く少女が愛らしかった。 

 

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クールベ、フランクフルトの橋

 

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ドガ:ラージ ダンサー

 

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 朝からの疲れが出たのか、なんかぐったりしてしまって、美術館のカフェで、私は紅茶をいただいたが、もう身に沁みわたるような感じで、生き返ったようだった。が、外はいつの間にか、かなりの雨に煙り、雨脚も強くなっていた。

 

 

 

ザクセンハウゼン地区の居酒屋で

すでに暮れかけたので、あまり遅くならないうちに、お目当てのレストランに行かねばと席を立つ。美術館横を折れたシュバイツァー通りは、大きな黄葉が散った後で、滑りそうで足もとが危ない。ときどき、水たまりを渡り損ねたりしながら、ようやく居酒屋風の店(Zum Grauen Boch)に到着、すでに満席に近く賑わっていて奥まで進む。「とりあえず」、りんご酒とソーセージの盛り合わせを一皿頼んでみる。運ばれてきて、そのボリュームにびっくり仰天。山盛りの酢キャベツの上に、長いソーセージ、本場の?フランクフルトソーセージ、すこし色合いが違った2本(これが血の混じったソーセージ?)、それに厚さ3センチ以上もある骨付きハムようのものが、お皿にはみ出しているではないか。ご覧のとおりである(日本からプリントアウトして持参しメニューの価格から値上げしていて、その盛り合わせは23€が30€になっていた)。 りんご酒は、かなり酸味が強くて、素朴な感じではあるが、私はグラスの三分の一ものめなかった。どう頑張っても完食はできまい。濃い色のフランクは手つかずだった。お客さんも次から次へ入って来るので、退散することにする。雨は小降りになっていた。近くのUのSud駅から中央駅へと向かった。長い一日の締めくくりは、持参した湯沸しで、いつものお茶をのんだのであった。

 

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隣の席は女子会たけなわ・・

 

 

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