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2015年7月22日 (水)

なつかしの池袋の本屋さん

 おとといの720日、池袋西武の書店リブロが閉店した。前身の西武ブックセーターが開業したのが1975年というから、私は、すでに池袋の生家を離れていたし、リブロになったころは名古屋に住んでいた。生家に帰省や出張で上京した折、リブロと併設の「ぽえむ・ぱろうる」、セゾン美術館(1975年西武美術館スタート1989年セゾン美術館と改称、1999年閉館)などに立ち寄ったことはあったが、近しい本屋さんという訳ではなかった。しかし、閉店となるとやはりさびしい。もっとも、リブロの居ぬきの形で三省堂池袋本店8月からすでに一部開業の準備を進めているそうだ。これまであったロフト内の三省堂書店とは併存するらしい。西武デパートの向かいに1997年(2001年に売り場倍増で約2000坪)、ジュンク堂池袋店の開業と近年のアマゾンなどによる書籍のネット販売の影響が大きかったのではないかと思う。出版自体、書籍、書店の行方というのは、将来どうなるのだろうか。図書館勤めが長い割には、蔵書家でもないし読書人でもない私だが、前の記事で紹介した伊藤一雄さんの『池袋西口 戦後の匂い』にあやかって、本屋さん体験を、いま、記しておこうと思った。

 

 戦後の池袋平和通りに、本屋さんはなかった。ただ、戦前の西原通り(西山町会と原町会の間)には、小さな本屋があったらしい。1933年生まれの次兄が、幼いとき、いっとき、家からいなくなって、近所を探しても見つからず、両親はあわてて警察に届けようと思った矢先、ひょこっと家に帰ってきたことがあったらしい。あとから、近所の本屋さんの話で、ずっと座り込んで絵本を読んでいた、というエピソードを聞かされていた。その次兄も弟を探しまわっただろう長兄も故人となって、確かめようがない。戦後は、私の知っている限り、母などが月極めの雑誌を買ったり、私の小学館の学年雑誌などを買ったのは、西口バス通りの芳林堂書店(創業は19483月とHPにある)。当時は、要町に向かうバス通りの右側にあったのが、後、向かいビルに移転したはず。もともとの位置にあるのが、現在の芳林堂コミックプラザだろうか。1990年代の後半、退職後、立教大学に通うことになった折、芳林堂にはよく立ち寄った。最上階に「栞」というカフェがあり、昔は、バス通りにあった古書専門の「高野書店」が入っていた。2004年、実家の長兄が板橋日大病院に入院、見舞いの折、バスの車窓から閉店直後のビルを見て驚き、バスに乗るたび、寂しく思ったものだった。閉店したのが20031231日だったという。現在、高田馬場ほか12店舗を持つ会社だが、HR のロゴマークをあしらったブックカバーは健在なのだろうか。なお、東武デパートの旭屋書店、開業は1971年というが、約500坪でリニューアルしたのが1992年、池袋で、少し時間にゆとりができると立ち寄ったのが、この本屋さんと東武美術館(19922001年)であった。美術館は20013月に撤退してしまったが、旭屋書店は健闘しているらしい。

 

 二又交番を経て立教通りに入ったすぐ左にあったのが大地屋書店1990年代後半には、すでに文庫専門店になっていた。子供のころは、ここまで足を運ぶことは少なかった。

 池袋駅東口のパンとレストランのタカセ、その向かいの新栄堂書店には、だいぶお世話になった。中学校は、新栄堂の前が始発の都電17番で通学、高校・大学は、地下鉄丸ノ内線で通学していた。丸の内線は、その頃は、確か東口からしか入れなかったので、毎日、池袋駅北口手前のガードをくぐっていかねばならなかった。受験参考書と学生時代のテキストなどは、まだ、大学生協などというものもなく、ほとんど新栄堂で、粘りに粘って、迷いに迷って購入したことを思い出す。ブックカバーが恩地孝四郎の幾何学的ながら、今思えば地味なデサインであった。細長い店舗は、立ち読みしている人がいると、声を掛けないと後ろが通れないような狭さだった。その新栄堂も2006年には閉店、ビックカメラになっているという。

 

 1972年に、池袋の実家を離れ、小田急線の向が丘遊園近くに転居したので、立ち寄る本屋は、通勤経路の新宿の紀伊国屋書店か、職場から土曜の午後の帰り、神田神保町の三省堂書店か書泉、古書店に寄ることが多くなった。さらに1976年、結婚・転職で、名古屋に転居してからは、東京の本屋さんとは縁が切れた。名古屋では短大の図書館勤めだったので、店頭選書と称して、栄の丸善と開店したばかりの三省堂書店にはよく「出張」した。1988年千葉県に転居後も、私大図書館勤めだったが、本はもっぱら、出入りの書店から一割引きで購入することが多くなった。

 1976年、私が東京の職場を離れ、1990年代後半、再び池袋と縁ができるまでの間に、池袋の書店事情は、大きく変わり、さらに、今世紀に入ってからは、ネット販売が浸透し、また大きく変貌したのが分かる。

 2003年、西口の芳林堂の閉店、2006年東口の新栄堂の閉店、1997年超大型のジュンク堂池袋店がオープンした影響が大きかっただろうと思う。たしかに、ジュンク堂池袋店に足を踏み入れた時のことが思い出される。そここに、椅子とテーブルが置かれているのは、最近の公共図書館のようでもあるし、書庫の端に、申訳のように机やいすが置いてある、私の知っている大学図書館とは趣を異にしていて、めっぽう明るかった。時間さえあれば、居心地のいい空間だろうと思った。ネット購入と違って、手に取って読めるのが何よりも強みだろう。 ジュンク堂と言えば、昨年、沖縄の那覇で、一つのビルにジュンク堂と丸善が入っているのを見て、老舗の丸善が?と思っていたら、とっくに両者の連携は進んでいたらしい。それだけ書店経営も大きな曲がり角に来ているのだろう。

 そして、現在の本の調達はと言えば、最寄の駅ビルに残った1軒の書店があるが、よほど運が良ければ欲しい新刊本に出会うことができる。しかし、まず、この店では入手できない。私にとってはどうでもよい?本ばかりが並び、とくに、目立つのが、保守的、右翼的論者の本が山積みされていたりすることだ。私の住んでいる、ここって、どんな町なんだろうと気がめいることがある。新刊は少し我慢して、「日本の古本屋」で探したり、東京に出た折、お茶の水や日本橋の丸善だったり、定期検診の通院で利用する地下鉄の早稲田駅の近くの本屋さんだったりしたが、その本屋さんが最近、大型のコンビニになって、学生でにぎわっていた。

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