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2015年7月29日 (水)

田中綾著『書棚から歌を』(深夜叢書社 2015年6月)を読んで

 著者がまだ院生の頃、師の菱川善夫氏とご一緒で、札幌でお会いしたときの印象が色濃く、新進の学究と思っていたが、「親子ほど年の離れた学生と接し・・・」と「あとがき」にあり、愕然としたのは私の方だった。また、「〈明治〉〈大正〉〈昭和〉〈GHQ占領期〉をまとめて〈昔〉の一語で片付ける彼/彼女らに、近代と、私たちの〈今〉とは地続きであることを伝えなければ・・・」ともあり、切迫した想いが執筆の動機とある。しかし、『北海道新聞』に連載中のコラム(今回の収録は、200911月~20151月)でもあるので、講義のような堅苦しさはなく、読みやすく、何よりも対象の書物の幅が広い。歌人ではない著名人のあるいは無名の人たちの短歌も拾い上げられ、その作品と作者の物語性や意外性が、なんとも興味深い。

 初回が、斎藤慎爾『ひばり伝』(講談社 2009年)から、美空ひばりが小林旭との祝宴の折に発表された「我が胸に人の知らざる泉あり つぶてをなげて乱したる君」の1首が表題となり、その背景が語られる。2回目が、太宰治『斜陽』のために自らの日記を提供した太田静子(19131982)が、結婚前の若いころ、口語による、定型にこだわらない「新短歌」にのめり込んだ時代の1首「樹液の流れに 上衣が失はれはじめた いま動けば 美しい攪乱がくる」を引く。これは、著者の「新短歌」史・逗子八郎研究の余滴でもあったのではないか。

 土岐善麿「十五単位司書の資格をとりしこともわが生涯の何の契機か」は、犬伏春美・犬伏節子『土岐善麿と図書館』(新典社 2011年)から引いた1首。東京都立日比谷図書館長(19511955)を務めた善麿の社会的活動の一部を伝える。図書館法によれば、1968年までは、司書資格取得に15単位が必要であった。私が、名古屋の愛知学院大学司書講習会で参考業務演習を担当していた時代(19771988年)は19単位だった。1単位のために、1週間余を通しての演習はきつかったが、それが1か月以上続く受講生はその比ではなかったはずだ。それでも、その資格を活かして、正規の図書館館員として就職する人はかぞえるほどだった。その後、資格取得には、1998年からは生涯学習論や児童サービス論が加わり、2011年からは大幅に再編され、情報サービス演習、情報資料組織論演習が加わり、24単位になったそうだ。IT時代に入ったのだから、図書館サービスの様変わりは当然のことだろう。ただ、大学図書館での非正規職員、公共図書館での外部委託・指定管理者制度の問題は、今後の図書館サービスの質的な向上に深刻な問題を投げかけているのはたしかである。そんな思いをも立ちあがらせる1首であった。

 林うた「教ふるに故なく笑ふこと多き此の少女等とはへだたりとほき」の「林うた」は、東京の女子高等師範学校を出て、郷里の高等女学校で教鞭をとっていた頃の歌人、阿部静枝のペンネームである。無産婦人運動の活動家であって、後、評論家、政治家としても活動した。50数年前に、私が短歌の手ほどきを受けた師でもある。同郷の菅原千代による『林うた歌集さいはひ』(左右社 2012年)から引いている。

 朝日歌壇に入選が続いたホームレス歌人公田耕人、獄中歌人郷隼人も登場し、小林多喜二や山本周五郎、出口王仁三郎の短歌も登場する。

短歌を詠む人、短歌を語る人はもちろん、これまで短歌に縁がなかった人でも、どの頁から読み始めても、十分楽しめる一冊ではないか。

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装画は池澤賢「熔鉱爐」(1949年)

 

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