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2018年3月 9日 (金)

自浄能力を失った歌壇か~「腰が引ける」とは

最近の歌壇の事情には疎いが、歌人たちの書く文章を読んでいて、なんとも言い難い焦燥感に駆られてしまうことが多い。あまりにも周囲をおもんぱかった、近頃の言葉でいえば「忖度」に充ち溢れた言葉の応酬を目の当たりするからかもしれない。

 

そういえば、拙い時評や拙著について、いただく私信のなかで、自分などは「腰が引けて」しまうところを踏ん張っていますね、といった感想を寄せてくださる方が幾人かいらした。また、めったに参加することのない短歌関係の会だが、そんなとき、久しぶりに会った方や初対面の方から、脅迫されるようなことはないんですか、とささやかれることもあった。私は、思わず笑い飛ばしてしまうのだが、皆さん、何を恐れているのだろう。 

以下は、『ポトナム』に寄せた時評だが、同じテーマで、3月27日発売

(筑摩書房)の『早稲田文学』春号<金井美恵子>特集にやや長いものを執筆したので、くわしくはぜひそちらも合わせてお読みいただければありがたい。 

なお、きのうの報道で、金井美恵子が『カストロの尻』で2017年度芸術選奨大臣賞受賞を知った。私はいささか動揺したが、受賞にめげずに?従来通りの活動を続けて欲しい。

     ◇

 もう数年前のことになり、歌壇では、忘れかけている人も多いかもしれない。作家の金井美恵子の「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」(『KAWADE道の手帖 深沢七郎』二〇一二年五月)という長い題を持ったエッセイが、痛烈な短歌批判をしているとして、歌壇を騒がしていた。エッセイのタイトルは、歌壇にいささかの関心のある人ならば、「たとへば(君)」が、河野裕子・永田和宏歌人夫妻が、妻の没後刊行された永田の『たとへば君 四十年の恋歌』(文芸春秋 二〇一一年七月)と河野の一首「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」に由来し、「告白」は、岡井隆の自伝『わが告白 コンフェシオン』(新潮社 二〇一二年一二月)を念頭に置いていることがわかる。 

「『風流夢譚』は短歌について書かれた小説である。では、短歌とは・・・」で始まる、金井のエッセイは天皇賛美を繰り返し、歌会始選者から御用掛となった岡井とともに、夫妻で歌会始選者を務め、在任中に病死した河野への挽歌が新聞歌壇に溢れた現象を斬ったのである。彼らを「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」、「短歌という巨大な共同体的言語空間」をなす歌壇のなかに位置づけ、短歌批判を展開している。歌人による反響がかなり見られたのだが、その大方は、真っ向からの反論というわけではなかった。

 

私としては、かねてより、現代短歌が天皇や皇室から自立しないかぎり、文芸の一ジャンルとしては成り立たないと考えているので、金井からの問題提起は、刺激的でもあり、説得力があると思えた。

 

松村正直は、「短歌を作るものは、短歌の世界だけにとどまってはいけない。短歌の魅力や仕組みを多くの人に広めていく必要がある」(「短歌への嫌悪感」『短歌』二〇一二年九月)として、「金井の論考は、何よりもそのことに気づかせてくれた」という。島田修三は、「昨今の現代歌壇に対する洞察としては、かなり正確に中心を射ぬいている」としながら、「金井には短歌を同時代に文学として理解しようとする意思はほとんどなく、とりつく島のない高飛車な狭量に腹立たしさを覚えたりもしたのだった」と書く(「もの哀しさについて」 角川『短歌年鑑』平成25年版 二〇一二年一二月)。沢口芙美は「いつの間にか歌壇内だけの視野狭窄に私たちは陥っているのではないか」として、金井の論考に触発されて「うた全体に亘るきびしい自己批評の目をもたなければならないのではないか」と述べた(「今年の提言―きびしい自己批判の目を」『歌壇』二〇一三年一月)。 

そんな中で、激しい口調で反論したのは、大辻隆弘だった。「金井の文章に底流するのは、文壇のなかに今も根強く残る短歌への蔑視である。それは、現代短歌を<和歌>とみなし、それを天皇制と直結させる偏狭で硬直した戦後左翼的な短歌観に他ならない」とするものだった(「短歌月評:短歌否定論」『毎日新聞』二〇一二年一一月)。現代短歌と天皇制とを直結させる「偏狭で硬直した戦後左翼的な短歌観」など、いまどこを探しても見出せないほど、歌人たちは、ものわかりがよくなって、ウィングを広げに広げてエールを送り合っている。 

金井の他のエッセイや小説を少しでも読めば、発想の自由さと表現の自在さに圧倒されることはあっても、「偏狭」「硬直」などとの批判は、むしろ的外れの感がある。

  真っ向から反論しなかった論者たちも、金井の指摘する具体的な歌壇の現象についてのコメントは避けて、配慮に満ちた、未来志向の模範解答に逃げ込んではいなかったか。(『ポトナム』2018年3月)

Wasedabunngaku

「自浄作用が働かない歌壇―金井美恵子の短歌批判に歌人はどう応えたか」(付関係文献目録)を書いています。

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