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2015年9月29日 (火)

順天堂大学「誘致ありき」のユーカリが丘駅前再開発はどうなる!説明会に参加 ~「誘致」が決まらないのに、強引に進める不可解

 9月27日(土)18時~志津コミュニティセンターで、山万(ユーカリが丘駅北土地区画整理組合準備会)による住民説明会が開かれるという。4月の、あの思い出すのも気色が悪くなる市長選挙の争点となった「順天堂大学誘致」を含む「ユーカリが丘駅北土地区画整理事業」開発についての説明会なのだ。東の空の大いなる満月がユーカリが丘の街を照らす夜だというのに。 4月の市長選挙で、突然、「順天堂大学誘致」のみで勝負するかような形で仕掛けた開発業者山万がN氏を立候補させた。その後の尋常ならざる醜い選挙運動が展開されたことは記憶に新しい。「佐倉にゆかりのある順天堂大学を誘致すれば、この街が活性化する」という“バラ色の幻想”を振りまくだけでなく、違法な選挙運動と対立候補のネガティブ・キャンペーンによって、佐倉市やユーカリが丘の人々を巻き込んで、街のイメージを貶めてしまった。  

   その後、順天堂大学誘致問題はどうなったのか。あれから5カ月。市長は、市民の要望書や市議会での質問に答えて、いずれ経過報告は広報紙に公表するとしていたが、「こうほう佐倉」7月15日号と8月1日号において「透明性の高い公正で開かれた市政へ~『順天堂大学誘致』について~」(その1)(その2)として公表した。これまでの報道や市議会での質疑のなかで明らかになってきた以上の事実は出て来ず、佐倉市と順天堂は順天堂が佐倉市への進出の意向を継続していることを確認したというのが現状である。

    その後の報道によれば、市長は、8月20日の記者会見で、順天堂から、ユーカリが丘駅前にこだわらず広く候補地を探したい旨の意向が示されたという(毎日新聞8月21日)。 これまで、私が気付かなかった事実だったのかもしれないが、「こうほう佐倉」の「主な協議経過」のなかで、2012年12月~2013年10月に、佐倉市に運動部寮建設や国際学部設置に向けて協議・調整が行われるが、立地等の理由により、順天堂が一度は完全に「断念」していることだった。そして同時に浮上するのが2013年11月28日、順天堂側は、駅前の3000坪の土地を山万から無償貸与が受けられ、市からの助成金24億円を条件に進出を表明しているので、山万からの熱烈な誘致がなされたのだろう。しかし、それよりも数か月前の2013年7月6日の周辺住民への説明会では、もっぱら大学進出を核とする再開発計画を表明しているのだ。 その辺の山万・順天堂の動向が釈然としない。 佐倉市も、市民への説明会を開くなり、積極的に情報を公開して、いくことが重要なのではないか。

  住民説明会は、市長選挙の直近の前後、3月29日、4月30日にも開催され、今回は4回目に当たるというが、相変わらず住民への周知は回覧だけという徹底していないままの開催だったらしい。したがって、住民の参加者が極端に少ない。25人前後だろうか。その内、市議が3人、駅からは離れたところに住んではいる私だが、駅前の開発には無関心ではいられない、というより政争の具になっている「開発」からは目が離せず、同じ町内の友人と参加した。パワーポイントで、さまざまな図面が示されるが、手元にないので分かりにくい。一通りの説明が終わった後の質疑で、当初は、現在のユーカリが丘3丁目の生活道路6mが3mの歩道つきで拡幅整備されることによる、住民の方々の不安に集中していた。交通量が激増し、また用途変更により第1種低層住居専用地域(容積率100%建蔽率50%)が突然近隣商業地域(200%/80%)(300%/80%)に変更して高層マンションと隣り合わせになるとしたら、そして、1・2階が商業施設となり、駐車場の車の出入りも半端ではなくなるとしたら、その危険と精神的ダメージが予想される。そうした危惧は、計算上「ないと思う」、「ないと考えられる」との答弁しか得られないのだ。それに、当然のことながら、景観、日影、ビル風、電波障害などの影響調査も延々と説明されたのだが、スクリーンの数字が見づらく、ホールの音響効果も悪くききとれない。参加者への配慮が皆無であった。ともかく、とりあえず、きょうの参加者への資料送付をようやく約束したのだが。こんな実のない説明会は、住民理解への“努力”をしているという行政向けへのパフォーマンスではないのか。 参加者のなかにはもちろん大学誘致、開発賛成の人たちもいて、「問題になっている生活道路はユーカリが丘3丁目の住民だけのものではないはずだ、整備され、便利になれば・・・」とか、「みなさん、なぜ反対ばかりするのですか。山万さんと一緒に、いい街にしようではないか」という自治会長まで現れた。こういう人はどこの町内にもいるのだが、それでも、なんとか同じ住民として、少しでも住みやすい街にするためには、究極は営利目的の業者とは対峙しなければならないことを一緒に学んでいかなければならないだろう。。

  今回の開発計画は、すべて「順天堂大学誘致ありき」からのスタートなのだ。誰もが思う、「誘致が失敗に終わったらどうするのか」。山万のH専務取締は「私どもは、そんなことがないように、前向きに進めています」「十年、二十年先のことを考えて、みなさんによかったと思ってもらうまちづくりを考えています」という。しかし、ユーカリ、宮ノ台からの商店の撤退、中型の商業施設さえ売り場をもてあまし、これにイオンタウンができたら、駅前のイオンはどうなるのかしら。宮ノ台のマックスバリュには買いたい商品がめっきり少なくなってしまった。買い物一つとってもこんな具合なのだ。

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2015年9月26日 (土)

9月25日「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」賛同署名提出!

署名の始まり 

920日朝より、醍醐聰東大名誉教授一人を呼び掛け人として始まった「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」賛同署名は、締め切りの25日午前10時、5日間で、呼びかけ人は12人となり、署名は、ネット署名31159筆、署名用紙942筆、合計32102筆に達した。そして、当記事を書いている現在も、その署名は増え続けている。

新聞は、どう報じたか

925日午後、「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ書」(http://netsy.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-6f5b.html)を山崎正昭参議院議長と鴻池庄祥肇参議院安保特別委員会委員長に提出した。続いて、衆議院第2議員会館で、その報告を兼ねた会見が行われた。

その模様については、東京・中日新聞が2面にわたって詳しく報じ、神奈川新聞は、論説特報欄の「時代の正体・民主主義考」において、「安保法手続きめぐり異議 どさくさ採決二重の罪」の見出しで大きく報じた。また、共同通信配信により神戸新聞の記事が確認されている。赤旗では写真入り記事となった。これらに先立ち、署名活動開始直後922日の東京新聞の第1報記事の影響は大きく、32000超ものの署名にもつながったと思う。 下記をご覧ください。

・広がる署名3万2000筆 安保法議決「認められない」
 
(『東京新聞』2015926日朝刊、1面)
 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015092602000139.html

・「議決無効」3万2000筆超 安保法で署名、参院側に申し入れ
 
(『中日新聞』2015926日、1面)
 
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015092602000101.html

・安保採決無効と申し入れ 学者や弁護士、参院議長に
 
2015/09/25 18:13   【共同通信】)
 
http://www.47news.jp/CN/201509/CN2015092501001596.html

・戦争法採決は「不存在」 学者ら申し入れで会見 署名3万超に
 
(『しんぶん赤旗』2015926日)
 
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-09-26/2015092614_02_1.html

 

・「採決不存在」署名に5日で3万人 鴻池委員長は受け取り拒否 

(田中龍作ジャーナル2015927 10:05    )  

http://tanakaryusaku.jp/2015/09/00012071

 

・ 安保採決無効と申し入れ 学者や弁護士が参院議長らに (動画) 

(共同通信ニュース)

https://www.youtube.com/watch?v=jUqyOVqOSCY&feature=youtu.be

 

・安保法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れと賛同署名集約に関する記者会見(動画)

IWJ<J2015/09/25>無料公開)

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/266904

 

鴻池委員長の不可解な態度

記事の一部にもあるが、鴻池委員長は、「申し入れ書」は受け取ったが署名簿の方は、秘書が頑として受け取らなかった。その理由は、申し入れ書を議員が読んだ後、名簿を受け取るか否か決める?というものだったが、申し入れに出向いた呼びかけ人醍醐聰東大名誉教授は、申し入れ書と賛同者名簿は一体のものだから分離するのは矛盾すると訴えた。鴻池事務所とは、面会のアポ、申し入れの主旨、署名簿の筆数などの中間報告などを、数回にわたってやり取りしていただけに、その対応は不可解極まりないものだ。澤藤弁護士は、国民の請願権を無視するものだと強く抗議したという。

呼び掛け人のスピーチ

なお、澤藤弁護士は、採決の「不存在」は、採決の不当、違法、無効でもない「不存在」であったと強調された。さらに、清水雅彦(日本体育大学教授)さんは憲法学の立場の立場から、小中陽太郎(ジャーナリスト)さんはベ平連以来の活動家としての立場からのスピーチに続き、藤田高景(村山首相談話を継承し発展させる会)生方卓(明治大学準教授)両氏の話もあった。小中さんは、なつかしいお名前だったが、80歳を超えて、お元気な活動家の風貌をたたえていらした。さらに、「本年919日の参議院<本会議>での安保関連法案の議決の無効確認および審議の再開を求める弁護士有志声明」を発表されたばかりの弁護士有志126名の代表として、武井由起子、山中眞人両弁護士も、急きょ参加され、法律的な、いずれの角度からも「安保特別委員会の採決は不存在かつ正当性のないものであり、その結果、本会議の議決も無効である。よって、参議院に対し、委員会及び本会議での安保関連法案の審議の再開を求める」との声明の趣旨説明を行った。

最後に、参加の呼びかけ人の協議で、「NHKの安保特別委員会の中継において、議事がストップして、何が起きているか分からない段階において「可決」のテロップを流したことへ抗議」を申入れることが決められたとの報告がされた。たしかに、今回の署名に付されたメッセージの中には、このNHKの「可決」テロップには、大きな疑問と怒りがあふれているといえよう。私も録画を見ているので、NHKの、その不自然な報じ方に怒りを覚えていた。自民党のシナリオが、NHKにも渡っていたのではないかとさえ思ったほどだ。

Cimg0300

                    並ぶ呼びかけ人の6人

Cimg0310                      鴻池委員長が受け取りを拒んだ署名簿を手に呼びかけ人
           澤藤、醍醐両氏の報告が続く

Cimg0307                           弁護士有志126名による「声明」の趣旨説明をする
             武井、山中弁護士

          

「不存在」に、異様にピリピリ

なお、衆議院第2会館入口で、今回の報告会見の参加者に「入館証」を手渡すお役を、Sさんと私で担当、紹介議員の秘書のはからいか、身体検査のゲートを通ることなく、直接「入館証」を手渡さすことができ、テープを外したところに立つことができた。それに気をよくしていたところ、30分ほどして、Sさんが、そろそろ会場へと引き上げようとしたとき、掲げていた会場案内の「安保法案 採決不存在」(A4ほどのカード)の「不存在」を削除せよ、と係員から指示があったという。はじめは訳が分からなかったけれど、「不存在」の文字の上に白い紙を貼れ、とまでいわれ、30分近くは掲げていたものをなぜ?と抗議された由、Sさんとともどもその理不尽に首をかしげた。きっと与党関係者が受付にでも文句でもいったのか、言論の府に何という鈍感なセンス、それにしても、相当ピリピリ気にしているのか、議会もいよいよ危ないことになっていると感じた。そういえば、国会前集会の折、参議院面会所の手洗いを借りようとして、飛び込んだところ、係員に「安倍を倒す」のゼッケンをはずせ、と注意されたことを思い出した。しかし、これとは確かに違うのではないかしら。

それにしても「不存在」の文字だけではない、その中身の重さを物語る一件ではないか。

なお、澤藤弁護士の下記のブログには、臨場感あふれる申入れ書提出の顛末のほかレポートがありますので、是非一読を。

戦争法案特別委員会決議不存在署名32,101筆を受けとろうとしない鴻池議員の頑なさ
澤藤統一郎の憲法日記 
http://article9.jp/wordpress/(2015年9月25日)

9.25安保法案採決不存在申し入れ行動のレポート

(醍醐聰のブログ2015926日)

http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/

 

(お願い)

記者の方は12人ほどいらしたが、明日の新聞で報じてくれるのは・・・? いまのところ確認できたのが、上記の報道でした。もし、お気づきの他の記事がありましたら、ご一報いただけるとありがたいです。

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2015年9月18日 (金)

短歌ジャーナリズムでも、戦後七十年特集は各誌紙で組まれた ~私のささやかな提言「一歩を踏み出す」~

 『現代短歌』9月号の〈提言・2015年夏・今歌人として考えること〉は、必ずしも「戦後七十年」特集とは言えないかもしれないが、私にも寄稿のチャンスをいただいた。また、『短歌往来』10月号「評論月評」においては、岩内敏行氏より、上記拙稿について、過分のご紹介をいただいた。歌壇とは縁が薄く、このブログの短歌関係記事を含め、いつも心細い思いをしながら執筆しているだけに、ありがたいことだった。  とりあえず、拙稿をここに収録し、あわせて、末尾に、短歌ジャーナリズムの戦後七十年特集をピックアップしておいたので、参照されたい。

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               一歩を踏み出す

   この七月一二日、シンポジウム「沖縄戦後七〇年・基地問題とジャーナリズム」が東京で開かれた。パネリスト、テレビキャスターの金平茂紀氏は、沖縄慰霊の日の安倍首相の挨拶への野次に触れ、野次のみを消したかのような、その日のNHK報道は、「政治部」記者の「自発的隷属」に起因するとした。辺野古基地建設に抵抗する人々を撮り続けている影山あい子氏は、海上保安庁による暴力的制圧のすさまじさを映像で伝えた。『沖縄タイムス』東京支社の宮城栄作氏からは、これまでの沖縄二紙への政府の懐柔策や圧力、昨年の石垣市長選の折の防衛大臣による新聞協会と『琉球新報』への露骨な報道規制が詳細に語られた。
    戦後短歌史の出発時において、歌人たちは、自らの戦争責任について、明確には克服できないまま、一九六〇年、一九七〇年をむかえた。高度経済成長と情報化社会の波に乗り、「前衛歌人」や「反体制歌人」も輩出されたが、作歌を止めたり、歌壇から消えたりした歌人もいたなかで、前衛でも反体制でもない、たんなる「有名歌人」として生き延びた歌人が大方であった。短歌ジャーナリズムは、発行者や編集方針が変わると、急速に保守化していった。さらに、マス・メディアは、短歌の文学性より、歌人や短歌愛好者の消費行動に着目、新聞社やNHKは「歌壇」を拡充し、カルチャーセンターには短歌講座が増えた。出版社は、短歌紙誌を発行し、自費出版の歌集が氾濫した。歌人団体や政府・自治体もイベントや賞を通じて短歌の普及と大衆化を進めた。しかし、それは、同時に、公権力による歌会始や褒章という制度によって権威づけが図られ、国家権力の文芸への介入を容易にし、無意識のうちに自粛や萎縮が助長されるようにもなった。現在は、短歌人口の高齢化にともない、短歌結社の後継者や若手歌人を育てることを急ぐあまり、主題の在り方や感性の細やかさよりも思いつきや表現技術の微細への評価が先行する傾向にある。  
     そして迎えた戦後七〇年、政権は、さまざまな破綻を抱えながら、さらにそれを増幅し、大きく国のありようを変えようとしている。歌人や歌壇、短歌ジャーナリズムの概ねは、四年半を経た東日本大震災に対しては、やや情緒的な側面を見せながらも、原発事故を含めた被災地と被災者からの発信を促し続けてきた。一方、昨年の沖縄県知事選挙、総選挙の結果を踏まえ、沖縄からの発信は、にわかに注目されるところとなったが、この七〇年間、歌人や短歌ジャーナリズムは沖縄とどう向き合ってきただろうか。
   一九八九年創刊の『短歌往来』は、一九九九年七月〈オキナワの歌〉、二〇〇六年七月〈沖縄のアイデンティティ~辺境からの闘い〉、二〇一三年八月〈歌の力 沖縄の声〉、二〇一四年八月〈沖縄の食と風物〉という特集で、沖縄在住歌人の作品を中心に、沖縄の声と現況を伝えた。日常的にも「沖縄の文化を辿る」(平山良明)の長期連載や沖縄在住歌人の歌集なども積極的に取り上げた。一九八七年創刊の『歌壇』は、二〇〇〇年四月〈沖縄歌人作品〉、同年八月〈戦後55年を詠う新たな出発として~六月の譜〉、今年六月〈戦後七十年 沖縄の歌~六月の譜〉の特集を組む。二誌のこれらの発信は、重く、貴重なものだった。
   一方、『短歌研究』『短歌』の沖縄への関心をたどれば、一九五〇年代にさかのぼる。一九五四年四月創刊の『短歌』は、中野菊夫の「祖国の声」(一九五五年四月)、「沖縄の歌」(一九五六年一二月)を載せた。それに先立つ一九五三年『沖縄タイムス』は「九年母短歌会」同人たちの作品を数か月にわたって紹介したが、本土には届かない沖縄の声であった。さらに、『短歌』では、一九六〇年九月〈オキナワと沖縄の短歌〉特集を組む。一九五七年八月『短歌研究』の〈日本の傷痕〉特集の「基地・沖縄の傷痕」では、知念光男が基地一二年の「これ以上耐え忍ぶことのできない、ぎりぎりの生活の底からのうめき声」としての短歌を伝えた。一九五八年三月〈沖縄の歌と現実〉特集は、吉田漱による沖縄の歴史・政治・経済の現状と歌壇についての丁寧な解説と作品集を収めた。当時の編集人の杉山正樹は、「ジャーナルの上でやや置去りにされがちな沖縄の諸問題を島民の切実な“地の声”を中核として」企画したと記している。短歌紙誌にあっては、一九七二年の復帰まで、あくまでも「海外」扱いの沖縄であった。それ以降も、「沖縄県」は都道府県の一つとしての扱いが続いた。
   戦後七〇年にあって、「本土」の人々、「本土」の歌人の反応はどうであったろうか。「沖縄」を見つめることは、「日本」の近代と向き合うことでもある。沖縄本来の姿を取り戻すことが日本の国の行方を質すことにもなる。短歌を詠み、短歌を読むとき、みずからの「内なる沖縄」を問い続け、具体的な一歩を踏み出さなければならない。「辺野古を守れば日本が変わる」とは、冒頭のパネリストの一人、影山氏の言であった。(『現代短歌』2015年9月号収録)

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<短歌雑誌・新聞の戦後70年の特集>展望  
  とりあえず私の目に触れた範囲ながら、列挙してみると以下の通りである。それぞれ特色はあるが、そのテーマと執筆者の選択が興味深い。

『短歌』8月号
特別企画・戦争の肉声~若き歌人に伝えたい戦争/インタビュー岩田正(聞き手永井祐) 『短歌研究』8月号
戦後七十年をふりかえる
戦後短歌を支えた名歌(篠弘)「短歌研究」戦後復刊号を読む(三枝昂之)七十年の孤独(川野里子)  「女人短歌」ののこしたもの(花山多佳子)青年歌人会議のころ(森山晴美)私と「ジュルナール 律」(村木道彦)まぼろしの「極」二号を復元する(島内景二)寺山修司のいる風景(福島泰樹)短歌に刻印された安保闘争(道浦母都子)文化的想像力いま何処(来嶋靖生)『サラダ記念日』を めぐって(荻原裕幸)象徴としての終焉(大辻隆弘)「阪神淡路大震災」をうたうこと(尾崎まゆみ)シンポジウム「いま、社会詠は」をめぐって(松村正直)短歌の「リアル」とはなにか(石川美南)「原発詠」のわたそ(高木佳子)「復帰」への想い(屋良健一郎)戦後七十年年表(大井学)巻末付録「短歌研究」昭和20年9月号
『うた新聞』8月10日号
短歌で問う<日本の戦後>
戦後七十年の短歌(水野昌雄)真の<戦後元年>に向けて(木村雅子)沖縄(玉城洋子)朝鮮戦争(花山多佳子)自衛隊(菊池東太郎)第五福竜丸(曽根耕一)原発h・核開発(杜沢光一郎) 日米安保条約(日米地位協定)(久々湊盈子)ベトナム戦争(大林明彦)三島事件(一ノ関忠人) 湾岸戦争(尾崎まゆみ)イラク戦争(川本千栄)
『現代短歌新聞』8月9日号  
わたしの八月十五日
五首とエッセイ(青木ゆかりほか計37名)
『歌壇』8月号 
戦後七十年、被爆と被曝を考える  
見返すまなざし(吉川宏志)かく立てられる強烈なイメージ(相原由美)いく筋の「とこしへの川」(大石直孝)いま、だれが問われているか(加藤英彦)ほか、西田郁人、前川明人、三原豪之、山本  光珠、馬場昭徳、立花正人、波汐国芳、三原由紀子のエッセイ
『歌壇』9月号
戦後七十年、私の八月十五日
エッセイ(穴沢芳江、井上美地、尾崎左永子、上川原紀人、来嶋靖生、木下孝一、久保田幸枝、椎名恒治、永田典子、橋本喜典、藤井治、結城文、四元仰)
『現代短歌』9月号
二〇一五年夏 今歌人として考えること  
「中途半端な田舎」にて(今井恵子)一歩を踏み出す(内野光子)キマイラ文語(川本千栄)荒廃の夏―70年目の夏に思うこと(三枝浩樹)道を歩き、月を眺める(坂井修一)七月十五日前後に考えたこと(澤村斉美)添削再考(真野少)この夏に思うこと(道浦母都子)里山林とドングリ(森垣岳)   

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たった8分間で、終わるはずがない~強行「採決」もあり得ない!

   9月17日は、午後から所用で出かけていて、参議院安保関連特別委員会の模様は、帰宅後、録画で見ることになった。その模様は、NHKの録画と参議院の会議録の双方で確かめてみた。 鴻池委員長の不信任動議が否決されて、鴻池議員が委員長席に着いたとたん、与党議員が飛んできて委員長を囲み、それに驚いて野党議員が押し寄せて、何が何だかわからない混乱の8分の間に、

①質疑終局とただちに採決する動議
②安保関連法案10本の採決
③国際平和支援法案の採決
④付帯決議の採決
⑤審査報告書の委員長一任の採決

 合わせて5回の採決が行われたとして、散会してしまうのである。この間の会議録(未定稿)では、聴取不能と記されているのみである。可決には起立多数が確認されなければならないはずであるが、まずそんな状況ではない。屈強な与党委員は、委員長を囲み、その外側に野党委員があわてて駆け寄った。さらに多くの与野党委員が遠巻きにして立ち、自席の与野党委員ともども呆然と立ち尽くしている状況であった。ただ、委員長席の左側に陣取っている自民党の佐藤筆頭理事がときどき、片手を煽って、立てというようなしぐさを何回かしているのが見えた。それとて、自民党席の委員たちは分かっているのか否か、曖昧に立ったり座ったりしているのが見える程度で、音声はもはや騒音でしかない。これで採決?民主党の福山理事の言う通り「採決されていません」なのだ。こんなことがまかり通る議会なのだろうか。五つの野党により採決無効を参議院議長に申し入れたという。  

 朝日新聞(9月18日)によれば、鴻池委員長により採決が認定されたというが、人間の壁に塞がれていた委員長席からは賛否の認定のしようがなかったではないか。 今回の議事手続きで、横行した「職権」発動の乱用、さらに根拠を有しない恣意的な「認定」が横行するとなると、もはや議会制度そのものの崩壊になるのではないか。

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「採決不存在」の緊急ネット署名開始しました!

署名関係速報は、以下をご覧ください。

http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/

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 「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」への賛同のお願い
 
http://netsy.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-6f5b.html 

 賛同いただける方は次の署名フォームにご記入の上、至急、送信下さるようお願いいたします。
 
 
http://form1.fc2.com/form/?id=009b762e6f4b570b

1. 申し入れに賛同くださる方は次のサイトに載せた「賛同署名の入力フォーム」にご記入のうえ、至急、お送りくださるようお願いします。
 
 
http://form1.fc2.com/form/?id=009b762e6f4b570b 
 
(今の国会会期末までということで、925日に提出する予定です。)

2. 
ご記入いただいた氏名、所属/お住まいの都道府県名はそのまま名簿に記載して提出します。また、記入いただいたメッセージとともに、専用のサイトに掲載させていただきます。匿名をご希望の方はその旨を必ず付記ください。

3. 
賛同署名は925日(金)午前10時締切りとします。 

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2015年9月15日 (火)

<池袋学>夏季講座に参加しました~生活者の視点が欲しかった―池袋のヤミ市への熱い視線は、“男のロマン”にも似て―

 池袋第五小学校同窓の伊藤一雄さん(『池袋の西口、戦後の匂い』の著者、当ブログの7月22日記事参照)からのメールで知った、下記「池袋学」のシンポジウムに出かけた。2日ぼど前に、立教大学の係からは、参加申込が多く会場を変えたという電話まで頂戴した。912日には、国会周辺で「止めよう!辺野古埋め立て」の集会もあり、迷いながらこちらに参加したというわけだ。数日前に熱を出して体調が万全ではないこともあった。この日のキャンパスは、長雨の後だけに、芝生や蔦の緑が鮮やかで、レンガの校舎に映えていて、見学に来ていた女子高生が感嘆の声を上げていた。

 

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戦後池袋の検証~ヤミ市から自由文化都市へ

2015912日(土)14:0016:00

池袋キャンパス 11号館地下1 AB01教室

川本 三郎 氏(評論家)

吉見 俊哉 氏(東京大学教授)

マイク・モラスキー氏(早稲田大学教授)

石川 巧(立教大学文学部教授)

主催:東京芸術劇場、立教大学

後援:豊島区

協力:NPOゼファー池袋まちづくり、立教大学ESD研究所

※戦後70年「池袋=自由文化都市プロジェクト」と共同企画

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 300席の会場はほぼ満席、若い人が多い集まりに出るのは久しぶりだった。これまで川本、吉見両氏の本や発言には、若干接しているつもりだが、モラスキー、石川両氏は初めて聞く名前だった。実行委員長の挨拶が終わると、吉見氏の「池袋・東京・戦後~貫戦期の狭間としての闇(ヤミ)市」と題しての報告が始まった。

吉見氏から、池袋のどんな話が聞けるかな、と思っていたが、その中心は、ご自身が、2020年の東京オリンピック招致が決まったころから、いろいろな場で盛んに発言し続けている「東京文化資源構想」であった。東京には、北東部の上野・本郷・谷中・秋葉原、神保町など江戸・明治・大正の趣を維持している盛り場があり、南西部の渋谷・原宿・六本木・青山というアメリカナイズされた盛り場も生まれた。1964年の東京オリンピックを境に、東京の中心は北東部から南西部のエリアへと移行した、というのだ。それらのエリアは、いずれも歩いて移動できる範囲でもあるという。そのどちらにも属さない池袋はどんな位置を占めているのか、については、若干触れるには触れた。従来の二つのエリアの核となったのは、「駅」ではなく、「墓地」と「大学」であり、池袋周辺にも、雑司ヶ谷墓地、護国寺があり、立教・学習院・日本女子大などの大学があるから、盛り場の要素を十分持ち合わせている、という。氏の報告のサブタイトルにある「貫戦期」とは聞き慣れない言葉だが、「ヤミ市」は敗戦後に成立したものではなく、口にこそ出さないが、戦時下には日本の「負け戦」を認識していた国民は多く、すでに「ヤミ市」の要素は、市民の間では容認されていたことであった、ということを意味しているらしい。また2回目の発言では、人間のスケールに合った「ストリートカルチャー」としての「ヤミ市」の中の自由に着目し、「ゆっくり、細く、楽しく」を目指し、路面電車も復活させたいとも。

モラスキー氏は、1970年代の日本への留学以来、日本の戦後文化史を研究、日本の居酒屋やジャズの受容史などにも及ぶ。池袋については、上野、新宿などと比べてとらえどころがない盛り場である。現在、文学作品に現れた「ヤミ市」について研究していて、その作品集を編集している由。「ヤミ市」には、流通システムとしての「市場」、イチバとしての「場所」、履歴書のいらない、素人も参加できる「解放区」としての役割があるという。「店」と「街」との境界線が曖昧なことが特徴の一つとも言える。2度目の発言で、「ヤミ市」には、無計画的な自由、管理されない自由があり、従来の価値体系への挑戦とみることができる、と。

川本氏は、大正末期の永井荷風の日記に登場する「池袋」を紹介する。荷風が港区の自宅から雑司ヶ谷墓地の父の墓参りのついでに池袋に立ち寄り、予想していた以上に、市内の商店街に劣らず賑わっていたと記していたことに着目、関東大震災後の東京市内の人口移動の様相を反映していると見る。また、池袋の三業地生まれの種村季彦のエッセイからも、各地からの流入者や大泉撮影所が近いこともあって映画関係者も多く、移住者を拒まない独特の文化圏を形成していたのではないか。現在でも中央線沿線には「ヤミ市」が現存するということは、自然に出来上がった、居心地のよい空間を人が求めている証ではないか。日本の住宅は狭いので、サラリーマンは街に出て、居酒屋を求めるのではないかとも。

3人の話は、興味深かく、私の知らないこともあって、楽しかった。しかし、どうもしっくりとこないのはどうしてなのかな、の印象なのだ。吉見氏は、「東京文化資源構想」に、池袋をややムリをして当てはめようとした感じがしないでもなかった。それに、東京の中心を種々の文化資源が潜在する北東部に取戻すことが、新しい都市としての方向性を示すかのような話しぶりであったが、高度成長期にこれほどまでに変貌してしまった東京を、文化資源を核にして改造することは、並大抵のことではないだろう。都市として、人口減少、インフラの老朽化、自然災害などをどう克服していくのかという不安も伴うのだった。

モラスキー、川本両氏の話では、居酒屋、墓地、寺、大学などにしても、都市の中の点景や文化・風俗として捉えているように思えて、やや違和感を覚えた。たしかに、池袋におけるヤミ市、人世坐、池袋演芸場、沖縄料理おもろ、祥雲寺、鬼子母神、トキワ荘、サクマ式ドロップなどなど・・・について語られるのだが、それは、やはり、池袋を訪れる人々の感覚や感性によるものであって、必要以上に美化されたり、昭和への郷愁に駆られたりした結果ではなかったかと危惧するのだった。

パネリストの3人は、池袋に住んだことがなく、それだけに客観的ではあるが、生活者としての視点に欠けているように、私には思われたのである。いわば、「男のロマン」ではなかったのかとも。だから、今回の「戦後池袋の検証~ヤミ市から自由文化都市へ」で、戦後70年を池袋に暮らし、見つめてきた人をパネリストに迎えたら、もっと立体的に、池袋を活写・検証することができたのではないか、と。 

そういう意味で、私が着目したのは、東京芸術劇場のギャラリー・トークで、日替わりで、池袋に暮らし働いた方々のの話が聞けそうな企画である。一日でもいいから聴きに出かけてみたいと思っている。ぜひ記録に残し公開してほしい。さらに、豊島区制施行80周年記念事業「記憶の遺産80」(豊島区地域区民ひろば課作成・NPOとしまの記憶をつなぐ会協力)というインタビュー動画アーカイブであった。これら動画の作成と公開は、貴重な企画だったと思う。立教大学放送研究会と大正大学の放送・映像表現コースの学生が、戦前・戦後の豊島区を知る高齢者33人にインタビューしたものを、話題ごとに80タイトルにまとめたものだ。「池袋」に限っても、「池袋三業町会とともに生きる」「戦後池袋の焼け跡」「坂下通り商店街の遊び」「思い出の人世坐」「池袋西口戦中戦後の娯楽」などなど・・・、各編34分程度に編集されている。ここに、登場する方々は、居住歴が7080年が平均だろうか。私が、池袋の実家を離れたのは30歳過ぎ、記憶にあるのは戦後のことだから、知らないことも多いはずである。父母や兄たちから聞いたことのある話もよみがえってくるのだった。いま、長兄も亡くなり、義姉と姪たち家族が住む実家には、体調のこともあって、立ち寄ることもなく、家路につくのだった。

 

「記憶の遺産80」の詳細は以下参照。

http://www.toshima-kioku.jp/toshima80/80toha.html

 池袋に限らず、生活者・企業による記録や記憶の積み重ねによる、足が地に着いた都市(計画)論の展開に期待したいと思った。

 

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2015年9月 6日 (日)

9月4日、ユーカリが丘駅頭で、安保法案なぜ廃案?のニュースを配りました

私たち、地元の「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」のニュース31号、3日に刷り上がりました。この活動を始めたのは、2006年半ばですから、いよいよ10年目に入ります。今年は、大事な戦後70年の年であり、いま、安保関連法案が参議院で審議のさなかで、9月の半ばには強行採決も辞さない自公与党のもくろみです。そこで、私たちの会のニュース31号の刷りたてを最寄りの駅頭で配ることになりました。参加者11人、300枚は、多くの皆さんが気持ちよく受け取ってくれたのも、今の政権の姑息なやり方が腹に据えかねたという人が多かったからではと思います。

私は、これまで、駅頭での活動の時、マイクを握ることはなかったのですが、9月3日の、この日は居ても立ってもいられず、通行の人たちに話しかけようと思ったのです。出かける1時間前に、思い立って、つぎの3バージョンをメモしました。太字の部分を各バージョンの前後に繰り返しました。

 

皆さん、私たちは、さくら・志津憲法9条をまもりたい会です。2006年から憲法9条をまもりたいと、いう市民の有志がこの町で、活動を続けています。きょうは、私たちのニュース31号をお配りしています。いま、参議院で審議されている安保法案は、なんとしても廃案にしなければなりません。

A)「大きな誤解」

  830日には、国会周辺にたくさんの人々が集まり、安保法案廃案の集会が開かれました。全国各地でも大勢の人々が立ち上がりました。

 これを知った菅官房長官は、なんといったでしょうか。「集会に来た人は、<大きな誤解>をしている」と記者会見で言い放っていました。<誤解>なんかではありません。法案への理解が深まれば深まるほど、国民は怒っているのです。<誤解>をしているのは、安倍総理です。安倍政権の面々ではありませんか。安保法案は、なんとしても廃案に持ち込まねばなりません。

B)「総合的判断」
  安保法案の国会での審議を聞いていますと、法案の条文がどうととでもとれる、どうにでも読める表現ばかりだということがわかってきました。時の政府が好き勝手に読めるような、だましの<工夫>がされているからです。最後は、時の政府の<総合的判断>が決め手という、非常に怪しげな危ない法案です。まさに法的安定性に欠ける法案なのです。断固として、廃案に持ち込まねばなりません。

  時の政府の解釈次第で、自衛隊の出動や海外派兵が決まってしまい、憲法が踏みにじられてしまいます。徴兵制は、憲法にいう「苦役にあたる」から、絶対ありえませんと、安倍総理は、繰り返します。ということは、時の政府が「徴兵制は苦役ではない」と解釈したら、徴兵制は可能になってしまうのです。

C) 「抑止力」

  今度の安保法案は、<抑止力>によってこそ、平和が維持できるという<平和法案>だと、政府は言いつのっています。<抑止力>とはなんでしょう。要するに、これだけの兵器や武力の用意があって、いつでも使用できるんだぞ、周辺諸国に脅しているにすぎません。アメリカの軍事力の傘の下で、相手を恐怖に陥れることで、平和が保たれるというのでしょうか。むしろ逆に、軍事力の競争を煽っているのではないでしょうか。<抑止力>なんてまやかしです。外交や文化の力で、人間の知恵の力で、平和が保たれるのではないでしょうか。

皆さん、私たちのさくら・志津憲法9条をまもりたい会のニュース31号をお配りしています。ぜひお読みください。安保法案を廃案に持ち込みましょう。

        (31号ニュース目次)
 1・2頁ニュースやチラシを渡しているときにこんな質問が寄せられました

  ・アメリカは日本を守ってくれるのだから、アメリカが困ったと

   きには、応援しなきゃいけないんじゃないの?

   ・中国が海洋進出し、軍事力を強化しているけれど、大丈夫なの?
 3頁 ・「総理、夏休みの自由研究ですか?」

     7月20日のフジテレビ「みんなのニュース」出演中の首相

        Photo
    ・「火災現場を戦場に例えないで

    ~火災現場に敵も味方ともありません」

    8月1日「朝日新聞<声>より

4頁 ・ 憲法前文は積極的平和主義そのものです

     ・ NHKは、政権べったり、誤報もなかったように

31号の詳細は、以下をご覧ください。
 http://sakurasizu9jo.cocolog-nifty.com/blog/files/image00.PDF

 

   8月末から始まっている、アメリカ海兵隊と自衛隊との合同訓練の模様が連日ニュースで流れています。自衛隊最大規模の訓練で学ぶことが多いとも報じています。仮定の問題などには答弁しないという政府が、すでにもう安保法案の先取りをしてなされる上陸訓練の映像は、かつて見た戦争映画の一場面のようでもあります。しかし、映画ではありません。どこへ上陸しようというのでしょうか。こうした合同訓練は国内外で日常的に実施されています。その合同訓練自体、その一部の報道への公開が、他国への「抑止力」とでもいうのでしょうか。今回は、中国の軍事パレードと時を一にし、まさに軍拡競争の何物でもないとえます。そして、国民には知らされないまま、アメリカ従属への深みにはまってゆく日本、国民の命と暮らしを守ると言いながら、米軍基地の拡大、被災地切捨て、高齢者切り捨て、派遣労働者切捨て、原発再稼働、報道規制などが進行しています。同時に、国民の個人情報はくまなく把握するマイナンバー法で国民をがんじ絡めにしようというの魂胆がむき出しになりました。

 私たちは、黙っているわけにはいかないのです。この政権を許してはいけません。それに連なるもろもろを。

 

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2015年9月 4日 (金)

DHCスラップ訴訟、澤藤弁護士勝利、東京地裁判決と報告集会に参加しました

   9月2日午後、東京地裁前は、人だかりがしていて、東京土建や JALの旗が目についた。私は、 6階の「DHCスラップ訴訟」の法廷へと急いでいた。1時15分が開廷とのことで、控室には、かなりの傍聴者が集まっていた。

「DHCスラップ訴訟」って何?
  「DHC」は、あの化粧品やサプリの会社で、叶姉妹はじめ人気タレントを使用しての派手なテレビCMなら知っている人も多い。それに、みんなの党の渡辺喜美がDHCの社長から8億円を借入れていたことが発覚したことは記憶に新しい。昨年の3月31日、澤藤統一郎弁護士が書き続けているブログ「憲法日記」に「DHC・渡辺事件」として、政治とカネの問題について書き始めた。数回に及んだところで、DHC社長が澤藤弁護士を名誉棄損による損害賠償2000万円の請求と5本の記事削除・謝罪請求の訴訟を提起したのである。澤藤弁護士は、その訴訟が、訴訟という脅かしで、相手の口や行動を封じ込めこめようとする、いわゆる「スラップ訴訟」であることを、ブログ記事で糾弾し始めた。すると、DHC社長はさらに、請求額6000万円とする「請求の拡大」を行ったのだが、弁論を経て、今年の7月1日に結審し、判決をむかえたのである。経過については、以下の「澤藤統一郎の憲法日記」に詳しい。

*全面勝訴・ご支援に感謝 「表現の自由が輝いた」ーー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第51弾(2015年9月2日)
http://article9.jp/wordpress/?p=5532

*9月2日司法記者クラブでの記者会見(動画)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/261234

読みあげられた、たった一行の判決主文
   争点は、DHCが対象としている5本のブログの記事が名誉棄損に当たるかいなかであった。DHC側の弁護人は3人、澤藤弁護士には総勢111人の弁護人がついているが、弁護人の数もさることながら、傍聴席も弁護士と支援者で40人以上だろうか、席が足りないほどになった。全員起立して開廷、固唾をのむ思いで待った判決文だったが、「原告である吉田会長らの請求を棄却し、訴訟費用を原告負担とする」という主文のみの朗読でしかない。判決はこれでおしまい!そして閉廷なのだ。民事はこんな風だということは聞いていたよう気がするが、まさにこれが「慣例」なんだそうだ。素人の私には、何か腑に落ちない。なぜ判決理由の要旨くらいは読みあげてくれないのだろう。 報告集会で知らされた判決理由 場所を弁護士会館に移しての報告集会。ようやくコピーがとれたということで、弁護人代表の光前弁護士はじめ、複数の弁護人から判決についての報告・解説があった。   

「ブログ記事は、いずれも意見ないし論評の表明であり、公共の利害に関する事実に限り、その目的が専ら公益を図ることにあって、その前提事実の重要な部分については、吉田会長が発表した手記などをもとに書いていて、真実であることの証明がされており、前提事実と意見ないし論評との間に論理的関連性も認められ、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものということはできないから違法性を欠く」

  事実にもとづいて書いた意見や論評を、名誉棄損などで訴えられるとしたら、もはや言論の自由はないも同然である。ところが、DHC社長を原告とする訴訟は、現在9件も継続中で、その内2件は、地裁で請求棄却、高裁で控訴棄却判決を受けながら、最高裁で係属中である。今回の地裁判決についても、DHCの広報は控訴すると言明しているという(弁護士ドットコムニュース)。

*弁護士ドットコムニュース
http://www.bengo4.com/internet/1071/n_3631/

横行するスラップ訴訟
  続いて、小園弁護士からは、「スラップ訴訟」のレクチャーもあった。いまの世の中では、さまざまな場面で、このスラップ訴訟が横行し、市民の表現の自由や活動の自由を萎縮させつつあることを、あらためて知るのだった。 そもそも、スラップとは、1984年にこうした形態の訴訟の研究を始めた、デンバー大学のジョージ・W・プリング教授とペネロペ・キャナン教授が作り出した造語で、Strategic Lawsuit Against Public Participation(直訳:市民の関与を排除するための訴訟戦術)のし略語だそうだ。「公に意見を表明したり、請願・陳情や提訴を起こしたり、政府・自治体の対応を求めて動いたりした人々を黙らせ、威圧し、苦痛を与えることを目的として起こされる 報復的な民事訴訟のこと」で、要するに、企業や行政など資金や人材のある強者が、弱者である個人や民間団体の些細なことをあげつらって、民事訴訟を起こし、相手に、金銭的にも時間的にも多大のダメージを与え、相手を黙らせるということを目的とし、勝訴することを目的としない訴訟のことである。訴えを起こすことにより相手方を黙らせる、従わせ、さらには、それを見せしめとして、他の同様の批判者に提訴の恐怖を与え、黙らせるという、萎縮、抑止の効果を上げることも目的としているのである。公益性の高い問題の論評を衰退させることにもなり、表現の自由が根底から揺らぐことになる。
  小園弁護士は、スラップ訴訟の今後の問題点として、民事訴訟は訴状さえ提出すれば簡単に提訴でき、受理も杜撰な場合が多く、それに比し、応訴の負担が大きいので、濫訴を予防する手立てが難しいこと、反訴を提起することもできるがそれに費やされるエネルギーも大きいこと、などがあげられる。立法による解決が必要だが、それには、世論、メデイア、与野党の議員を動かす運動の必要を説いていた。 これまでも、こうした裁判になった事件を聞いたことがある。研究論文として経営分析の対象となった企業が著者の大学教授を訴えた事例や沖縄県東村、高江ヘリパッド反対座り込み住民提訴の事例である。沖縄の事例は、今回初めて詳しく知ることになった。
  2008年、国は、高江の米軍のヘリコプター着陸帯建設着工反対の座り込み住民15人を通行妨害禁止で仮処分を申し立て、認められた2名について本訴訟を提起したが、1名地裁での棄却、1名控訴棄却・上告棄却となった事例である。高江の住民によるブログでのメッセージにも初めて接した。住民の方の生の声を以下のブログでぜひ聞いてほしいと思った次第である。

*YANBARU TAKAE
http://okinawa-takae.tumblr.com/

*やんばる東村高江の現状
http://takae.ti-da.net/

もし、訴えられたらどうするか 
  私も、ブログをはじめて10年になろうとしている。テーマは、勝手ながらいろいろであるが、ここではかなり率直な意見や論評を辞さないできたつもりである。ただ気を付けてきたことは、事実に基づくことを書き、伝聞や推測では書かない、ということであった。  この日の勝訴報告集会でも、発言を求められ、ささやかなブロガーの一人として、決して他人事ではないと実感したこと、これからも表現の自由のために努めたいので、どうぞよろしくと申し上げた。澤藤弁護士からは「この人のブログは、もしかしたら私よりも過激かもしれません」などと紹介されて、ちょっとはずかしかったが。
  もし、スラップ訴訟の被害者になった場合は、いろいろな手立てはあると思うが、とりあえずは、下記のホームページが役立つかもしれない。

*スラップ訴訟情報センター SLLPIC Slapp Information Center
http://www.slapp.jp/

今後のスラップ訴訟に向けて
  報告集会は、澤藤夫人の言葉で締めくくられた。身近な夫人の支えも大きかったことがよく分かるのだった。「勝訴」の垂れ幕を背に写真撮影もあった。地裁前で、報道陣や支援者を前に「勝訴」の紙を広げるというパフォーマンスは見られなかったが、最高裁でも棄却の「勝訴」判決が待たれる。この日の傍聴や報告集会は、もともと連れ合いと参加するつもりであったが、急用のため私一人の参加となってしまった。そもそも、澤藤弁護士夫妻とのご縁は、「ブログ」からだったなあ、と思い起こす。話せば長くなりそうだが、いま、夫は、さまざまな活動にかかわる法律的な相談をさせていただき、私は、夫人の私のブログへのご意見や感想に感謝しつつ。

  この日の地裁では同時刻に、JALの客室乗務員の「マタハラ裁判」の第1回口頭弁論が開かれているのを知った。なんと、急いで乗ろうとしたエレベーターホール前で JAL乗務員解雇原告団のお一人、客室乗務員のAさんにお会いしたのだ。傍聴にいらしたということだった。ついこの間の8月25日のNHK包囲集会に駆けつけ、コールを担当してくださったのだ。ここでまたお目に掛かれるとは思わなかった。ともにこの日の法廷での健闘を願って別れたのであった。その日のテレビや翌朝の新聞で報じられた「マタハラ裁判」で闘う原告や支援者に拍手を送りたい気持ちになった。客室乗務員が妊娠したら、地上ポストがないから解雇だというJAL、まさにブラック企業に成り下がってしまったのだろうか。スラップ訴訟と同じ土壌ではないかと、思うことしきりであった。

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