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2015年4月 9日 (木)

歌人の「身すぎ世すぎ」と「居場所」と

 最近、と言っても、やや古くなったものもあるが、短歌雑誌に寄せた三つのエッセイを再録しておきたい。「いつでもどこでも」同じことを繰り返しているような気がしているが、ご意見いただければありがたい。末尾に掲載雑誌名と< >でシリーズ名を付した。

1)
「身すぎ世すぎのかなめ」と自立                                       近年、短歌雑誌などを読んでいて苛立つことが多くなった。ならば読まねばいい。 NHKの短歌番組など見なければいい。だが、その行き着くところは、短歌や歌人そのものではなく、インターネットも含む短歌メディアのなかで、沈むまいと必死に身を処する一部の著名歌人たちへの思いだった。老若を問わず、少しばかり衒学的に、どうでもよいことにきびしく、嘆いて見せたりするが、決して敵を作らない。そこには、自立的な批判精神をどこかに置き忘れたかのような、和やかな時間が流れる。「短歌は滅ぶぞ、ほろぶぞ」と言いながら、書いたり、話したりして、その露出度を満喫している長老もいる。
   それでも、私が、短歌から離れられないのは、作者の有名・無名を問わず、共感や感動にいざなわれ、「あなたならどうするの?」と質されるような短歌の作者と対話を試みたい気持ちになるからかもしれない。また、短歌を通じて、日本の近現代史をたどっていくと、思わぬ発見や予想通りの展開に驚くこともある。その検証を進めてゆくときのわくわく感や、ときには味わう徒労感にも、捨てがたいものがある。 しかし、周囲や師弟間への配慮を決して怠らず、自らの言動のブレが顕在化しないように入念な工夫を凝らし、正当化に破たんを来たせば開き直りもする歌人が多い。「是々非々」の柔軟性を標榜しながら、ただの「ぐにゃぐにゃ」というのは見苦しくもある。『開放区』に参加する望月祥世は、金井美恵子の短歌批判に対する歌人の反応に関連して、発信を続けている。たとえば、「本来なら、短歌の世界の内部から出て然るべき批判が、歌壇外に追放されたくなく、仲間を失いたくない歌人に代わって、ジャンル外の金井さんによって語られただけであって、感謝をもって迎えるべき批判だ」(「銀河最終便・風間祥のブログ」二〇一二年一二月九日)など一連の発言に対して、短歌メディアもネット上でも、無反応に近い。  
   ことしの八月、筆者は『天皇の短歌は何を語るのか』を上梓したが、歌人からの反応が極端に鈍い。

・いざといふ場合に本音吐かぬこと身すぎ世すぎのかなめとぞして 清水房雄(『蹌踉途上吟』)
(<視点>『現代短歌新聞』2013年10月)

2)
櫻本富雄『歌と戦争―みんなが軍歌を歌っていた』
(アテネ書房 二〇〇五年五月第二版)

   「歌」は歌でも「短歌」の本ではない。初版は二〇〇五年三月に発行されているが、その折、『図書新聞』に書評を執筆したことがあって、この第二版を著者からいただいた。それは、初版の誤植訂正はもちろんだが、表現の統一、補筆などなされた頁に付箋がびっしりと付されているものだった。その修正の速さと丁寧さに驚いてしまった。現物を手許に置いての厳密な考証を前提にした論考には説得力があり、戦時下における表現者の責任を一貫して問い続けてきた仕事の一つであった。『日本文学報国会―大東亜戦争下の文学者たち』(青木書店 一九九五年六月)などは、戦時下の文学を考えるための必見文献だろう。これらの著作は、資料に裏付けられているので、文献案内的な役割を果たすこともある。著者が長年にわたって収集されたコレクションの一部を手離し始め、いまは、ふたたび「古書の世界」に返されているさなかと伺った。
    櫻本さんとは、表題の一冊を機に、メールでのやりとりが始まり、いろいろ教えていただくことが多くなった。そして、手離された戦時下の紙芝居のコレクションが、めぐりめぐって、神奈川大学非文字資料研究センターで整理され、公開の運びとなった昨年一二月、シンポジウムが開かれた。その会場で、パネリストのお一人だった櫻本さんに初めてお会いすることができた。「その内、本を送りますよ」とおっしゃっていたが、しばらくして、ほんとうに、昭和一〇年代の歌集や歌書の数十冊が届いたのである。かつて一部複写をしていた本、古本での入手が困難だったり、高価だったりした本がほとんどで、その手触りに興奮してしまうほどだった。しかし、譲り受けた貴重な書物をどう活用するのかを考えると、責任の重さもひしひしと感じるのであった。    
    一時期、短歌・ジェンダー・メディア関係などの年表や辞・事典、資料集などが出版されると、なんとなく落ち着かず、手許に置きたくなって購入してしまうことがあった。図書館勤めのクセが抜けきらなかったのかもしれない。現在は、置き場所のこともあり、インターネットで目録・資料の検索が容易になり、出かけなくても複写が入手できるようになったので、やたらに買うことはしなくなった。でも、よく利用するレファレンスブックをはじめ読み終わった書物にも、付箋、マーカーや書き込み、ドッグ・イヤのやり放題なので、他人には見せられない。そんなことをしながら、調べものが一段落すると、先行研究を無視する人、ネタ本、孫引きやコピペが割れる人、参考文献・注などで人脈を保つ人、自説を微妙に変えていく人、資料を独占したい人、何とも腰が引けている人などが、おぼろげながら分かってくる。そして、私自身、知らなかったことを知り、勉強不足を実感するのもこのときで、わずかな自著にも、付箋や書き込みが増えてゆく。
(<秘蔵の一冊>『現代短歌』2014年12月)  

3)
歌人の「居場所」

    一九九二年から昨年まで「歌会始」選者を務めた岡井隆は、選者入りした当初、「歌会始」は「全国最大規模の短歌コンクール」に過ぎないと、その相対化を強調した。確かに、応募者数だけに着目すれば、二万首前後を推移する「歌会始」をしのぐコンクールもかなり出てきた。近年、選者や選考委員を務める歌人たちが世代交代するなかで、その実態に注目したい。  季刊短歌紙『梧葉』は、〈「作品募集」一覧〉として、募集要項を掲載している。網羅性はないが、その一覧性から、いろいろと読みとることができる。最新三号分により昨年七月から約一年間締め切り月日順に見ていくと、いずれも回を重ねた「募集」で、総数三八件に及んだ。  不明部分は主催者のHP等で補いながら、まず、主催者別にみると、歌会始の宮内庁、国民文化祭の文化庁、自治体の教育委員会など行政機関に係るものは一八件(観光協会二件含む)で約半数を占める。NHK・新聞社・出版社六件、歌人団体六件、靖国・上賀茂など神社四件、歌人の記念館など二件、その他二件という結果になった。「歌会始」は別として、いわゆる「町おこし」的な性格が色濃い催事だが、短歌の普及にどれほど貢献してきたと言えるのだろう。  選者・選考委員では、上記三八件の限り、永田和宏七件、三枝昂之・今野寿美・永田紅・安田純生の各四件、篠弘・伊藤一彦・坂井修一・東直子らの各三件が続き、二件の歌人が十数人に及び、その重複ぶりが顕著である。これに歌会始・NHK・新聞歌壇の選者を重ね合わせると、歌壇の「勢力地図」が垣間見える。地元歌人や顕彰歌人の研究者起用などには合点がいくとしても、新日本歌人協会「啄木コンクール」と靖国神社献詠歌選者の兼務、地方紙(版)歌壇選者の複数兼務、元「全共闘」歌人が聖教新聞歌壇選者であるといった事実を前に、私は立ち止まってしまう。歌人の顕示欲と主催者側の集客への思惑が相まってのことか、「選者」という場所がよほど居心地がいいとしたら、それも問題ではないか。 
(<今月の視点> 『短歌往来』2015年4月)          

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