« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »

2019年1月28日 (月)

本の始末、資料の不始末~なぜ過去を捨てきれないのか?!

 

好きな言葉ではないが、これは「終活」の一つということになるのだろう。私が利用している生協の生活クラブで、古書の回収を年に2回ほど行っている。NPO法人を通して障がい者施設の支援に充てるという。アマゾンなどを利用して換金するそうだ。あまり傷んだものは出せない。前にも回収に出したことはあるが、今回、思い切って少しまとめて、出そうと準備をしている。どちらかといえば、ポピュラーな読み物、文庫・新書ものが多くなる。

いうほどの、蔵書ではないけれど、短歌などにかかわって半世紀も過ぎると、古本屋さんには嫌われる歌集は増えてゆく。歌集や歌人評伝・短歌史関係書も扱い、販売目録も定期的にメールで届く古書店には、買い取ってもらえそうで、仕訳している。これから、もしかしたら、もう一度読まなければならない、あるいは読んでおきたいもの、個人的に、まだ、どうしても手元に置いておきたいものは取り置いて、他は、欲しいと思う人に届くかもしれないという、かすかな願いを込めて、手離す方の段ボールに入れてゆく。

天皇制に関する本は、資料的な価値のあるものは、まだ手離せない。女性史、沖縄史、メディア史、憲法関係も同様である。図書館勤めが長かったこともあり、また大きな図書館が近くにないこともあって、必要に迫られて求めた各種の辞典・事典類や年表類、資料集などのレファレンスブックが捨てられない。厚くて重い図書館の雑誌目録などはインターネットの普及で、もはや不要になったのはありがたい。

 古い旅行書は捨てるにしても、若いとき、結構買っていた文学散歩や史跡や西洋館巡り、路地裏散歩のような案内書は、もう利用しないだろう。それに、かつては、気軽に買っていた美術展のカタログ、博物館・文学館展示のカタログも、思い出はあるが、手離す方が多い。画集となると、数は少ないが、まだ持ち続けたい。「過去を引きずる?過去を捨てきれないオンナ!」であることは否定できない。

資料収集にかけては、第一人者であり、私も戦時下の歌集など譲っていただいたこともある櫻本富雄さんや名古屋の短大図書館時代、歌人であり、教授でいらした熊谷武至さんのお二人が、期せずして、本当に読んでくれる人、使ってくれる人に届けるには、やはり古書店に返すのが本筋だという趣旨のことをおっしゃっていたことを思い出す。

それにつけても、私の大学図書館勤めの時代、退職される教授、大学と縁のあるという「蔵書家」やその遺族から、千単位の蔵書寄贈の話が持ち込まれることが何度かあった。そんなときは、書架不足や人員不足を理由に丁寧にお断りするか、それができない場合は、いわゆる「〇〇文庫」として別置するのではなく、一般の図書と同様の保管・利用に供すること、すでに所蔵している資料、副本や史料価値の判断、処分を任せてもらい、整理も少し遅れるという条件で受け入れていた。いささか不遜な姿勢だったかもしれないが、小規模図書館では、致し方ない対応だと思っている。

一昨年だったか、京都市が寄贈を受けた桑原武夫蔵書を廃棄したというニュースが報じられたとき、さもありなんとも思ったが、寄贈を受ける側の毅然とした態度も必要で、あいまいにしていたのだろう。「〇〇文庫」、特殊コレクションとして、個人名を付したい願望のある向きは、個人の記念館や資料館などを設立した方がよい。これも維持管理が難しいので、遺族や後継者はよほどの覚悟が必要となる。

比較的財政的な基盤がしっかりしている国公立の図書館や文学館・資料館などは、予算と人材を確保し、将来を見据えた収集・保管・利用の計画が必要なはずだ。なのに、全国の自治体において、指定管理者制度導入に伴い、図書館までがツタヤなどによる民営化が広まりつつある傾向には疑問が多い。

一口に資料といっても、その形態はさまざまで、漫画、絵本・紙芝居、文書や書簡、和装本、巻物、レコード・楽譜、CD、演劇や映画の台本などというのもある。基本的には、国立図書館が網羅的に収集・保管・利用のセンターとなるべきで、資料によっては、専門的な知識や技術が欠かせないので、役割分担をする必要もあるのかもしれない。ユニークな雑誌コレクションとその索引づくりを誇る「大宅壮一文庫」だが、財政的危機にさらされているという。公的な支援があってしかるべきだろ。

 私の場合、短歌雑誌類も利用しようと思って、気になる特集や関心のある歌人の特集の号だけが並ぶ。わずかながら、自分の短歌やエッセイの掲載号もコピーは取ってあるものの捨てがたい。どれかの雑誌に毎号のように登場する人気の歌人たちはどうしているのだろう、などと余計な心配もする。

 それに私には、長らくかかわってきたもう一つのテーマでもある、地域の問題がある。自治会、地域の開発・街づくり、県政・市政に関する情報公開文書や関係資料、これはほとんど、切り抜きや文書なので、冊子のファイルで保管しているが、かさばるので、このごろは店でもらう紙の手提げ袋や大きな茶封筒を仕訳に再利用している。「自治会の法人化」「自治会と寄付・社協・日赤・消防団」「順天堂大学誘致問題」「航空機騒音」・・・。それに、参加してきた市民集会や活動の資料やチラシなども結構な量になる。それらが、押し入れや物置にひしめいている。そんなわけで、近頃は、必要なときに、必要な資料が出て来ないこともたびたびで、きのう置き換えた資料を、ない、ないと探すこともある。

 それにしても、学生時代使ったはずの法律の本は、引っ越しの折に始末?あまり勉強しなかっただけに未練がなかったのかもしれない。憲法のコンメンタールと判例百選、我妻民法、法律学全集の幾冊かだけが申し訳のように残されている。

 「終活」といい、「生前整理」といい、本の始末だけでも楽ではない。昔を思い出しては、作業の手が止まる。棚から降ろして、埃をぬぐう。今日は、のども、腰も痛めたらしく、早寝を決めた。

ああ、もう生前整理、遺品整理業者に任せるしかないか。

2001317img075
前回の記事で、昨年受けたインタビューのことを書いたが、今回の作業中に古いファイルの中から、赤茶けた新聞が出てきた。ああ、そういえば、『現代短歌と天皇制』を出版した当時、『図書新聞』でこんなインタビューを受けていたのだったと、あらためて読み始めたのだった。なんと3頁にもわたっての収録で、立派な見出しと、各頁には、発言の一部分が大きく見出しのようになっていた。聞き手の米路さんと佐藤さんにリードされて、何とかおしゃべりができた記憶がよみがえった。斎藤茂吉と市川房枝の写真には、「え?」と思ったが、確かに言及している。しかし宇野浩二と広津和郎の写真はなぜ?記事の発言には登場してこないが、どこかで二人に話が及んだのだろうか。

Img077



Img078

今、読み直してみても、その後の拙著での「はしがき」や「あとがき」で書いていることの繰り返しのようにも思えた。ほとんど同じことしか言ってないではないか。新著の斎藤史の本に関しての感想を発信されたツイートの一つに、「著者の天皇制批判は、念仏のようだ」とも評された。「うーん」、肝に銘じたい。

| | コメント (0)

2019年1月18日 (金)

昨年は、二つのインタビューを受けて~

 

 

 昨年末、短歌誌『合歓』の発行人である久々湊盈子さんのインタビューを受けた。『合歓』では、毎号、歌人などのインタビュー記事があって、その人選びも中身も、聞き手のリードもあって、楽しく読ませていただいていた。今回、思いがけず、そのオファーを受けたのだ。久々湊さんとお話するようになったのは比較的最近で、20161月「短歌サロン九条」でレポートをと、声をかけてくださったのも彼女だった。『心の花』、『個性』を経て、1992年から『合歓』を発行されている。歯切れのいい、骨太の作品や評論を発信し続けていて、大変、行動的な歌人でもあり、「酒豪」とも漏れ聞いている。

 

 天皇の代替わりが迫る「今でしょ!」とばかりに、短歌と天皇制についても話し合えたらとの趣旨は、ありがたいことだった。私も慣れないことなのでかなり緊張していたかもしれない。当方の住まいの近くのホテルのロビーでお会いした。

 

 気っ風のよさと細かい心遣いを併せ持つ話術にリードされて、終戦はどこでどんな風に迎えたかに始まり、いわば生い立ちから、短歌を始めた動機なども尋ねられた。表題にもあるように「短歌と天皇制と憲法と」に及び、沖縄の旅から帰ってきたばかりという久々湊さんからは、沖縄の現状についても貴重な話を伺えたのが、有意義であった。終了後は駅前の居酒屋で、インタビューにも同席された歌人のKさんと3人で、私もいささか盛り上がったのだった。

 数日前に届いた、そのインタビュー記事が載った『合歓』83号(20191月)は、大きな図書館や千葉県内の大きな図書館では読めると思う。そこでお会いできたらうれしいのだが。

 

◆ 「インタビュー・内野光子さんに聞くー短歌と天皇制と憲法と」(聞き手:久々湊盈子)『合歓』83号 20191

 


20191img022_2_4


 

なお、昨年の初めの『法と民主主義』編集の弁護士の佐藤むつみさんとのお話も楽しかったが、その時の様子は、下の当ブログ記事を参照ください。

 

 ゴールデンウィークのさなかですが~(201854日)

「私の歌に連なる他者へ」(聞き手:佐藤むつみ、「あなたとランチを」NO.35)  『法と民主主義』(日本民主法律家協会) 20184 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/05/post-d6fe.html

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2019年1月17日 (木)

2019年、歌会始は終わったが~召人は二人?

 

 今年の歌会始の中継は、忘れずに見た。今の天皇夫妻にとっては最後の歌会始ということらしい。天皇の短歌ばかりが、メデイアでは繰り返されていた。

 

 私が、とくに印象に残ったことといえば以下の通りだ。

 

平成最後の歌会始といっても、格別応募歌数が多くなく、二万首を少し超えた程度だった。入選者の一番の若手は16歳の女子高校生で、最年長者は、30代から応募を続けていたという89歳の男性だった。203040代が一人もおらず16歳から 58歳にとぶ。世代別の歌会始、短歌への関心の在りようを示していよう。中・高校生については、歌会始応募に熱心な学校、教師の指導が左右しているのかもしれない。

 

 また、今年は、選者の最年長者篠弘の作品が披講されたが、その間、杖をついて立っていたのがつらそうでもあった。今年の召人は俳人鷹羽狩行と栗木京子の二人であったらしいのだが、鷹羽の作品が披講されたが、栗木や他の選者の名前の紹介もなかった。そして不思議だったのは、手元の三紙、翌日17日の朝刊、朝日、毎日、東京新聞にも召人の栗木の名前も作品も掲載されていない。たしかに、栗木は、入選者と選者の間の席に着いていて、その姿は、なんども映されていた。テレビでは、陪聴者の席でもないし、どういう立場なのかわからなかったのだが、ネットで検索してみると、jijicom(時事通信)の記事には、つぎのように掲載されていた。

 

 【召人】
 鷹羽狩行さん
 ひと雨の降りたるのちに風出でて一色(いつしよく)に光る並木通りは
 栗木京子さん
 言葉には羽あり羽の根元には光のありと思ひつつ語る

 

 ということは、来年の選者は、篠弘に替わって、栗木京子が就く前触れかな、などとも。女性選者が今野寿美と二人時代が再来するかもしれないなど、予想屋みたいなことは、はしたないと思いつつも・・・。

 それにしても、これから代替わりまでの半年は、歌壇も何かとざわつくかもしれない。

 

 そんなことを考えていたとき、旧著の出版元、名古屋の風媒社からのメールで、『週刊金曜日』天皇制特集(2019111日)で『現代短歌と天皇制』(2001年)が紹介されているのを知った。旧著がこうした形で読まれ、推薦されていることを知って、正直、ありがたかった。

20191img010_1_2           ↑ 最下段⑥に数行の言及がある。                     
                      

51axz4cxh3l__sx332_bo1204203200_

 

| | コメント (2)

2019年1月11日 (金)

天皇の短歌の登場は何を意味するのか

「ヘイセイ」「平成」とメディアは大騒ぎするけれど、天皇の代替わりで何が変わるのだろう。元号が変わったからと言って、日本国憲法下の世の中、変わるものがあるとしたら、逆におそろしい気がする。 

たった二年間ながら、私は、新卒で、学習院大学の職員として勤務したことがある。そんなこともあって、学習院同窓会「桜友会報」がいまだに送られてくる。最新号113号の(2018年12月)の特集は「[平成]両陛下30年の旅」であった。年表を含む6頁にわたるもので、一覧できる資料としては、便利に使わせていただいている。学習院同窓会の会報がこうした特集を組むことは、その沿革からうなずけないこともない。誌面から、すでに他界された先生方も多いけれど、ゼミのOB会などのレポートで、見知った先生のお元気な様子を知ったりもする。

Img006

 だが、一般の全国紙やテレビ局が「平成最後の」「代替わりを前に」などという機をとらえて、天皇夫妻あるいは天皇家の内情や動向を事細かに報道する必要があるのだろうか。たしかに、天皇は、日本国憲法の下では「国民統合の象徴」であり、皇族方の生活は国費によって賄われている、といった視点からの報道は、なされなくてはならないだろう。 

しかし、メデイアから発信される記事や番組の内容はといえば、趣向や視点が若干異なるものの、皇室は、「国民に寄り添い、平和を願い、家族や自然をいつくしむ」人々として語られ、結果的に「天皇陛下万歳」の世界に終始する。

 天皇(家)から直接国民に発信できる場は、たしかに限られている。国事行為や公的行為における「おことば」や「記者会見」などでの質疑が思い浮かぶが、しばしば登場するのが、「短歌」なのである。わかりやすく、なにしろ短い文言なので、「お気持ち」や「心情」が端的に表現されて、人々の心にも届きやすいとして、メディアにも好まれるのだろう。昭和天皇死去報道の際にも、天皇の短歌がクローズアップされ、それをめぐって、歌人たちの論評や発言も相次いだ。 

前回の記事でもふれたが、今回の代替わりを前にしても、東京新聞には「象徴のうた 平成という時代」(永田和宏)が連載中であるし、今年の元旦の朝日新聞では、昭和天皇晩年の短歌とメモが新たに発見されたと、大々的に報じた。そしてさらに昭和天皇の命日となる1月7日には、その“新発見”の短歌の解釈や解説をし、歴史家などのコメントも添えて、天皇の日常や折に触れての苦悩を「短歌」から読み取ろう、という趣向である。代替わりを前に、昭和天皇の短歌にもさかのぼって「昭和史」をたどろうということらしい。

Img005

          2019年1月7日「朝日新聞」朝刊より

  しかし、天皇に限らず、短歌で歴史を読み解くリスクは、心得ておかねばならない。まして、天皇の「表現の不自由」な状況で作られる「短歌」であること、その短歌も、今回の記事の「和歌づくりの流れ」でもわかるように、いわば、公文書作成の流れにも似ていること、がわかる。短歌のためのメモから公表までの過程に、何人かの手が入っていることも伝えられた。かつて、私も、入江相政(元侍従長)日記から同様の感触を得ていたことも思い出す。 

 代替わりをはさんで、天皇(家)の短歌が、何かと話題になることも多くなるだろう。心情や真情を吐露しやすいからと言って、短歌一首を、断片的に過大評価してはならないし、不自由な環境の中ではあるが、そこでの発言や活動をトータルに検証していかねばならないのではないか、と思う。

 

 

 

| | コメント (0)

2019年1月 3日 (木)

<平成最後>の歌壇

会員である短歌誌『ポトナム』の一月号に書いた「歌壇時評」を転載します。もともと、題はついていないのですが、表題は上記のようにしました。今年の<平成最後の歌会始>は1月16日だそうです。

********* 

天皇の代替わりが迫っている。世間では、昨年後半あたりから、「平成最後の・・・」を冠した行事や企画が盛んになった。歌壇も決して例外ではない。今年も、一月中旬には「平成最後の歌会始」(1月16日)が開かれる。「歌会始」というのは、天皇への詠進歌のなかから、選者によって選ばれた短歌の作者を皇居に招待して、皇族・選者・入選者・読師らによって演じられている儀式である。それを陪聴する者も、「だれか」に選ばれて招待されている。それに参加することが、またとない「栄誉」とされてもいる。短歌が「天皇に詠進されて」、はじめて成り立つ「歌会」、そこには、「詠進される者」と「する者」とのおのずからの上下関係が、自明のごとく前提になっている。このような「歌会」が短歌を詠む者あるいは短歌を愛好する者たちが楽しみ、学ぶ場なのだろうか。
 

天皇の死去や高齢という個人的な理由による退位に従い、元号をもって時代が区切られるという社会と上記のような「歌会」の在りようは、日本国憲法が目指す民主主義社会とは相容れないものであろう。元号が代わることによる影響は、さまざまな分野で予想される。事務的な処理の対応だけでも莫大な費用がかかると言われている。すでに、年号表示の基本は西暦にすべきではないかとの流れもあるなか、今こそ、変えることができるチャンスのはずであった。日本の近代国家が形成される明治から、すでに四つの元号を持ち、さらに新元号が加われば日本の近代史は、五つの年号で語られることになる。その混乱から逃れるためにも、歴史を学ぶも者も研究する者、正確な記憶や思い出を大事にしたい人びとのためにも、そろそろ西暦を基本にすべきではないのか。  

ちなみに、『短歌研究』『短歌』『現代短歌』『短歌往来』『歌壇』の背表紙の年月表示は、すべて西暦であり、奥付はすべて、元号表示となっている。あたらしい元号になっても、踏襲されるのか。 

 

 昨秋、雨の中の「平成最後の園遊会」の様子が報じられていた。中央省庁の役人が推薦する「功績」のあった人々を招き、予め設置されたカメラによる、限られた五人の招かれた者と天皇夫妻との間で交わされる会話の場面が放映される。天皇は、十人ほどに絞られた招待者の中から五人を選ぶというのが慣例らしい。どこか噛み合わない天皇夫妻との対話にただよう「ギャップ」を期待したり、楽しんだりしている視聴者がいるのは確かかもしれない。しかし、これが象徴天皇の、国民に「寄り添う」仕事なのだろうか。また、招待されたタレントやスポーツ選手たちに、ぎごちない敬語を使って、その緊張ぶりを語らせるのも、メディアの常套手段になっている。 

この園遊会よりはいささか「文化的な香り」を漂わせる「歌会始」に招待されたり、さらに、文化勲章・文化功労者・紫綬褒章などを授かったりして、ひとたび二重橋を渡ると、かつて革新的な、あるいは、現在「リベラル」を標榜している「文化人」たちでさえも、しっかりと絡めとられ、「天皇」の紋章をフルに活用するようになる例は珍しくもないない。歌人でいえば、あたかも天皇(皇室)と国民とをつなぐ架け橋として、いや、皇室のスポークスマンのように振る舞ってきた歌会始の選者たち、キーマンとされた木俣修、岡野弘彦、岡井隆などに続くのは誰なのだろうか。

 

 最近、未知の人から届いた手紙に、ある革新団体の会報のトップにある永田和宏氏のインタビュー記事「劣化し無化する言葉―民主主義の危機に立ち向かう」と『東京新聞』などに一年近く連載中の「象徴のうた 平成という時代」のコピーが同封されていた。二つの記事の整合性に疑問を持つのだが、歌人たちはどう受け止めているのか、と。

(『ポトナム』2019年1月号所載)

Img564_2          『短歌研究』2019年1月号

Img563
『朝日新聞』2019年1月1日、1面と39面、遅ればせながら今日3日に元旦の新聞を読んでびっくり仰天した。「天皇はイイひと」は、平成ばかりでなく昭和にも及ぶ。その証に「短歌」がまた登場し、大きな役割を果たしていることは、30年前と一つも変わってない。

 

 

 

| | コメント (0)

2019年1月 1日 (火)

新春 2019.1.1.

 

新年のご挨拶申し上げます。

ブログをお訪ねくださり、ありがとうございます。あれこれと気の赴くままに、雑多なレポートを書いています。

 

今年の天皇代替わり、地方統一選挙・参院選に続くオリンピック、大阪万博とイベントへと傾れてゆく日本の行方に不安が募ります。

 

昨年5月、ミュンヘンとワルシャワの二都市をめぐる旅では、複雑な政情の中、反政府の市民集会・行進にも出会いました。家族連れや若い人たちが多いのに目をみはりました。ミュンヘンでは、郊外のダッハウ強制収容所では衝撃を受けましたが、美術館巡りやワルシャワの動物園、ワジェンキ公園のショパンピアノコンサートにはいささか心和む旅でもありました。

 

今年もお訪ねくださり、ご意見など伺えれば幸いです。

 

皆様のご健勝を祈ります。

Photo これまで、イチジクの枝にミカンなどを刺しておくと、ヒヨドリはじめメジロなどがよくついばみに来ていた。昨秋、シルバーセンターの方に作ってもらったエサ台、めったに鳥の姿を見かけなかったところ、冷え込みが厳しくなると、やってきた。遠くからのデジカメでは、その姿を写すことは難しい。

| | コメント (0)

« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »