「ノーベル平和賞」ってなに?沖縄施政返還の日に~佐藤栄作元首相とオバマ大統領
1972年、5月15日、沖縄の施政権が返還された。44年の月日を思う。さらにさかのぼれば、1945年から1972年までの米軍による占領期が長かった。この長い戦後史は、私たち本土の者が活字や映像などをたどっただけではなかなか理解しかねることも多いのではないか。
ちょうど、沖縄の戦後文学、短歌について少し調べているとき、2016年4月1日、作家の目取真俊氏(1960~)が辺野古のキャンプシュワブ近辺の海上抗議行動中に米軍に拘束され、海上保安庁に逮捕されたというニュースが入った。「沖縄県民がどれだけ反対しても意に介さず、力ずくで作業を強行する日本政府への怒り」からカヌーによる抗議行動に参加したのは2014年8月からだったという(「季刊目取真俊」『琉球新報』2016年4月13日)。氏のブログ「海鳴りの島から」では、全国紙ではなかなか報じられることのない沖縄の現況、とくに基地反対運動の動向を知ることも多かったので、他人事に思えなかった。
5月12日に目取真氏は、米軍に拘束され、海上保安庁に引き渡されるまで8時間を要した件で、憲法で保障された人身の自由などの権利を侵害され、精神的苦痛を被ったとして、国を相手に60万円を求め、那覇地裁に提訴した、というニュースがもたらされた(『琉球新報』2016年5月13日)。記者会見では、憲法よりも日米地位協定が優先され、市民が自分の権利すら守られない状況を許す政府の在り方が問題であると指摘している。
そしてきょう、5月15日「NHKニュース7」では、沖縄返還に伴い、いったん撤去した核兵器を、「危機の際には再び持ち込む権利がある」と、アメリカ国防総省が公刊した歴史文書に記されていたことを報じた。日米間でいわゆる「密約」が交わされていたことは、当時の首相佐藤栄作の遺族のもとに、両国首脳がサインした極秘文書が残されていたことで明らかになったのだが、7年前、政府が設けた有識者委員会では検証の末「文書を後の政権に引き継いだ節は見られない」などとして「必ずしも密約とは言えない」とした結果を報告していたのである。
NHKは、「日本政府は1968年、唯一の被爆国として『核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず』とする非核三原則を宣言し、みずからは核を持たないという政策を堅持している」と解説するが、密約を隠蔽していた佐藤首相がノーベル平和賞を受賞していたのだから、噴飯ものである。
ノーベル平和賞といえば、2009年4月5日、アメリカとEUの初の首脳会議が行われたチェコのプラハで、オバマ大統領は、「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国としてアメリカが先頭に立ち、核兵器のない世界の平和と安全を追求する道義的責任がある」という決意を表明し、その年の10月9日にノーベル平和賞を受賞したのである。そのオバマが、5月27日、伊勢志摩サミットの帰路に広島を訪問することが決まった。政府やメディアは、野党までが、今やこぞって大歓迎ムードである。はたしてこれでいいのか、過去の反省や謝罪のない「未来志向」とは、何なのか。なんでも「水に流す」ことでいいのだろうか、というのが素朴な疑問である。被爆者たちと対面することすら避けて、犠牲者慰霊の献花だけで、駆け抜けようとするに違いない、それがそんなに画期的なことなのか。長崎はどうなのか、東京大空襲はどうなのか、太平洋戦争末期の日本各地での無差別空襲、そして何よりも沖縄の地上戦での多大な犠牲者に対して、その後のアメリカと、そして日本政府の仕打ちの過酷さと無責任な対応に怒りがこみあげて来るのを禁じえない。大いなる声を上げなければならない。
日本政府が、みずから「謝罪」を要求しないということは、日本も、もはやどこにも謝罪はしないという意思表示でもある。昨年の戦後70年の「安倍談話」にも、それがよくあらわれていたではないか。
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