<平成最後>の歌壇
会員である短歌誌『ポトナム』の一月号に書いた「歌壇時評」を転載します。もともと、題はついていないのですが、表題は上記のようにしました。今年の<平成最後の歌会始>は1月16日だそうです。
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天皇の代替わりが迫っている。世間では、昨年後半あたりから、「平成最後の・・・」を冠した行事や企画が盛んになった。歌壇も決して例外ではない。今年も、一月中旬には「平成最後の歌会始」(1月16日)が開かれる。「歌会始」というのは、天皇への詠進歌のなかから、選者によって選ばれた短歌の作者を皇居に招待して、皇族・選者・入選者・読師らによって演じられている儀式である。それを陪聴する者も、「だれか」に選ばれて招待されている。それに参加することが、またとない「栄誉」とされてもいる。短歌が「天皇に詠進されて」、はじめて成り立つ「歌会」、そこには、「詠進される者」と「する者」とのおのずからの上下関係が、自明のごとく前提になっている。このような「歌会」が短歌を詠む者あるいは短歌を愛好する者たちが楽しみ、学ぶ場なのだろうか。
天皇の死去や高齢という個人的な理由による退位に従い、元号をもって時代が区切られるという社会と上記のような「歌会」の在りようは、日本国憲法が目指す民主主義社会とは相容れないものであろう。元号が代わることによる影響は、さまざまな分野で予想される。事務的な処理の対応だけでも莫大な費用がかかると言われている。すでに、年号表示の基本は西暦にすべきではないかとの流れもあるなか、今こそ、変えることができるチャンスのはずであった。日本の近代国家が形成される明治から、すでに四つの元号を持ち、さらに新元号が加われば日本の近代史は、五つの年号で語られることになる。その混乱から逃れるためにも、歴史を学ぶも者も研究する者、正確な記憶や思い出を大事にしたい人びとのためにも、そろそろ西暦を基本にすべきではないのか。
ちなみに、『短歌研究』『短歌』『現代短歌』『短歌往来』『歌壇』の背表紙の年月表示は、すべて西暦であり、奥付はすべて、元号表示となっている。あたらしい元号になっても、踏襲されるのか。
昨秋、雨の中の「平成最後の園遊会」の様子が報じられていた。中央省庁の役人が推薦する「功績」のあった人々を招き、予め設置されたカメラによる、限られた五人の招かれた者と天皇夫妻との間で交わされる会話の場面が放映される。天皇は、十人ほどに絞られた招待者の中から五人を選ぶというのが慣例らしい。どこか噛み合わない天皇夫妻との対話にただよう「ギャップ」を期待したり、楽しんだりしている視聴者がいるのは確かかもしれない。しかし、これが象徴天皇の、国民に「寄り添う」仕事なのだろうか。また、招待されたタレントやスポーツ選手たちに、ぎごちない敬語を使って、その緊張ぶりを語らせるのも、メディアの常套手段になっている。
この園遊会よりはいささか「文化的な香り」を漂わせる「歌会始」に招待されたり、さらに、文化勲章・文化功労者・紫綬褒章などを授かったりして、ひとたび二重橋を渡ると、かつて革新的な、あるいは、現在「リベラル」を標榜している「文化人」たちでさえも、しっかりと絡めとられ、「天皇」の紋章をフルに活用するようになる例は珍しくもないない。歌人でいえば、あたかも天皇(皇室)と国民とをつなぐ架け橋として、いや、皇室のスポークスマンのように振る舞ってきた歌会始の選者たち、キーマンとされた木俣修、岡野弘彦、岡井隆などに続くのは誰なのだろうか。
最近、未知の人から届いた手紙に、ある革新団体の会報のトップにある永田和宏氏のインタビュー記事「劣化し無化する言葉―民主主義の危機に立ち向かう」と『東京新聞』などに一年近く連載中の「象徴のうた 平成という時代」のコピーが同封されていた。二つの記事の整合性に疑問を持つのだが、歌人たちはどう受け止めているのか、と。
(『ポトナム』2019年1月号所載)
『短歌研究』2019年1月号
『朝日新聞』2019年1月1日、1面と39面、遅ればせながら今日3日に元旦の新聞を読んでびっくり仰天した。「天皇はイイひと」は、平成ばかりでなく昭和にも及ぶ。その証に「短歌」がまた登場し、大きな役割を果たしていることは、30年前と一つも変わってない。
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