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2018年12月30日 (日)

『齋藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代 「歌集」未収録作品から何を読み取るのか』(一葉社)という本が出来上がりました

 このブログ記事でも、何度か触れたことのある、歌人・斎藤史について、これまで調べてきたことや考えてきたことを書いたものです。発行日は201919日となっていますが、1228日発売となりました。すでに、「版元ドットコム」はじめインターネット上でも紹介されているのを知って、驚きました。279頁の内、後半の121頁が、資料1「齋藤史著作年表 付/斎藤史・斎藤瀏関係文献」、資料2「齋藤史「歌集」未収録作品『魚歌』から『うたのゆくへ』」などが占める本となりました。もし、関心を持たれましたら、ぜひ、お近くの図書館などにリクエストしていただければ幸いです。大きな書店でしたら、手に取っていただけるかもしれません(池袋のジュンク堂にはあったそうです)。

 

 前世紀?からのテーマでもありましたので、私個人としては、長いトンネルから少し明かりが見えてきた思いです。でも、まだまだ、資料の不備や考えが及ばない点が多々ありますので、心細いばかりですが、齋藤史に関心のある方や若い歌人の方々に、ぜひ読んでいただきたいと思っています。

 

 天皇の代替わりが迫った、この時期に、齋藤史の天皇(制)へのスタンスの変遷を通して、一度立ち止まってみることができればと思っています。

 

 

<版元ドットコム>

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784871960755

<一葉社のチラシです>

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Img562<最近の当ブログより>

・短歌における「改ざん」問題 ~斎藤史を通して考える(20186 9日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/06/post-53c4.html

・なぜ、いま、「斎藤史」なのか~612日の「大波小波」に寄せて(2017612日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/06/612-88cf.html

 

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2018年12月26日 (水)

即位・大嘗祭違憲訴訟の原告になりました

 表題の「即位・大嘗祭違憲訴訟の会」の準備会のメンバーのお一人から、早くから案内をいただいていたのだが、目の前の仕事が片付かず、一段落してからあわてて、下の訴訟委任状をを送付した。この委任状には、国税の納税者であることが分かる資料を添付するようにとの指示もあった。

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 一カ月ほどあとに、我が家の購読紙でも、いくつかの報道があって、12月10日、大嘗祭に公費を支出するのは国民主権や政教分離の憲法に違反するとして、公費支出差し止めを求め提訴、原告は241人であったことを知った。その後送られてきた資料に、各紙の報道の模様と来年の2月の報告会のお知らせがあったので、下に掲げた。

Img559_2 2018年12月11日、左上から毎日、読売、産経、朝日、右上は東京新聞、右下には、日経の記事があった。原告241人、少し寂しい気がした。第2次訴訟も考えている由、支援のお気持ちのある方は、以下をお訪ねください。
       http://sokudai.zhizhi.net/

     

 秋篠宮が、11月の誕生日会見で、大嘗祭は公費ではなく内定費でとの提案をしたが、宮内庁は耳を貸さなかったとの発言があったという。「秋篠宮もいいことを言う」「見直した」などというのが、私の周辺でもよく聞かれた。しかし、そもそも、大嘗祭は宗教色が強い儀式であって、平成天皇への代替わりの折にも違憲の疑義を持たれたものであった。創価学会という宗教団体を母体とする公明党が、今回の公費支出になぜ反対しないのかも不思議だが、内定費と言っても、「公費」には違いない。大嘗祭自体が違憲という今回の提訴の原告団に参加した。

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2018年12月25日 (火)

2018年、「ゴーン、ゴーン」「ヘイカ、ヘイカ」で暮れるのか

1223日は、天皇誕生日ということで、皇居には、8万人以上の人たちが「参賀」に訪れたという。そして、あの「お出まし」に振られている「日の丸」の小旗は、なに?という光景が繰り広げられている。現天皇の即位以降に生れた若者たちも多かったとの報道もあった。これが、国民主権をカナメとする日本国憲法を持つ国の出来事なのか、「明治かよォ」という「化石」のようなツッコミもしたくなる。

 

新聞やテレビでは「平成三〇年回顧」にとどまらず、生誕以降の、天皇85年を振り返る企画も多い。当然、太平洋戦争をはさむ構成にはなるのだが、「815日」の皇居前広場で土下座する人たちの映像に「耐えがたきに耐え」の玉音放送をかぶせる手法は、相も変わらず、23日のNHK「天皇 運命の物語①」でも流された。あの815日の写真や映像は、「814日」のメデイアの「やらせ」ではないかとされているのにもかかわらずである。そして、「国民に寄り添い」「平和を願って」きた平成の天皇夫妻の戦争犠牲者慰霊と被災地慰問の映像ばかりが流される。19481223日は、東京裁判におけるA級戦犯7人が処刑された日でもある。昭和天皇の戦争責任論、退位論がふつうにメディアで展開された敗戦直後の緊張感を忘れてはならないはずである。

 

誕生日に先立っての天皇の記者会見の「戦争のなかった時代に心から安堵」という言葉への違和感を拭いきれないでいる。多くの災害、公害、事故、虐待、過労による犠牲者、自死などによる遺族はどう受け止めただろうか。東日本大震災の原発事故について、「原発事故による死者は一人もいない」と言った閣僚がいたのを思い出すのだった。

 

日産の前会長ゴーンの保釈予想が一転して、再逮捕されたのを受けて「ゴーン、ゴーン」と関係ニュースが騒々しい。これって、内部告発に端を発したというが、最初の逮捕直後の西川社長の会見の時、これほどの桁違いの金銭の移動があったというのに、取締役会が関与してなかったのかという疑問が頭をかすめた。後からの報道によれば、西川社長もサインしている支出であったとか、取締役会ではゴーンの名を伏せての投資決議だったとかの情報も確認されたということだった。まさに、素人の感、庶民の感ながら、なのである。

 

そして思うのは、ゴーンをかばう意図はないが、日産の日本人経営者がやりたくてもできなかった、工場の撤退や2万人余の従業員馘首をゴーンの手で行わせ、再建ができたら追い出すという構図は、今年強行採決して成立した働き方改革関連法、出入国管理法改正にも共通するところがあるのではないかと思ったのである。「深刻な人手不足」の対応と言いながら、日本人労働者の働き方の多様化の名のもとに「都合のよく」変え、結局は、外国人に安い労働力できつい仕事を担ってもらおうという、経営者や政府の発想でしかないように思う。

 

消費税増税対策って、なんのための増税か、単なるバラマキではないのか。「防衛大綱」に基づく防衛費の拡大、イージス・アショア2基、F35105機購入だけでも、それぞれ6000億、15000億に迫るともいわれている、アメリカの「言い値」での購入とはあきれるばかりである。一方で、沖縄県の民意に反しての米軍基地辺野古新設の強行、外交においても、対米・対ロでは押される一方で、中国・韓国に対しては、こじらせる一方なのだ。社会福祉予算の削減―生活保護費の段階的引き下げ、年金の抑制、診療報酬の減額、7074歳の医療費1割から2割負担などすでに高齢者の負担が拡散し、消費抑制、受診抑制で、命まで危険にさらされている。若年者にとっても、国の借金は増大し、将来へのツケも拡大するばかりなのだ。経済再生の目玉ともいわれた、東芝を初めとする原発輸出の破たん、一方で、かつてほど「世界一厳しい基準」というセリフも言い出せないまま推進する国内原発の再稼働・・・、いくつもの重要課題が国民に上にのしかかっている2018年、「ゴーン」と「ヘイカ」で終わらせてはならない。迎える2019年も、消費増税対策、天皇代替わり、2020オリンピックのフィーバーの目くらましに、だまされてはイケない。政府による、ヤルヤル詐欺、大掛かりな特殊詐欺に、だまされてはイケない!

 

 

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2018年12月17日 (月)

あの、巨大な飛行機は!その正体は?下総基地(航空自衛隊)、市役所、習志野空てい団(陸上自衛隊)に電話する

きょう1217日、雨も上がり、昼過ぎに買い物に出た。すると、頭上に大きな爆音がと思って、空を見上げると、家一軒分くらい?!の飛行機が現れて、北の方に去って行った。23分後にはもう一機が同じコースで飛んで行ったと思ったら、また2機が繋がって現れた。旋回をしていたのだ。下総航空基地の訓練機は、見慣れてしまったのだが、少なくとも、高度はかなり低く、500mもないのではないか。。明らかに下総基地のものとは機種も違う。最近、家の中で、大きな爆音を何度か聞いたような気もするが、窓からはいつも機影が確認できないでいた。

近くを歩いていた男子小学生、制服制帽を身に着けていたので、私立の児童なのだろう。マンションの屋根すれすれにも思える機体の大きさに驚いていた。「なに?こんなの見たことない」と見知らぬ私に話しかけてきた。 

下総航空基地では

ともかく、家に帰ってから下総基地の広報に電話を入れたところ、「通常の訓練はしているが、そんな訓練はしていない」という。「明らかに自衛隊機と思うが、どこの所属の飛行機でどんな訓練をしているのか」と尋ねても「自分たちには分からない、たぶん、入間からきているC1ではないか」とのことだった。

それでは入間の基地の連絡先はと聞いても、当方ではわからない、というつれない返事。自衛隊の基地同士で連絡先が分からないなんていうことあり得ないと思うのだが、本当だとすると日本の防衛はどうなっているのか!? 

佐倉市役所では

仕方がないので、佐倉市役所に電話をすると、生活環境課が出た。ともかく、とても不安で、危険に思うので、佐倉市として至急調べてくださいと依頼すると、こちらではわからない、直接自衛隊に聞いてくれ、調べた後どうするのか、ともいう。そこで、市民が不安に思っているのだから、ともかく調べてくれるよう依頼した。その返事によれば、「習志野空てい団の訓練で、123日から始まって、今日17日が最後ですよ、そういう連絡は貰っています」という。ついでながら、これは以前からも市役所に要望していることなのだが、「佐倉市上空を通過する、自衛隊の訓練日程を広報してください、隣の八千代市では、広報誌にちゃんと載せていますから」「オレオレ詐欺や行方不明者のお知らせも大事だけれど、今回のような訓練日程は、防災放送で知らせしてもいいのではないか」と再び要望しておいたのだが。

習志野空てい団では

 そのあと、習志野空てい団に電話してみると、広報担当に回された。「それは、C2という大型輸送機です」という。それにしてもこんな低空での訓練は初めてのような気がするけど、恐ろしいですね、といえば、「実は、来年113日の空てい団公開日のための訓練を124日~21日までやってます。普段の訓練とは違う訓練で、低空での訓練は、今日17日が最後です。お正月から13日のイベントに向けて、また始めます、一般市民に公開しますからぜひ」とまで言われる。どの基地でも行っている、いわゆる航空祭のようなイベントで、私も下総基地のイベントに出かけたこともあるが、基地周辺の家族連れやどうもオタクぽい人たちが詰めかけているのを目の当たりにしたことがある。ちなみにC2という輸送機はどのくらい大きさですか、と尋ねると「C1の1.5倍くらいのパラシュート隊員が乗れます」とのことで、先は教えてもらえなかった。なお、空てい団は、陸上自衛隊なので、航空機は所有していないので、下総か入間の基地の軍用機と滑走路を借りて訓練ををしているという。さらに、今日の訓練はどこから離着陸しているのかと聞くと「下総だと思いますよ」とのこと。広報担当から適当にあしらわれているとしか思えなかった。むかしから、陸軍と海軍の権力闘争みたいなことは聞いていたが、いまだに、イージス艦の対空ミサイル(海上自衛隊)とイージスアショア(陸上自衛隊)との対抗関係が取りざたされているのも記事で読んだことがあるが、あの莫大な防衛予算がそんなことのために使われているのかと思うとやりきれない。

 ともかく、低空飛行の経緯はわかったが、あの低空による不安感と住宅街の真上の飛行の危険性は、拭いようもなかった。米軍、自衛隊による航空機事故はあとを絶たないのだから。

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<参考>

習志野空てい団訓練日程表201812月/191

http://www.mod.go.jp/gsdf/1abnb/img/file21.pdf 

 

一機230億円もするそうだ、これも言い値?

 これを機に、少し調べてみた。C-2は、C-1の後継機として防衛省と川崎重工業が2000年から開発し、2017327日完成と公表され、川崎重工業が製造している。すでに鳥取県境市の美保基地に8機配属、事故も起こしている。17年度18年度で5機の製造も計画されているというが。長さ43.9m、巾44.4m、高さ14.2mというから2階建ての一戸分というのも大げさではなかった。最大搭載量、約30トン、人員にすると110人まで乗れるそうだ。まだ、完成して間のない新型機である。あれが、住宅街に墜落したらどうなるのだろう。

パラシュートの降下訓練は340mからということは聞いたことがある。今回、空てい団の広報の話によれば、低空と言っても、飛行は、340m以下になることはないといい、むずかしい計算の上、高度というのは、半径600m圏内の一番高い建築物から、150m上空を飛行することになっているそうだ。ということは、佐倉市のユーカリが丘には、高層マンションが何棟かあるので、あの150m上空を飛んでいるということなのだろう。それにしても、頭上の、あの機体の低さと重量感からくる恐怖を拭い去ることができない。

なお、メーカーの川崎重工は、機材高騰などを理由に、一気に70億円値上げの価格230億円を要求しているという。競争原理が働かない防衛産業、これも、もしかして川崎機重工業の言い値?イージス・アショアやF35戦闘機がトランプの言い値で購入を決めている防衛省とも報じられるように、国内でも・・・。内外から、日本の防衛予算はいいカモにされているのではないか。専守防衛などといかがわしいお題目のもと、国民の安全・安心などは、どうでもよいのだろう、日本の政府は。

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出典:朝日新聞デジタル(2018年66月22日)「空自C2輸送機、価格高騰に疑義 1機あたり70億円増」

 

 

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2018年12月16日 (日)

高校前で、チラシを配布しました

1213日、県立佐倉東高校近くで、高校生にぜひ読んでもらいたいの思いで、「イージス・アショアって、なに?」のチラシを配布した。佐倉市内にある4つの県立高校前で、私たちの会がチラシを撒き始めて、何年になるだろうか。すでに4巡目にはいった。今回、事前の教頭先生への挨拶の折は、1212日までは、中間テストだということだったそうだ。 

この寒空にコートを羽織るでもなく、今どきの高校生は、制服の上にマフラーを巻いて、ながらスマホ、おしゃべりをしながらの登校である。 

生徒たちは、試験も終わって、ほっとした表情だ。なかには、楽器を背負って登校する生徒もいる。正門近くと裏門に、私たちは3人づづに分かれた。和服の女生徒たちは。服飾の授業の一環で、今日は着用での登校らしい。そういえば、東高校は、元もと女子高で、家政科、いや食物科と被服科が、あったはずである。いや今は、服飾デザイン科と調理国際科というらしく、対外的にも様々な活動を続けている生徒たちである。 

チラシを受け取った生徒も、ちゃんと読んでくれているだろうか、私たちの思いは届いただろうかと、不安は尽きないが、まあ、いいか。 

わたしは東高校は初めてで、高校は佐倉中学校と向かい合っており、近くには佐倉市立体育館もある。ちょうど佐倉城址、佐倉市役所の南に位置するあたりで、途中「ひよどり坂」の表示も見えた。この辺もゆっくり歩いてみたいな、とも思うのだった。

 

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 このチラシの作成後には、自衛隊は、ステルス機、F35の100機、アメリカの言い値の1兆円での購入を決めた。護衛艦「いずも」の空母化も確実となり防衛費は、拡大の一途をたどることになった。

 

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2018年12月10日 (月)

佐倉市は、不動産屋に?山万の空きビルの一部を借り上げて、貸室業をやるらしい!

12月9日は、町内自治会の大掃除だった。家の東側の側溝の隙間に、なんとスミレが・・・。

 

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 佐倉市のユーカリが丘駅前と言えば、11月下旬、タワーマンションの最上階での殺人事件が報道されて以降、犯人もいまだ捕まらず、住民の不安が募っている。あのマンションを含む、一帯のマンションのオーナーで、開発業者の山万と佐倉市が絡む問題が浮上した。

佐倉市ユーカリが丘駅前の山万の商業ビルから、スーパーのイオン(元のサティ)が抜けて、がらんどうになった跡に、201711月、ようやく1階に、スーパーのオーケーが入った。しかし、2階の通路は、白い壁のトンネルで、少々気味が悪いほどだ。3階へのエスカレーターは運転がストップしたままで、いったいどうなるのだろう、山万は何を考えているのかと、余計な心配もしていた。 

そこから5・6分ほど歩いたところに、バカでかいイオンタウンを誘致、20166月にオープンしたが、専門店の入れ替わりが激しいというか、この間まであった店舗がなくなっている?移動している?ということが何度かあったし、食料品売り場以外は、客がまばらなので、他人事ながら、先行きが心配だったのである。 

 

佐倉市が、商業ビルの3階をフロアごと借りて、大改装の上、部屋を貸すんだって?

 そんなとき、えッ?というような、ニュースが飛び込んできた。それが上の情報である。9月から、佐倉市議会で取りざたされていたらしいのだが、私は、少々忙しい時期でもあったためか、見過ごしていたというか、知らずに過ごしていたのだった。 元サティのあった商業ビルはスカイプラザモールと呼ばれ、その3階の一部を、佐倉市が、ほぼ借りて、幾つかに区切って事務所用の部屋を貸し出そうという事業を始めるというのだ。そのための補正予算が9月市議会に提案され、成立してしまったのだ。 

その中身は、テレワーク・シェアオフィスをスカイプラザモールの3階に開設するための、総額1億1,1384,000円の補正予算組んだことに始まる。そのうち、国からの交付金が約5,100万円(拠点整備費:4178万+推進交付金925万)、佐倉市分は約6,000万円で、そのすべてを、改装のための工事に当てようというものである。山万への賃借料が年間840万の10年契約、年間の人件費、光熱費、清掃費など維持費が、あわせて2040万、合計3000万近いランニングコストがかかる事業のための補正だったのである。

  その国からの交付金というのは、舌をも噛みそうな「まち・ひと・しごと創生総合戦略(2017改訂版)及び平成30年度予算・税制改正(地方創生関連)について」(平成30213日内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局)の一環としての「平成29年度生産性革命に資する地方創生拠点整備事業」のための総額約650億交付金であった。第2回目の募集が57日にあり、佐倉市は621日に応募、83日に決定が降りたという経過があったらしい。要するに、私には、「キラキラネーム事業」のバラマキの一環のようにも思えた。市議会では、市民ネットワーク、日本共産党、新社会党の計6人が、計画そのものが拙速で、ずさんであるとして反対していた。

 

 そもそも、テレワーク・シェアオフィスって何?

  テレワークとは、わずかなスペースに机、パソコン、電話、コピー機などを備えたオフィスを貸し出して、勤務先に通わずに働いたり、そのオフィス限りで個人やベンチャー起業家として働いたりすることだ。シェアオフィスとは、複数の利用者が同じスペースを共有して、自らのオフィスにすることらしい。設備投資や維持の削減ができ、多様な働き方ができると、話題になっている。東京から離れた佐倉市などで、その需要が呼び込めるのか、となると、不安要素は多いだろう。それに、レンタル料の設定が、10人用会議室で月額20万、6人用で12万というから、便利な都心の相場と比べて、あまり差がないというのだ。フルに稼働した皮算用でも5年間は赤字だというのだから、自治体が手掛けるにはアブナイ事業ではないか。赤字続きだったら、どうする気なのだろう。そんな心配の中、早くも、都心の賃料と比べて気が引けたのか、すでに値下げが提示されているという。採算がとれない、そのリスクは、納税者の国民が、市民が負う。なかなかテナントが入らない空きビルを、佐倉市がフロアごと借りてくれるのだから、オーナーにとってはこの上もない事業だったのである。 

 そういえば、11月下旬に、これまで、ユーカリが丘駅のコンコースに隣接した通路にあった佐倉市ユーカリが丘出張所が、上記のスカイプラザモールの3階に移転したのも、その布石であったのだ。駅からは、数分歩くことになり、不便になってしまったのだが。 

佐倉市役所の建て替え問題が浮上した時、私はかねてより、一層市役所全体を、駅前のビルに移転してもよいと思っていた。人口から言えば、志津地区の人口が最も多く、その真ん中に位置するのがユーカリが丘だと思うからだ。ガラガラにも近い駅近のビルに、市役所がよく似合うと思う。莫大な建築もいらない。 

旅行中に知ったのだが、宮城県石巻市は、石巻駅の真ん前のデパートの跡がそっくり市役所になっていた。

 

あれは、四年前、思い起こすのが「市長選」~ 

前回、2015年春の佐倉市長選挙の際の、現役の蕨(わらび)市長に対して、山万がバックアップした某候補者が仕掛けた醜い選挙戦を思い起こす。某候補の公約は、山万が提供するというユーカリが丘駅前の3000坪の土地に順天堂大学のある学科を誘致するために、佐倉市から24億円の補助金を出すというものだった。24億円の根拠を示さないまま、補助金は出せないと慎重だった現役市長を糾弾するもので、違反ポスターやチラシ、怪文書が乱れとんで、大学を誘致して、若者が行き交う街にするのは、いいじゃないかと、単純に考える市民を巻き込む勢いだった。 

 

現役市長の市政の志津霊園問題をはじめとする都市計画、企業誘致政策、防災、福祉、教育政策には、合理性に欠ける施策が多く、私などは、事あるごとに異を唱え続けてきていたのだが、この24億円の補助金に待ったをかけていたことだけは、その一点で評価していた。選挙終盤戦には、その市長が「順大誘致に反対しているわけではない」などのチラシを撒いたりし始めて、がっくりしたのだった。ともかく、現役市長の勝利に終わり、某候補応援、市長攻撃のネット情報は、翌日すべて削除されたという顛末もある。その後、愛媛県の加計学園獣医学部問題が表面化して、愛媛県と今治市の補助金が問題になっただけに、市長はほっとしているだろう、と思っていた。

その市長を落選させる勢いで、企業ぐるみで選挙戦を展開していた、開発業者の山万が、今度は、現市長と手を組んだのである。実にキナ臭い話ではある。当初、市議会の最大会派、さくら会は、市長提案のこの事業には反対だったそうだ。それが、何があったのか、一転して賛成に回ったという経緯も後になって知った。市議会で、件の補正予算に最後まで反対した会派の一つの機関誌には「市長と民間業者の間で何があったのでしょうか?」と報じていた。その先について、市民は蚊帳の外というわけなのか。

 

前回の市長選挙の顛末は、以下をご覧いただきたい。

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「嵐のような、あの佐倉市長選は、何だったのか」『すてきなあなたへ』(70201568日)より

現在は、この順大誘致ありきのユーカリが丘北口再開発の都市計画は、取り下げられ、新しい
再開発計画が発表されている、と言っても、高層マンション、オフィスビル、商業施設など、相変わらずの、あまり特色のない構想で、いまの商業ビルさえ持て余しているのに、大丈夫なのか。これについては、以下を参照。

・ユーカリが丘駅北口、あたらしい街づくりというが (2018年7月15日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/07/post-4502.html

2015年の市長選の顛末について、くわしくは、以下の過去記事をご参照ください>

・佐倉市の大学誘致はどうなるのか~順天堂大学おかしな動き、その蔭に 
201538日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/03/post-5d0f.html

 

・「順天堂大学誘致」はどうなったか、佐倉市議会の質疑からみえるもの
 
2015316日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/03/post-2f8b.html


・佐倉市、順天堂大学誘致をめぐる「選挙戦」
 
~誘致の効果は机上の空論、得をするのは誰なのだろう 
2015414日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/04/post-5c84.html


・市長・市議選の争点は「大学誘致」ばかりではない~やっぱり出た”怪”文書「順天堂大学誘致の会ニュースレター」
2015418 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/04/post-7056.html

 

 

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2018年12月 7日 (金)

<NHKを辞め記者の道を貫く>相澤さんの講演会へ

相澤冬樹さんの講演会<NHKを辞め記者の道を貫く~森友事件の本質と移籍への思い> (1125130分~/京都教育文化センター/NHK・メデイアを考える京都の会主催)

  

 11月下旬の京都行きの目的の一つは、上記の講演会に出かけるためでもあった。講演会は、ほぼ三部に分かれていた。 

➀ 講演は、まず、相澤さん(1962年生)のNHKでの記者としての31年間を振り返る形で、記者として守ってきたポイントを語った。初任地の山口で、吉田松陰に傾倒し、みずからを真正右翼と称し、取材には思想信条・主義主張が重要ではなく、取材先には、誠意と信念を持って語ること、相手が伝えて欲しいことを必ず伝え、こちらの伝えたいことも聞きだすことに尽きるという。 

② つぎに、森友問題の本質について、森友学園の事件ではなく、国(財務省)と大阪府(私学課)の事件であること。財政的基盤も、教員の確保も不確実な森友学園に小学校の設置がなぜ認可されたのかがまず問題であること、さらに、小学校用地となった国有地は、豊中市の防災公園、大阪音楽大学が購入を希望したときは、財務省側が高値を譲らず折り合いがつかなかった物件だったが、森友学園が小学校用地として望んだとたん、国有地としては異例の貸付契約を可としたこと、であるという。さらに、売買を希望すればと、財務省側が、森友が出せる金額の上限を尋ね、それ以下の価格と分割払いを自ら提案した事実は、音声データなどですでに検証されているが、なぜ、役人がそこまで加担したのか、その解明の必要を強調した。 

③ 最後に、NHKをなぜ辞めたかについては、考査部門への異動が決まり、記者の仕事を続けられなかったからという。しかし、NHKに対しては31年間育ててもらったこと、日本一厳しい水準で取材・報道をしてきたという自負がもてたこと、NHKを愛する一人として、最近の報道には思うことがある、とも語った。現在は大阪日日新聞の記者となり、論説委員をしながら、執筆や講演活動を続け、12月には新著『安倍官邸vsNHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』(文芸春秋刊)を出版するという。

 

講演後、1時間30分の質問討論の時間が確保されていた。こうした講演会ではよく時間切れで、質問が打ち切られることが多いので、よかったと思う。100人ほどの参加者からの質問は途切れることはなかった。講演・討論を含めて、私が印象に残ったことを書きとどめておきたい。 

★相澤さんは、森友問題の解明が今後の課題という。が、すでに、わかっている背景があると思うのだが、それについてはあえて踏み込んだ事実を語らなかった。新著では、そのあたりを書いているのだろうか。 

★NHKの取材においては、新聞社や民放に比べて、日本一厳しい水準があって、それに基づいて取材してきたという。その水準というのは、取材においては、可能な限りの事実の解明が必要ということなのだろう。一方、その報道に関しては、中立性とバランスの重要性が問われるが、現在の報道については、それがどれほど実現されているかは、疑問の方が大きい、と私は思っている。質問者の一人も、沖縄の慰霊の日の安倍総理、翁長前知事の葬儀の際の菅官房長官の参列や式辞への野次の声が、NHKの放送の際には、完全に消されていた事実と「厳しい水準」との整合性を質していたが、相澤さんは、「取材では、あくまで『厳しい水準』を全うするが、報道の内容・編集については、報道部門の判断であって、記者は関知しない」という主旨の回答であった。取材と報道の双方が「厳しい水準」を全うすることによって、放送は完結すると、私は考えるので、その断絶はやはり、納得できなかった。 

★他のメディアより潤沢な取材費がかけられる、その財政基盤は受信料あってのものなので、受信料を払ってもらえるような放送内容にしなければならない。視聴者が、おかしいと思ったら、どんな形でもNHKに、その意見を届けてほしい。その数の力によってNHKを変えることもできる、とも語った。しかし、私も、ふれあいセンターに電話したり、意見や質問をメールで送信したりしているが、電話では、「ご意見として、担当者に伝えます」の一方通行だし、メールの返信は、まるで、木で鼻をくくったような、定例文で、まともな回答が返ってきたことがない。視聴者の願いは、意見の伝達と受信料を手段として届ける、という相澤さんは、いささか楽観的過ぎるのではないか、と思った。

 

このごろのNHKについて 

 この頃のNHKのテレビ番組や報道を見ていると、視聴者を見くびっているとしか思えないものが多い。 

・「ニュース7」では、国内政治、国会開会中でも、報じる順番は後回し、時間は極力圧縮される。たとえば、国会質疑でも、野党の質問は、端折りに端折って、質問の背景を伝えずに、総理や閣僚の答弁はもっともらしいところだけを伝える。また、法案の審議中は、与野党の「攻防」「駆け引き」としか報じない。法案の問題点などは、成立後や成立のめどが立ったころ、ようやく解説や問題点、今後の課題が報道されるというパターンが定着してしまった。その上、専門家と称する人の素人でもいえそうな、コメントを麗々しく、賛否とその中間の街の声とやらを流すだけだ。 

・また、海外ニュースも、中国やロシア、韓国や北朝鮮のマイナス情報に飛びつき、災害や事件が発生すれば、大々的に全国ニュースとして取り上げる。災害や事件の犠牲者に対して、「親切で、まじめな人だった」とか「素直で元気な子だった」とか・・・、関係者の情緒的なコメントを流すことはしても、災害や事件の背景や核心、今後の対策に迫ることを避けるのが常套手段である。「対応を指示した」という政府や自治体の「やっている感」を助長する。 

・スポーツニュースは、勝敗の結果だけで十分で、後はスポーツ番組に任せればよい。今年続いたスポーツ界の不祥事についても、おそらく、担当の取材記者たちは、かつてより知り得る立場であったろうし、少しでも丁寧な取材や調査をすればわかったことであろうと容易に想像がつくことに思えた。何をいまさら・・・の思いもする。 

・また、NHKのバラエティ番組にしても、本業がなんだかわからないようなタレントやお笑い芸人を並べ、出演者だけで盛り上がっているような番組が多くなった。タレント事務所に妙な気づかいすらしている様子もうかがえる。チャンネルを回していると、えッ!これがNHK?と思うことがしばしばあって、民放と全く区別がつかなくなった。 

・「教養番組」、「教育番組」と称するものですら、タレントの起用は著しい。はたして、所期の目的が達せられるのだろうかと疑問に思うし、視聴率を高めているとも思えない。かつては、見ることもあった「短歌」や「美術」関係の番組も、じっくり見せたり、聞かせたりすることがなくなって、その展開の速さや余分なタレントのコメントが煩わしいと思うようになってしまった。歴史もののドキュメンタリーにしても、「今だから話そう」「過去から学べ」式の現代の問題とは一線を画する編集に終わるのが常である。

 

 NHKを退職したプローデューサーや記者たちが大学教員や評論家になったり、民放のコメンテーターとなったり、アナウンサーまでがフリージャナリストと称したりで、マス・メディアに登場する例が多い。在職中の高給、高額な退職金、年金を思うと、受信料は止めたくなってしまう。テレビを持っただけで受信料が発生するなんて、もってのほかとしか思えない。せめて、見た分だけ支払う仕組みにするべきではないか。それに、ふれあいセンターのオペレーターたちは、すべて下請けで、職員がまったくタッチしていないのも問題である。本気で視聴者の声を聴く姿勢には思えない。現場の職員や管理職が、交代でもいい、視聴者の声をナマで聴く仕組みも考えるべきではないかと。  

 相澤さん、視聴者のそんな気持ちを分かってほしいな。「森友」問題に一石を投じた相澤さんには、フリーな立場での取材を頑張ってほしいな、という気持ちが交錯するのだった。

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そうだ、京都、行こう!?紅葉の大河内山荘庭園へ

11 月下旬の連休中の京都は、混雑が予想されたが、連休最後の日曜日の所用ついでに、たまには京都の紅葉でもということになった。夫は、嵐山のトロッコ列車をと希望していたが、満席で予約を取ることができなかったそうだ。それではということで、かねてより、かつての時代劇俳優大河内伝次郎(18981962)の広大な別荘が、公開され、その庭園、紅葉も見事だと聞いていたので、出かけることになった。そして、さらに、この折しかないのではと、いうことで、夫の生家では家族ぐるみでお世話になったK先生、私もポトナム短歌会で指導いただいた先生の墓参を予定していた。日曜日の夕食は、京都へ転勤して4年目の娘の案内で、四条烏丸のイタリアンレストランとなった。静かな隠れ家的な雰囲気で、上品なコース料理をいただいた。娘とは、翌日の昼食も約して別れた。少し歩いて、池坊短大近くの宿、まずは熱い緑茶でくつろいだのだった。

 

京都霊園へ

寒い、冷え込むと言われた翌11月26日は、晴天に恵まれ、少し歩くと汗ばむほどだった。K先生の墓地は阪急桂駅からバスで、沓掛インターの近くという京都霊園である。成章高校行きバスで、駅を出てしばらくは、京都の町屋造りの立派な家がかなり見受けられた。新しく建て直した家も、こじんまりしたマンションも続く。国道9号線を進み、京都市立芸大辺りを過ぎると、沿道の様子がかわり、下車の停留所「沓掛西口」までには「沓掛」が付く停留所がやたら多く、紛らわしい。高架の高速、京都縦貫自動車道が見えてくると、その直下が「沓掛西口」だった。下車するなり「京都霊園」の立派な碑が眼に入る。墓地の番地はわかっていても、探すのは大変なので管理事務所に寄ってくださいと言われていた。斜面にひろがる霊園は、幾つもの区画に分かれている。地図で説明を聞いているうちに、探すのに時間がかかるでしょうからと、ありがたいことに車で案内してくださることになった。中腹の休憩所で下車、自動販売機でお花を買って、また車で上ったあたり、表示があまりはっきりしていないので、案内の人も、角々の墓地の名前を確かめながら進んで、ようやくたどり着く。先生が亡くなられたのは、1979年、73歳であった。先生とその両親のお墓をここに建てられたのは、長男のMさん。平成に入って、奥様に続き、Mさんも62歳の若さで亡くなっている。夫の実家の義姉たちは、お参りしているが、私たちは果たせないでいた。墓参を済ませて、ほっとした思いで、参道の紅葉や見下ろす京都の街並みを眺めながら、ひたすら石段を下りたのだった。

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大河内山荘庭園へ

Dscn2324_2 亀山公園から大河内山荘へ向かう途中の右手から竹林の道が続く。行きも帰りも、御覧のような盛況ぶりである 

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京都が観光客でごった返しているようすが、土曜日の番組でも放映されていて、渡月橋の混雑ぶりは半端ではなさそうだった。バスも積み残しがあるとも報じていた。その嵐山に向かう、桂駅から乗った阪急嵐山線はさすがに混んでいた。終点の嵐山駅から中の島へ、そして渡月橋への道は、なかなか進みずらく、ときどき車道に出ながら、先を急いだ。目的地の大河内山荘へは、案内書によれば徒歩15分ということであったが、桂川沿いの遊歩道の人込みをかき分けるように進み、天龍寺への入り口を過ぎ、亀山公園、大河内山荘への道しるべに沿って上り始める。観光客はやや減ってはきたが、のぼり坂は、私には結構きつかった。すでに、30分近く歩いているのにと心配になるが、ようやく入り口が見えてきた。入園料は1000円ながら、お抹茶とお菓子つきということで、必死に歩いてきただけに、お休み処の一服はありがたかった。

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回遊式の起伏も多い日本庭園の手入れは行き届き、紅葉も見事なものだった。昭和の初めから30年ほどかけて、約6000坪の庭園を造り上げていったそうだ。その主、大河内伝次郎と言えば、私は、戦後の東映時代劇での多くはわき役としての活躍していた頃のことしか知らないのだが、今どきのタレントの別荘とは違い、昭和前期のスターは格が違うな、文化が違うなと、感心するのだった。

Dscn2328        大乗閣、どこも手入れが行き届いていた

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Dscn2337             右手に小倉山をのぞむ


 年休を取っていた娘とのランチの約束が、京都駅のホテル内のレストランで、1時だったので、遅れてしまうとばかりに、急ぎに急いだ。そのさなか、早めに店に着いた娘からは、勤め先の会長が「店に来ているよォー」とのメールが入ったりした。この頃は、忙しいとかで、めったに帰省しない。10月には、東京出張の折、私たちが東京に出向いて夕食を共にしたのだが、そんなパターンができてしまいそうではある。京都の紅葉も堪能できたし、まあ、いいかぁ・・・。

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        201811dscn2342遊歩道から、渡月橋をのぞむ。廃船がただよう大堰川、上流は保津川と呼ばれ、 渡月橋から先は桂川と呼ばれているそうだ

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