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2018年8月21日 (火)

元号が変わるというけれど、73年の意味(3)皇室とマス・メデイアとソーシャル・メディアと

 201688日、午後3時、天皇のビデオ・メッセージが、一斉に各テレビ局から流された。その内容も大きな問題を抱えているが、どのテレビ局を回しても同じ画像と声が流れている事態に、驚いたのである。まさにメディア・ジャックではないかと。713日夜7時のNHKテレビ、ニュース7のスクープなのか、リークなのか、いまだ判然とはしないのだけれど、「天皇の生前退位の意向」が報じられ、ことは、ここから始まったことになる。

 

 天皇のビデオ・メッセージは、「平成の玉音放送」ともいわれたそうだが、これが初めてではなかったことを知った。2011316日、午後435分から6分弱のビデオによる「おことば」が、在京テレビのどの局も、それぞれ組んでいた特別報道番組の中で流していたという。不覚にも、私にはその記憶がない。316日当時は、地震の被害、津波の被害、原発事故による被害の全貌がまだわらず、その惨状、広がり、死者の増加が刻々と報道されるなか、その衝撃の大きさもあって、天皇のビデオ・メッセージは、聞いていたかもしれないが、記憶にない。その内容は、下記の資料で見ていただくとわかるが、「見舞いと励まし」の域を出ず、印象が薄く、埋没してしまったのかもしれない。しかし、このときは、テレビ東京を除き、すべての在京テレビ局が放映したという。

 

・東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(2011316日)(宮内庁) 

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html

 (参考のため) 

・象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(201688日)(宮内庁) 

http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12 

 

  天皇のビデオ・メッセージが、このような形で、いわば非常時の「心構え」や天皇みずからの「個人的な意向」が国民に発せられるということは、憲法上、法律上可能なのだろうか。2011年の場合は、被災地や慰霊の旅、さまざまな行事での「おことば」の延長としての「公的行為」、実質的な効用を持たない「挨拶」のような役割しか果たさなかったと思うが、2016年の場合は、憲法第4条の内閣の助言と承認を必要とする「国事行為」の規定にも当てはまらないし、「摂政を拒む」という皇室典範を明らかに逸脱する意思表示でもあった。その「お気持ちがにじむメッセージ」は、通例の「おことば」でもない「記者会見」でもない方法で発信された。あのメッセージは、もちろん公文書となるわけだから、天皇一人で作成したとも考えられない。となると、宮内庁と官邸が関与して、違憲・違法行為をしていることになりはしないか。その不透明な点を厳しく指摘する論者は少ないが、以下はその一つだろう。
 

・「天皇ビデオメッセージ」15『アリの一言』(20168915) 

https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/ffac8315cb4322d232b9dc869befa2a6

 

 私も、当時、手探りながら若干言及しているので、下記のブログをご覧いただきたい。
 
・天皇の「生前退位」の行方~「天皇制」の本質については語られない12 

『内野光子のブログ』(2016112930) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/11/post-dd45.html 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/11/post-e43f.html

 内容的にも、疑義があるわけだが、その伝達方法が、ビデオ・メッセージによる全テレビ局一斉放映という形、いったい、どこの誰が決めたことなのだろうか。 あの11分の間、テレビ局が他の情報を排除し、一斉放映することになった過程を知りたいと思った。各局、その指示を受け入れる判断をしたのは誰だったのか、どのテレビ局も一斉に放映したということが、私には恐ろしく思えたのである。その過程が曖昧なまま、国民は、有無を言わせず、ビデオだけを視聴させられたことになる。

 

一斉放映後のマス・メディアは、少しの戸惑いを見せながらも、高齢化した天皇の任務の重さを理解した心情的な記事が溢れ、国民の多くも同調するという流れができ、世論調査などにもその傾向は色濃く反映された。

 

この一連の流れを見ていると、かつての旧憲法下には「勅令」という法形式があった。今回のメッセージは、個人的な「お気持ち」というソフトな表現が使われた。しかし、その内実は、丁寧で、やさしい言葉と映像につつまれた超法規的な言説ではなかったのか。しかも、その伝達力の速さと広さは、かつての官報や新聞、ラジオ放送などとは比較にならないほどのものとなった。さらに、いつでもどこでもインターネット上では繰り返し視聴できる。それに加えて、多くのマス・メディアは、記事や番組において、法律家や歴史家、さまざまな論者が入れ替わり立ち代わり、慣れない敬語をもって、解説やコメントをしていたことは、記憶に新しい。その一方で、政府や国会は、メッセージに応えるべく「静かな環境」でという建前で、立法の準備を進め、結果的に、論者や政治家による検証や議論をけん制した。

 

現憲法下での天皇の在り方について活発な議論がなされるべき、絶好のチャンスのはずだった。野党もマス・メディアも、有識者会議での論点の限りの整理のみにとどまり、あるべきアジェンダの設定を怠ったと言わねばならない。

ただ、玉石混交、フェイク情報が前提とされるインターネット情報や週刊誌情報ではありながら、私が、かすかに期待をするのは、節度を持った情報交換や意見交換が活発になることであり、皇室・天皇への国民の関心が高まり、そこから課題が生まれることである。(つづく)

 

 

 

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