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2016年1月23日 (土)

「その結論出すなら要らぬ有識者(荒川淳)」(「仲畑流万能川柳」毎日新聞2016年1月19日)~研究者は、今

 以下のエッセイは、昨年10月、日本科学者会議の知人に勧められて寄稿したものである。私は研究職に就いたことはないので、会員ではない。すでに旧聞に属する内容を含むものの、研究者や専門職の人たちが、改憲や戦争法整備に向かう安倍政権に抗議し、暴走を止めるべく、反政府運動の理論的な核となり、運動の支柱となることを信条に、かなり重なるメンバーで、あらたな会を立ち上げては記者会見などを開いている様子を目の当たりにする。しかし、これで、ほんとうに市民と一緒に安倍政権を倒す力になるのだろうかと、違和感を募らせ、焦ってしまうのである。あのとき立ち上げた会はどうなったの?と突っ込みたくもなる昨今なのである。そんな折、表題のような川柳を見つけた。私の駄文は、川柳一句に及ぶものではないが、再録しておきたい。

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             研究者は、今

    20147月、安保法案が閣議決定されたあたりから、研究者や大学人、弁護士会はじめ種々の専門家集団による法案に対する反対声明や抗議活動が活発になった。廃案運動では市民の先頭に立っての活動も顕著となり、マスメディアへの露出度も高くなっている。研究者が、研究室に閉じこもることなく、積極的に社会に向けて発信し、社会的活動をすることには大いに期待したいところである。 私自身は、11年間の公務員生活をはさんで、三つの私立大学の職員として20余年間、働いてきたが、研究者ではない。ただ、近頃、大学教員でもある夫とよく話題にもすることで、考えさせられることがある。私が大学の職員時代に、同僚とは、大学の先生の「昼と夜を知ってしまったね」と冗談を言い合ったこともある。「昼と夜」は「建前と本音」と言い換えてもいい。その落差もさることながら、時間軸で見たときの「ブレ」の在りようにも、疑問を感じることが多くなったのである。研究者たちの安保法案廃案運動やさまざまな発言の足を引っ張るつもりは毛頭ないが、最近の動向に着目したい。実名を出した方が、分かりやすいのではと思いつつ、ここでは控え、なるべく実例に沿って進めたい。

 

動員される研究者たち

 「UP」(東京大学出版会の広報誌)10月号には、「安倍談話とその歴史認識」(川島真、東アジア政治外交史)という文章があった。「安倍談話」には一言も二言もあるので、飛びついて読んでみた。執筆者は、北岡伸一らとともに「二十一世紀構想懇談会」の一員だったはずである。だから、内容的にはある程度予想はできたのだが、かなり客観的な筆致で「安倍談話」の意義と一定の評価を与えるというのが基調であった。そこでは、「村山談話」など歴代内閣の談話を「全体的に引き継い」でいるのであって、個別的には、日露戦争に高い評価を与え、満州事変以降の国際的潮流に反し国家の進むべき道を誤ったという見解は、先の懇談会の提言書に即しているといい、謝罪を子子孫孫まで引き継がせたくないとしながらも、「世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合う」とする部分があるのに、メディアは注目していない、とも指摘する。さらに国際社会の反応として、反省や謝罪が引用であり、謝罪を継承させないと印象付けたことに言及する一方、日本の「侵略」は満州事変以降とした認識については、一定程度の成果をおさめたとする。国内のメディアは、総じて肯定的な評価がやや高かったように思え、内閣支持率も一定程度回復し、政府にとっては意味があったのではとした。最後に「戦後日本政治で最も保守的とも言われる安倍政権で、最もリベラルな政権の一つとされる村山談話を引用し、継承したことは、日本政府の歴史へのスタンスの幅をほぼ決定づけることになった」と結論づけた。こうした結論に至るのは、もちろん自由であるが、執筆者は、文中においても、肩書においても、二十一世紀構想懇談会のメンバーであったことはどこにも記していない。編集者のことわりもない。懇談会のメンバーであったことは、むしろ積極的に公開した上で、私見を述べるべきだったのではないか。どこかフェアでないものを感じるのだった。

  上記懇談会は、首相の私的諮問機関であったが、行政が日常的にあるいは臨時に設ける、いくつかの審議会や諮問機関、あるいは企業が不祥事を起こしたときなどに立ち上げられる第三者機関には、有識者や専門家として、必ず研究者が起用される。そんなとき、「第三者」というよりは、大方は、設置者の意向に沿うような委員がまず選ばれ、そうではない委員も公平性を担保するかのように混入させるのが常である。設置者の事務方が作成した原案がまかり通る場合も多い。審議会行政と呼ばれる由縁である。今回の懇談会と談話作成過程の検証は今後の課題となろう。

 

時流に乗りやすい研究者たち

すでに引退した政治家が、とくに、自民党のOBの何人かが、いまの自民党の安保法制に真っ向から反対の意見を言い出すと、それをもてはやすメディアや野党にも、なぜか不信感が募るのだ。現役時代の数々を、過去を、そう簡単に水に流せるものなのか。「あの人さえ、いまは!」と時流やご都合主義になだれうっていくのを目のあたりにするのは、やり切れない思いもする。もともと、どこまで信用していいかわからなかった面々たちだからと、つい気を緩めてしまうこともある。

しかし、研究者の場合、専門性や論理性が求められているだけに、数年前に言明していたことと真逆のことを言い出したり、攻撃の対象としていた考え方に乗り換えられたりしたら、戸惑ってしまうではないか。周囲の状況が激変したからとか、自分が成長した証だと言われてみてもにわかに信じがたい。また、微妙な言い回しで、自らの立ち位置を目立たぬようにずらしてしまうという例もある。階段教室に、みんなで並べば怖くないみたいなノリで記者会見に臨んだりしているのは、いささか研究者らしからぬと思うのは、私だけだろうか。目立つところには喜々として立つが、事務方や裏方を好まず、職場や地域での地道な活動には身が入らないという例も意外と多いのがわかってきた。国際政治学専攻の知人が隣家の猫が自宅の庭に侵入して、悪さをするので困っている、と話しているのを聞いたことがある。全然話し合いにならないものだから境界に薬剤を撒いているとのことだった。国境紛争や国際政治を大局的に捉えている専門家なのにと、思ったことだった。

(『日本科学者会議東京支部個人会員ニュース』No.105<戦争法制と私>特集増刊号1110日、収録)

 

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2016年1月17日 (日)

2016年の歌会始は、変わったか

不覚にも
 前の日までは覚えていたのだが、洗濯や布団干しをしているうちに、1月14日「歌会始」のテレビの視聴も録画も忘れてしまった。その日の夕刊と翌日の朝刊で、その様子を知ることになる。  
  その新聞報道によれば、応募歌数は1万8962首、下記の宮内庁発表「最近のお題及び詠進歌数等」の数字の違いは、報道が有効応募歌数に限っているので、生じるらしい。応募歌数の推移は、宮内庁発表の数字を見ても、平成に入って直後は別にして、劇的な変化は乏しく、多いときは2万8000台までとなったが、現在は、2万前後を推移、大きな流れから言えば、低迷していると言えよう。
 
「歌会始」に舞い上がる人たち   
  今年の選者は、1993年(平成5年)以降務めていた岡井隆(1928年生)が、今野寿美(1952年生)に代わって、選者はそれぞれ篠弘1933年、三枝昂之1944年、永田和宏1947年、内藤明1954年生まれなので、平均年齢は下がり、河野裕子没後いなかった女性も参入したのだが、応募状況はむしろ下降した。応募者全体の年代別状況はわからないが入選者を見ると、10人中入選者は、80代・70代各1、60代4、50・40・30・10代各1という分布ながら、これは、応募者の割合というよりは、かなりの配慮の末だろう。佳作の17人中80代2、70代9、60代3、50代・20代・10代各1という分布であって、70代だけで半数以上を占める。さまざまな「テコ入れ」をしても、応募者は高齢化の一途をたどるだろう。若くても高齢でも、「入選」の栄誉は、地方紙などでは、「郷土の誉れ」的な感覚で報道されることが多いのが現実なのだが、やがては若い応募者の学校単位の“熱血”指導者も消えてゆくのではないか。皇室制度自体への関心が薄れる中で、皇室の一儀式が、日本の伝統文化、日本人の民族的な文化になぞらえて、引き継がせようとするところに、ムリがある。
 
「歌会始」は、伝統を受け継ぐ文化行事なのか
  今年になって、歌会始の直前、1月10日、『朝日新聞』は「文化の扉」欄で、「はじめての歌会始」を特集している。そこでは、「皇室と国民 同じお題で心詠む」との見出しで、「国民参加型の文化行事」と位置付ける。いまだ皇族らの和歌指南、御用掛を務める岡井隆に「2万人以上の人が一つのお題で定型の詩を作りあうのは、他国にはない」「歌会始は、日本の伝統が脈々と続いていることを世界に知らせる良い機会なのです」と語らせた。昨年、陪聴者として招かれたという「ベルサイユのばら」の作者、池田理代子は「式場に入ると、入場者の緊張感がものすごい。一般の人が天皇陛下の前に出られる数少ない機会ですし、みなさん第一級の正装です。そこへ皇族方が入って来られ、厳粛で華やかな雰囲気に包まれる」と舞い上がり、「歌を聞いていて、日本という文化度の高さを感じました。万葉の時代から庶民も含めみんな歌を詠んできた。そして今も、いろんな層の方々が素晴らしい歌を詠まれる」と明治になって定着した国語教科書的な「万葉集」観を披歴する。「歌会始」は、岡井が言うように「脈々と続いている」伝統ではなく、民間の歌人が選者になり、いまのような形になったのは、敗戦後の1947年以降で、明治時代、国民に対して狭い門戸が開かれただけで、それまでは「御歌所」という役所が仕切っていた閉鎖的な「皇室行事」であった。「歌会始」に「伝統」をふりかざしてやまない岡井は、選者就任が決まった1992年には、「歌会始は、もはや最大規模の短歌コンクールに過ぎない」と言って宮廷入りしたことであった。「万葉の時代から庶民も含め歌を詠んだ」という池田の言も、その証ともされる「万葉集」の詠み人知らずや防人を指していると思われるのだが、その「万葉集」の成立過程と編集意図を検証すれば、かれら「庶民」の作品を収録したことの政策的な意図は明らかで、広く「庶民」が歌を詠んでいたことの証明にはならなかったのだ。さらに、明治以降、とくに昭和の戦時体制下では、「国民歌集」として「忠君愛国」のテキストに利用された時代もあったのである。

「歌会始」の政治力学  
  もう、ここでは詳しく繰り返さないが、歌壇における「歌会始」への無関心という状況は、あくまでも表面上のことであって、水面下では、ヘゲモニーをめぐっての過酷な争いが展開しているとみてよい。いや、ある友人によれば、すでに決着がついたのではないか、とも言われている。実にくだらないことながら、選者の出身結社ないし師の系統図からみて、かつては、少なくとも、2000年前後までは、 良くも悪くも、バランスがとられていた。その出自は、アララギ系(アララギ、未来)、佐佐木信綱系(心の花)、窪田空穂系(まひる野)、北原白秋系(コスモス)、太田水穂系(潮音)、尾上柴舟系(水甕、創作)、前田夕暮系(詩歌、地中海)、釈迢空・岡野弘彦系などに分かれていた。しかし、現在は、そうした結社の違いが薄弱になっていく一方、逆に、「選者」になることは、選者自身の歌壇上のステイタス、短歌メディアへの影響力を強固にし、自らの結社の会員獲得のいわば「広告塔」としての役割をいっそう強めている。  
  ちなみに、現在の御用掛の岡井(未来)、選者の篠(まひる野)、三枝(かりん⇒りとむ)、永田(塔)、 今野(まひる野⇒かりん⇒りとむ)、内藤(まひる野⇒音)ということになり、馬場あき子(まひる野⇒かりん)の「かりん」から飛び出した三枝・今野を選者にしたのは、岡井の馬場への牽制だというのが、友人の分析でもある。要するに、「歌会始」の、あの独特な“のどかな”朗詠の陰に渦巻き、「歌会始」は、まさに、歌壇政治に利用されている側面は拭い去れないのである。  
  選者にならずとも、毎年、「陪聴者」として招かれる各界の名士の中に混じって、多くの歌人たちの顔が見える。その待合室もかなりの混み様なのか、「歌会始」に無関心を標榜する歌人が増えているような気がする。
  いまや、結社やグループなどを経ずに、一人で、あるいはネット上のつながりで、作歌に励む人たちも増えた。彼らの中からの応募も少しは増えているのだろうか。「歌会始」に限らず、新聞歌壇やさまざまな短歌コンクールに応募して、自分の名前や作品が広く読まれることを楽しみにしている人たちもいる。しかし、これが高じて、「何勝何敗」とか「入選攻略法」まがいのハウ・ツーが駆け巡るのもいかがなものかと、文芸としての「短歌」を願うのは、”昭和”の人間だからだろうか。、

参考過去記事 :以下の記事の他、キーワード「歌会始」で検索していただければ、関連の過去記事があるので、あわせてご覧いただければと思う。

・2015年12月29日 (火) ことしのクリスマス・イブは(4)~歌会始選者の今野寿美が赤旗「歌壇」選者に  

 

参考(宮内庁ホームページより)

・お題一覧と各年詠進歌(昭和22年から)

http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/odai.html#odai-02

・最近のお題と詠進歌数等(平成3年から)

http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/eishinkasu.html

 

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2016年1月15日 (金)

マイナンバーに法的根拠はあるのか~内閣官房も自治体も、その説明に苦慮している!

 下の過去記事にあるように、内閣官房の担当の“お勧め”で、私は、昨年127日に下記のような、住民票に付記されたマイナンバーの削除届を佐倉市長あてに提出した。マイナンバー実施への抗議と阻止の意思を示したかった。年末の御用納め1228日付で別添のような回答が届いた。関心のある方は、過去の記事とあわせてご覧いただければと思う。さらに、ご意見もいただければ幸いである。

2015125
マイナンバー通知、到着、どうしますか~「ニューデンシャ」って何?
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/12/post-8d52.html

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 2015127

佐倉市市長 蕨和雄様

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住民票に付与された個人番号

削除届

 去る1122日に、個人番号の通知を受けたものですが、つぎの理由により、個人番号の削除を届けますので、速やかな措置をお願いします。

1.法律第5条は、地方公共団体の責務として、個人番号の取り扱いの適正と利用に関して、国との連携と自主的・主体的な施策の実施を求めているのみである。適正な取り扱いに関して、具体的な法律上や条例上の担保がないままでは、私の個人番号の業務利用を希望しませんので、住民票に付与された個人番号をただちに削除してください。

①なお、123日に「内閣官房社会保障改革担当室・内閣府大臣官房番号制度担当

室」に問い合わせたところ、住民票のある自治体に、削除を申し出ることができ

るとの指導を受けた。

 ②別表その他は、利用する場合の指標であって、住民個人が自治体の個人番号の利用を許容しなければならない義務の根拠にはなりえない。

③住民個人が自治体の個人番号利用を希望しない場合、自治体が削除することを拒む法律上の根拠が見当たらない。

2.個人番号の通知は、世帯ごとに配布され、世帯内の各個人番号は、世帯内の家族間では、知りうる情報となる。その時点で個人番号の情報は世帯内で漏えいしていることになる。生計を一にする同居人においても同様で、その同居が解消されたときの情報漏れを担保する明文がない。少なくとも私の個人番号は、いかなる目的にも利用することができないように住民票から削除してください。世帯内の「信頼関係」の有無云々について、法律は介入することは不可能なはずである。

 3.事業者において、従業員が個人番号を提出しない場合でも、それによって、公共サービスなどを受けることに何ら支障がないことが明文化されている以上、 一般個人においても、個人番号付与を希望しない場合でも何ら支障がないこと、現状の社会保障・税制度において不便を来してないので、私の住民票に付与された個人番号は直ちに削除してください。

4.総務省がマイナンバーの管理を委託している地方公共団体情報システム機構からの情報漏えい防止対策が明確に示されておらず、過去の年金機構の大量情報漏れの原因が調査中の段階での運用開始は、情報漏れリスクへの担保や漏れたときの責任をだれがとるかの保証が不明確なので、私の住民票に付与された個人番号は直ちに削除してください。

5.マイナンバー制度が、行政の効率化・国民の利便性を目的としながらも、現実には、制度スタートの段階で、通知遅配、通知未達、通知誤配、カード交付ミス、マイナンバー関連詐欺事件が続発していることは、運用後の情報漏れのリスクとあわせ、プライバシーの侵害、不平等と公共の福祉に反し、憲法に反するので、マイナンバー離脱の任意性は、当然の帰結である。よって、私の住民票に付与された個人番号は直ちに削除してください。

  以上の理由による削除届への措置を直ちに実施してください。上記の理由各項に従って、条文などを丁寧にたどれば、実施を受ける理由はあっても、拒む理由はないはずです。今回の法律の個人番号利用にあたって、佐倉市長は、独自の、主体的な取り組みが要請されているわけですから、条文を精査し、責任を持って、市民の要請に真摯に取り組み、少なくとも、届けを受理の上、上記届けに明記した理由の各項別に検証と説明の上、個人番号削除のお知らせをくださるよう、誠実な対応をお待ちしています。

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 上記「削除届」への回答の全文は、別添の4頁にわたるものだが、その内容は、読めば読むほど、説得力に欠けるものであった。が、とりあえず、そのポイント部分を紹介し、私の感想を記しておこう。回答書の構成が、削除届と対応しておらず読みにくいのだが、どちらも通覧の上、お読みいただくとありがたい。回答書の中の要注意の文言を太字に、私の結論部分を太字にし、マーカーを付した。

1.総論部分

市の回答の前半で、番号法では個人番号を通知することは、「市区町村の法的義務」としている点は、その通りだ。しかし、後半で、住民基本台帳法の「住民票への個人番号を記載されることとされております」を根拠に「以上のことからして、お申し出にございます個人番号を削除することにつきましては、それ自体、法律の予定するところではなく当市に、裁量は認められていないものと判断」した点である。
 住基法でも、たしかに個人番号を「記載する」ことまでは規定されている。さらに、職権による「消除」規定が細かく規定されているにもかかわらず、住民からの「削除」についての規定がない。ということは、「法律の予定するところではない」からこそ、裁量が可能なのではないか、と思う。


2.番号法第5条について~回答2.指摘事項の(1)

番号法第5条は以下の通り短い条文だが、市の回答は、末尾の「個人番号の利用に関し、国と連携を図りながら、自主的かつ主体的に、その地域の特性に応じた施策を実施するものとする」を素通りし、その上「自治体の責務」とされている「(個人番号の取扱いの)適正を確保するために必要な措置を講ずる」具体的な施策をとらないまま、「講じずるから」担保しているというが、無回答に等しい。なお、「法律上、適正な取り扱いを担保しているものと認識しております」の一文にいたっては、無策のまま、何を「認識」しているのか、不明である。

参考:「(地方公共団体の責務)第五条  地方公共団体は、基本理念にのっとり、個人番号その他の特定個人情報の取扱いの適正を確保するために必要な措置を講ずるとともに、個人番号及び法人番号の利用に関し、国との連携を図りながら、自主的かつ主体的に、その地域の特性に応じた施策を実施するものとする。」

 3.「削除届」1-②自治体の個人番号利用を住民が許容しなければならない根拠~回答(1)-②

 今回の「削除届」において、私がもっとも明確な回答を求めたい核心部分であった。

回答の冒頭に「番号法第3条における規定からして、行政事務処理において、市区町村が番号法を遵守しないことを想定はしておりません。」とあるが、第3条は、法律の主旨・目的を明示した部分で、要は、個人番号の推進と拡張の「必要」がうたわれている。法律の成り立ちから当然の記述ではある。また、別表に掲げられた個別の法令には「個人番号を記載する義務が明記されている。」というが、たとえば、健康保険法や雇用保険法にあたってみると、社会保障関係の事務手続きにおいて必要なのは、「個人番号又は基礎年金番号」、「個人番号(個人番号を有する者)又は被保険者番号」であることが明示されていて、あくまでも選択が可能であることが分かった。個人番号の記載が義務化されているわけではない、としか私には読めなかった。

 回答の後半部分は、内閣府大臣官房番号制度担当室の回答が引き写されている。回答文を繰り返せば、以下の通りだが、この一文の中にも、法解釈上の大きな矛盾を抱えているのではないか。すなわち「『個人番号を利用できる』と規定されているが『番号法の趣旨に鑑みれば』、自治体の裁量に委ねるということではなく」とか、「別表第一」を根拠として「すべての自治体において個人番号を利用すべきであると解される」というが、「別表第一」というのは、法令ごとに、上段に「個人番号を利用することができる者」、下段に「個人番号を利用することができる事務」が記載されている表である、番号制度担当室による「逐条解説」に明記してあるではないか。「番号法の趣旨」とは、第三条に並列しているような行政の効率化・国民の利便性・給付及び負担の公平化・適正な取り扱い・活用の可能性に資するなどを示すのであれば、この条文を義務規定と読むことはまず不可能であり、担当室が「すべての自治体において個人番号を利用すべきである」と解する根拠とはなりえない。いや、むしろ、条文からは義務規定とは「読むことができないような」構成になっている。義務規定ではないと「言い訳できる」ような、細心の配慮をした条文になっていることがわかる。だから、担当室も「利用すべきであると解される」としか言いようがなかったのだと思う。

 参照:内閣府大臣官房番号制度担当室 番号法逐条解説 154http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/bangoseido/pdf/chikujou.pdf#search='%E5%86%85%E9%96%A3%E5%BA%9C%E5%A4%A7%E8%87%A3%E5%AE%98%E6%88%BF%E7%95%AA%E5%8F%B7%E5%88%B6%E5%BA%A6%E6%8B%85%E5%BD%93%E5%AE%A4++%E9%80%90%E6%9D%A1%E8%A7%A3%E8%AA%AC' 

4.「認識」だけで、法律の解釈や施行ができるのか 

 「自治体が住民票から個人番号を削除することはできないと認識しております」というのが、佐倉市の私の「削除届」への結論であった。回答書に、目立つのが「認識」という文言であった。法律用語でもない「認識」、「認識」って何だ?ということになる。認識には、当然個人差がある。「時代認識」「歴史認識」といった熟語で使われることが多いし、「共通認識」という言葉もある。今回の市長の回答書には「認識」満載なのである。市民としては市長の「認識」だけで、法律を施行してもらっては困るのだ。

 その最たる一文が、上記の結論にいたる回答書(1)-②の以下の文章であった。

「住民基本台帳法第78号の②において、住民票の記載事項として、個人番号が規定されており、また、住民票の記載事項を個別に削除する規定もないことから、自治体が住民票から個人番号を削除することはできないと認識しております」

 要するに、住民基本台帳法は、自治体として「個人番号を記載するものとする」と規定するが、その「削除」については規定がないことが「削除」できない根拠にはなりえないのではない。私の結論から言えば、自治体が市民の求めに応じて「住民票から個人番号を削除」しても罰則はない。むしろ、その要望に応えることは、個人情報が付せられることにより発生している、さまざまな不安やリスクから、市民を守ることに連なるはずである。

かつてと住民基本台帳自体と「住基ネットワークシステム」と接続しなかった自治体もあったほどである。すでに記入された個人番号を「自分の住民票から削除してください」という、ささやかな「願い」が、なぜ実現できないのか。ささやかではあるが、個人の尊厳、プライバシーにかかわり、重大な憲法問題であることから、これからも、国や自治体の対応を注視したい。

そもそも、「削除届」を提出したのは、上記担当室から、「お住まいの自治体に提出できます」と言われたことに端を発している。今回、佐倉市の問い合わせに、担当室は「(そのような)指導はしていない」との回答がなされたらしい(回答書(1)-①)。しかし、私は、担当室の一員から、名前まで聞いて確認している。ということは、回答に窮しての対応であったか、あるいは担当室の中でも、法律への共通の理解ができていない証左でもあるのだろう。欠陥だらけの番号制度、番号法を認めるわけにはいかない。不要なのである。

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2016年1月11日 (月)

戦後70年 二つの言説は何を語るのか  

   以下は、『女性展望』(市川房枝記念会女性と政治センター)から、2015年10月初旬締切で依頼を受けた原稿でしたが、初校・再校と編集部の方々には大変お世話になりました。

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戦後70年 二つの言説は何を語るのか    

  「安倍談話」の中の「私たち」とは
   八月一四日の夕方、私は、戦後七〇年の「安倍談話」をテレビ中継で見ていた。ともかく冗長な「談話」というのが第一印象だった。「安倍談話」が取りざたされてから迷走が続いていたが、八月六日には、首相の私的諮問機関「21世紀構想懇談会」が、その報告書を明らかにしていた。
  まず疑問に思ったのは、主語が「私」ではなく、「わが国」「日本」と「私たち」だけであったこと。「日露戦争が、西洋諸国の植民地支配のもとにあった多くのアジアやアフリカ諸国の人々を勇気づけた」、欧米諸国が経済のブロック化を進めたので、「日本は<力の行使>によって解決をしようとして進路を誤り、戦争への道を進んだ」との部分は、日本が戦争への道を歩んだのは他国の植民地支配が原因だったかのようにも聞こえたこと。さらに「あの戦争になんらかかわりを持たない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはいけません」と言い切り、「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に向き合わなければなりません」と続けた個所の文意が不明瞭であったこと、であった。
   報告書では課されなかった「おわび」も登場するが、「歴代内閣の立場」を引用するにとどまった。饒舌な上に、「私」ではなく「私たち」を連発していることは、過去の村山、小泉談話との比較で指摘され続けるであろう。
   文中には、国内外の戦争犠牲者に対して「痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠をささげ」、「先の大戦への深い悔悟の念と共に(中略)ひたすら不戦の誓いを堅持し」、「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました」というくだりがある。「侵略」については、国際紛争を解決する手段として「事変、侵略、戦争」と例示したに過ぎない。懇談会の報告書が示した三つの言葉<植民地支配><侵略><痛切な反省>は、ともかくクリアしたことになる。  
   しかし、「世代を超えて過去と向き合う」「永劫の哀悼の誠」「不戦の誓いの堅持」の言を弄しながら、なぜ「謝罪」に区切りをつけることになるのか、の整合性がない。なお、三三〇〇文字を超える文章の最後部には「わが国は、・・・(自由・民主・人権といった)価値を共有する国々と手を携え、『積極的平和主義』の旗を掲げ」の「積極的平和主義」の登場も唐突であった。

  「謝罪」の行方
  さらに、「戦陣に散った人々、終戦後異郷の地で飢えや病に苦しみ亡くなった人々、広島、長崎での原爆投下、東京はじめを各都市の爆撃、沖縄の地上戦などの犠牲者、三百万人の同胞と戦火を交えた国々での犠牲者、戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことを忘れてはなりません」と述べた。その後に「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです」という他人事のような一文を見出したとき、首相は、歴史と向き合うこと自体に自信がなく、いわば放棄したい本音が出ているとしか思えなかった。
    交戦国の人々の「寛容」や「和解」「善意と支援」への感謝も大事だが、自らの言葉での謝罪がなく、その謝罪さえも続けないとする内容は、外交的にも将来に禍根を残すだろう。当日のNHKの夜のニュースで、政治部の岩田明子記者が、「悔悟」という強いことばを使用した「安倍談話」を称揚してやまなかったことも、一つのニュースであった。また、上記懇談会メンバーである川島真は、今回の談話は「現在の政権が進める政策を歴史的に下支えするという役割を担っていた」と解説している(文献7)。
   海外では、韓国、中国政府の批判は抑制的であり、アメリカ政府は「歴代内閣の立場を継承した」ことを歓迎した(『東京新聞』、『毎日新聞』八月一六日)。しかし、海外メディアの『ニューヨーク・タイムス』『ワシントン・ポスト』『フィナンシャル・タイムズ』、「BBC放送」、『フランクフルト・アルゲマイネ』「フランス24放送」は、自分の言葉での謝罪がなかったことと、将来世代が謝罪を続ける必要がないとしたことに批判的であった(文献6 )。

「おことば」からのメッセージ
   「安倍談話」との比較において注目されたのが、八月一五日全国戦没者追悼式での天皇の「おことば」であった。
   たった三二〇文字ながら、今年、初めて「さきの大戦に対する深い反省とともに」のフレーズに「深い反省」が加わり、「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」「戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠につきることはありません」という文章も加わった。これまで、八月一五日の「おことば」は、若干の言い換えはあるものの、ほとんど同文に近かった。
   『東京新聞』(二〇一五年八月一六日)において、保阪正康は、天皇の「許される範囲内で示した、 昨今の政治情勢への危惧とも読みとれる」と語り、半藤一利は、こうした表現を加えたのは「集団的自衛権の行使容認や安保法案など、最近の動きに対する懸念があるのだろう。政治的発言が許されない象徴天皇という立場で、ぎりぎりの内容に踏み込んだメッセージではないか」と記す。
   また、側近の見方として、激戦地をめぐられた後だけに「徐々に戦争が忘れられていくという、ご心配の気持ちの表れでは」とも伝えた(『朝日新聞』二〇一五年八月一六日)。『日本経済新聞』(二〇一五年八月一六日電子版)では、七〇年を経て、戦前と一線を画し平和国家を志向してきた戦後体制に懐疑的な風潮が出てきたこと、歴史認識をめぐる中国、韓国との摩擦によるナショナリズムの高まりが「深い反省」が加わった要因になっている、と分析する。
   海外メデイアでは、『ザ・ガーデイアン』は “The emperor, 81, is banned by the constitution from any political role, but his carefully nuanced words could be seen as rebuking prime minister, Shinzo Abe”(八一歳になる天皇は、憲法上、どんな政治的役割をも果たすことが禁じられているが、彼の注意深く、微妙なニュアンスを持つ言葉は、安倍晋三首相を非難していると受けとれる)と書き出し、『ワシントン・ポスト』は、“Japan’s emperor appears to part ways with Abe on pacifism debate” (天皇は、平和主義政策の論議において安倍と袂を分かつことを表明した)との見出しだった。海外メディアの方が、天皇や首相に対する特別な配慮がない分、客観的で、率直な記述が見てとれた。 

「おことば」には寄りかからない
   「安倍談話」に比べて、天皇の言葉に重みがあるとするならば、それは、多くの制約の中ながら、皇太子時代からの発言や活動の積み重ねがあったからにちがいない。
   たとえば、沖縄についても、皇太子時代の一九七五年七月海洋博出席の折、ひめゆりの塔での慰霊のさなか火炎瓶を投げられた最初の訪問以降、翌年一月同海洋博閉会式、献血運動推進全国大会(一九八三年)国民体育大会、全国障害者スポーツ全国大会(一九八七年)に続き、天皇の即位後は、全国植樹祭(一九九三年)、戦後五〇年の慰霊(一九九五年)、国立劇場おきなわ開場記念式典(二〇〇四年)、全国豊かな海づくり大会(二〇一二年)、対馬丸犠牲者慰霊(二〇一四年)を合わせて一〇回の訪問を重ね、戦没者の慰霊を欠かさなかった。またその都度、沖縄の歴史や現状を専門家や体験者から学ぶ様子も伝えられている。天皇と首相の発言の違いは、それぞれ個人の経験知と品性の違いではないかと察せられる。
   日本国憲法の象徴天皇制のもとでの天皇の発言は、政治的機能を持たないが、その発言や振る舞いから天皇個人の信条や心情の一端を伺うことができる場合も多い。しかし、天皇が身を挺して発信する様々なメッセージが、その個人的な姿勢と思いとは関係なく、現実には、どのような役割を果たしているかにも着目しておく必要がある。
   今回の「おことば」には、「安倍談話」よりも一歩踏み込んで、国民の平和への願いと戦争犠牲者への気持ちを体現しているという見方は、間違いではないと思う。しかし、皇室の発言や振る舞いを忖度して、必要以上に美化したり、過大評価したりする(文献2、4、5)リスクも考えておかねばならない。護憲と人権を侵しかねない皇統維持、という矛盾をかかえる象徴天皇制において、皇族方の公務における発言や活動は、政治とはかかわらない形で定型化されてきた。
   しかし、たとえば、福祉や教育、環境、災害という分野での政策の混乱や予算の切り捨て、環境破壊や災害への対策のひずみに直面する現場に立ち、そこでの思いは、視察やお見舞いの姿勢、「おことば」や記者会見の場での発言、ときには短歌などに反映されることが多い。そのことが、国民との距離を縮め、共感や謝意を醸成し、政治・経済政策の欠陥を厚く補完し、国民の視点をそらす役割さえ担ってしまうことも少なくない(文献3 )。
   今回の「おことば」も、安倍政権の暴走への「歯止め」や「叱正」とも評価することの波及効果には危惧をも覚えるのである。「ご聖断」に心寄せることで、自らを慰撫するにとどまり、国民自らの意思表示や活動が鈍りはしないか、の懸念が残る。また逆に、政権寄りの「おことば」が利用されることも考えられる。旧憲法下の天皇の役割、とくに、昭和天皇の、戦時下では軍部に、占領期にはGHQに利用されたと標榜しながら、招いた結果である「負の遺産」の数々は、天皇も国民も担っていかなければならない覚悟も将来にわたって必要なのだと思う。
   一方、民意に沿わない「談話」は、日常的な国民的な活動のなかで、無化することも、言葉の実を取ることも不可能ではないはずである。


<文献> 「おことば」、行幸日程、短歌作品などは、基本的に宮内庁HPと文献1に依拠した。
1.宮内庁編『道 天皇陛下御即位十年記念記録集』(NHK出版 一九九九年一〇月 )

2.島田雅彦『おことば 戦後皇室語録』(新潮社 二〇〇五年六月)

3.拙著「象徴天皇の短歌、環境・福祉・災害へのまなざし」ほか『天皇の短歌は何を語るのか 現代短歌と天皇制』(御茶の水書房 二〇一三年八月)

4.「NHKスペシャル 日本人と象徴天皇一~二」(二〇一五年四月一八日・一九日放映)

5. 矢部宏治『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(写真須田慎太郎 小学館 二〇一五年六月)

6.門奈直樹「総括・戦後70年談話~他国のメデイアと日本の市民は何を語ったか」(『マスコミ市民』二〇一五年一〇月)

7.川島真「安倍談話とその歴史認識」(『UP』 二〇一五年一〇月)

<天皇・皇后 短歌作品より >

一九七六年(坂)
みそとせの歴史流れたり摩文仁(まぶに)の坂平らけき世に思ふ命たふとし(明仁皇太子) いたみつつなほ優しくも人ら住むゆうな咲く島の坂のぼりゆく(美智子皇太子妃)
一九九四年(硫黄島)
精根を込め戦ひし人未(いま)だ地下に眠りて島は悲しき(天皇)
一九九五年(平和の礎)
沖縄のいくさに失せし人の名をあまねく刻み碑は並み立てり(天皇)
二〇〇〇年(オランダ訪問の折りに)
慰霊碑は白夜(びやくや)に立てり君が花抗議者の花ともに置かれて(皇后)
二〇〇一年
知らずしてわれも撃ちしや春闌(た)くるバーミアンの野にみ仏在(ま)さず(皇后)
二〇一二年(沖縄県訪問)
弾を避けあだんの陰にかくれしとふ戦(いくさ)の日々思ひ島の道行く(天皇)   

         (内野光子・歌人)(『女性展望』No.677  2015年 11 ・12月)

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2016年1月10日 (日)

あの低空飛行の軍用機は何か!?

 今日の午前中、ユーカリが丘の志津コミセンの会議室で、柔らかい日差しを受けながら話を進めている最中に、大きな窓に、低空飛行の軍用機が、何度も何度も巡ってくる。おかしいぞ、今日は日曜日だし、下総基地からの訓練機は飛ばないはずだし、何事かと、少し不安にもなった。その低空が、半端ではない低さなのである。メンバーの一人が、とりあえず、下総基地に電話をすると、きょうの飛行は、習志野第一空てい団の「降下訓練始め」でしょうとの情報が得られた。

 帰宅後あらためて、私も習志野第一空てい団に電話をしてみた。ホームページにもあるように、きょうの午前中11時から12時まで「降下訓練始め」で、その訓練ぶりを市民にも公開していたらしい。

 人騒がせな訓練ではある。習志野の第一空てい団の日常的な訓練では、佐倉市上空を飛行することはあまり多くはないようだが、コースにもよる。超低空と思ったら空てい団の航空機による降下訓練と思っていいだろう。習志野基地には、滑走路がないので、航空機の発着は下総基地を使用しているとのことだ。末尾の以下の過去記事にもレポートがあるのでご覧ください。

 今日のような、イベントの情報は、佐倉市には伝えているのか、と尋ねたところ、隣接の三市だけには伝えているが佐倉市には伝えていない、という。あの低さは、どのくらいなのですかと尋ねれば、演習地以外は、340m以上と決められているので、それより低いことはありません、ということは、400mを切っているということ。ユーカリが丘付近の戸外で目撃したひとは、きっと恐ろしい思いをしたことだろう。 下総基地発着のP3c哨戒機は、佐倉市上空を500~800mで飛ぶことはとザラだというが、400mと言えば、スカイツリーの634mよりかなり低いことになる。

  いわば出初式みたいな、余分な訓練飛行はやめてほしいし、上空を飛ぶ自治体には、情報を流し、市民にもきちんと広報するように、とだけは伝えておいたが、さて。

~~Kuteidan_2


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平成28年 第1空挺団 降下訓練始め  
 
                                                                    

   

 

   
   

平成28年1月10日(日)

   
   

 

   
   

習志野演習場

   
   

 

   
   

訓練及び装備品展示、模擬売店   

   
   

その他

   
   

公共の交通機関をご利用下さい。
 
(駐車場の台数には制限があります。)
 
天候等により、訓練の一部又は、全てを中止す

る場合があります。 

   
 

 

http://www.mod.go.jp/gsdf/1abnb/images/spacer.gif

 
 

 

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以下の過去記事もご覧ください。

2014年4月25日:

340mの恐怖~習志野第一空挺団の軍機飛ぶ佐倉市上空
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2014/04/340m-6c9c.html

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2016年1月 1日 (金)

新年のご挨拶申し上げます。

 ブログをお訪ねくださいまして、ありがとうございます。

何から手をつけていいのか分からなほどの難問に直面した一年でした。多難な日々が待ち受けていると思います。ブログを始めて10年となりました。一日、一日を大切に、発信を続けることができればと思います。お気づきの点などご教示いただければうれしく存じます。 

 皆さまのご健康、ご活躍を祈ります。

 

 201611日  

                                         内 野 光 子

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  なお、1230日に、「澤藤統一郎の憲法日記」に直近記事4本をご紹介いただき、また、それを受けて「ちきゅう座」にも転載され、31日には、通常の倍以上のアクセスがありました。ありがとうございました。またNiftyのアクセス解析によれば、昨年1年間のアクセスの多かった記事と訪問組織20位は、以下の通りです。短歌関係の記事が3本と、少しい寂しい気もいたしました。どれほどお役に立てたのかわかりませんが、これを励みとして、調査、検証にもとづいた発信を心掛けたいと思っています

1月9日補記:blog「みずき」の1月1日、1月9日にて、以下の記事が紹介されました。
2015年12月29日 (火)
ことしのクリスマス・イブは(4)~歌会始選者の今野寿美が赤旗「歌壇」選者に

<アクセスの多かった記事20位まで>

1「自治会費からの寄付・募金は無効」の判決を読んで―自治会費の上乗せ徴収・...

2 赤い羽根共同募金の行方~使い道を知らずに納めていませんか、情報操作のテク...

3 自治会の募金・寄付の集金の問題点~やっぱりおかしい、全社協や共同募金会の...

4 住んでいる町の「社会福祉協議会」の実態を調べてみませんか

5 「奇跡の街、ユーカリが丘」、開発の基本に立ち戻ってほしい~「カンブリア宮殿」...

6 NHKスペシャル「密室の戦争~発掘・日本人捕虜の肉声」をみました

7 新松戸、「関さんの森」へ行ってきました

8 「朝日歌壇」、小学生短歌の入選について~『ポトナム』5月号「短歌時評」に...

9 佐倉市の大学誘致はどうなるのか~順天堂大学のおかしな動き、その蔭に

10 赤い羽根募金、社協の会費って、個人の自由ですよね!「希望ヶ丘自治会、募金...

11 ユーカリが丘、順天堂大学キャンパス誘致、見送り?

12 ユーカリが丘駅前の大学誘致をめぐるおかしな動き、やっぱり、山万が~第3...

13 「生協」の民主的な運営とは~生活クラブ生協で体験したこと~

14 佐倉市、順天堂大学誘致をめぐる「選挙戦」 ~誘致の効果は机上の空論、得を...

15 TBS「噂の現場」を見ましたか~再び佐倉市へ、志津霊園問題

16 中学校国語教科書の中の近代・現代歌人と短歌作品~しきりに回る「観覧車」:...

17 内野光子のブログ: 寄付・募金

18 藤田嗣治、ふたたび、その戦争画について

19 明日が投票日だというのに~佐倉市長選挙、あふれる違反ポスター、虚偽中傷ネ...

20 節度を失くした歌人たち―夫婦で選者、歌会始の話題づくりか

<訪問の多かった組織20位まで>
マス・メデイア:朝日新聞社、NHK、東京放送、博報堂、新学社~5
省庁・自治体等公共機関:都市再生機構、千葉県教育ネットワーク、厚生労働省、和歌山県~4機関
大学:順天堂大学、千葉大学、放送大学、慶応義塾大学~4大学
情報通信:東日本電信電話、空港情報通信、フリーセル~3
メーカー:日立製作所、日本電気~2
サービス業:日本郵政、三省堂~2

 

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