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2018年7月10日 (火)

8年ぶりの佐原、なつかしい、そして思いがけない出会いも

 疎開地佐原については、たびたび、このブログでも触れているが、78日、訪ねる機会があった。連れ合いが、佐原でのある集会で話す予定があると聞いて、ついてゆくことにした。


新しい佐原駅


 前回、家族
3人で出かけたのは、201010月、神幸祭の翌日だった。8年ぶりということになる。駅と駅前の様子はがらりと変貌を遂げていた。駅前広場には、伊能忠敬らしい銅像が立っていた。

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正面の右手、今は瀟洒な平屋だが、私の記憶では、2階建ての、1階は駅前食堂「八代商店」があった・・・

 私の脳裏にある佐原駅は、疎開中の敗戦前後の「停車場(テイシャバ)」で、当時の駅舎は、ネットで見つけた、まさに、下の写真の通りである。駅の南側になる。私たち家族が疎開して、まず身を寄せたのは、岩ケ崎の母の生家であり、そこから転居した仁井宿の馬市場の旧管理人さんの家であった。駅前には、食堂をやっていた親戚の家があって、場所柄もあり、親戚中の人たちがよく立ち寄っていた。私たち家族も2階の部屋に泊まらせた貰った記憶がある。列車が駅に着くたびに、2階はびっくりするほどよく揺れて、そのたびに目を覚ましていたらしい。1階の食堂の調理場の真ん中に井戸があって、土間だったのか、タタキだったのか、立ち働いていた人たちの姿も覚えている。「停車場」の駅員さんや交番の駐在さんも食堂のお得意さんだったらしかった。当時を知る人たちはもういない。

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正面は旧佐原駅舎、右は駐在所

新しい駅舎は、20113月開業とのこと、私たちが前回訪ねた翌年、東日本大震災直後だったことになる。南口広場の整備は2015年というから、まだ間もないことがわかった。その日の集会の会場は、駅の北口、佐原中央公民館だった。この建物も、跨線橋もあたらしい。

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数十年ぶりに従姉と会って

昨年から、ヒヨンなことから電話でのやり取りが始まったのであるが、数十年ぶりに従姉のMさんと会うことになっていた。見つけることができるだろうかとの不安もあったが、すぐにわかった。彼女は、住まいの東京から今は誰も住んでいない佐原の生家にときどき通っているとのことであった。その間に、亡くなったお連れ合いの仕事場でもあったアメリカにもよく出かけるという。数日前に帰国、成田から佐原に直行したという。そのエネルギーに脱帽しつつ、短い時間だったが、話すことができた。私の母の妹である、彼女の母親も、1950年代後半、母と一緒に作歌に励んでいたのは知っていた。そしてなんと、その叔母の歌が、毎日新聞に載っていたのを、Mさんは、今回の佐原滞在の折に、生家の引き出しから見つけたというのである。そのコピーには、

・いつになき夕焼のして厨映え菜刻むわれの指先あかし


とあった。

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 昨年、やはり偶然見つけた、母の短歌については、以下のブログにも書いたところだが、叔母の短歌も見つかったとは・・・。

2017115

晩年の母の一首、見つけました

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/11/post-3edd.html

 母は、女流短歌連盟主催第1回「女人短歌大会」のに入選、第2回に叔母が入選していたことがわかったのである。子育てから手が離れた、母と叔母の姉妹が、切磋琢磨していたことが、よくわかるエピソードであった。ともに『ポトナム』の阿部静枝先生の指導を受けていたのである。私がまだ短歌を詠み始める前のことでもあった。


そして佐倉からも

今回の集会には、なんと、佐倉からもお一人駆けつけてくださった。当日78日の午前中は、地元の9条の会の世話人会だった。私は欠席して、連れ合いに同行したのだが、その会の代表のTさんは、午前中の世話人会を終えて、高速を走ってこられたという。事前に伺っていなかったので驚いてしまった。ご実家が牛堀なので、帰りにはそちらに立ち寄られるとのことであったが、思いがけず、うれしいことだった。佐原は、東京の大学に行くまでは、水郷大橋を越えて、本や画材を求めにやってきた町だったという。

集会での話の内容は・・・

なお集会のオープニングは、南条忠夫さんの演歌「利根の佐太郎」「祝い船」「夫婦春秋」であったのは、なかなかの趣向で、年期の入った見事な唄いぶりであった。その日の集会は「市民連合ちば10区1周年記念」とのことで、連れ合いの話は「安倍政権を退陣させる攻めどころ」と題して、森友・加計問題で追いつめる二つのルートと安倍政権への経済政策への代案―消費税に代わる財源構想、についてであった。とくに、後者については、普段聞かされる話しながら、聞くほどに、腹立たしさが募るのだった。

発行された国債の大部分は銀行が買い取り、それを日銀がまとめて預かっている367兆円、私たちの銀行預金の十倍もの利子をつけているのだから、お金が出回るわけがない、というのだ。さらに、法人税の減税分で労働者の給料を上げ、工場の海外進出を抑えるなどの目的が果たせるどころか、逆行し、非正規は増えるし、社会保障負担分をも抑え、内部留保が増えるばかりだという。この無益な法人税減税を中止し、内部留保課税に踏み込むべきだ、と強調する。内部留保税を二重課税とする論は、法人税減税の無益さと消費税こそ二重課税ではないかの論を破ることができないはず、と。

途中、雲行きも怪しかったが、夕方には、車窓から、遠くの筑波山を眺めながらの帰途となった。乗り換えの成田駅界隈は、新勝寺の祇園祭の最終日の由、大変な人出であった。


8年前の佐原紀行については、以下をご覧いただければと~。 

2010年10月14日~15日
祭のあとの佐原をゆく(1)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/10/post-7fec.html

祭のあとの佐原をゆく(2)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/10/post-3ba9.html

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