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2018年12月 7日 (金)

そうだ、京都、行こう!?紅葉の大河内山荘庭園へ

11 月下旬の連休中の京都は、混雑が予想されたが、連休最後の日曜日の所用ついでに、たまには京都の紅葉でもということになった。夫は、嵐山のトロッコ列車をと希望していたが、満席で予約を取ることができなかったそうだ。それではということで、かねてより、かつての時代劇俳優大河内伝次郎(18981962)の広大な別荘が、公開され、その庭園、紅葉も見事だと聞いていたので、出かけることになった。そして、さらに、この折しかないのではと、いうことで、夫の生家では家族ぐるみでお世話になったK先生、私もポトナム短歌会で指導いただいた先生の墓参を予定していた。日曜日の夕食は、京都へ転勤して4年目の娘の案内で、四条烏丸のイタリアンレストランとなった。静かな隠れ家的な雰囲気で、上品なコース料理をいただいた。娘とは、翌日の昼食も約して別れた。少し歩いて、池坊短大近くの宿、まずは熱い緑茶でくつろいだのだった。

 

京都霊園へ

寒い、冷え込むと言われた翌11月26日は、晴天に恵まれ、少し歩くと汗ばむほどだった。K先生の墓地は阪急桂駅からバスで、沓掛インターの近くという京都霊園である。成章高校行きバスで、駅を出てしばらくは、京都の町屋造りの立派な家がかなり見受けられた。新しく建て直した家も、こじんまりしたマンションも続く。国道9号線を進み、京都市立芸大辺りを過ぎると、沿道の様子がかわり、下車の停留所「沓掛西口」までには「沓掛」が付く停留所がやたら多く、紛らわしい。高架の高速、京都縦貫自動車道が見えてくると、その直下が「沓掛西口」だった。下車するなり「京都霊園」の立派な碑が眼に入る。墓地の番地はわかっていても、探すのは大変なので管理事務所に寄ってくださいと言われていた。斜面にひろがる霊園は、幾つもの区画に分かれている。地図で説明を聞いているうちに、探すのに時間がかかるでしょうからと、ありがたいことに車で案内してくださることになった。中腹の休憩所で下車、自動販売機でお花を買って、また車で上ったあたり、表示があまりはっきりしていないので、案内の人も、角々の墓地の名前を確かめながら進んで、ようやくたどり着く。先生が亡くなられたのは、1979年、73歳であった。先生とその両親のお墓をここに建てられたのは、長男のMさん。平成に入って、奥様に続き、Mさんも62歳の若さで亡くなっている。夫の実家の義姉たちは、お参りしているが、私たちは果たせないでいた。墓参を済ませて、ほっとした思いで、参道の紅葉や見下ろす京都の街並みを眺めながら、ひたすら石段を下りたのだった。

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大河内山荘庭園へ

Dscn2324_2 亀山公園から大河内山荘へ向かう途中の右手から竹林の道が続く。行きも帰りも、御覧のような盛況ぶりである 

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京都が観光客でごった返しているようすが、土曜日の番組でも放映されていて、渡月橋の混雑ぶりは半端ではなさそうだった。バスも積み残しがあるとも報じていた。その嵐山に向かう、桂駅から乗った阪急嵐山線はさすがに混んでいた。終点の嵐山駅から中の島へ、そして渡月橋への道は、なかなか進みずらく、ときどき車道に出ながら、先を急いだ。目的地の大河内山荘へは、案内書によれば徒歩15分ということであったが、桂川沿いの遊歩道の人込みをかき分けるように進み、天龍寺への入り口を過ぎ、亀山公園、大河内山荘への道しるべに沿って上り始める。観光客はやや減ってはきたが、のぼり坂は、私には結構きつかった。すでに、30分近く歩いているのにと心配になるが、ようやく入り口が見えてきた。入園料は1000円ながら、お抹茶とお菓子つきということで、必死に歩いてきただけに、お休み処の一服はありがたかった。

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回遊式の起伏も多い日本庭園の手入れは行き届き、紅葉も見事なものだった。昭和の初めから30年ほどかけて、約6000坪の庭園を造り上げていったそうだ。その主、大河内伝次郎と言えば、私は、戦後の東映時代劇での多くはわき役としての活躍していた頃のことしか知らないのだが、今どきのタレントの別荘とは違い、昭和前期のスターは格が違うな、文化が違うなと、感心するのだった。

Dscn2328        大乗閣、どこも手入れが行き届いていた

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Dscn2337             右手に小倉山をのぞむ


 年休を取っていた娘とのランチの約束が、京都駅のホテル内のレストランで、1時だったので、遅れてしまうとばかりに、急ぎに急いだ。そのさなか、早めに店に着いた娘からは、勤め先の会長が「店に来ているよォー」とのメールが入ったりした。この頃は、忙しいとかで、めったに帰省しない。10月には、東京出張の折、私たちが東京に出向いて夕食を共にしたのだが、そんなパターンができてしまいそうではある。京都の紅葉も堪能できたし、まあ、いいかぁ・・・。

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        201811dscn2342遊歩道から、渡月橋をのぞむ。廃船がただよう大堰川、上流は保津川と呼ばれ、 渡月橋から先は桂川と呼ばれているそうだ

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