わが青春の街?登戸から生田へ向かう
いまにも雨の落ちそうな空模様、風の冷たい12月20日、小田急「向ヶ丘遊園」駅、北口に降り立った。30数年ぶりである。駅前はすっかり様相が変わってしまって、通勤に使っていた昔からの商店街はどの道だったのか。ロータリーからは、大きな二つの道路が延びていた。今日の研究会参加ついでに、かつて数年間住んでいたマンションを訪ねたいと思ったのだ。駅前の建設現場で交通整理をしていた男性に尋ねたとき、思わず「多摩区役所」と口走ると、指さしてくれた方に進んだ。結局はどちらも5・6分ほどで世田谷通りの多摩川を渡る橋の手前の交差点に行き着くのだが、「多摩区役所」は多摩区の総合庁舎と実に立派なビルに変わっていた。ここは私たちの婚姻届を提出した役所でもあった。行き着いた大通りを渡ると、あった、あった、いまだに片側が暗渠になっている道があった。右手には、丸山教本庁*の門柱も見えたし、丸山幼稚園もあった。辺りは中規模のマンションが建ち並んでいるのが、かつてと大きく違っていた。当時は、大通りを渡ると急に人家が少なくなって、梨園や畑が続いていた。帰宅が11時過ぎたりすると、街灯のないところもあって、マンションまで走って帰ったこともあった。毎日、西側の窓から見下ろしていた梨畑や田畑のあたりは、住宅やマンションが並び、一画だけの畑がその面影を残していた。
暗渠のある道
一画だけ畑が残っていた
ふたたび、駅へと戻るときは別の商店街を通ると、多摩区総合庁舎の裏側は多摩図書館とホールの入り口になっていた。この向かい辺りには、ときどき利用したお蕎麦屋さんと美容院があったはずなのだが~。向ヶ丘遊園北口発の明大正門前行きのバスは、思ったより乗降客が多い路線バスで、15分以上かかったろうか。後でわかるのだが、明大キャンパスの周辺をぐるりと回る、ラケットのような路線図だった。
なお、南口から出ていた向ヶ丘遊園駅のモノレールは2001年に廃止となり、向ヶ丘遊園自体も2002年には閉業している。
*丸山教:登戸村の農民、伊藤六郎兵衛(1829~1894)が、1876年に創設した、富士講の流れをくむ世直し的な新興宗教の一つで、農民の支持が厚く、神奈川・静岡・愛知・長野県などに138万の信者をもつ時代もあった。明治政府の弾圧後は、勤勉・倹約を勧める報徳社運動にも参加。現在は、1万人強の信者により「天下泰平、普く人助け」の宗旨のもと平和・反核運動にも取り組んでいる。
「諜報研究会」二つの講演
きょうの研究会は、明治大学平和教育登戸研究所資料館・NPO法人インテリジェンス研究所共催の「第9回防諜研究会」で、講演は以下の2題であった(明大生田キャンパス中央校舎)。今回の企画は、プランゲ文庫を中心に占領期の研究を進める20世紀研究所の研究会にときどき参加していることもあって、諜報研究会からのメールで知った。
①山田朗(明治大学文学部教授、明治大学平和教育登戸研究所資料館館長):「陸軍の秘密戦における登戸研究所の役割―登戸研究所の軍事思想」
②山本武利(NPO法人インテリジェンス研究所理事長):「陸軍中野学校誕生 期分析―1937・8年に叢生した日本人インテリジェンス工作機関」
①「陸軍の秘密戦における登戸研究所の役割―登戸研究所の軍事思想」~とくに印象に残ったこと
登戸研究所の組織・沿革とその背景にある日本陸軍の軍事思想の特徴について話された。登戸研究所は、1937年11月、日中戦争の長期化に伴い、秘密戦(防諜・諜報・暴力・宣伝)の必要性が高まり、陸軍科学研究所登戸実験場として生田に設置された。その背景には、陸軍は銃砲弾重視の「火力主義」を物量不足から貫徹できず、歩兵による銃剣突撃重視の「白兵主義」が台頭、少数精鋭主義、攻勢主義、精神主義が強調されたが、これを補強する「補助手段」が必要となった。軍縮・経費節減から編み出される細菌兵器、敵国攪乱の毒ガス、謀略工作などを重視するようになった。1941年6月からは陸軍技術研究所の第九技術研究所と再編された。所長は、スタート当初よりかかわった篠田鐐中将があたる。その研究は、主なものだけでもつぎのように分かれていて、敷地11万坪、幹部所員約250人、民間人あわせて1000人以上が働いていた。
1)電波兵器(第一科)
2)風船爆弾(第一科)
3)特殊カメラやインク、毒物など諜報・謀略用品の開発(第二科)
4)対人、対動物、対植物の細菌兵器の開発(第二科
5)経済謀略、戦費調達のための贋札づくり(第三科)
私にとっては、ほとんど初めて聞く内容だった。
2)の「風船爆弾」の風船作りについては、女学生などが勤労動員されていたことはよく聞くが、風船爆弾の機能や使われ方は、今回初めて知った。太平洋の偏西風を利用して生物兵器を搭載した風船をもってアメリカへの攻撃を計画していたが、毒ガスや生物兵器登載が国際的な使用禁止への流れの中で無理となり、爆弾を搭載して、1944年11月~1945年3月ごろまで約9300個の風船爆弾を放ったという。その内、着弾が確認できたのは361個だった。和紙とこんにゃく糊による風船は“牧歌的“にさえ思えてくるが、兵器の一部であったのである。詳しい記録や証言は少ないが、日本での放球時の爆発、アメリカでの不発弾の爆発で、それぞれ日米の犠牲者が出ている。
4)の「細菌兵器」について、思い起こすのは731(石井)部隊の医師たちの細菌などによる人体実験である。731部隊は、関東軍防疫給水部本部の研究機関の通称で、登戸研究所の研究との違いは、講師によれば、731は、野戦場における対人の兵器としての細菌研究で、登戸では、あくまでも敵国かく乱のための兵器としての生物兵器研究であったという。前者については、近年になって記録や証言、研究が多く、全貌が明らかになりつつあるが、登戸研究所については、その全貌が見えてこないという。両者とも関係者の責任、戦争犯罪に問われることがなかったのは、占領軍による研究成果の記録・情報取得を交換条件に関係者免罪が取引された結果であるとされている。
もっとも驚いたのが、登戸研究所が「贋札づくり」の任務を担っていたことだった。国(軍隊)がニセ札を製造していたわけだから、登戸研究所の中でも「秘密の中の秘密」で、敗戦時にはほとんどの資料を焼却しているので、その実態が分からなかった。その後のわずかな証言から少しづつ明らかになってきたということだ。
ニセ札製造とその流通の目的は何だったのか。1935年中華民国政府の蒋介石政権は米英の支援で統一通貨「法幣」を制定、浸透していたが、日本軍は物資不足・外貨不足のため長期戦を余儀なくされていた。そこで、日本軍は、ニセ札を大量に流通させてインフレを起こさせ、中国経済を混乱させること、ニセ札を使って現地の物資調達を容易にすることの二つを目的にニセ札製造に踏み切った。1939年から1945年までの間に、40億円相当(当時の日本の国家予算が200億)を発行したが、現実にはインフレは起こらなかった。このニセ札は、日本軍が発行していた「軍票」の信用がない中で、物資調達に重要な役割を果たした。製造には、巴川製紙や凸版印刷などの民間も協力させ、運搬は中野学校出身者らが担当したという。
こうしてみると、戦争が、戦場での殺人行為を容認や競争をエスカレートさせるだけでなく、大量殺人やニセ札製造などという凶悪な犯罪行為を国家が推進していたことになる。「これが戦争というものなのだ」と納得する人間の愚かさを痛感させられる。これは、現代にも通じることで、情報収集やスパイ行為など一見頭脳的な行為にも思えることすら、CIAの情報収集や日本の公安警察に見るように、違法な国家犯罪を助長することにならないか。
②「陸軍中の学校誕生期分析―1937・8年に叢生した日本人インテリジェンス工作養成機関」
私は、後半に話された「中野学校と延安の日本農工学校について」に興味をそそられた。1937年7月7日盧溝橋事件からますます日中戦争が拡大、満州におけるソ連との緊張関係が増し、さらに南方侵略の野心が高まるなか、防諜要員の育成が急務となり、1938年3月、岩畔豪雄中佐が中心となって防諜研究所としてスタートしたのが中野学校である。後、陸軍中野学校と改名、情報収集・分析・諜報・謀略活動の要員の養成が秘密裏に行われ、敗戦後は、いわゆるスパイ養成機関として有名になった。
中野学校と登戸研究所とのスタートは、ほぼ時を同じくしていることが分かる。1937年8月軍機保護法の公布、国民精神総動員実施要項の決定がなされ、1938年4月には国家総動員法公布がされていて、中国での戦局拡大のさなかであった。中野学校スタート前夜の”山“(兵無極防諜班)の存在や当初からかかわっていた香川義雄による「香川ノート」の存在とその内容を検証する話も興味深いものがあった。続いて、1940年、モスクワから延安入りした野坂参三(林哲・岡野進)と「日本農工学校」についての話では、これまで私が聞きかじっていた事柄を、文献やインタビューの証言によって少しく解明してくれた。
日本農工学校は、中国の日本兵捕虜の思想教育機関で、その秘密性と洗脳度が高く、大日本帝国打倒を目標に日本占領も視野に入れていたという。その時間割やスナップ写真などから、野坂(林哲)を校長とする毛沢東直属の機関であったことや野坂の実生活について、話された。野坂は妻をモスクワに置いての延安生活であったが、生活を共にしていた秘書の中国人女性は監視人だったのかにも触れた。
この日の話には出なかったが、敗戦前の野坂の毛沢東との書簡にも見られる「天皇制擁護論」については、私にとっては、今後の課題なのである。
なお、中野学校があった国有地一帯は、再開発により、公園や「東京警察病院、明治大学中野キャンパス、早稲田大学中野キャンパスなどになっている。
最近のコメント