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2019年7月29日 (月)

はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(6)運河クルーズというけれど

 国立美術館を後にして、夕方は、といっても、まだまだ日差しが強い。中央駅前の遊覧船乗り場へ。50分弱で、12€とのこと。ここぞとばかり、チケット売り場で、二人の財布にたまった小銭をそろえて渡すと、小銭分は受け取らないというのだ。美術館の売り場などでは使うことが出来たのにと、何となく腑に落ちない。船はたちまちに満席となって、出発した。オランダ語と英語のガイドが流される。どんどん景色が変わっていく上に、窓越しなので、写真も思うように撮れなかったのが残念だった。

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見どころの一つ、七つの橋が見通せるスポットというのだが。

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船の形をした、科学技術博物館でした。

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だいぶ波が荒くなってきた。

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遊覧船を降りて、ふたたび中央駅前、ビクトリアホテル前で振り返ると、旧教会の尖塔が見えた。

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お目当ての、ガイドさんからも進められたお店を探しに、ダム広場に向かう途中、どうもタトゥーの専門店?の看板が見えた。ともかく、若い人に限らず、タトゥーをあらわに見せて?いる人がなんと多いことか。スーパーのレジのおばさんの手の甲にも、家族連れの若いお父さんお母さんも、屈強な男性の腕一杯の見事な花の絵だったり、若い細身の女性の二の腕にも・・・、というわけで、写真を撮りたい衝動にも駆られたが、見送るばかりだった。

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ダム広場では、ミュージシャンと日陰に集う人々、奥の広場では大きなシャボン玉を飛ばす芸人さんもいて、子どもたちが追いかけていた。ようやく見つけた店は、なんと、閉まっていて、しばらく前から休業中らしく、張り紙はあったが、その理由は読み取れなかった。

 夕食は、駅近くのピザ屋さんで。この日、1万2755歩。

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2019年7月26日 (金)

はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(5)アムステルダム国立美術館 2

 

  アムステルダムを夢中で歩いていた日から、はや1カ月もたってしまった。記憶もだんだん薄れてゆくのだが、わずかなメモを頼りに、記しておきたい一心で。

 喫茶室で一息入れてから、まためぐり始める。さまざまな絵に登場する犬、そのさまざまな表情や姿が印象的だったのは、かつてわが家に二匹の犬が暮らしていた頃を思い出したからかもしれない。

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アルベルト・カイプ「旗手と川のある風景」右手の赤い服を着た人の足元に身を低くく座っている犬がいる

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ここにもあったゴッホの自画像(1887年)、パリ時代、歯を抜いた後だったという。

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朝方の涼しさとは違って、強い日差しの中、庭園の噴水、間歇的に低くなったり高くなったり、その間を縫って出たり入ったり、若者たちが楽しんでいた

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はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(4)アムステルダム国立美術館 1

 6月26日、今日は一転して涼しい、過ごしやすい朝だった。朝食のバイキングは、目移りするが、5泊することでもあるし、体重管理もあるしで、あまり欲張らずに行儀よく?済ませた。きょうは、国立美術館、9時過ぎにホテル前のトラム停留所から2番で、きのうのゴッホ美術館の一つ手前で降りればよいはずだ。24時間チケットを車掌さんから買う。トラムの中央車両には、必ず車掌さんが席にいるので、チケットの自動販売機が苦手でも、何となく安心感がある。

 美術館前は、すでに、かなりの人で、正面には、見たことのある、赤い文字の”I am"のモニュメントが迎えてくれた。例のダジャレとでもいうのか”Iam"と、"amsterdam"をドッキングさせているのだが、ただいま、作業中で、”Iam"の後ろの白い文字を読むとamazon? ということになるらしい。 美術館がこの建物に移転して開館したのが1885年とのこと。アムステルダム中央駅と同じ、ペトロス・カイバースの設計による。なんと美術館の地上階の中央は、一般道路が通り抜けになっていて、自転車の往来も頻繁である。

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I amamazon・・・と読めるが、モニュメントはただいま工事中らしい。

 受付で、日本語のオーディ・ガイドがあるというので借りたが、ここでもガラケーの私 は、操作に戸惑う。私は、ふだん日本ではこの種のガイドは借りないことにして、気ままに自分のペースで鑑賞することにしているのだが、ここでは、あればありがたく、選択的に拝聴した。まさに「名画」が目白押しなので、どういう順序で回ればよいのか、いささか迷いもした、というより迷ってしまったのである。フロアガイドを落ち着いてみれば、それなりにわかりやすかったのだが、ともかく17世紀前のゼロ階の展示はスルーすることにした。

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日本語のフロア・ガイドがなかった。

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大がかりなショップ

 

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2階の中央の細長い部屋が「名誉の間」と名付けられ、レンブラント、フェルメール、ロイスダール、カイプなどが並ぶ。

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絵葉書より、フェルメールの「恋文」と「牛乳を注ぐ女」、ほかにも「デルフトの小路」「手紙をよむ青衣の女」があった。

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レンブラントの「夜警」は、かなりの大作と知る。その前で、小学生たちが、学芸員の話に耳を傾けている。こんな光景があちこちで見られたが、日本の展覧会では、あまり見かけない光景ではある。この部屋ではレンブラントの「ユダヤの花嫁」も人気のようだった。

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いずれもレンブラントだが、「老女の読書」も気にかかる絵だった。レンブラントの「自画像」は、現在、プラド美術館に貸し出し中とのことだった。

 昼食も忘れ、途中、アップルケーキでのお茶を挟んで、6時間くらい滞在したことになろうか。連れ合いが熱心に写真やメモを取っている間、私はベンチで休んだりしていることもあったし、もう一度確かめたいと部屋を行き来したり、フロアを上がったり下がったりもした。

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まん中のクッキーには、アムステルダムの市の紋章「アンドレの十字架」が焼かれていた。かなりのボリュームのあるアップルケーキも、美味であった。

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デフルトの陶磁器の展示も見ごとなものだったが、申し訳ない、駆け足で通り過ぎることもあった。

 

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2019年7月20日 (土)

選挙は明日、駅頭でチラシを配布したが

 危機といえば危機なのだが、私達が住んでいる辺りは、選挙の宣伝車も、街頭演説をやっているようでもない。「激戦区千葉」と言われながらも、いたって静かなものだ。私が参加している「さくら・志津憲法まもりたい会」でも、この選挙は、憲法9条にとっては重大な選挙だということで、急遽チラシを作成、7月14日(日)は京成線ユーカリが丘駅、きのう19日(金)は臼井駅で、「憲法9条に、自衛隊を書き込むな!」のチラシを撒いた。配布人員が4・5人ということもあって、受け取りが今一つながら、ともかく、できることの一つをやってみた、という思いではある。今回は、配布に立った人はすべて、マイクをもって、とにかく思い思いに訴えはした。

 「私は関係ない」と私たちを避けて通り過ぎる人、「何やってるの」とばかりに一瞥して去る人、横に小さく手首を振り受け取らない人、スマホから目を離さない人達が続く。休日には、楽しそうなカップルや家族連れも多い。安倍政権にどんなスキャンダルが持ち上がろうと、安泰なわけが分かるような気がする。「憲法9条を守ろう」という私たちにしても、仲間内で気勢を上げることはできても、広がらない。それでも、今回の選挙では、思いがけない知り合いから、熱烈な「れいわ新選組」支援拡散、「ほかにないから共産党」支持、「存亡賭けての社民党」支援の声が届いたりする。私には、つぎのような理由から、支持する政党がない。

 私自身は、今の憲法の前文や平等、基本的人権原則に反する「第一章」は要らないと思っているので、憲法”大改正””論者?なのに、当面は憲法9条はまもろうという半端なところに立っている。今回の選挙では、まったく争点にならない「天皇」、「天皇・改元の政治利用」「女系天皇・女性天皇の是非」への言及がなされる程度である。天皇は、ほんとうに国民に親しまれているのか、疑問のない存在なのか。政権も、政党も、司法も、マス・メデイアも正面から触れようとはしない。いや、保守政党のみならず、天皇制賛美の「文化人」や「学者」を、積極的に起用しているのは、なぜなのか。

 オリンピックにも、ジャニーズにも吉本にも、決して切り込まない政党やマス・メデイアのポピュリズムがここまで定着している恐ろしさに身震いさえ覚える。

 きのうのチラシ配布の折、「昔、貴族院だった参議院なんて要らねえ、やたらに高い給料取りやがって、6年間も安泰なんだよ」と言い、「あんたたち、何やってんの!」と”後期高齢者”と思われる男性に絡まれた?

 選挙で選ぶ人がいない、投票日を前に悩みは続く。

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2019年7月17日 (水)

「森友関連告発事件」再捜査の要請

 きょう7月17日は、久しぶりに霞が関へでかけた。午後からは待ちに待った青空も仰ぐことができた。最高検察庁、検事総長あての要請書を届けるという市民グループに同行した。

 もう2年近くも前のことになるのだが、国会の内外は森友問題で騒然としていたが、いまは、参議院選挙戦でも、「森友」の声は聞こえてこない。

 2017年6月、市民有志が、森友問題で刑事告発したが、18年5月、大阪地検は被疑者38人全員を不起訴にした。私も19人の告発人の一人になっていたのだが、これを不服として、大阪検察審査会に審査を申し立てていた。今年3月、一部「不起訴不当」の議決がなされ、大阪地検特捜部は、現在捜査中である。
 今日は、その告発事件について、大阪地検捜査担当者に対して、一切の政治的思惑を排して、刑事訴訟法と検察官の使命に従い、十全の捜査の上起訴処分に至るような指導を、と最高検察庁に要請したわけである。こうした要請を受けることは異例であるらしいのだが、代理人である弁護士さんたちと告発人たちとの熱意によって実現した。要請文の手渡しには、担当検事は出てこられなかったが、事務官3人に対して、要請の趣旨を説明した。そして、その報告を兼ねて、13時から司法記者クラブの記者会見となった。私のメモによれば、会見場には、15人、脚立のカメラが4台(TBS,テレ朝、テレビ東京、NHK)が入った。沢藤統一郎弁護士と告発人4人から、経過と各人の訴えがなされた。そこでは、「政治からの働きかけによる影響の有無についてはさらなる捜査がなされること」「公開の法廷の場で事実関係を明らかにすべき道筋をつけてほしいこと」が強調された。

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脚立の後ろの床にしゃがみこんでいる人たちがいる。メモを取ったり、電話を掛けたり、何やら機器を操作している人も。質疑を含めて30分弱で終了した。

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司法記者クラブでの記者会見、女性の記者は、3人、カメラマン1人でした。私は告発人の一人ではありましたが、<報道>に回りました。

 記者会見後、参加者らはしばらくお茶をしながら、おしゃべりに興じた。それなりににぎやかだったけど「どこのテレビが流してくれるかしら」となど話していたのだが、家の近くのバス停で降りたところ、車を止めて声をかけてくださる人がいた。「テレビで見ましたよ、さっき、大阪の森友の・・・」と窓を開けて、おっしゃるのは、向かいの家のご主人のKさんだった。私たちが30年前、引っ越してきたときはすでにお住まいだったKさん、ふだんはご挨拶するくらいなのだが・・・。あんな風に、親しげに声をかけてくださるなんて・・・、今日の疲れも、いささか報われたような気がしたのだった。いったい、どこのテレビのことだったのだろう。

 ネット検索で見出したのは・・・。もし、ほかの情報がありましたら、お教えください。

*NHK(動画ニュース)
 「森友問題で不起訴不当『厳正な再捜査を』市民団体が要望書」
 (NHK NEWS WEB 2019717 1729分)  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190717/k10011995861000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_013

*NHK関西 (動画ニュース)
「森友門だで厳正な再捜査を要望」
(NEWS WEB 07月17日 16時53分)
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190717/2000017677.html

 *テレビ東京(動画ニュース)
 「森友問題で最高検に要望書提出 『法廷の場で真相を明らかに』」
 https://www.youtube.com/watch?v=hrR15HngPbw&app=desktop

 *「共同通信」
 「高検に財務局担当者の起訴要請 友問題、東大名誉教授ら」
 (『共同通信』2019/7/17 17:25 (JST)
  https://this.kiji.is/524140153605162081?c=39546741839462401

  中国新聞、西日本新聞、日本経済新聞等が共同通信のニュースを掲載しています。
 
 独自の取材で、朝日新聞、赤旗での報道を見かけました。

 *「弁護士ドットコム」
 「森友問題は終わっていない」「公開の法廷で真相解明を」最高検に起訴要請
 (『弁護士ドットコム ニュース』20190717 1806分)

  https://www.bengo4.com/c_18/n_9897/

 

 

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2019年7月14日 (日)

はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(3)ゴッホ美術館

 午前中、案内いただいたMさんからは、停留所スパイからゴッホ美術館へは、トラムの②か⑫ですよと念を押されていた。トラムのチケットは、Mさんから渡された一日乗車券を使い、美術館のチケットは、当日売りでは行列するかもしれないというので、夫が日本を発つ前に予約、その時間14時と迫っていた。少し遅れて入館、エントランスは大変な賑わいだった。最初別館の方に入ってしまって、迷ってしまったのだが、何のことはない、エントランスのエスカレーターを利用すればよかったのだ。

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フロアマップの日本語版があって、一安心。この自画像は「暗色のフェルト帽をかぶった自画像」(1887年)。

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突き当りの奥には広いショップがあり、右手の奥の白い丸テーブルのドリンク売場も大賑わいだった。

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本館は、ゴッホ作品を管理する財団から永久寄託を受けて、1973年にオープン、窓から見える丸い建物が別館で、黒川紀章設計、1999年オープンしている。

 印象に残った作品は、「ひまわり」というよりは、執拗に描き続けた「自画像」であった。年表と共に自殺する1890年まで、その時代、時代の自画像が示され、それぞれの眼光で見つめられると重苦しい気分になってしまうのだが、最晩年の「花咲くアーモンドの木」のような、やさしい色合いの作品に出会うと、なぜかほっとした。初期の「じゃがいもを食べる人々」など農民を描いた作品は、その表情にもみられる彼らの逞しさと力強さへの羨望もあったのかもしれないと思った。以下作品の写真は、ネットから拝借した。

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「ジャガイモを食べる人々」(1885年)。
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「花咲くアーモンドの木」(1890年)。

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左が1887年制作、右が1888年制作の自画像

 午前中、よく歩いたので、ともかく、早めながら、美術館のカフェで、夕食をとることにした。といっても、あまり食欲なく、私は、生春巻きのようなものを、ドリンクといただいた。暑い一日が終わろうとしていたが、西日の日差しはまだまだきつい。早く汗を流したい一心で、ホテルに戻った。シャワーの後は、家から持参した緑茶を入れ、プッチーニのチョコレートをいただき、途中で買い込んだリンゴをしっかりと食べ、ようやくのどの渇きが収まったのだった。

 いま、ゴッホ美術館関係の資料を見ていると、館内のカメラは禁止で、ショップでも絵葉書はほとんど買っていなかったので、手元にあるのは、まさに花より団子で、ご覧のような絵に包まれたチョコレート、「花咲くアーモンドの木」のワッフル入りの缶、布財布だったりのグッズばかりであった。

 この日、歩いたのは、1万3207歩。

 

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もったいなくて?まだ開いてはいないチョコレート。

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左が「ポブラの小道」右が「夕暮れのポプラ並木」(いずれも1884年)、私の好きな作品。

 

 

 

 

 

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2019年7月13日 (土)

はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(2)運河を渡り、運河に沿って

  アムステルダムのホテルの私たちの部屋には、バスタブがなくシャワーだけだった。5日間の滞在、少しきびしいかなとの思いがめぐる。細めのベッドのツインだが、体格の良いヨーロッパの人たちにはどうなんだろうとも思う。とにかく、KLMのパーサーたちも、列車やトラムに乗っても、天井に届くほど、とてつもなく背が高い男性たちが多いのに驚いてしまった。

 きのうから、わずかながら街を歩いて気づくのは、街並みは、美しいのだけれど、路面が汚い。煙草の吸殻は、散らばっているし、ごみ箱はあふれているし、朝のごみ集積所の散乱ぶりは、目を蔽うほどのところもあった。これは後から分かったのだが、犬や猫の仕業ではなくて、カモメが荒らすらしいのだ。ホテルでも、朝早くから子供が騒いでいる声にも聞こえてびっくりしたのだが、カモメの鳴き声だった。

 2日目の午前中は、旅行会社を通じてガイドさんをお願いしていた。9時30分、ビクトリアホテル前での約束だった。アムステルダムに住んで10年というMさん、日本人女性だったので、正直、ほっとした。わかりやすい説明と、私たちのつたない質問にも丁寧に答えてくださるのだった。

 中央駅から、水門を経て、建設が古い順に、運河を渡っていきましょうと、ときには運河沿いの建物に沿いながら、運河一つ一つの特徴を解説してくださるので、その時はなるほど聞きながらも、あとから写真を眺めてみると、どこがどれだったか怪しくなってしまうのだ。アムステルダムの運河は、港を起点に、同心円状に、いくつもの運河が建設されて広がり、それを横切る形の橋と道路ができて、くもの巣状の街になっている。アムステルダム、ダム広場の「ダム」は、せき止めるの「ダム」なんですよ、とも。わたる橋からの眺めは、運河と共に両側の建物とに新緑のニレの並木が見通せて、絵になる構図である。運河沿いの細い道に入っても、必ず自転車道があるので、うっかり歩道をはみ出すと危ないことになる。

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赤い丸が、Mさんと回ったところ、四角で囲った美術館・博物館などは、自分たちで回った。

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海と運河をつなぐ水門。

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運河が交差するところ。橋の欄干には、自転車がチェーンで結ばれていることが多く、駐輪場にもなっているようだ。

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対岸の建物を見てくださいと、Mさんがいう。両側から前に傾いているのは、下から見上げて大きく見えるということもあるらしい。現実的には、かつて「間口税」というのが課せられた市民は、入り口を狭く、奥行きの深い家を建て、窓は大きくして、引っ越しや家具の出し入れに、使ったという。階上に釣り上げるために、屋根のてっぺんに、丈夫な柱、突起物をしつらえ、そこに滑車をつけて、荷物の上げ下げをした、ということらしい。さらに、横に傾いたり、建物の間が歪んでいるのは、まさに地盤沈下のためらしく、きのう、街を歩いて気づいた建物が歪んで見える謎が解けたことになる。

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窓に赤い扉をつけている建物は、もと倉庫で、現在はフロアを仕切って、マンションのように、何世帯でもって使っている。そして多くの建物には、半地下の部屋があり、そこは使用人を住まわせていたという。運河は、人口増加に対応して、埋め立て地を拡大するごとに 運河は、シンゲル、ヘイレン運河、プリンセン運河が次々と建設されたのは16世紀から17世紀、商人たちは競って、立派な家を建てた。現在でも、運河沿いに住まいを持つことはステイタスのひとつであるという。

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運河両岸の船は、遊覧船でもなく、運搬用の船でもなく、「ハウスボート」と呼ばれ、立派な住宅なのだそうだ。地上に家が確保できなくてと、ということでなくそれぞれの船内は、一般の住宅と同じようにインフラも整い、というよりは、いろいろな工夫がなされ、船上に、テラスや庭のようなものを作ったりして、むしろ、富裕層が多いというのだ。係留のための更新手続きもあって、安全点検のため、役所までえい航されるという。市内に2500隻(軒)くらいはあるという。

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そんな「ハウスボート」のひとつ。対岸の白い建物は、石造りであって、多くはレンガ造りの中で際立っているが、市内では石を産出しないので、遠くから取り寄せての建設なので、これも、当時の資産家の証なのだそうだ。市内には「ハウスボート博物館」もあるが、訪ねてはいない。

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プリンセン運河沿いにある「アンネの家」、見学は、参観者が多く、今はすべて予約になったという。かつては早くから並んで入館できるシステムもあったらしいが今はない。後ろに見えるのが西教会で、確証はないが、レンブラントが埋葬されているという。彼の晩年は、かなり悲惨なものだったらしい。

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アンネの家の前には若者たちがが集っていた。このカップルは何を語っているのかな。

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パンケーキがおいしいお店、地元の人も通う、オランダ語で「店」という名の店だとのこと。再訪はできなかった。

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チョコレートがおいしいお店とのMさんの言葉に、思わず、今夜のおやつにと、わずかばかり買う。

この日、「アンネの家」を訪ねた後、ガイドのMさんと回ったところは、

新教会、王宮、ダム広場、市庁舎、ワーテルロー広場、マヘレの跳ね橋、レンブラント広場、ムントの塔、シンゲルの花市

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新教会、元は、カトリック教会だったのが、カルヴァン派の教会に改修された

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壁画などの装飾は消されたりして、質素な教会になったが、このステンドグラスだけは残された。

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古くからの高級デパートの由、ダム広場の近くにカナダのデパートが進出したが、苦戦しているという、Mさんの話だった。

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市役所、隣が歌劇場。茶色い壁に掲げられた白い紋章は、アムステルダム市の市章で、中央の「×××」は、市内のあらゆる公共施設、ホテルやごみ箱まで、この印があふれている。「アンドレの十字架」といわれ、アンドレは、十ではなく×の形で磔になったことから名づけられた。町を火事・洪水・ペストから守る象徴にもなっている、とのことだ。

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マヘレの跳ね橋。


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レンブラント広場のレンブラント銅像とレンブラント作「夜警」を群像化したもので、生誕400年を記念して作成された。ただ、絵画の「夜警」よりこれを先に見てしまったのが、少し残念な気もする。

 

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市役所の向かいのワーテルロー広場でのぼろ市、「ドロボー市場」とも称されることもあるらしい。近くはかつてのユダヤ人街であったが、アムステルダムではナチスの時代でも、ゲットーは造られなかったという。後日、近くのユダヤ歴史博物館を訪ねることになる。

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ムントの塔、1692年フランスの侵略によって、ここがムント=貨幣、の鋳造所になったことから呼ばれるらしい。もともと城壁が続いていたが、その名残でもあるという。

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シンゲルの花市、チューリップの球根でも買っておけばよかったと後悔する。

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アムステルダム河畔に出る。向かいの街並みに魅せられる。

 

 ガイドさんには、予定より1時間近くもオーバーして、悪いことをしてしまった。遅い昼食だったが、Mさんをお誘いして、「ルクセンブルグ」でクラブサンドイッチを食し、わたしはホットの紅茶とジュースで、一息ついた。時間切れで、コースにあった名物のコロッケも食べそこないましたね、とMさん。そのあと、私たちは、トラムでゴッホ美術館に向かうことになる。

 

 

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2019年7月 9日 (火)

はじめてのオランダとハンブルグへの旅(1)アムステルダムの建物って、なんだかみんな歪んで見える

 半月ほど、ブログの更新を怠ってしまったのは、留守にしていたからだ。スマホを待たない、ガラケーにこだわっていたものだから、何かと不便を託つことにもなった。それに、連れ合いともども、出発の直前まで、目の前のことに追われて、たしかに準備不足ではあった。だから、思わぬトラブルにも遭遇し、ヒヤリとしたこともあった。

年も年だし、身の丈に合った旅行をと、今回の宿泊は、アムステルダム5泊、ハンブルグ4泊ということで、これまでより、なんだか、ゆったりはしていそうに思えたのだが、現実は、どうして、どうして、体力的にきびしい旅となってしまった。私たちにしては、訪ねたいけれどまだ訪ねていない国、オランダと歩いてみたい街、ハンブルグということになった。プランは、HISの欧州担当部門、去年と同じMさんに、旅行保険も姪のお連れ合いのお世話になった。

 6月24日、小雨の成田の離陸はKLM082610時25分だったが、10時50分離陸。ともかく機内が異常に寒く、長袖の上着に、毛布をかぶっているようなお客も多かった。読むべき本も持っては行ったが、大して読み進めなかった。結局、わたしは「万引き家族」(2018年)「can you ever forgive me」(2018年)という映画を見た。前者は、すでに話題にもなった、カンヌ映画祭パルムドール賞受賞作で、日本社会の底辺に生きる人たちが寄り合って暮らす様子が丁寧に、ときには明るく描かれるが、その背景となる非正規労働者、年金生活者、虐待を受ける児童らの深刻な社会問題が、映画の中でも何一つ解決されないまま、家族のようだった彼らが離散して、映画は終わる。同じ是枝監督の「誰も知らない」(2004年)の系列に入る作品だった。後者は、映画評の記事などでも記憶にない映画だったが、「あらすじ」を見て、覗いてみた。なかなかの味のある作品だった。帰宅後調べてみると、「ある女流作家の罪と罰」との邦題で、アメリカの伝記作家リー・イスラエルの自伝「can you ever forgive me」(2008年)を原作としていること分かった。記憶にないのは、それもそのはず、日本では劇場公開が見送られた作品だったのだ。イスラエルは、1960~70年代に、伝記作家として脚光浴びていたというが、あることがきっかけで、落ちぶれ、暮らしに困るほどになって、作家たちの手紙の偽造をしては、稼ぐことを覚える。しかし、やがて、相棒と共に犯罪は発覚して、裁判となるが、立ち直りのきっかけを見せて映画は終わった。監督はマリエル・ヘラーといい、主演はメリッサ・マカーシーといい、私には未知の人であったが、思いがけない映画との出会いだった。

 アムステルダム、スキポール空港、午後3時25分着。入国審査の行列が半端ではない。40分以上かかったのではないか。担当を増やす気配もなく、なんかマイペースでの仕事ぶりに見えた。ともかく無事、荷物を受け取り、オランダ鉄道でアムステルダム中央駅へ、約16分(4.5€)。ホテルは、駅前のビクトリアホテルの裏手、警察署の前のインテルホテルだった。警察とホテルの間のカフェのパラソルがならび、すでに大勢の人たちが、おしゃべりを楽しんでいるようだった。

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入国審査の行列は予想外だったが、みなおとなしく待っている。

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アムステルダム中央駅(ペトロス・カイパース設計 1889年)、その姿が、東京駅(辰野金吾設計 1914年)に似ているというが、こちらの建設の方が早い。

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中央駅反対側は、すぐ入り海となる。さすがに自転車王国の光景がまず飛び込んでくる。左遠方には自転車置き場というより、放置自転車なのか山積みになっていた。
 

 一休みして、まず、歩いても行けるダム広場に向かった。大変な賑わいの上に、大道芸人のパフォーマスにも人だかりができている。中央の白い塔は第二次大戦犠牲者の慰霊塔という。街を歩いていて、なんかおかしいのは、4・5階の建物がぎっしり並んでいるのだが、わずかながら、右左に傾いていて、すき間が歪んで見えるし、建物自体がこれも少しばかり前のめりに傾いているのだ。このわけは、翌日のガイドさんの説明で氷解することになるDsc00241
中央駅とダム広場を結ぶ、ダムラック。もう、7時は過ぎているのに、あまりの暑さに、人々の多くは日陰の歩道を選ぶ。この季節、あちこちの店でセールが行われ、靴屋さんがやたら目についた。歩道の途中にはご覧のような幅広のベンチが設置されている。
 
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ダム広場戦争犠牲者慰霊塔の前で、暑い中スーツ姿で記念写真におさまる団体にも遭う。

 夫が、出発前に調べてきた、評判のレストランがあるからと、地図と番地をたよりに探し出すのだが、見つからない。貸自転車屋さんに、チーズ屋さんに、通りがかりの人に尋ねると親切に教えて下さるのだが、スマホなどを見て、「次の通りを右に曲がって」「次の次の道を入ってすぐ」などのはずが、見当たらない。もう、夕食はどこでもいいと私が音を上げると、夫は本屋さんのレジの人に訊ねてきて、「すぐそこだって」と、ようやくたどり着く。 なるほど、地図を見ると、アムステルダムの街は、くもの巣のように、運河と共に扇形状に広がっているので、一歩間違えると、私たちには迷路となってしまうのだろう。

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上は、おしゃれなチーズ屋さん。若い人でにぎわうのは、下のような、こんな店らしい。

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ようやくたどり着いたハーシェス・クラース、この辺りの建物も、その境目が少し傾いている。

 私は、豆スープとサーモンのステーキ、夫は牛のステーキと名物のコロッケをシェアするということだったが、そのボリュームに仰天、またやってしまったという感じで、かつての経験から学習していないことになる。山ほどのフライドポテトがついてくるのも忘れていた。料理は、一皿をシェアしても私たちには十分のような気もする。もったいないことをした。

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王宮、一時ナポレオンの弟が住まいとしていたことで、そう呼ばれるらしい。現代のオランダ王室はハーグに住んでいる。右手が新教会。日本では、そろそろ、報道ステーションが始まる頃なのに、まだ明るい。午後9時50分。

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