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2016年12月24日 (土)

紅葉のシーズンは終わったはずだが~久しぶりの京都(1)宇治の「花やしき」へ

 結婚して間もないころ、宇治を訪ねた折、山宣のお墓にはお参りしたが、その生家の旅館「花やしき」は何となく敷居が高く、前を通り過ぎただけだった。今回の京都行きでは、ぜひ泊まってみたいというのが、目的の一つだった。ランチは、娘が予約しておいてくれた、京都タワーが眼前に迫るレストランで済ませた。休日とあって、伊勢丹のレストラン街は、その人通りと各店の行列とでごった返し、その賑わいには少々驚いた。京都駅も一人だったら迷うだろう。

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宇治に直接向かうつもりが、かつて夫が名古屋から単身赴任で住んでいた合同宿舎があった桃山で下車。「泰長老官有地」の宿舎は4階建ての14棟ほど立ち並ぶが、現在は廃止が決まり、各棟に数家族が住んでいるのが現状で、娘と訪ねた2年前とあまり変わらず、廃屋めいた棟もある、閑散とした団地であった。夫は、ベランダに住み着いた鳩の鳴き声で目がさめたといい、私が娘と訪ねた週末などは近くのテニスコートの球音で目が覚めたことなどを思い出す。30年以上前のことである。

御香宮神社

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御香宮表門

 今回は、明治天皇・昭憲皇太后の桃山御陵は失礼して、京阪の桃山御陵駅まで歩いてみると、御香宮神社の灯篭が歩道にはみ出しているような格好で建っていた。神功皇后をまつり、「御香宮」名は、香りの良い湧き水に由来するという、貞観年間9世紀にさかのぼる。安産・子育てにご利益があるとのこと。表門は伏見城の大手門を移築したといい、立派なものだったが、入るのは初めて。奥が深いようなのだが、門をくぐった左手の「伏見義民碑」が目をひいた。京都市の案内板「伏見義民事蹟」によれば、1785年(天明5年)、伏見奉行小堀政方の悪政を幕府に直訴し、伏見町民の苦難を救い、自らは獄死するなど悲惨な最期を遂げた文殊九助ら7人を伏見義民として、1887年(明治20年)に建てられた慰霊碑で、碑文は勝海舟の撰、題字は三条実美の書という。義民の墓所は近くの大黒寺に、江戸で獄死した3人は門前仲町の陽岳寺にあるという。佐倉では、佐倉惣五郎が有名だが、どうも脚色やフィクションが多く、どこまでが史実か不明な「物語」なのに比べ、伏見の7人は確かなのである。

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御香宮「伏見義民の碑」

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「伏見義民事蹟」

桃山基督教会

その御香宮の隣に続く白い塀に沿えば、奥まったところに古い木造の建物が見えた。門柱には、「桃山幼稚園」「日本聖公会桃山基督教会」とあった。かつては余裕もなく、前を通り過ぎていたのだろう、この教会には覚えがないのだが、歴史は古く、2017年には100周年を迎えるという。機会があれば、教会内部も見学したい、と思う。

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日本聖公会桃山基督教会、来年100周年を迎える

 大手筋のアーケード商店街は、変わりがないようで、生活感あふれる露店も並ぶ。市内の錦小路はすっかり観光地化され、外国人目当ての店が多くなってしまった。同じようなことは、上野のアメ横でもあるらしく、アジア系の店がめっきり多くなってきたと、テレビで嘆いていた店のオーナーがいた。

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大手筋商店街(1)

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大手筋商店街(2)

 花やしき浮舟園~山宣の生家と墓所と

 冬至も近いことから、暮れるのが早い。京阪宇治駅に着き、宇治橋を渡る頃の夕映えは格別だった。平等院表参道は賑やかだったが、川沿いの散策路は、見事な紅葉も残っていて、人影もない。いよいよ宿の「花やしき」へ。

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宇治橋から

ひと風呂浴びての夕食が、和食のごちそうで、ビールも進む。2泊分の荷物を背負って歩いたので、肩や腰の張りが心配ながら、早々と就寝。

朝から湯豆腐のお鍋や茶がゆも選べる朝食をしっかりといただき、ロビーで、目の前の護岸工事のことをお尋ねしたところ、答えてくださったのが、オーナー4代目の山本哲治氏であった。山本宣治のお孫さんにあたる。「山宣」の墓参のことを話すと「車でお送りしましょう」との言葉、恐縮しながら、甘えることになる。

山本宣治(18891929)、ご存知の方も多いと思うが、非合法だった日本共産党からの要請で、当時の無産政党、労働農民党から立候補、1928年、第1回普選で当選した政治家で、治安維持法の改悪に反対していたが、その法案可決の日に右翼により刺殺され、1929年、39歳の波乱の人生を閉じた。彼の両親が創業したのが、この旅館「花やしき」で、熱心なクリスチャンでもあった。彼は10代でカナダに留学、帰国後、三高、東大と進み、動物学を専攻、同志社大学(予科)講師になり、性教育の啓発、産児制限運動にも貢献している。

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花やしき浮舟園

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墓石の文字「花屋敷山本家の墓」は、宣治の母、多年の短歌の師、阪正臣の揮毫による

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山本家の墓碑の裏面、上段に、父亀松、母多年、宣治の命日と享年が記されている。ちよは、宣治の妻。左には、大山郁夫の筆になる、全国農民組合大会での 宣治の演説の一節が刻まれている。「山宣ひとり孤塁を守る だが僕は淋しくはない 背後には多くの大衆が支持しているから」とある

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宇治川沿い散策路に残る紅葉

  

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