見回せば、「岡井隆」はどこにでもいる~2015年8月に
象徴天皇制の憲法下で、天皇・皇后が、老いと病を抱えながら、慰霊の旅や被災地訪問を続けている映像を見るに忍びなく、静養に専念してほしいと思ってしまう。夫妻の個人としての心情や姿勢に理解は及ぶとしても、天皇・皇后としては、そうした公務から退いてもいいのではないかと思う。わずかなチャンネルながら、自らの思いを発信しようとしている天皇・皇后と自分の不甲斐なさを、吉川宏志はつぎのような一首となした。
・天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ
(吉川宏志『燕麦』二〇一二年)
民主主義と天皇制という矛盾に満ちた法制を抱え込んだ日本国憲法下で、ある一部の歌人たちが果たしている役割をしっかりと見つめ直さなければならない時期が来ている。これは、喜々として宮廷にはせ参じている歌人たちの検証と同時に、彼らを取り巻き、さらに控えている歌人たちが、無関心を標榜し、あるいは忌避したまま、通り過ぎようとしている歌人たちにも及ぼう。一方、わずかな接点を見出しては、ウィングの広さと仲の良さを旨とし、すり寄り、利用しながら親密性を誇示する歌人、集団、政党さえ現れはじめた。対立や頑迷がいいというのではない。柔軟性を発揮すべきところと筋を通すべきところをはき違えないでほしいのだ。
そんなことを考えているとき、「宮内庁和歌御用掛が明かす 佳子さまの和歌の素養」(岡井隆)なる記事に出会った(『文藝春秋』二〇一五年六月)。「佳子さまブーム」はここにまでと読み進めると、執筆者の「老い」と「権威主義」の翳は拭いきれないものであった。「ただ、多少自信があるとすれば、歌を作る能力とか、歌について人に意見を申し上げる能力に関しては誰にも負けないとは思っています。」とか、最近体調を崩した折に後継者を探したが「適任者が見つかりませんでした」とか臆面もなく記す。さらに、「佳子さま」にも、親しく「助言」し、他の皇族方の「和歌」がいかに素晴らしいかの報告が続く。しかも、天皇・皇后は平和への特別な想いを持っているので「お歌に助言をさせていただく人間として戦争体験者の私がお役にたてるのではないかと、考えるようになり」、「両陛下がご公務に頑張っておられるわけですから、私も頑張らねばいけません。体力が続く限り、御用掛を続けさせていただこうかと思っております。」と結ぶ。しがみついて守るものは短歌と無縁と言えよう。
岡井は、今年の歌会始の「御製」に呼応して「術後八日、両陛下にご進講申し上げた、仕事始。」の詞書のもとにつぎの一首がある。
・水稲と陸稲で鎌の刃の切れが違ふとぞ陛下説きたまひたる
(『短歌』二〇一五年一月)
また、詞書に代えて「身をかはし身をかはしつつ生き行くに言葉は痣の如く残らむ(芳美)」という近藤芳美の作品をあげての一首。
・さういへば「身をかはす」術を知つてゐた師だつたと今ごろ気付く(『短歌研究』二〇一三年九月)
近藤芳美だって「身をかわし」たではないかと言わんばかりの自己正当化が透けて見えてくる。つぎの一首で、「師弟関係」にある加藤治郎に釘をさすところが、近年の弱気の現れでもあるのか。
・芳美対わたしのやうな棘はなくしかしはつきりとぼくとは異質(『短歌現代』二〇一三年九月)
見回せば、「岡井隆」はどこにでもいる。
(『ポトナム』2015年8月号 所収)
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