「歌人の『居場所』」への論評が出ました
当ブログ4月9日の記事に再録した「歌人の『居場所』」(『短歌往来』2015年4月)という短い時評を、『短歌往来』の「評論月評」で若い岩内敏行氏が取り上げてくださった。それだけでも、前号を読み直してくださる読者もいるかもしれず、感謝なのだが、その部分をスキャンしてみたので、ぜひお読みいただければと思う。どうも、私の言いたかった<心地よい「居場所」>の意味するところが、私の言葉足らずで通じなかったような~~~~。
(補記)上記コピーでは読みづらいので、その部分を以下に再録しましなす。
『短歌往来』四月号「今月の視点」は内野光子「歌人の『居場所』」。短歌のコンクールなどの選者や選考委員の実態をフォーカスし、実名で重複して選考委員をひきうけている歌人を挙げる。「歌人の顕示欲と主催者側の集客への思惑が相まってのことか、『選者』という場所がよほど居心地がいいとしたらそれも問題なのではないか」とむすぶ。挙げられた名前のみでを見ると、一度は選をうけたい、一度はその批評がききたいと思える歌人ばかりで、当の本人たちは選考委員が「居心地がいい」からやっているという訳ではないように思いたい。短歌形式に真摯に向き合う自分自身の心(あるいは姿勢)こそ、居心地がよいものだろう。(岩内敏行「評論月評」『短歌往来』2015年5月号、140頁)
念のため「歌人の『居場所』」もスキャンしました。(4月9日に再録してあります)
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