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2016年11月 4日 (金)

勲章が欲しい歌人たち、その後~岡井隆が文化功労者に

 「勲章が欲しい歌人たち」と題して、15年ほど前に、同人誌に書いたことがある。その後の新しいデータを踏まえ、補筆したものを、拙著『天皇の短歌は何を語るのか』(御茶の水書房20138月)に再録した。「しつこいね」との声も聞こえないでもないが、やはり、伝え続けたいと思う。

 1028日、政府から、文化勲章の受章者と文化功労者の発表があった。叙勲もあった。ここ数年、学生時代のクラスメートや職場の後輩たちの名前を見出し、もうそんな年になったのかと愕然とする。とくに、付き合いの長い短歌の世界で、いずれも他人事として、聞き流せばいいのだけれど、少しばかり、つまらない情報を持ち合わせているから、「やっぱり」「まさか」の思いがよぎる。

 今年の文化功労者の中には、歌人岡井隆の名があった。岡井については、いろいろなところで書いているので、繰り返さないが(最近では、「タブーのない短歌の世界を~<歌会始>を通して考える」『ユリイカ』20168月号)、後掲の「日本芸術院会員歌人の褒章・栄典一覧」でも明らかなように、国家的な栄典制度を歌人にあてはめてみると、一つの方向性が見えてくると思う。

 文化勲章は、太平洋戦争下、広田弘毅首相時代の1937年に発足した。これまで、文化勲章を受章した歌人は、佐佐木信綱(1937年)、斎藤茂吉(1951)、土屋文明1986)の三人で、年金が伴う文化功労者になったのは、佐佐木(1951)、斎藤(1952)、土屋(1984を含め、窪田空穂(1958)、近藤芳美(1996)、岡野弘彦(2013)、そして今年の岡井隆(2016)となった。文化勲章は、1979年以降は、原則的に前年度までの文化功労者の中から選ばれることになっているので、岡野、岡井は、文化勲章の待機組ということになる。

 岡井隆(1928~)は、アララギ系の歌人で、塚本邦雄、寺山修司らと戦後の前衛短歌運動の推進者であったが、現在『未来』主宰、19932014年まで歌会始の選者を務め、その後、宮内庁御用掛となった。

では、文化功労者は、どのように選ばれ、さらに、文化勲章は、どのように決められるのだろうか。

 当ブログでは、すでに、岡野弘彦が文化功労者になった折、以下の記事を書いているので、合わせてお読みいただければと思う。

 

・文化功労者はどのように決まるのか~歌人岡野弘彦の受章に思う(20131027日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/10/post-5776.html

 

 まず、「文化功労者」は、文部科学大臣が文化庁に設置されている文化審議会の中の文化功労者選考分科会にその選考を諮問する。選考分科会の委員は、毎年9月に710人程度発令され、多分野から候補者15人程度を選考し、文科大臣に答申し、文科大臣が決定・発令という流れで決まる(文化功労者年金法)。 文化勲章は、文科大臣が、前年度までの文化功労者から選考し、内閣総理大臣に推薦する。総理大臣は、閣議決定を経て、天皇に上奏、天皇が裁可、発令となる(文化勲章受章候補者推薦要綱)。 決定するのが、文科大臣か内閣総理大臣かの違いを設け、文化勲章は、従来の「伝達式」は、1997年から、天皇から直接手渡される「親授式」に格上げされ、いっそう、その「重み」が加わったことになる。その様子は、昨日のニュース映像でも伝えられたとおりである。

 

 


文化勲章受章候補者推薦要綱  

平成2年12月12日 内閣総理大臣決定

平成2年12月14日 閣議報告 

平成12年12月28日    

 

 文化勲章の受章者の予定数は、毎年度おおむね5名とする。

 文部科学大臣は、文化の発達に関し勲績卓絶な者を文化功労者のうちから 選考し、当該年度の文化勲章受章候補者(以下「候補者」という。)として 内閣総理大臣に推薦するものとする。ただし、必要と認めるときは、その年 度の文化功労者発令予定者を候補者とすることができる。 

 文部科学大臣は、候補者の推薦に当たっては、学術及び芸術の特定の分野 に候補者が偏ることのないように努めるものとする。 

 2の推薦は、内閣府賞勲局長が指定する日までに、文書により行うものと する。

 

 


文化功労者年金法
              十六年四月三日法律第百二十五号

 最終改正:平成一一年七月一六日法律第一〇二号

(この法律の目的) 

第一条  この法律は、文化の向上発達に関し特に功績顕著な者(以下「文化功労者」という。)に年金を支給し、これを顕彰することを目的とする。 

(文化功労者の決定) 

第二条  文化功労者は、文部科学大臣が決定する。 

  文部科学大臣は、前項の規定により文化功労者を決定しようとするときは、候補者の選考を文化審議会に諮問し、その選考した者のうちからこれを決定しなければならない。(後略) 

 

それでは、文化功労者選考分科会の委員はどのように選ばれ、どういう人たちがなっているのだろうか。20人の文化審議会委員は、毎年2月に報道発表され、文科省のホームページにも掲載されるが、同じ文化審議会委員ながら、文化功労者選考分科会委員は、9月に報道発表されるものの、ホームページへの掲載はない。それを報道するメディアも少ないことから、あまり知られていない。文科省に問い合わせ、ファックスで送ってもらったのが以下の書類である。ホームページに掲載しないのは、情報公開は必要なので報道発表はするが、栄典に関することなので、ホームページに載せるようなことはしたくないという配慮らしい。

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 さて、そのメンバーだが、10人のうち、私が名前を知っていたのは、田中明彦、松浦寿輝の両名だったし、小説家「宮本正仁」って誰?と思って調べてみると「宮本輝」の本名だった。あとの委員は、武蔵野音大の人を除いては、すべて国立の研究機関や大学に属する人たちで、元文科省事務次官次だった官僚もいる。たしかに研究分野を異にする委員ではあるが、彼らの眼が各分野での「文化の向上発達」に「勳績卓越」「功績顕著」な人たちに届くとは思えない。若干の意見は聞き置かれようとも、おそらく他の省庁の「審議会」と同様、おおかたは、事務方の提案の了承機関になっているのではないか、と。今年の選考委員で、文学関係では、松浦と宮本の両委員ということになる。両名は、ともに、芸術選奨文科大臣賞(松浦2000年、宮本2004年)、紫綬褒章(松浦2012年、宮本2010年)を受けている仲である。こうしたな環境の中で選考され、歌人の文化功労者岡井隆が誕生した。

 世の中の様々な賞、歌壇における短歌雑誌や歌人団体、新聞社やNHKなど民間の組織が主催する賞についても様々な問題、例えば、選考委員の重複・集中、選考委員結社間での互酬性、受賞者の重複、各賞の特色の薄弱化など、これまで指摘してきたつもりである。政府が関与する各種の褒章・栄典制度において、とくに文藝にあって、政府の関与、情報の不透明性、選考委員・選者の常連化などによる権威性を伴う現実は、文芸の自律を脅かさないのか、権力からの独立性が保たれるのか、という危惧なのである。権力は、露骨に、あるときは巧妙な手口で、表現の自由や学問の自由をひたひたと侵害してくる現実に対して、あまりにも無防備なのではないか。私たちの抵抗の手段として何が有効なのか、歴史に学び、世界に学び、もっと賢くならなければの思い頻りである。

 

 以下、参考までに二つの一覧表を作成した。

・日本芸術院会員歌人褒章・栄典一覧

・歌会始選者を中心とした受賞栄典一覧

http://dmituko.cocolog-nifty.com/kajnnohosyoeiten.pdf

 

 

 

 

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