「分断を越えて」とは―そこに生れる「分断」はないか~ある短歌雑誌の特集に寄せて
地域での市民活動や住民運動に目を向けてみると、目指すところが一致しながらも、ちょっとでも異論を唱える、うるさそうな?グループや人間には声をかけないということもある。「共闘」というとき、「排除」の論理も働いていることを忘れてはならないだろう。さらに、最近は「分断をこえて」などとの掛け声も聞こえ、小異を捨てて大同につけ、ということも言われ、一見、度量の広さやなごやかさが強調される。けれども、少し立ち止まって考えてみたい。
組織の大小にかかわらず、異論を無視したり、少数意見に耳を傾けようとしなかったりすることが続くと、言いたいこともひっこめてしまう自主規制が当たり前になってしまわないかの不安がよぎる。無視されたり、口封じをされたり、「される側」の人間の立場にならないと気付かないことは多い。疑問や自由な議論を経ないままの決まりごとや活動は、長続きも、広がりにも限界があり、やがて、その活動はしぼんでしまい、いつの間にか、権力や武力を持つ体制側に与せざるを得なくなっていくのではないか・・・と。ボランティアで支えられている住民自治会などで「ボランティアなんだから、手を抜いたりしたって文句を言われる筋合いはない」みたいな風潮もめずらしくない。多数側が、反対勢力の「分断」をはかるのは、常套手段でもある。
折しも、短歌という世界においても、考えさせられる一件があった。那覇市で、パネルディスカッション「分断をどう越えるか~沖縄と短歌」(2018年6月17日 現代短歌社主催)が開かれたという。その記録の一部が『現代短歌』8月号<沖縄のうた>特集に掲載されていた。基調講演は、吉川宏志「沖縄の短歌 その可能性」、パネリストは、名嘉真恵美子、平敷武蕉、屋良健一郎、司会は、吉川の四氏が登壇している。俳人でもあり幅広く文芸評論も手掛ける平敷以外は、みな歌人である。
8月号には、ディスカッションの記録とパネリストが提出した「沖縄のうた十首」と参加者7人の「印象記」が掲載されているが、講演録と当日会場で配布された資料の掲載はない。ほかに吉川「六月十八日、辺野古」と平敷「危機の時代・文学の現在」などの文章は掲載されていた。
討論の中で、私が着目したのは、名嘉真は発言の冒頭に「沖縄の短歌における分断とは何というのがわからなかったので・・・」と『現代短歌』の編集・発行人に尋ねたとある。そして「沖縄の短歌の世界で分断はないというのが私の実感です」と明言していたことだ。「編集後記」では、特集の趣旨を「基地を容認するか反対するか。生活者としておのおの立場を異にするにしても、僕らの生命線である表現の自由を固守するには、立場を異にする者の歌をこそ受け容れねばなるまい。受け容れた上で批評する。・・・」と、しごく当然のことが述べられているが、ここには、越えるべき「分断」が何なのか見出しにくい。
現に、この特集のために寄せられた文章にも、執筆者が「分断」について、直接言及している部分は見当たらなかった。ただ、討論での平敷発言は「分断というとき、日本人あるいは本土人が沖縄人に比して当事者性を持たない、傍観しているということに加えて、沖縄人どうしのなかにも基地に賛成の人と反対の人がいる。誰がそうさせたかというと、時の権力者です。・・・」で始まり、その認識には共感を覚えるのだった。当日の資料ではない『南瞑』からの転載という「危機の時代・文学の現在」において、平敷は、全国の自治体やさまざまなメディアにも蔓延しつつある「自主規制・自粛」が、沖縄の短歌の世界にもあったことについて言及し、その危機を警告していた。また、参加者の久場勝治は「『分断』を越えることは『表現の自粛』に繋がらないか?」と題して、「本土と沖縄に分断があるとすれば、それは短歌を超えた問題で、沖縄の状況や歴史的文化的経緯に由来するものであろう。分断が越えがたいのは、それを生み出した沖縄社会の問題解決や日本における沖縄の役割再検討(今後も基地の島か)を必要とするからだと考える。」で始まり、「分断を越えることが『個性を薄めた全国規格への併合』でなければ良いのだが。」と結ぶ「印象記」を寄せていた。
なお、『現代短歌』は、2018年3月号においても<分断は超えられるか>という特集が組まれ、福島市で開催されたパネルディスカッション「分断をどう越えるか~福島と短歌」(2018年1月21日)が採録されている。このときの司会の太田美和が「分断と文学の可能性」、佐藤通雅が「リセットということ」、屋良健一郎が「分断をもたらすもの~沖縄の現在」を寄せている。この特集では、「越」と「超」が混在していて、特別意味がないのならば統一すべきではなかったか。仙台在住の佐藤の文章では、3・11体験から感得した二つの原点として、「生者と死者の境界の消滅」したこと、「つい先日まで人間の歴史と言われたもの、文化・倫理といわれたもの、それらすべてが一瞬にして解体され、リセット状態になった」ことを挙げていたが、「分断」の語やその認識は読み取れなかった。「編集後記」では、「佐藤通雅氏に『東北を分断するもの』をテーマに寄稿いただいた。津波に呑み込まれたあの地点に立ち戻れば、分断をリセットできる、とはなんとむごたらしく美しい認識だろう。僕はそう読んだがあなたはどう読むか」とあったが、やや、強引のような気もしたのだが。
ことさらに、「分断を越えて」ということを強調することは、あらたな「分断」や「自粛」を促しはしないか、の不安は去らない。
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