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2015年3月26日 (木)

春の六本木~白日会展とルーヴル美術展へ

開花宣言も聞かれる東京に出たが、323日、用事が済んで向かったのは、国立新美術館。恩師の乙黒久先生が属されている「白日会展」へ。沢山の力作の中をめぐって、先生の「夕装」という題の山の絵の大作も見つけることができた。池袋三越の閉店と共に乙黒先生の個展が開かれなくなり、「白日会展」も私には、久しぶりだった。米寿も近く、ご健筆ぶりにただただ脱帽の思いである。会場は、心洗われるような風景画と共に若い女性を描いた人物画が多く、なかでも美しさや愛らしさを超えたところの志や意思を秘めた表情に惹かれるものが多かった。先生、ご招待状、ありがとうございました。

同じ美術館では、「ルーヴル美術館展」が開かれているのを知った。そう、フェルメールの「天文学者」が来ているというのが話題になっていたのを思い出した。「日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」の副題がある美術展だった。中世の宗教画は苦手だけれども、16世紀から19世紀まで、この時代の風俗画は、農民や職人、商人たちの暮らしや家族や階層の関係が分かって興味深い。83点ほどの作品は以下の構成による展示だった。

プロローグⅠ 「すでに、古代において…」風俗画の起源  

プロローグⅡ 絵画のジャンル  

第Ⅰ章 「労働と日々」―商人、働く人々、農民  

第Ⅱ章 日常生活の寓意―風俗描写を超えて  

第Ⅲ章 雅なる情景―日常生活における恋愛遊戯  

第Ⅳ章 日常生活における自然―田園的・牧歌的風景と風俗的情景  

第Ⅴ章 室内の女性―日常生活における女性  

第Ⅵ章 アトリエの芸術家  

鳩売りや抜歯屋という商売もあったことや画家たちが占い師や物乞いの人たちにもクールながらときにはあたたかい眼差しをもって描いていることも知らせてくれる。プロローグⅡにあったル・ナン兄弟の「農民の食事」(1642年)という、テーブルを囲み、ワインとパンだけのような食事をする男たち、彼らを巡る家族たち、加えて左端には画家を見つめる子犬を配したかなりの大作である。日常のなかの家族のやすらぎと生活のきびしさが感じられる一場面のように思えた。2009年の国立西洋美術館のルーヴル展でも、同じル・ナン兄弟の「農民の家族」にも犬がいたのではなかったか、思い出すのだった。

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ル・ナン兄弟「農民の食事」

コローの作品は何点かあったが、第ⅴ章にあった「身づくろいする若い娘」と「コローのアトリエ」のマンドリンを右手に持ったまま、キャンバスの書きかけの絵に見入っている若い女性の絵が印象的だった。この絵とほぼ同じ構図の作品もあるそうなので、愛着の深かったテーマだったのでは。また、第Ⅵ章は画家の内面を見るような楽しみもあった。

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コロー「コローのアトリエ」

今回のシャルダンは、「買い物帰りの召使い」が、なんとなく物憂い感じが出ていて、袋をはみ出す品は何だろうと親しみを覚えるのだった。

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 シャルダン「買い物帰りの召使い」

フェルメールの「天文学者」は、チケットやチラシにもレイアウトされていて、その展示も、ほぼ一部屋が当てられ、別格扱いであったが、想像よりもむしろ小さな作品だった。2009年の「ルーヴル展」では「レースを編む女」はさらに小品であったことも思い起こす。昨年11月の旅先で、フランクフルトのシュテーデル美術館では貸し出し中で見ることができなかった「地理学者」、今回は、そんな「地理学者」のコピーとの対比で解説がされていたのも興味深いものがあった。 

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    フェルメール「天文学者」

美術展のハシゴは、やはり疲れました!

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コメント

『猫動画』を開けたら『佐倉市民の皆様へ』の広告が入り
順大の移転の経過と現市長批判が・・・・

何が起こっているのかとブログ拝見・・・・。

投稿: グリ猫のママ | 2015年4月25日 (土) 02時10分

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