6・14国会包囲集会に参加しました(2)60年安保は「思い出」なのか、砂川判決再読
60年安保を、ただの「思い出」にしてはならない
そう、60年安保の時は、「請願デモ」と銘打っていて、議事堂裏側、議員会館向かいの衆参の「面会所」前で、議員たちの「迎え」を受けるのが恒例のデモコースだった。車道にまでにあふれる隊列はすぐさま機動隊に押し返されるが、すぐにはみ出すという繰り返しだった。それに、いわゆる「全学連主流派」の隊列が車道をくねって行進するので、そちらの警備の方が厳しくなっていた。1960年6月といえば、6月10日、この日は、自分の大学自治会の指示で、羽田まで出かけた。来日のハガチー大統領広報担当秘書官の車がデモ隊に阻まれ、ヘリコプターで脱出する事態となった。私たちはどの辺に待機していたのかが定かではないのだが、着いた車のフロントに覆いかぶさる学生もいた。ハガチーが乗り込んだヘリコプターが飛び立つときの爆風で私たち一同が横倒しになったのである。6月15日は、当時、夜間の映画関係の講座に通っていたものだから南通用門での樺さんの事件は、青山1丁目の遅い夕食のお蕎麦屋さんで知った。
あのころは、10万単位の集会・デモが連日続いていた。とくに5月19日、自民党は新安保条約を警官隊まで導入してまで強行採決してからは、私のような、ごく普通の学生や市民が参加した国民運動となったのが特徴だった。樺さんの事件直後の6月17日、「暴力を排し、議会主義を守れ」とする新聞一面コラムの在京七新聞社による「七社共同声明」(産経・毎日・東京・読売・東京タイムズ・朝日・日経)が出たときの衝撃は忘れがたい。さらに、新安保条約が自然承認される6月19日の夜、議事堂を遠巻きにしながら、身動きができないまま地べたに座り込んでいた悔しさをも思い出す。6月18日のデモと並んで、その動員数は30万を越え、35万に達したともいわれた。岸内閣は倒れたが、池田勇人内閣に代わった以後の高度経済成長期になされたことは何だったのかを思う。
請願デモを提唱した清水幾太郎は?全学連主流派・反主流派の活動家だった友人たちは?前衛歌人と称された岡井隆は?そして、70年安保のとき「戦士」だったという歌人たちは、いま!を思うと、人間不信にも陥るのだが・・。
砂川判決を再読してみると
いまの「時代の空気」が太平洋戦争直前に似ている、という歴史家や年配の方々が多い。昭和史や様々な年表などを読んでいて思うのもそのことだった。
安倍政権は、いまになって、集団的自衛権行使容認の合憲は、砂川裁判最高裁判決が根拠だと言い出した。「憲法の番人」が言っていることなのだから、少々の学者が違憲だと言ったところで政治に素人の言にすぎないとの勢いが、またまた、少し風向きを変えた。どう変えたところで合憲には無理があり破たんがあるのに、突き進むのをなんとしてもとめなければならない。
1959年3月の駐留軍を違憲とした伊達(秋雄)判決も、その前年の警職法廃案も、岸信介内閣にとっては、痛手であった。しかも、伊達判決に対しては、日本政府より先に反応したアメリカが、ただちに、藤山愛一郎外務大臣と田中耕太郎最高裁判所長官に圧力をかけて来た。この事実は、2010年以降、すでにアメリカの公文書や外務省の情報公開文書によっても明らかになっている。 二審を抜きにした跳躍上告の1959年12月に出された最高裁判決のポイントの一つは「9条2項は、固有の自衛権を否定するものではないが、アメリカの軍隊は日本の戦力には当たらない」と理解され、他の一つが、「高度な政治性を持つ安保条約のような案件は、明白な違憲無効と言えない限り法的判断はできない」としている点である。
きのう15日の報道ステーションで、木村草太准教授が砂川判決は「個別的自衛権が合憲であるか否かは別として」という留保があるくらいだから、「集団的自衛権行使容認を合憲とする」根拠にはなりえない、と解説していた。え?そんなくだりがあったのかしら、と思って、ネットで判決集を検索、52頁にも及ぶ判決文、通覧したかぎりでは、また補足意見や少数意見が長かったりで、手間取ってしまった。何しろ52頁のうち、理由の主文は6頁だったのである。補足意見や少数意見には、とんでもないものから、なるほどと思うものまでいろいろあって、それはそれで興味深かったのだが、肝心の部分が「ちゃんとありました!」2頁の末尾では、つぎのように記されている。
「そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止し戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」
判決理由の冒頭から、憲法9条の趣旨を説き起こしているが、前文も引用した後、つぎのように記している個所がある。
「しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持してその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない」
9条の趣旨を上記のように解釈することを前提としながらも、あえて、本事例では「自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」という留保を付していたのである。少なくとも、この限りでも、集団的自衛権行使合憲の理由にはならないことは明らかなのである。
ところが、最近は、「あの判決では、集団的自衛権行使については言及がないので、違憲とは言えない」との答弁までするようになった。自公与党の議員には、ポツダム宣言、日本国憲法、砂川判決をじっくり読む特別の勉強会を開いてほしい。
そして私たちも、政治家や研究者のことばを鵜呑みにするのではなく、自分の目で確かめることが必要なのではないか。砂川最高裁判決が、自明のように憲法9条は、「固有の自衛権」「自衛権による措置」を容認しているが、果たしてそうなのだろうか。過去の侵略は、そして戦争は「自衛のため」という名のもとに始められたことを思うと、私には、この前提となる解釈にも疑問が消えないのである。
砂川最高裁判決全文
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/816/055816_hanrei.pdf
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