« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2017年12月20日 (水)

<談合>大きなものから、小さなものまで、どこまで続く

ゼネコン4社によるJR東海のリニア新幹線工事をめぐる談合のニュースが連日続いている。総工費9兆円にも及ぶというから、そこに群がるゼネコンは、醜悪な談合の歴史にまた大きな汚点を残す。9兆円の三分の一の3兆円は国債による公費投入が決まったと言い、JR東海、一民間事業と業者の関係ではなくなっている。ニュースが報じられるたび、大成、鹿島、清水建設の名前を聞くたびに、どうしても思い出してしまうことがある。もう20年前にさかのぼる。

私が住んでいる佐倉市のニュー・タウンに隣接した50ヘクタールに近い土地の区画整理事業が始まろうとしていた。ニュー・タウンの開発を手掛けた地元の不動産会社の山万が、千葉県の都市計画道路建設とからめて、土地区画整理事業組合方式による宅地造成を計画した。

1998年井野東土地区画整理事業組合準備会を立ち上げ、山万が業務代行となり、区域内の市街化調整区域の市街化区域への変更を進めた。 2002年には、組合が認可された。 街を走るモノレール軌道の内側の緑地だった第4工区の工事は、型通りの周辺住民への説明会も行われ、高い柵のなかで工事が進められていた。工事は、土地の凹凸を均してバリアフリーの宅地にするという触れ込みであった。ところが、2005年、高い塀が取り除かれると、道路から6m7mを越す盛り土が出現し、直近の住民の不安が募った。盛り土の危険性、景観・日照権への影響、モノレール軌道の安全性などが危惧され、自治会が動き、対策協議会が組織された。盛り土の撤回、産廃の撤去など山万・大成建設との交渉が始まり、署名を集め、市議や行政への働きかけも行った。

*その後、業務代行と佐倉市は、危ない橋を渡っている。それまでの佐倉市の条例規則では、一業者が区画整理対象用地の3分の2以上所有している場合は、助成金は出せないことになっていたが、この要件をはずして、助成直後、元に戻している。
<参照>

区画整理組合への助成金は、やはり業者への後押しだった! 

 交渉は、回を重ね、ようやく、盛り土をモノレール軌道沿いに10mの巾で1.5m下げ、のり面の傾斜を29度から22度に下げた。その交渉の途中で、のり面の植栽が、一晩7080ミリ程度の大雨で、根こそぎ流れるという事故が二度も発生し、のり面には小段も設けることになった。かつての緑地には、山万のそれまでの宅地造成や住宅建設で生じた産廃が一部運ばれていることは知られていたが、組合の事務所で調べてびっくり。6326トンのコンクリート塊、598トンのアスファルトがら、木くず250トンほか金屑、廃プラスティック、その他の廃棄物230トンのトラック800台分が搬出されていた。そこに残された土66000㎥で盛り土がなされていたことになる。残土の安全性も心配だったが、数値に問題はなかったという。信じるほかなかった。残土に拠る盛り土に工法上問題はなかったのだろうか。上物の建設物についても、冬至における日照を確保するために、階数を減らし、規模も縮小させた。現在は、宮ノ台6丁目となり、地上13階、地下1階建て323室のマンションと4階建て73室のケア付き有料老人マンションが建っている。

 そのマンション建設が鹿島建設であった。工事中の騒音・振動・工事用車両の交通対策なども問題となり、家屋への被害調査と補償も難航した。

 さらに、私たちの自治会区域に隣接する第2工区は、都市計画道路に近く、かつての馬の放牧場だった広い雑木林もあった場所だが、その宅地造成は、清水建設であった。対策協議会のメンバーでもあった私は、清水建設の現場事務所には出入りすることもあったし、犬との散歩コースでもあり、現場近くを通ることが多かった。そんなある日、現場の一角に、プールのような大きな穴が掘られ、そこに、コンクリート塊、木の根っこ、針金、農業用のシートのようなものから作業服、長靴、缶からなど、産廃から生活ゴミに到るまで、もろもろが投げ込まれていた。現場の作業員に尋ねると、埋めてしまうのだという。事務所に清水の担当者は常駐していない。あわてて、市役所に電話をして、現場に来てもらった。市役所と清水建設の話によると、大きな産廃は搬出したが、「細かなゴミ」は宅地ではない、公園予定地に穴を掘って埋めてしまうという計画であったという。宅地のように個人の財産になるわけではないし、公有地となる公園なのだから問題はないなどの言い訳も聞いた。もしそのまま埋められていたら、どうなっていたのだろう。現在、第2工区は、西ユーカリ1丁目となり住宅がびっしりと建て込み、くだんの公園には幼い子供たちが駆け回り、若いお母さんたちが立ち話をしている光景がみられる。

 井野東の土地区画整理事業は2013年に完了、組合は解散した。都市計画道路の沿道には、空き地が広がっているのが現況である。区画整理区域内にあった、縄文後期の環状盛り土遺構が国指定となった「井野長割遺跡」の一部が、約20000㎡、67000万円で佐倉市に売却された。かつて安く買いたたかれた地主さんたちは、腑に落ちない面持ちだったらしい。早い時期に、市の調査が行われていたら、早い時期に市が買い取っていたら、7億弱の税金を費消することもなかったと・・・。その他、モノレール跨線橋の傾斜が道路構造令ギリギリの10度に近く、安全性に問題が残ったまま、住宅街における商業施設の24時間営業、利用者のアクセス・駐車場問題なども浮上した。もっともスーパーの営業時間は、半年たたないうちに短縮され、問題は一部解消した。他に、私が個人で情報公開請求をした都市計画道路における公共施設管理者負担金の算定過程での組合の業務代行と県との打ち合わせ文書は、不存在との回答で、「談合」疑惑はかえって深まった。組合・県・鑑定業者の打ち合わせもある。そうした打ち合わせは、組合側の文書の「経過報告」に拠れば10回以上実施されているのにもかかわらず、「県側が文書を作成しなかったとしても必ずしも不合理とは言えない」というのが、私の異議申し立てへの回答であった。いつもどこかで、最近の森友・加計問題のやり取りでもよく聞くセリフである。「談合」疑惑は解消するどころか深まってしまった一件である。それにしても今でも不思議なのは、この区画整理事業の総予算が160億であったのに、急きょ半分に近い90億弱に変更されたことだった。どこでどれだけの予算が削られたのか。安全性に影響が出なければよいが。

 

「公共施設管理者負担金」とは、土地区画整理法第120条を根拠とするもので、重要な公共施設の整備計画がある場合、公共用地を取得する場合の用地費、補償費及び事務費の範囲内で、土地区画整理事業者が公共施設管理者に対して求めることができる費用負担のことである。以下参照ください。

 そんなこんなを思い出させる今回のゼネコンの談合、いつになったら根絶できるのだろう。また、スーパーコンピューター開発会社が外注費などを水増しして得た助成金や優遇融資名目で認められた公的資金が100億円を超えるという。創業当初からの大量の公的資金が流れ続けた経緯の解明を進めているという。永田町との関係も取りざたされている。オリンピック諸施設の建設も限りなく怪しくなってくる、だいじょうぶなのか。話はとめどなく広がっていく。

東京地検特捜部、ひるむことなく、しぼむことなく突き進んで欲しいものだ。

きのう1219日、政府は、トランプ大統領のセールスに見事に応え、イージスアショア2基の導入を、閣議決定した。これだけで2000億。18年度の防衛予算は、過去最大の5.2兆円、13年度以来増額が続いている。同時に、生活保護基準を見直し、生活費にあたる「生活扶助」を3年かけて1.8%の切り下げ、年間にして160億減らすことになるという。とんでもなく、なさけない国に生れてしまったものである。

 

 

 

| | コメント (0)

2017年12月17日 (日)

何年ぶりだろう、日本近代文学館

 国立国会図書館では所蔵していない雑誌を調べに、駒場の近代文学館に出かけた。久しぶりの渋谷であるし、井の頭線である。

Dscn1296

Dscn1292
文学館の隣は、旧前田家本邸

二つ目の駒場東大前駅から線路沿いの通りを右に折れて、立派な家が並ぶ住宅街を4・5分歩くと左手に門がある。くぐれば、すぐに旧前田家本邸の門がある。企画展「小説は書き直される―創作のバックヤード」も開催中だが、まずは、資料請求である。利用者は、多い時で、3人ほど。入館料300円、コピーが一枚なんと100円なのだ。これも致し方ないのかなと思いつつ、12時前から閉館の4時半まで過ごした。

Dscn1294_2
文学館入口、カメラを構えているのは私らしい

 国会図書館の閲覧申し込みは、そのほとんどがパソコンからで、デジタル化資料は、複写申し込みもパソコンからだ。それに比べて、ここでは、対面で申込用紙に記入し、カウンター内の、目の前のコピー機で複写してくれる。多くは、メモで済ませたが、10枚ほどの複写をお願いした。

Img353
残念ながら、つぎの機会にと・・・

| | コメント (0)

2017年12月 5日 (火)

「赤い羽根」への善意のゆくえ

赤い羽根 胸にともせる人に会う 小さな愛のあふれる季節(俵万智)

 

 ことしも、わが町の自治会でも、赤い羽根募金袋が回ってきたと思ったら、今月は、歳末助け合い募金も回ってきた。もうだいぶ古い話になるのだが、冒頭の「赤い羽根 胸にともせる人に会う 小さな愛のあふれる季節」は俵万智の短歌である。彼女が、一九九八年から三年間、中央共同募金会のポスターモデルになっていたときの一九九九年のポスターに掲載された短歌である。 

 

その前年、赤い羽根募金のポスターに「「寒いね」と話しかければ「寒いね」と 答える人のいるあたたかさ」という短歌が掲載されたのを見て、人気歌人の人気作品が、こうして利用されるんだ、の思いをあらたにしたのだが、翌年の、冒頭作品を見たときには、少し驚きもし、団体の要請により作歌に応じたんだと、少し怖いものを見た気がした。

 

 そのころ、私たちの自治会でも、班長さんが、自治会費のほかに、社会福祉協議会の会費500円、日本赤十字会の社資500円、赤い羽根募金の500円ほかいくつかの寄付を集める仕事について、疑問の声があがっていた。とくに毎年転居してくる新住民から、「寄付は自由なはずなのに」「前の自治会では、こんなことはなかった」などの意見もあったし、私自身の班長の経験からも、留守の家も多く、集金は負担であったし、定額の領収書を持っての集金には抵抗があった。我が家では、ある時から、「寄付は自由だと思うし、別のかたちでボランテイアをしているので」と、班長さんにはことわっていた。

 

そして、その後、自治会の役員を数年やる羽目になって、これまでの本ブログでも繰返している「自治会と寄付」の問題に取り組むようになった。今、自治会には、直接かかわらないものの、会員として、市民として、ささやかながら発信を続けている。全国的にも、この問題への関心は高く、私のブログでの関連記事は、常時、アクセスが多い。「自治会と寄付」については、すでに最高裁判決が出ているというのに、なかなか改まらない実態があり、問題の根は深いからだと思っている。新聞やテレビでも、ときどき、特集が組まれるようにもなり、私自身も取材を受けたり、出演?したりしたこともあった。あるとき、昼のワイド番組から、「怒れる女たち」(?)というコーナーへの出演依頼?があったときには、即座に断ったのだった。

 

 

 五百円の寄付の代りに貰ひたる置きどころ探すこの赤い羽根 

    これは、今週、月曜日12月4日のある新聞歌壇の入選作である。そしてなんと、作者は、Tさん。彼は、大学時代の同期で、短歌研究会のメンバーであった。斎藤茂吉、佐藤佐太郎流の作品を、週一度、昼休みに開いていた研究会で発表していた。当時は、コピーなどはなかったから、お互いに、自分の作品を黒板に書いての歌会であった。年に一度だけ、『ポロニア』という謄写版の冊子に短歌や歌論を掲載するといった活動をしていた。「大学歌人会」も衰退の一途をたどっていた頃だが、それでも、数回の合同歌会で会ったことがあった岸上大作が、一九六〇年一二月、自殺したことを知って衝撃を受けた仲間のTさんだった。長い間、国語の先生をされ、海外で日本語教育にも携わった方でもある。 

 

Tさんの短歌は、この新聞歌壇欄でも、ときどき読むことがあるのだが、今回の入選作は、俵万智の短歌にも通じる「市民の善意」を詠んだものだろう。ただ、Tさんには「置きどころ探す」で、あの針のついた赤い羽根の置き所に苦慮している様子が伺われた。「上手だな」と思う一方、「五百円」の集められ方と「五百円」の行方にもう少し踏み込んでもらうと、「赤い羽根」の問題点が浮上するはずなのにと、この短歌を選んだ選者にも、もの申したい気持ちであったが。

Photo

 

| | コメント (1)

2017年12月 2日 (土)

12月2日の新聞は、天皇の生前退位をどう報じたか

 

一つ前の記事では、退位の日、2019430日をどう表現したかについて触れた。ネット上での検索も含めてまとめると、読売、朝日、毎日、東京は、「2019年」であり、NHKは「再来年(2019年)」であったが、産経が「平成31年」であった。産経がスジ?を通していると言えば言えるか。 

沖縄における、琉球新報、沖縄タイムズでは、関連記事自体が極端に少ない。122日の社説は、二紙とも昨年、うるま市の女性が米軍属に殺害された事件の那覇地裁の判決についてであった。
 

琉球新報:社説・元米軍属に無期懲役 地位協定の改定が急務だ
 

沖縄タイムス:社説・[元米兵に無期懲役]なおも残るやるせなさ 

 

手元にある朝日、毎日、東京の三紙を読んでみると、まずは、今回の退位日程の政府と宮内庁の駆け引き、新元号や即位の儀式や日程についての記事が圧倒的に多い。同時に、社説とあわせ天皇30年間の足跡をつぎのような記事で報じている。

毎日:社説・天皇陛下の退位日決まる 国民本位を貫く姿勢こそ
               
苦楽国民に寄り添い おことば世論を動かす(付年表)


朝日:平成史 お二人の足跡「差別解消に力」「被災者に寄り添う」(付年表)

東京:社説・国民の理解とともに 天皇の退位と即位
      
慰霊の旅 平成築く 前侍従長川島さん象徴天皇制の意義語る

 

朝日の社説はまだ出ていないが、「耕論」欄において、「天皇と政治」のテーマで御厨貴「退位 官邸と宮内庁のバトル」、河西秀哉「能動的象徴 利用される危険」と語らせている。もっとも朝日は、かねてより「皇室と震災」のシリーズで、連載をしている。 

うねりのような、こうした流れの中で、少しでも異議をさしはさむことが困難な時代になった。1977年生まれの河西秀哉は、慎重な言い回しでつぎのように語った(上記「天皇と政治」『朝日新聞』2017122日)。

 

「天皇が進んで被災地を訪れていますが、政治がそれを利用しようとする気になれば、結果的に被災者の政治への不満を天皇が和らげ、政治の不作費を覆いかくしてしまうことにもなりかねません」 

「昨年8月の『おことば』にこめられた今上天皇の思いは、半分は政権に受け流された感じがします。国事行為の縮小や摂政の設置を否定するなど政治性を小保田『おことば』は結局、政権によって政治的に処理されたのかもしれません」

 

 また、原武史は、「連休で<歓迎>演出か」の見出しで、日程についての政府の思惑、皇室会議の議事録非公開、「おことば」の政治性、上皇設置による二重権威化を指摘していた(『東京新聞』2017122日)。 

今回の衆議院選挙においても、若年層の保守化が著しい傾向が明らかになった中で、上記のような中堅世代の活発な発言を期待したいし、私たち高齢者も戦中戦後の体験と天皇の果たした役割を、きちんと整理して伝えていきたい。

 

 

|

生前退位とオリンピックと~2019年、2020年はどうなる

 きょう、121日のNHKは、テレビの「ニュース7」を一時間に延長して、その大半を、天皇の退位関連情報に費やしていた。安倍首相が議長の皇室会議で、採決を経ずに「2019430日退位に決まった」と、各紙の夕刊も伝えた。いずれも「退位19430日」(毎日)「194月末退位」(東京)「天皇陛下194月退位」(朝日)が見出しで、ここでは「平成」の元号は使用されてないことが共通している。「平成314月」とは、表現していないのはなぜか、不思議でもあった。ずばり19年の方が、明確でわかりやすかったからだと思う。NHKは、「再来年(2019年)」との表現をとっていた。

ことほど左様に、元号表示は、明確さを欠き、継続性を損なうことは明らかである。しかし、再来年の5月まで、「平成30年の歴史」は繰り返し、繰り返し語られるだろう。多くの国民は、自分の暮らしの先行きの方が不安で、「静かな環境」で「代替わり」を見守るしかないと思っているに違いないのに、政府やそれに追随するマス・メディアは、目くらましのように、大々的に平成回顧を展開するだろう。天皇の退位表明が政治的関与とならない配慮どころか、「代替わり」は、まさに「政治的利用」されていると言ってよい。今回の退位・改元日程も、政府の政治日程から割り出されたようだ。役所的な発想でも、41日が、順当のような気もするのだが。

いまの日本で、元号でくくられる歴史に、どれほどの意味があるのだろうか。グローバルな思考や「地球規模の歴史」が問われる中で、まさに真逆の方向としか言いようがない。

東京オリンピックまで1000日を切ったというから、あわせての二重の狂騒曲を聞かせられることになりそうだ。東京誘致が決まる過程も不透明であり、安倍首相の虚言のプレゼン「原発事故による放射能はコントロールされている」も今では問われないまま、国を挙げての盛り上げに懸命である。その一方、スポーツ界と競技者たちの事件が続く。オリンピックでメダルを何個という発想が、指導者とアスリートをむしばみ、暴力事件や往年の選手の不祥事が絶えない。

平成回顧、オリンピックの狂騒にうつつを抜かし、日馬富士引退などと騒いでいる間に、政治の私物化、森友・加計問題の幕引きも、原発再稼働も、北朝鮮脅威論による改憲問題も一気に進んでしまいそうな、憂鬱な日が続く。

(日付は変わってしまったが)

 

| | コメント (1)

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »