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2015年6月16日 (火)

6・14国会包囲集会に参加しました(1)

ともかく、国会へ

 午前中、地元の9条の会のニュースの編集会議を終え、連れ合いとは駅で待ち合わせ、「とめよう!戦争法案 集まろう!国会へ」集会へ向かった。

 下のようなチラシや67日『東京新聞』[朝日新聞』 の1頁全面の意見広告を見ていたので、できれば参加したいと思っていた。連れ合いは、元の職場の方たちと待ち合わせているというので、仲間に入れてもらうことに。議事堂からは少し離れた霞が関駅改札から10人ほどで歩きはじめ、歩道は赤いコーンで分けられるので細い列になる。外務省の横を経て議事堂の正門前までくると、身動きができないくらいの人でいっぱい。横断歩道では警官が信号規制をする。憲政資料館辺りから、すでに居場所を決めて座り込んでいる人たちが続く。国会図書館あたりがすいているというので、さらに移動、シュプレヒコールをしながら歩く。最近では、反TPPのデモに参加したり、議員会館での集会や国立国会図書館での調べものに通ったりすることはあっても、議事堂に向かってのシュプレヒコールは久しぶりだ。「戦争反対」「9条を守れ」「戦争法案今すぐ廃案」「戦争する国絶対反対」「安倍政権の暴走を止めよう」「一括法案絶対反対」・・・。

参加者の多くは、「戦争させない」「9条壊すな」のプラカードとは別の、お手製のさまざまなプラカードを持っているのが目立つ。私たちも何か作って持参すべきだったと悔まれる。壇上からのマイクの声は、議事堂周辺50か所以上にスピーカーが設置されているからどこにでも届く。車道には相変わらず装甲車の列が続く。それに、議事堂と接する歩道は、すべて通行規制されて、警官だけが立つ。

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白熱のリレートーク

結局私たちは、国立国会図書館横に陣取ると、各界の代表のリレートークが始まった。佐高信さん、各党からは長妻、吉田、志位さんに続いて、沖縄の女子大生玉城さん、鳥越俊太郎、山口二郎、石坂啓、古今亭菊千代さんに続き、弁護士の杉浦ひとみ、福山洋子さん、最後が鎌田慧さんだった。皆さん熱弁ではあったけど、講演会ではないのだから、もう少し、簡潔にしてほしかったなと思う。街頭では、集中力がないし、やはり聞きづらい。概して、女性の方がメリハリがあってわかりやすかった。玉城さんは、東京には、戦闘機の音がない、街に米兵が歩いていないと語り始めた。安倍さんは戦争にはいかないですよね。若者の命を奪うな、若者に命を奪わせるな、基地を作らせない、9条を守るという決意が明快だった。漫画家の石坂さんの作品を読んだことはないのだが、いま、放映中の「アイムホーム」の原作者と初めて知った次第。平和憲法が憎くて憎くて、「わが軍」と「壊憲」で頭がいっぱいの安倍首相、戦場で自衛隊員の死者が出たときをすでに想定、メディア対策まで考えている安倍首相、国民を愚弄する安倍政権を許さない戦争法案を許さない、と訴える。菊千代さんも初めて聞く名前、芸人9条の会を立ち上げた由、悪いのは安倍晋三ひとりではない、その取り巻き、そして日和見、国会での野党も情けないと手厳しい。620日には、女性によるヒューマン・チェーンで議事堂を包囲しようと訴える杉浦さん。鎌田さんのトークが終わったのは4時近かった。きょうの参加者は、25000人との報告があった。

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国立国会図書館横、国会見学者用バスプール前

帰りは、議事堂裏の議員会館をへて、国会議事堂前から地下鉄に乗ることにした。いちょう並木の新緑が美しい季節だ。思いがけずお遇いした方々もいて、思い切って参加してよかったと思う一方、持参したおにぎりを食すチャンスを失っての空腹に悩まされもした。

当日のNHKニュース7では、案の定、きょうの集会はスルー。安保法制関連では、申訳のように岡田民主党代表の講演会の模様を伝えただけだった。香港の学生デモ、MERSの流行で、中国と韓国への不安をあおるかのようなニュースは、毎日確実に届くのだが・・・。スポーツは、なでしこジャパンは、スポーツ番組へ移行して「届けよ、もっと大事なこと」と宇田川町に向かって叫びたい。

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