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2019年3月22日 (金)

お彼岸に生家へ、あらためて「池袋の森」へ

 お彼岸ながら、お墓参りは失礼して、池袋の生家の仏壇にお花だけでもと思い、出かけた。池袋の西口から地上に出るたびに、駅前の様相や生家付近の平和通りの様子が少しづつ変わっていく。生家は、長兄が亡くなった後は、義姉が一人で、たばこ屋を営んでいる。この日は、同じビルの階上に住む姪夫妻も、渋谷の三宿で開いている店の定休日とあって、合流、久しぶりにおしゃべりを楽しんだ。
 お互いにご無沙汰ばかりを続けている親戚の消息や思い出話になるが、姪は「いつも母親のこの種の話には分からないこともあって反応が鈍いんだけど、今日は、いろいろ話せたようでよかった」とも言ってくれたが、私の方こそ、疎開中世話になった親戚やその後も親しくしていた親戚は代替わりとともに疎遠になってしまったり、久しぶりに従妹たちと再会を果たしたりした話などを聞いてもらったのではないかと思っている。私の母と義姉の生家とは、そもそも遠縁ということもあって、共通の親戚も多かったのである。
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 そんな時間を過ごした後、家から駅に向かう平和通りから少し入った「池袋の森」にも、久しぶりに立ち寄った。ここはもともと、林業史、林政学の大学教授だった島田錦蔵氏(1903~1992)宅の屋敷跡である。1945年3月14日未明の城北大空襲で焼け出されたのは、私の生家と一緒であった。戦後、島田先生にはお会いしたようなしなかったような・・・。夫人の島田美恵子さんは、たしか自由学園出身で、テキパキとした知的な方で、「母親勉強会」を立ち上げて、教育問題や女性の地位向上のための活動を続けていた。私の母も参加していたので、母とお宅を訪ねたこともあった。庭が広く、樹木の多いお宅だったことを思い出す。昔は「島田牧場」?だったという話を母から聞いたことがある。今では、高層のホテルやビルに囲まれた、小公園「池袋の森」となっている。錦蔵氏の没後まもなく、豊島区が買い取って、1997年4月に開園した由、約1500㎡、島田氏も豊島区もいいものを残してくれたなあ、と思っている。公園は、中央に池とログハウスを配し、戦前からのユリノキの大樹もあり、街の喧騒を離れての、つかの間の静寂の空間ともいえる。
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トンボの池とあるが・・・
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線路をはさんだ東口のごみ処理場の煙突が高い。むかし、マンモスプールがあったあたりか。
 また、余分のことながら、東口の巣鴨拘置所(現サンシャイン)近くに、島田夫人のお母さんが「スガヤ服装学院」を開いていることも、よく聞かされたことだったので、帰宅後調べてみると、1948年開校、2010年に生徒減少のため、法人解散、学校廃止となっていた。やはり東口のキンカ堂が突如閉店したのも2010年(2011年に破産)だった。池袋の戦後復興史を物語る要の一つだったかもしれない、時代の大きな流れを見るようであった。
 姪の話で、東武デパートの旭屋書店で、私の新著『斎藤史・・・』を見つけたよ、一冊だったけど、と聞いたのが気になって、7階の書店に寄ってみた。どこのコーナーだったか聞き忘れ、「短歌・俳句」「随筆」コーナーなど回ってみたが見つからなかった。ということは、一冊売れたことになるのかな?店内の検索機で探してみると、合著も含めて拙著が6冊ほどヒットしたが、いずれも「取寄」の表示となっていた。できれば東口のジュンク堂にも寄ってみたかったのだが、百田尚樹や樹木希林の本が山と積んであるのを横目で見ながら、その意欲を失い、東武デパ地下で少しばかりの買い物をして帰途に就いた。
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西口の駅前の真正面にこんな植え込みがあるのに、初めて気づいた。「えんちゃん」一家だそうだ。池袋には「いけぶくろ」にちなんだ「ふくろう」があちこちに出没する。北口方面の奥に見えるのがドン・キホーテ、昨年の6月にオープンしたという。
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正面から見ると、えんちゃん一家の全貌が。左側に「のとや」のビルが、1階に「のとや」健在、闇市の時代からある店、一度寄ってみたい。

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