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2016年7月17日 (日)

ふたたびの沖縄、慰霊の日の摩文仁へ(4)伊江島1

伊江島へ

 

 今回の沖縄行きの目的の一つに、伊江島行きがあった。島に渡ったのが、慰霊の日の二日前だった。。

那覇から高速バスで北上、明日訪ねるつもりの嘉数が意外と近い。途中で満席となり、多くの乗客が取り残されたはずである。なかには「アリエナーイ」と叫んでいた若い女性たちの声を振り切っての発車であった。伊芸サービスエリア、世冨慶(よふけ)と海岸線に沿い名護市役所に着くと、二人ほど下車。沿線には採石・砕石工場などがつつく。2時間弱でフェリーの発着所のある本部(もとぶ)港に着いたのが1045分だった。降りた乗客は、意外と少なく、私たちを含めて数人だった。バスの路線図を見ると、この先の海洋博(1975年)跡地の公園や美ら海水族館があり、そのあと先にはリゾートホテルごとに停留所がある感じで、さらに今帰仁(なきじん)城跡を経て、終点の運天港に至る。乗客のほとんどが中国人、台湾人で、彼らは、いったい、どこへ向かおうとしているのだろう。

伊江島へは、30分の船旅である。デッキや甲板に出ると海風は心地よいが、日差しが強い。青空に、刷毛ではいたような白い雲、前方かなたには、伊江島の中央に突起する城(ぐすく)山が見え、振り返れば、恩納岳の山並みが遠のいていく。

島めぐりはタクシーと決めていたが、船内で案内のパンフレットを読んでいた夫が、サイクリングがいいかもしれないと、突然の提案である。冗談でしょ、この暑さで、熱中症にかかってしまう、加えて私は、風邪の後遺症で咳も出るし、無理、むり、ムリと、必死の説得に思いとどまり、ホっとするのだった。

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フェリー「いえじま」から伊江港を望む

 

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伊江村商工会発行のパンフレットから。沖縄本島北部、本部半島から9キロの洋上にある、周囲22.4キロの離島。このパンフレットからは、島民の半分1500人、兵士2000人が犠牲となった地上戦や現在も島の3分の1以上が米軍基地であることが伺えない。

 

 伊江港には、11時半着、少し早いが、伊江港ターミナルの2階、伊江漁協直営の海人食堂で海鮮丼をいただいた。Dscn0295
海鮮丼(小)500円でした

 

  タクシーの運転手さんには、回ってほしいところをマーカーした地図を渡し、ルートはもちろんお任せした(1時間3600円ということだった)。ただ、どうしても訪ねたかったので、「城山に天皇の歌碑がありますよね」と念押しをすると、「たしか、あったかも知れない」と気のない返事だった。城山は、172m、その中腹に、いまの天皇の皇太子時代の琉歌の歌碑があるはずなのである。運転手さんは、この職について5年とのこと、土地の言葉らしくて、少々聞き取りにくい説明に戸惑うこともあった。

島内の地図だが、少し手を加えた。2本ある滑走路の西は、米軍基地内であり、演習地と合わせて島の面積の35%以上になる。Img170_2

 

米軍飛行場の周辺はもちろん米軍基地で、周辺の多くは、「黙認耕作地」となっており、タバコやキビ畑、牧草地が続く。

アーニーパイル記念碑

 

県道181号線、海岸沿いを走って最初に下車したのが、アーニーパイル記念碑だった。アメリカの名従軍記者アーニーパイル(19001944)、アーニーパイル劇場(GHQにより接収された東京宝塚劇場)の名を知っている程度だった。伊江村のHPによれば、この伊江島で1944418日、日本軍の機関銃弾に撃たれた。416日に上陸アメリカ第305連隊に従軍していたというから、その直後ということになる。「同記者は、戦場にあっても一般の兵士の不安や怒り、喜びや悲しみを愛情をもって報道しつづけた。 遺体は粗末な木製の十字架の下に埋葬されていたら、後に沖縄本島の陸軍墓地、そして、ホノルルの国立墓地へ移された」とも。今は、キビやたばこの畑に囲まれたなかで、のどかにも見える記念碑だった。そして、この碑は、2000年に彼の生誕100年記念、平和の誓いとして、伊江村が建立したという。

 

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ニィヤティヤガマ(千人ガマ


  
県道わきの案内板の横の階段を下りていくと、洞が広がり、様々に浸食された岩の間からは、光が差し入り、海が見える。日本軍が
1942年から飛行場を建設したときに、動員された兵士、徴用人夫、住民らの避難場所として使用された。地上戦においては、防空壕として使用され、多くの命を救ったガマでもある。海からも、地上からも発見しにくい場所であることがわかる。

 

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