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2016年7月13日 (水)

ふたたびの沖縄、慰霊の日の摩文仁へ(1)「不屈館」~「弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ

Dscn0229                           那覇空港は自衛隊と共用である

Dscn0232            ゆいレール、出発進行

 

 那覇空港から市内のホテルまでは、例のゆいレールで向かった。荷物を置いて街に出た。夕方というのにともかく日差しが強い。地図を見ながら、県庁前のバス停で待っていると、「どちらへ」とやはり声をかけてくれる。ありがたいことだった。

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連れ合いは、数年前、すでに訪ねたことがある「不屈館―瀬長亀次郎と民衆資料」へと向かう。バスひと駅で下車、ともかく暑い。若狭小学校を右に見て左に折れる。目の前は、海浜公園になっていた。冷たいお茶をごちそうになって、館内を一巡り、亀次郎の不屈精神も去ることながら、妻のフミの足跡を、今回初めて知ることになる。高等女学校を出てから、働きながら助産婦の資格をとり、 1935年結婚、亀次郎の戦時下での労働運動による投獄、戦後の米軍施政下では沖縄人民党への弾圧、那覇市長追放など、いまの私たちには想像できない露骨な弾圧にも負けない活動を支え、商店を営み、子を育て、1965年からは、自らも那覇市の市議を4期務めている。1981年勇退後は『新日本歌人』にも入会、作歌を続けていたことも知った。亀次郎は、1987年、脳梗塞で倒れ、7期務めた衆議院議員を勇退し、療養生活を経て、200194歳で亡くなっている。一方、フミは、20106100歳で亡くなった。当時の翁長雄志那覇市長から長寿のお祝いを受けている写真も展示されていた。次女の内村千尋館長には、閲覧コーナーの資料のコピーもムリにお願いした次第である。

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Dscn0240            写真中央の2首
     ・若夏のまぶしき朝に大輪のアマリリス見つめる夫と共に(瀬長フミ)
      ・デモ隊をテレビに見る目輝きて胸中燃えるか病床の夫(瀬長フミ)

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