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2019年4月30日 (火)

改元の狂騒の中で~「寄り添う」という言葉のうらおもてを考える

 きょう、4月30日の朝日新聞は、異様な紙面構成だった。これは丸ごと保存しておかねばならない!一面トップと二面とにおいて、新元号に安倍首相が関与したことを示す記事と「退位の日『象徴』と『統合』模索は続く」と題した社説で一見バランスをとるかのようではあるが、1面からテレビ番組欄の32頁まで、天皇の退位・即位、改元関連記事で埋まる。わが家の他の購読紙3種と比べても、力の入れようが違っていた。今回の新元号関連記事は他に突出して多かったように思う。どう扱っても、祝賀ムードからは逃れられないのが、この種の記事である。今日のNHKもしかりで、読者や視聴者の関心は、もはやそんなところにはなく、復旧もままならない被災者は住まいや生計自体の不安を抱え、多くの国民は、連休の間の生活の備えは大丈夫か、消費税増税はやりきれない、公共料金・保険料や物価の値上げは続くのか、高齢者には、医療や医薬品、介護にかかる経費が心配でしかたない、というのが本音に近く、報道に登場するような、天皇の姿を見て涙したり、天皇に感謝したりするゆとりなどないのが大方ではないか。

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2019年4月30日『朝日新聞』朝刊一面

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2019年4月30日『朝日新聞」テレビ欄も・・・。

   元号が替われば<新しい時代>が来るかのような幻想を振りまいているのは誰なのか。過去の不正を、犯罪をなかったことにしたい政治家や官僚たち、商機と捉える人々、それに踊らされている一部の人たちにすぎない。10日の連休とて、満足に休暇とれる労働者は3割程度ということだし、時給で働いている人たちの減収、保育を要する子供たち、治療や介護を要する人々の多くが半ば置き去りにされる状況もあるなか、閣僚たちの<海外視察>が目白押しという。
 天皇が代わっても、当然のことながら、日本の安全保障環境の対米依存は揺るがず改元の狂騒に紛れてのトランプ大統領の来日は、アメリカからの武器爆買いを確固たるものにし、沖縄の辺野古基地新設工事は進んでしまう。労働者の正規と非正規の格差は広がるし、家庭内、教育やスポーツ界の現場における暴力問題は見えにくくなるだろう。そして何よりも恐ろしいのは、情報があふれるネット社会とは逆行するように、必要な情報が入手しにくくなる情報環境の格差・隠蔽、政府や企業、メデイアによる情報操作が助長されることなのではないか。

 今、私は、太平洋戦争下の雑誌を見ているのだが、たまたま、以下のような雑誌や新聞のコピーを見出して、妙な感覚にとらわれている。以下は、<紀元2600年>と喧伝された1940年の新聞と雑誌のコピーである。たしかに、<紀元2600年>をうたわないことには、紙も来ないし、検閲も厳しくなる時代であったと思う。しかし、メディアが競うように、積極的に体制に順応していった側面を見るような思いがする。現代も権力による情報統制は、悔しいながら、見えないところでがんじがらめになっていて、その不自由さは察しられる。

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1940年1月『婦人画報』グラビア

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1940年1月1日『東京朝日新聞』「紀元二千六百年本社の新事業」の社告

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1940年1月1日『東京朝日新聞』の「誰ぞ”紀元”の生みの親」の記事。朝日新聞は「紀元」や「新元号」をたどるのが、よほど得意なのか。少なくとも庶民にとっては、天皇も元号も、政治や企業が利用するものにしかうつらない。

  しかし、現代は、戦時下やGHQ占領下のような暴力的な検閲に比べれば、ある程度の自由は確保されているように思われる。それは、紙面や記者たちの書きぶりからもうかがわれる。そして何より、現在のところは、インターネット上の表現の自由は、ある程度確保されているので、NHKや大手メディアが報じない情報も浮上する。もちろん無責任な虚報もあり、玉石混交なので、そのリスクも負わねばならない。

 さらに、いまは手元の資料だけになるが、昭和天皇の死去と改元報道の一端を振り返ってみたい

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左が1989年1月7日『読売新聞』夕刊、右が『毎日新聞』夕刊。「ドキュメント『昭和』の終わり全報道記録」(マスコミ市民編1989年3月1日)

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1989年1が7日『毎日新聞』夕刊、中央に新元号「平成」の識者のコメントが並んでいた。『新聞紙面で見る20世紀の歩み』(毎日新聞社編刊 1998年7月)より。

  そして、いま、「平成」を振り返る報道が氾濫しているが、その解説には、頻繁に登場するのが、「寄り添う」という言葉だろう。天皇が国民の統合の象徴として、国民に「寄り添って」来たことが強調されている。象徴である天皇が国民に「寄り添う」ということはどういう意味なのか。寄り添い、寄り添われるという関係が「象徴」を介在して成り立つのだろうかと。家族や友人や仲間として、あるいは職業、報酬を伴うサービスとして成り立つものではないかと考えている。とすると、天皇と国民の関係に置き換えたとき、寄り添われた国民に生じる感情は、励まされた、ありがたい、うれしかったというレベルから尊敬の念にまで至るようなのだが、この関係が、本来「寄り添われる」べき、多くは、さまざまな意味での弱者であって、そこに届くべき政策や施策の脆弱さを覆い隠していなかったか、との思いがぬぐい切れない。その効用を天皇・政府サイドがともに了解し合っての行動にも思えてくる。まさに、天皇の政治的な行為となるであろう。

 さらには、11月に行われる大嘗祭はもちろんだが、改元前後の神道にのっとっての儀式、報じられる姿を見ているだけでも、「国民統合の象徴」とはとても思えない。こんな宗教的な儀式で、退位・即位する天皇が「象徴」ではありえない姿ではないのか。生身の人間が象徴になることはもはや不可能に近く、次にあげるような主な宮中祭祀をみただけでも、これらの宗教的儀式をおこなう以上、もはや国民の統合の象徴とはなり得ず、憲法の基本的人権を奪われた人間を前提にした「象徴天皇制」だったのである。庶民には異様な光景にしか思えない儀式ではないか。不平等を前提に特別扱いすることはすべての差別につながることから、憲法との整合性が問われ、直ちに見直さなければならない、と考えている。

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1989年2月24日、昭和天皇大喪の礼

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1990年2月23日、即位礼正殿の儀。宮内庁のホームページより。

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主要祭儀一覧 (宮内庁ホームページ)より
http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/saishi/saishi01.html

 

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