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2014年12月 2日 (火)

福島から避難して千葉で暮らす、千代田さんの話を聞きました

   去る11月22日(土)、「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」主催の「福島から避難して千葉で暮らす、千代田信一さんの話を聞く会」(午後2時~ 佐倉市志津コミュニティセンター)に参加しました。佐倉市、四街道市、千葉市から20名程が参加しました。そのときのお話の要約と報告です。

     千代田信一さん(72歳)は、福島第1原発から6㎞ の双葉町で被災され、四街道市へ避難された。 原発事故によって、千代田さんの豊かな自然に恵まれた農業経営、家族や地域の人々との和やかな暮らしを一瞬にして覆された。地震発生時のパニック状態に加えて、避難のさなかでの過酷な状況、奥様の実家のある千葉への避難の決断は事故後集団で行動していた人々との別れともなり、仲間の「行くところがあっていいなあ」との言葉がつらかった。
  避難先の千葉の親戚に家族一同十数人が寄宿することは、短期間ならともかく、双方の負担は大きく、四街道市鹿島荘の避難所暮らしとなった。さまざまな支援を受けて有難かったが、市職員からまるで監視されるような一面もあった暮らしであった。さらに、四街道市内での転居が続き、落ち込む中、息子さんの「釣りでもしたらどうか」の一言、その心遣いに目が覚め、さらに息子さんの提案で一緒に住む物件を探し、千葉市に落ち着いた。病を得た奥様の通院に便利なところでもあった。 四街道市や地元の人々との様々な交流によって支えられ、現在に至っている。
  それにしても、原発建設の過程や原発稼働中の東電(原発安全協会)による説明会は、ひどいものだった。第一部が大学教授ら研究者の“原発安全講話”と質疑、第二部が芸能人やスポーツ選手のアトラクション(ケーシー高峰、桑田真澄、中畑清、パンチ佐藤・・・)、地元の人たちは、第二部に浮き足たち、質問もそぞろだった。たとえ質問をしても、安心安全のみの答弁だった。その一方で、東電関係者は、原発の近くに住むことなく、ヨウ素材配布の用意をしていた。
  各地に、千葉県にも多くの避難者がいる中で、いわれのない差別を受け、孤立を余儀なくされている。同郷の人たちが集い、会えるから「葬式が楽しみ」とさえいう避難者の言葉は重い。
  原発をゼロにすることと、中間貯蔵場ではなく「捨て場」の確保が課題なのに、安倍政権は、原発事故の終息がないまま、避難者は放置された状態で、さらに原発再稼働、原発輸出を進めているのは許せないし、怒りを覚える。安倍政権は絶対に変えなければならないと。 

   ときには、涙しながらのお話に、 私たちが接するメディアは、原発事故の実態、被災者、避難者の現状を正確には伝えていないことをあらためて知らされました。お話の最後に歌われた「福島慕情」の民謡で鍛えられた素晴らしい声量に圧倒されました。また、飼われていた山羊の最期や猫の行方、そして愛犬コロとの再会の経緯にも涙を誘われました。被災地の様子を伝えるテレビ画面で偶然にも愛犬の姿を発見して、現地での再会がかなったものの連れて帰れず、ボランテイア団体のエサやりや保護をへて、2年半後、ようやく千葉で一緒に住めるようになったそうです。愛犬コロとの「物語」は、ネット上でも「餌を運ぶ賢い犬」として話題になり、以下のユー・チューブで見られます。
  http://www.youtube.com/watch?v=aMH6sNgx1Oc

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