「ハンパナイ」などといって、カタログハウスのダニとりシートのコマーシャルに親子で出演の俵万智をみた。今世紀に入ってからの中学生の誰もが、「国語」の時間に出会っている現代歌人である。
近くのコミセンで教科書展示会が開催されていたので、最終日の午後、雨のなかを出かけた。展示会と言ってもロビーに長机を出してのそっけないもので、隣のホールは、ドア開放でダンスパーティーまっさかりのすごい音響である。ゾロリとした夜会服を着た女性たちがにぎやかに行き来するなかでの閲覧であった。メモをとっていると、よほどご機嫌がよろしいのか、背後から「オベンキョウですか」なんて覗いてきたりする雰囲気だった。展示の閲覧は、他に女性二人連れだけだった。
今回も時間がなく、大急ぎではあったが、「国語」の近・現代短歌の扱い、「歴史」における敗戦前後の扱い、「公民」における憲法、なかでも天皇についての記述に着目したかった。やっぱり、初日から通うほどの時間が欲しかったと悔やまれるが、時間ぎりぎりの5時近くまでねばった。コピーがとれないというので、もっぱらデジカメで撮るのが精いっぱいで、大事なところが抜けたりしていた。
教科書は、ほぼ10年に一度の学習指導要領の見直しがされる中で、4年に一度、検定・採択が行われる。まず、民間で著作・編集された教科書は、2年目に文科省の審議会で検定を受け、合格したものの中から各自治体の教育委員会や国立・私立学校の校長が使用する教科書を選び、その採択を前に、市民には展示される仕組みになっている。その際、採択に関しての意見や要望を投函できることになっている。今回は、2016年度4月から使用される教科書の検定結果が4月6日付で公表された。
とりあえず、国語教科書の状況を記しておきたい。
ちなみに、筆者の住む佐倉市では、『伝え合う言葉 中学国語』(教育出版)が採択されている。
現在、検定を受けた中学校「国語」教科書は、東京書籍、学校図書、教育出版、三省堂、光村図書
の5社から発行されている。
(以下の文部科学省「中学校用教科書目録(平成28年度使用)」では、全科目確認できる)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/h27tyuugakuitibakenkyukasysaitakuitiran.pdf
拙著『天皇の短歌は何を語るのか』(御茶の水書房 2013年)の「中学校国語教科書の中の近・現代歌人~しきりに回る〈観覧車〉」の章でも、五社発行の2006年度、2012年度から使用している教科書の比較を試みている。今回の展示で、2016年度から使用の教科書に収録された近代・現代歌人の作品を調べてみた。
以下その一覧と各社教科書がどう変わったか、変わらなかったかを概観してみようと思う。過去の分については、上記拙著か過去のブログ記事をご覧いただくとありがたい。
・2011年11月30日
中学校国語教科書の中の近代・現代短歌と短歌作品~しきりに回る「観覧車」http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2011/11/post-de32.html
まず以下の収録の歌人と作品を一覧して、どんな感想を持たれただろうか。自分たちが出会った歌人と作品を思い出してみよう。私は短歌と近代の歴史事項に限って追跡してはいるが、たとえば、美術の教科書、音楽の教科書にも地殻変動は起きている。一度、お子さんやお孫さんの教科書をのぞいてみては。
(1)「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
~中学校では、“ハンパナイ”俵万智である~
中学校で、歌人と言えば、「俵万智」であり、短歌と言えば、『「寒いね」と・・・』ではないだろうか。教科書に登場する歌人の短歌を作者の生年順に並べた。掲載の教科書の出版社の略称をカッコ内に示した。
<中学校国語教科書(2016年より使用)収録の近代・現代歌人の作品>
正岡子規(1867~1902) 4社(教育除く)
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(学図・東書・三省堂・光村)
窪田空穂(1877~1967)
麦のくき口にふくみて吹きをればふと鳴りいでし心うれしさ(光村)
与謝野晶子(1878~1942) 4社(学図除く)
なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな(光村・教育)
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな(三省堂)
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に(東書)
小百合さく小草がなかに君まてば野末にてほひ虹あらはれぬ(教育)
斎藤茂吉(1882~1953) 5社
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆ(学図・三省堂・教育)
ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり(光村)
最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片(東書)
みちのくの母のいのちを一目みん一目みんとぞたたにいそげる(教育)
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり(教育
)
北原白秋(1885~1942) 3社(光村・学図除く)
帰らなむ筑紫母国早や待つと今呼ぶ声の雲にこだます(教育)
草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり(東書・三省堂)
土岐善麿(1885~1980 )
遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし(学図)
若山牧水(1885~1928) 4社
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(東書・三省堂・教育・光村)
石川啄木(1886~1912) 5社
不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心(東書・学図・三省堂・光村)
やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに(教育)
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく(教育)
釈迢空(1887~1953) 2社
たたかひに果てにし子ゆゑ 身に沁みて ことしの桜 あはれ 散りゆく(学図)
葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり(三省堂)
岡本かの子(1889~1939)
桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり(東書)
植田多喜子(1896~1988 )
顔よせてめぐしき額撫でにけりこの世の名前今つきし児を(学図)
正田篠枝(1910~1965)
大き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり(教育)
竹山広(1920~2010)
死屍いくつうち越こし見て瓦礫より立つ陽炎に入りてゆきたり(教育)
岡野弘彦(1924~)
砂あらし 地を削りてすさぶ野に 爆死せし子を抱きて立つ母(学図)
馬場あき子(1928~) 2社
つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて(光村)
あやまたず来る冬のこと黄や赤の落葉はほほとほほゑみて散る(学図)
岡井隆(1928 ~)
眠られぬ母のためわが誦む童話母の寝入りし後王子死す(学図)
寺山修司(1935~1983)4社(教育除く)
わがシャツを干さん高さに向日葵は明日ひらくべし明日を信ぜん(学図)
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり(東書・光村)
列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし(三省堂)
平井弘(1936~)
困らせる側に目立たずいることを好みき誰の味方でもなく(学図)
佐佐木幸綱(1938~)
のぼり坂のペタル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ(学図)
河野裕子(1946~2010)
振りむけばなくなりさうな追憶の ゆふやみに咲くいちめん菜の花(学図)
道浦母都子(1947~)
秋草の直立つ中にひとり立ち悲しすぎれば笑いたくなる(学図)
栗木京子(1954~) 4社(教育除く)
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(東書・学図・三省堂・教育・光村)
早坂類(1959~)
虹よ立て夏の終わりをも生きてゆくぼくのいのちの頭上はるかに(東書)
俵万智(1962 ~)
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(東書・三省堂・教育)
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ(光村)
穂村弘(1962~) 3社(学図・教育除く)
校庭の地ならし用のローラーに座れば世界が夕焼け(光村)
ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちくる涙は(東書)
シャボンまみれの猫が逃げ出す午下り永遠なんてどこにもないさ(三省堂)
ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち(教育)
荻原裕幸(1962~)
夏木立ひかりちらしてかがやける青葉のなかにわが青葉あり(東書)
千葉聡(1968~)
卒業生の最後の一人が門を出て二歩バックしてまた出ていった(東書)
永田紅(1975~)
細胞のなかに奇妙な構造のあらわれにけり夜の顕微鏡(三省堂)
(2)観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生
~見回せば、回る、まわる観覧車~
2012年版に続き、今回も、栗木京子「観覧車・・・」の一首は、中学校「国語」教科書を”制覇”した。今回の検定に際して、教科書の「近代・現代短歌」の内容がどう変わったかを概観してみたい。
<中学校国語教科書における「近代・現代短歌」の概要(2016年度版)>
(2015年7月6日作成 内野光子)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/tyuugakkkokokugoitiran.pdf
注:朱の歌人名及び短歌の初句は、新しく収録されたもので、作品初句のみが朱のものは、
作品が変更されたことを示す。
「中学校国語」(学校図書)
俵万智の短歌鑑賞のエッセイは変わらないが、「十五首」中身は、若干入れ替わった。もともと、中学校の教科書に岡井隆や平井弘が登場するのも珍しいが、前回の永井陽子と荻原裕幸が消えて、馬場あき子と岡野弘彦が入り、やや歌人の年齢層が高くなった感じである。もともと、植松寿樹に師事した『沃野』同人の植田多喜子の一首は、ややマイナーながら、作者のかつてのベストセラー『うづみ火』などが、選歌に影響しているのかもしれない。近代・現代短歌において、与謝野晶子を排除している選択にも、他との違いが見られよう。現在の傾向は知らないが、かつて、全国の公立高校の国語の入試問題文に馬場あき子のエッセイが盛んに使用されていた時期があったので、登場は、むしろ遅かったようにも思った。

「短歌十五首」は『中学校国語2」に収録
『新編新しい国語』(東京書籍)
道浦の鑑賞文は変わらないが、登場の歌人と作品が大幅に変更され、「扉」に「短歌七首」が別枠で登場した。なぜここに一首だけ「猿丸太夫」が、という違和感はあるのだが、6人6首が新たに加わった。ここでの、荻原・早坂・穂村・千葉の起用は、歌人の「若返り」とともに、その作品の青春性、「親しみやすさ」に着目したのかもしれない。また「短歌五首」の与謝野晶子と寺山修司が道浦の引用と重なっているためか、正岡子規と若山牧水に変更されている。多くの歌人や作品に触れさせよういう点に配慮した編集と言えようか。早川については名前だけは知っていたが、やや意外という感は免れなかった。

「扉の短歌七首」[
『現代の国語』(三省堂)
俵万智の自作一首と栗木京子の一首を交えての、短歌入門的なエッセイが新しくなった。歌人では馬場あき子と在日コリアン2世の李正子(「<生まれたらそこがふるさと>うつくしき語彙に苦しみ閉じ行く絵本」)が去って、永田紅が新入りとなった。2006年版、2012年版からの変遷をたどると、その人選がかなりめまぐるしいことが分かる。

『伝え合う言葉 中学国語』(教育出版)
2年次の「近代の短歌」(九首)では、前回の<ふるさとの歌>の若山牧水「幾山河」が北原白秋「帰りなむ」に代わった。3年次の「ことばの自習室」に、穂村弘のエッセイ「それはトンボの頭だった」と佐佐木幸綱の鑑賞「古典の歌、現代の歌」の二つが収められた。後者にあっては、竹山広と正田篠枝というそれぞれ長崎と広島の被爆者歌人の作品をとりあげたのが特色といえよう。

熊谷守一の絵が表紙を飾る

「近代の短歌(九首)」は第2巻収録
『国語』(光村図書)
2006年、2012年、そして今回と、検定ごとに取り上げる歌人と作品がかなり入れ代わっている。収録歌人について、2006年には、伊藤左千夫、島木赤彦、長塚節、前田夕暮、佐藤佐太郎、宮柊二、塚本邦雄の作品があり、2012年には、前川佐美雄、木下利玄、岡本かの子、斎藤史、高野公彦も登場したが、今回は、数を絞って6名となり、新しく馬場あき子と穂村弘が加わった。今世紀に入っても、1950年代に中学生だった筆者には、伊藤、島木、長塚、前田、木下、岡本などの名前はなつかしい。

3年次の「古今和歌集 仮名序」、大判で絵本のようだ
以上、各社の収録作品を一覧してみると、近代・現代の短歌から選ぶとしたら、世代的に見て、いわゆる戦中派の歌人の登用が少ないのではと思った。たとえば、佐藤佐太郎(1909年生)、宮柊二(1912年生)近藤芳美(1913年生)らの名は、今回の新版からは完全に消え、戦前生まれの佐佐木幸綱世代から一挙に戦後生まれの河野裕子らに飛ぶ。もっとも、教科書は、作品で短歌史をたどるわけではないが、今どきの中学生の愛唱する短歌が、これらの中から生まれるのだろうか。正岡子規「くれなゐの」、斎藤茂吉「死に近き・・・」、若山「白鳥は・・・」、石川啄木「不来方の・・・」などほぼ定番に加えて、栗木京子「観覧車・・・」、俵万智「「寒いね」と・・・」などを一読、知識としての短歌ではなく、短歌への関心が芽生えて来るものだろうか。収録作品が集中していない与謝野晶子や寺山修司、穂村弘らの一首が、思春期の中学生、スマホ愛用の中学生の琴線に触れるものだろうか。
新聞はもちろんのこと、テレビの接触時間も下降線をたどる若者たち、大学の国文学科の行方も取りざたされる中、短歌の行方も気になるところである。
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