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2019年10月29日 (火)

それでも「饗宴」は続くのか

 即位礼の祝賀パレードを11月10日に延期した理由は何だったのだろう。台風被害に配慮してとのことだったが。天皇夫妻が即位礼参列者への返礼として開催される「饗宴の儀」は、下記の資料に見るように4回開かれる。すでに2回は終了し、あと2回を残している。平成改元の折は7回、3400人を招待したが、今回は4回とし、2600人に絞ったということだが、予算は、増額されているのだ。しかも、その招待客の差別化が、あまりにも露骨なので驚きもする。

 この時期に、こうした一連の行事が開催されていることについて、野党も、新聞やテレビの報道(番組)でも決して異議を唱えない。テレビの「即位の礼」報道では、参列したコメンテイターを複数まじえ、10月22日、朝からの雨も即位礼が終わる頃には、日が射してきて、虹までかかり、新しい時代の到来を告げたかのようだとか、その感動を語らせるのだった。外国の参列者を迎える天皇夫妻が晴れやかだったとか、首相夫人のドレスがおかしくないかとか、どうでもいいことではないか。新しい皇后の病気が快復したのはいいけれど、これまではいったい何だったのだろうか。高御座の幕が開けられて天皇が現れるという光景は、仕掛けばかりが大きい手品を見せられているようだった。天皇の「おことば」に「平和」が何回出てきたとか、「国民に寄り添う」姿勢は平成と変わりはないとか、丁寧に解説されても、政治的権能のない天皇の発信に感動したり、ことさら評価したりすることは何を意味するのだろう、というのが私の率直な疑問と感想だった。

 即位礼に続く「饗宴の儀」は、2018年11月20日の閣議決定で概要は決まったが、詳細、経過は、以下の首相官邸HPの「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」、さらに実務的な資料は、宮内庁HPの「大礼委員会」を見てほしい。二つの委員会はともに、2018年10月12日発足している。

宮内庁/大礼委員会
https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/shiryo/tairei/

 首相官邸(内閣官房・内閣府 皇位継承式典事務局)/天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会https://www.kantei.go.jp/jp/singi/gishikitou_iinkai/

 平成改元の折の饗宴の儀と比較している資料(第6回2019年6月20日天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会配布資料3-1)があるが、以下のように簡単にまとめた記事があった。

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 JIJICOM(10月27日)より

 台風15号、19号、そして今回の大雨での千葉県の被害は、尋常ではなかった。いずれも、私の住む地域では、大きな被害はなかったのだが、テレビや新聞の上空からの佐倉市の映像を見て心が痛む。ふだん目にしていた光景が一変したのだ。

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氾濫した鹿島川『毎日新聞』(10月26日)より

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10月26日9時5分撮影『毎日新聞』(10月27日)より
 

今回の大雨で高崎川は氾濫し、JR佐倉駅と周辺の冠水をもたらした。駅の線路も水没したという。鹿島川の氾濫は、当地に引っ越してきて30年余、これまで聞いたことがなかったが、広範囲の冠水と土砂崩れを引き起こした。国立歴史民俗博物館の駐車場も土砂崩れがあったらしい。

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歴博周辺の浸水地域  東京新聞(10月28日)より


 
印旛沼のサイクリングロードは、かつて、家族で、自転車で何度か出かけ、阿宗橋から船戸大橋、竜神橋、鹿島橋まで走らせたこともある。雨が上がった後も、印旛沼の水位が上がっているとの報道もあり、27日も取材のヘリコプターが飛んでいた。千葉県内では犠牲者が9人にもなり、農業被害や家屋の倒壊・浸水など、再建や復旧が危ぶまれる事態が続いている。
 房総半島の南部では、屋根のブルーシートが破れたり、停電が復旧した矢先の大雨で再び冠水したりして、泥だらけの家電や畳を運びだす人々、倒壊したビニールハウスを前に途方に暮れる人々を目の当たりにすると、やりきれない。がれきの処理も一自治体では処理できない状況が続いている。一度訪ねたことのある館山の「かにた村」もどうなったことか、心配でもある。
 さらに、福島や宮城県では、台風被害・大雨被害での犠牲者に加え、放射能汚染土のフレコンパックの仮置き場からの流出、風評被害から立ち直りかけた農家の方たちへの打撃は、言葉では表せないほどの口惜しさと将来への不安を募らせたことだろう。

 こんな状況の中で、なぜ「饗宴」は続けられるのか。招く側も、招かれる側も、一度立ち止まって、いま何をすべきなのかを考えてほしい。

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2019年10月25日 (金)

報道の自由が危ない!11月5日シンポジウムに参加を

  かんぽ不正を追及していたNHKは、日本郵政の圧力に屈して、「クローズアップ現代+」の続編がなんと1年以上も延期されていた(2019年7月30日放映)。昨年の4月、かんぽ生命保険の不正販売を報じた番組について、日本郵政がNHKへの抗議を続け、NHK経営委員会は、上田NHK会長に厳重注意をした。その後、昨年11月には謝罪文書まで届けている。本来、編集へは口を出してはいけないはずの経営委員会が番組への介入を問われると、上田会長の組織統治を問題にした。上田会長も自主自律の堅持を強調するが、石原経営委員長は当初議事録はないとしながら一転してその存在を認めたが非公開とするなど、経過は依然として不透明である。
 日本郵政側の中心人物は、元総務省事務次官で、日本郵政に天下りした鈴木康雄上級副社長で、情報通信政策局長時代には電波行政を取り仕切っていた。「NHKは暴力団」と逆切れした人物でもある。

*********

 下記のチラシのように、つぎのような内容で、シンポジウムが開かれます。このシンポジウムは、10月11日を延期して18日に予定していた「NHKは日本郵政の圧力にひるむな!郵政の圧力に加担した石原委員長は辞任せよ」のNHK前アピール行動が、台風のため中止となったことを受けての参議院議員会館で開かれるシンポです。ぜひ、ご参加くださいますよう、お待ちしています。

**********

シンポジウム 圧力はなかったのか? 報道の自律はどこに

 ~日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考える~

 

と き:11月5日(火)13時~15時 (12時半から入館証渡し開始)

ところ:参議院議員会館 B109(地下1階)

パネリスト:皆川 学(NHKプロデューサー)

      杉浦ひとみ・澤藤統一郎(弁護士/前半・後半入れ替わり)

      小林 緑(NHK経営委員)

      田島泰彦(元上智大学教授)

      進行 醍醐 聰

主催:11.5 日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考えるシンポジウム実行委員会(「NHK前アピール行動」の

   呼びかけ人で構成)

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 なお、チラシの最下段にありますように「日本郵政の番組介入に加担した石原NHK経営委員長の辞任を求める署名」も、多くの市民団体により実施されています。ぜひご協力お願いいたします。

署名用紙とチラシのURLは以下の通りです。
          →  http://bit.ly/31tpSYI

 

署名用紙    →    
ネット署名 →   

 

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2019年10月20日 (日)

政治利用されない「天皇制」って、ありですか?~パレード延期と恩赦に思う

「祝賀御列の儀」というパレード

 天皇即位に伴う祝賀パレードが10月22日から11月10日に延期された。また、即位に伴う恩赦の政令が出されることになった。ともに、10月18日の閣議で決定されたのだが、パレード延期の件は、すでに、NHKwebnewsでは、 10月17日に安倍首相は被災地の宮城県丸森町で「延期する方針で検討」と語り、延期の方針、午後3時49分付では、11月10日に延期との報道があり、新聞では18日朝刊で「政府の方針」として先ぶれ報道がなされた。恩赦については、18日午前中の閣議で決定された後に報道されている。
 私には、この報道の微妙な時間差を意図した政府広報、メディア・コントロールこそが天皇即位自体と関連報道を、フルに政治利用をしている場面に思えたのだ。
 パレード延期の理由が「甚大な被害を出した台風19号の被災地に配慮」して、とのことであった。前日までは、「淡々と進めている」と記者に答えていた菅官房長官だったが、17日の会見では「諸般の状況を総合的に勘案した」としている。首相は、被災地のぶら下がりで、延期の方針を発表したかったのだろう。それに、あまり評判の良くない「恩赦」と同時発表は避けなければならかったにちがいない。
 被災地への配慮というならば、直近では、15号台風の被災地、被災者の現状、さかのぼれば、東日本大震災、福島原発事故の被災地・被災者の実態を知らないわけではないだろう。11月10日に延期したところで、状況が大きく改善するわけもない。

 菅官房長官は、「宮内庁と相談したが、あくまでも内閣として判断した」と会見で語っていた。しかし、報道によれば、宮内庁関係者は「突然でびっくり」ともらし(毎日新聞10月18日)、政府関係者は「台風によりパレードの警備にあたる警察官の確保が難しくなったという事情」を語ったという(東京新聞10月18日)。被災地や被災者に配慮したとは、たてまえからも実態からも大きく離れてはいないか。さらに、国事行為として行われる内外の要人を迎えての祝宴や首相夫妻の晩餐会などの一連の行事とて、被災地や被災者を配慮するというのならば、中止して、その経費や労力を災害復旧・復興に充てるくらいの決断があってもよいのではないか。祝宴にしても晩餐会にしても、即位を利用しての政府の大判振る舞いに過ぎない。一般国民の生活に何ら寄与しないではないか。今の憲法下で、政治的権能を有しない天皇の存在自体が、死去ないし退位、改元・即位、結婚などに伴うさまざまなイベントや活動が、時の政府に組み込まれ、加担、補完する役割を果たすことになるのは、むしろ当然の成り行きであろう。

 私などからすれば、日本国憲法に「第一章」がある限り、とりあえず、天皇、皇族方には、「象徴」などというあいまいな役まわりをさぼってもいいので、ひっそりと自由に、退任でも、代替わりでも、結婚でもなさったら、よろしいのにとも申し上げたい。そして、現代の日本にとっての「象徴天皇制」は必要なのかの問いに対峙したい。

日本は、これで法治国家?

 政府は、都合が悪くなると、日本は「法治国家」だからといって、法律に従い、粛々と、淡々とことを進めてしまい、進めた結果の責任はだれも取らないのが、日本の法治国家の実態である。

 「恩赦」は、旧憲法下では、天皇の大権事項であったが、日本国憲法下では、天皇の国事行為(7条6号)で、内閣が決定する天皇の認証事項である。大赦、特赦、減刑、刑の免除、復権とあるが、いずれにしても、一度、裁判所が犯罪者の処罰を決めるという「司法権」に「行政権」を持つ内閣が介入して「処罰」がなかったことにする制度である。今回は、罰金刑により制限された資格を復活させる「復権」が大半という。その対象の55万人のうち、道路交通法違反者が65.2%で三分の二を占めるが、他は過失運転死傷、傷害・暴行・窃盗の罪を犯した者、公職選挙法違反者たちが含まれるのである。
  具体的に、今回の政令恩赦では、2016年10月21日までに罰金を納めた約55万人が対象となった。罰金刑を受けると、原則として医師や看護師など国家資格を取得する権利が5年間制限されており、こうした権利が回復する。法務省によると、対象者の約8割が道路交通法や自動車運転処罰法などの違反。公職選挙法違反による罰金納付から3年がたった約430人の公民権なども回復されることになる(JIJI.com10月18日)。
 しかし一定の条件をクリアしただけで「自らの過ちを悔い、行状を改め、再犯のおそれ」がなくなった者への更生の励みや再犯防止策になるという建前ながら、実態はどうなのか、疑問は尽きない。今回も当初、法務省は、皇室の慶事による恩赦は「社会への影響が大きく、三権分立を揺るがしかねない」とその不合理性を指摘、実施すべきではないとし、また、一律の政令による恩赦でなく、対象者を個別に審査する「特別基準恩赦」のみの実施を訴えたという(朝日新聞10月19日)。しかし、政府としては踏み切ったのである。その過程や決定の不明瞭さはぬぐえず、そもそも、内閣の恣意性が問われ、そのチェック制度がない恩赦は、実施すべきではなかったのではないか。

 諸外国において、たとえば、イギリスでは、恩赦権は大法官・法務大臣の助言に従う国王大権の一つであるが、その運用にあっては、罪や刑罰を定めて一律に行う大赦は、1930年以降実施されておらず、過去20年間に行われた特赦2件、他の恩赦も厳しい条件のもとに実施されている。フランスでは、他のヨーロッパ諸国に恩赦制度が実施されることはまれなことから、大統領選ごとに行われていた慣例的な恩赦も2007年以降実施されなくなった。アメリカでは、大統領に恩赦権はあり、司法長官の助言を受けて実施するが、減刑や罰金刑減額などは、別の制度によるとされ、2018年度に承認した恩赦は、特赦、減刑あわせて10人であった。

 日本のように、行政府が、恣意的に一律に大量に行う「恩赦」などは、もはや特異な例と言わねばならない。今後は、皇室の慶事にかこつけてなされる「恩赦」を内閣には実施させない選択を迫るべきではないか。

 こうして、利用されるだけの「象徴天皇制」を少しづつでも無化するには、どうしたらいいのか。

<参考>

・小山春希「恩赦制度の概要」『調査と情報』No.1027
(2018126)file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/JDLUCL85/digidepo_11195781_po_IB1027%20(1).pdf

・法務省のQ&A「なぜ恩赦は必要なのですか?」
http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo_hogo10.html#02

・法務省「「復権令」及び「即位の礼に当たり行う特例恩赦基準」について」
20191018日)
http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo08_00006.html

・晴天とら日和「恩赦に反対します」(2019年10月20日)新聞記事などのまとめあり
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/52334331.html

 

 

 

 

 

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2019年10月12日 (土)

<「暗愚小傳」は「自省」となり得るのか―中村稔『高村光太郎の戦後』を手掛かりとして> を書きました

 当記事でもお知らせしましたように、表記の拙稿収録の雑誌『季論21』46号(本の泉社)が発売となりました。新聞広告による「目次」と拙稿の章立てを紹介いたします

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『季論21』46号(2019年10月)新聞広告より

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「暗愚小傳」は「自省」となり得るか――中村稔『高村光太郎の戦後』を手掛かりとして

はじめに

蟄居山小屋生活の実態

『高村光太郎の戦後』に見る「自省」とは

日本文学報国会の高村光太郎

戦時下の朗読運動の中の高村光太郎

高村光太郎における詩作品の隠ぺいや削除はあったのか

付表:主な高村光太郎詩集・選集の出版概要一覧(1914~1966)

*************

 「日本文学報国会の高村光太郎」では、櫻本富雄『日本文学報国会』、坪井秀人『声の祝祭』やNHK編『日本放送史』などを踏まえて、光太郎が詩部会の会長を務めていた日本文学報国会が力を入れていた「戦争詩の朗読・放送」について、少し調べてみました。お手元の詩のアンソロジーやいくつかの文庫の高村光太郎詩集や『智恵子抄』などと一緒に拙稿を読んでいただければ幸いです。

 なお、この拙稿には、書ききれなかったいくつかを、当ブログの「あらためて、高村光太郎を読んでみた1~9」に綴っていますので、お読みいただけれと思います。

 また、絵葉書や展覧会のカタログ・チラシなどを整理していた折に出てきた二葉のはがきです。

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「平塚らいてうをしのぶ展記念はがき」という袋に残っていた二枚です。右が『青鞜』創刊号(1911年9月)の表紙、長沼智恵子(1886~1938)の作品です。その後、高村光太郎と結婚する智恵子ですが、挿画はミュシャを思わせるものがあります。この才能を伸ばしきれなかったのは「光太郎の理想主義的な愛とモラルに圧迫」されたこととの関係が問われることもあります(『近現代日本女性人名事典』)。左が『青鞜』2巻4号の表紙、尾竹紅吉(富本一枝、1893~1966)の作品です。

 

<追記2019年11月11日>

下記のブログにて、拙稿を書影入りで紹介いただきました。

ありがとうございます。

高村光太郎連翹忌運営委員会のblog

(2019年1029 10:45)

http://koyama287.livedoor.blog/archives/3953722.html

 

<追記2020年1月16日>

下記の『季論21』のホームページにて、上記拙稿の一部が閲覧できるようになりました。併せてご覧いただければ幸いです。

http://www.kiron21.org/pickup.php?112

 

 

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2019年10月 5日 (土)

日曜美術館「異色の戦争画~知られざる従軍画家・小早川秋聲~」(NHKEテレ2019年9月1日)を見て


 やや旧聞に属するのだが、ある地元の会で、表記の番組がよかったよ、と話に聞いて、録画で見ることになった。放送の概要は、下の番組案内を参照してほしいのだが、いま残されている小早川秋聲の「国の盾」という作品はインパクトのあるものだった。ちょうど、私は、高村光太郎のことを書き終えて、そこで書ききれなかったことを、ブログ記事にもしていたさなかだった。Photo_20191005181801
NHKの番組案内より。『国の盾』(151×208cm,
1944年制作、1968年改作)

  この絵には確かに見覚えがあると思って、昔、買って置いた『芸術新潮』か「トンボの本」ではないかと、探し始めると、あった!ありました。『芸術新潮』は<戦後50年記念大特集>の「カンヴァスが証す 画家たちの『戦争』」(1995年8月)であり、とんぼの本の方は「画家たちの『戦争』」(2010年7月)と題されるものだが、同じ新潮社から出ているので、内容的にはだいぶ重なるところが多いのがわかった。

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上段:『芸術新潮』1995年8月。下段:『画家たちの戦争』(2010年7月

 

  NHKの番組案内にはつぎのようにあった。
「陸軍の依頼を受けて描かれたものの、軍から受け取りを拒まれたという異色の戦争画、『国之楯』。作者は日本画家の小早川秋聲。満州事変から太平洋戦争まで、最前線で取材し、数多くの戦争画を描いた。番組では、知られざる従軍画家、小早川秋聲が残した数々の戦争画を、近年新たに発掘された絵や文章を交えて辿(たど)りながら、戦争末期の1944年に戦争画の集大成として描かれた『国之楯』を読み解いていく。」

 小早川秋聲(1885~1974)は鳥取県の寺の家に生まれたが、跡を継ぐのを拒み、京都での日本画の修業の傍ら、国内や中国をはじめ欧米への海外への旅行を繰り返し、文展や帝展への入選を重ねていた。1931年の満州事変以来、関東軍や陸軍の従軍画家として活動した。秋聲の戦争画は戦闘場面というよりは兵士の生活に密着したテーマが多いという。戦場の前線にあっても、この画家の優しいまなざしを垣間見る思いではあった。

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『画家たちの戦争』より 。右『出陣前』(1944年)。

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『画家たちの戦争』より。左上段:『無言の戦友』、左下段:『護国』(1934年)。

 
 ところで、番組の核となった「国の盾」は、兵士の亡骸の暗黒の背景と国旗の赤の部分で覆われたその面貌が、強烈であったが、陸軍に拒否された作品は、この絵ではない。その後、2回にわたって修正されていることも番組で知った。日南町美術館の学芸員の説明によれば、陸軍から戻された作品は、その後1944年と1968年の2回にわたって描きなおされているが、どの部分かはっきりしないという。ただ、当初の作品の背景には、桜の花びらが舞い散っていたことらしいことが絵の具の重ね具合の分析でわかったらしい。その後、資料を読み返してみると、1968年に刊行された『太平洋戦争名画集 続』(ノーベル書房)に収録されたものが、いま残っている「国の盾」であった。番組には、「国の盾」が<戦争画>という類型ではひとくくりできない、画家の戦争への対峙、厭戦・反戦思想までも示唆するような作品であったというメッセージが根底にあったように思う。
 しかし、私たちが、いま、目にする「国の盾」は、カンバスの裏の付記により、1968年に書きなおされことははっきりしているので、敗戦後23年後の書き直しの可能性が高いと思われる。

 陸軍に拒否された作品は、「軍神」との題だったというが、現物を見たという関係者は、見当たらず、写真も残ってはいない。にもかかわらず、ネット検索をしていると、その原作らしい、桜の花びらが散っている絵がヒットしてくるのである。これはどうしたことか、腑に落ちなかったので、日南町美術館に問い合わせてみたところ、あの桜が散る「絵」は、現実のものではなく、NHKBSがかつて放映した「極上 美の饗宴 『闇に横たわる兵士は語る 小早川秋聲 “國之楯”』(2011年8月1日)において、作成された<イメージ映像>だというのである。そして、あの「絵」が独り歩きをして、困惑されているようなことも話されていた。
  ああ、ここにもあった<イメージ映像>の罪づくりな話であった。NHKには限らないが、ドキュメンタリー番組の中の<イメージ映像>については、安直な先入観を醸成する手法なので、やめてほしい。最近、NHKスペシャルのドキュメンタリーなどでの<イメージ映像>の氾濫には、へきへきとしていることは、先の当ブログ記事でも書いている。

*8月20日の朝刊一面は「昭和天皇の“反省”“肉声”報道」が氾濫した~「NHKスッペシャル・昭和天皇は何を語ったのか」の拡散、これでいいのか (2019年8月20日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/08/post-ee7fb1.html

*NHKの良心的な番組って、何ですか~”NHKが独自に入手した資料が明かす・・・”ドキュメンタリーの虚実(2019年8月18日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/08/post-a2ae43.html

 さらに、この番組は、従軍画家が「戦意高揚」の絵ばかりでなく、「国の盾」のような絵を描いた、ということに重点が置かれていて、その画家の「心のうち」を辿ろうという趣旨であった。しかし、私は、陸軍に突き返されたという作品は、それだけでも、十分に意義があることだと思い、そのまま保存しておいてほしかったのである。画家としては意に添わなかった作品だったかもしれないが、1944年の作品として、依頼者の陸軍に拒否された作品として、残しておくべきだったのではないか。敗戦後の「戦争画集」収録にあたって、なぜ書き直したのか、その心の内が知りたいと思った。書き直された絵は、敗戦後初めて描き下ろされた絵としても、その強烈なメッセージは伝え得たと思う。 これまで、私は、歌人たちの戦時下の短歌を敗戦後、歌集にまとめるにあたって削除したり、「全歌集」に「歌集」を収録するにあたって、削除や改作が行われたたりしたことについて、表現者としての責任の観点から分析してきた。近くは、高村光太郎の戦争詩についても考えてきた。画家についても、同じことが言えるのではないか。

<参考>

日曜美術館「異色の戦争画~知られざる従軍画家・小早川秋聲~」
(NHKEテレ201991日) 

https://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2019-09-01/31/15730/1902813/

出かけよう日美旅~「日曜美術館」その舞台をめぐる 第98

鳥取県/日南町へ、小早川秋聲の故郷を行く旅

(NHKEテレ201991日)
http://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/411643.html

ブログ 日南町美術館の日々

http://blog.zige.jp/museum/

極上 美の饗宴 『闇に横たわる兵士は語る 小早川秋聲 “國之楯”』

201181放送NHK BSプレミアム

2次世界大戦における日本の従軍画家に関する一考察~日本画家小早川秋聲を通して

file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/MN0SN31S/ZD30402007.pdf

<参考>

日曜美術館「異色の戦争画~知られざる従軍画家・小早川秋聲~」
(NHKEテレ201991日) 

https://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2019-09-01/31/15730/1902813/

出かけよう日美旅~「日曜美術館」その舞台をめぐる 第98

鳥取県/日南町へ、小早川秋聲の故郷を行く旅

(NHKEテレ201991日)
http://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/411643.html

ブログ 日南町美術館の日々

http://blog.zige.jp/museum/

極上 美の饗宴 『闇に横たわる兵士は語る 小早川秋聲 “國之楯”』

201181放送NHK BSプレミアム

白石敬一:第2次世界大戦における日本の従軍画家に関する一考察~日本画家小早川秋聲を通して

file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/MN0SN31S/ZD30402007.pdf

 

 

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2019年10月 4日 (金)

『象徴のうた』(永田和宏著)の書評を書きました

 先月号の『現代短歌新聞』に掲載されたものです。『象徴のうた』は、昨年1月から今年3月まで、週一で63回にわたって『東京新聞』に連載された記事をまとめたものです。平成の天皇夫妻の短歌を中心に、鑑賞・解説をしていますが、共同通信配信のシリーズでしたから、各地の新聞での読者も多かったと思います。著者は、2004年から歌会始ん選者を務めています。それだけに、時代背景や天皇家の内情などを交えながら、天皇夫妻はじめ皇族方の短歌の意を丁寧に読み解き、鑑賞がなされています。そのスタンスは、おのずから明確で、国民に寄り添おうとする「お気持ちの最も大切な部分」が「お二人のお歌、短歌にこそ籠められている」というものです。しかし、短歌や「おことば」などとして発信されるメッセージは、そんなに単純なものとは思われないというのが私の感想でした。あまりにも過剰な思い入れは、かえって、読者の鑑賞を損なってしまうのではないかとさえ思えたのです。まだ、お読みでない方は、一度、近くの図書館で、ご覧になるとよいと思います。

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『現代短歌新聞』2019年9月1日号より。

ダウンロード - gyosei.pdf

 

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2019年10月 2日 (水)

10月1日、「赤い羽根共同募金」の使い道、ふたたび

 当ブログをおたずねくださりありがとうございます。昨日10月1日から、赤い羽根共同募金運動が始まりました。共同募金って何?という関心を持つ方や自治会や町内会で、募金集めをする羽目になった方、募金を迫られた住民の方々からのアクセスが重なったのだと思いますが、いつになく、にぎわって?います。
  なかでも、10年ほど前の「赤い羽根共同募金の行方~使い道を知らずに納めていませんか1~3」へのアクセスが多かったのです。関心のある方はご参照ください。最近は、やや遠ざかっているテーマですが、自治会や町内会へ要請される種々の寄付が、会員への強制になっていないかについて書いた記事などへのアクセスも多くなっています。

*赤い羽根共同募金の行方~使い道を知らずに納めていませんか1~3
(2009年12月7日、9日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/12/post-2f90.html

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/12/post-dd38.html

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/12/post-8c19.html

 基本的には、記事を書いた当時の状況は、現在と大きく変わることはありません。私の住む佐倉市の私が属している自治会では、これまでも何度か紹介しているのですが、社会福祉協議会会費、日本赤十字社社資、いくつかの募金については、寄付をするか否かの自由、いくら寄付するかの金額の自由をとりあえず確保するということで、自治会の班単位で、手渡しの募金袋を回し、定着しかけています。寄付というならば、私は、個人の自由意思によることが基本と考えていますので、自治会・町内会への寄付依頼自体がなされてはならないものと考えています。自治会の中途半端な対応には不満もあるのですが、脱会などは考えず、総会などの機会に、「寄付は個人の自由」の観点から意見を言い続けていきたいと思っています。ご参考までに、9月下旬に我が家に回ってきた「募金袋」です。

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 ちなみに、久しぶりに、中央共同募金会のHPを訪ねてみました。敗戦直後の1947年から始まった共同募金ですが、つぎのようなグラフがありました。余分のことながら、この間まで、中央共同募金会の会長を務めていたはずの高校同期の元参議院議長が、「顧問」になっていました。天下り?名誉職?なのかなあ。

*中央共同募金会統計データ
https://www.akaihane.or.jp/bokin/history/josei-data/

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敗戦直後の混乱期に発足してから、2017年には、70年になった。阪神淡路大震災までは、ある程度着実に募金総額は伸びているが、その1995年の266億円をピークに、減少の一途をたどり、2017年には179億円となった。その間、2011年の東日本大震災ほか、数々の事故や災害に見舞われたが、増えることはなかった。「共同募金」という寄付ではなくて、特定した災害の義援金などの形で、目的の明確な、かつ自発的な様々な募金活動やボランテイア活動の方が定着しつつあるのではないか。

 千葉県共同募金会のHPでは、自治会では、すでに回覧された2019(令和元)年度の募金のお願いとお礼のパンフが、まだ掲載されていない。前年度のパンフのままで、更新されていないことがわかった。といっても、今年度の手元のパンフと比べてみると、変わっているのは、「募金の使い道」の円グラフの数字が異なるだけで、目標額も二年連続して7億円と同額で、さらに、パンフの文章が一字一句まるで同じで、前年度のコピペだろう。熱意も誠意も感じられない仕事ぶりとみてしまう。

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自治会からの回覧パンフから千葉県共同募金会のHPには、まだアップされていない!

 千葉県共同募金会佐倉市支会のHPはどうでしょうか。独自のHPは持っておらず、佐倉市社会福祉協議会が支会の窓口となっています。佐倉市の社協は、民間の社会福祉法人ですが、市役所内に設置されています。この自治体との関係にも、社会福祉行政のゆがみのひとつがあるように思います。

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10月1日新聞折り込み配布の『社協さくら』の1面が、「赤い羽根共同募金」の広報であった。

<参考資料>

*(千葉県)共同募金概要

https://akaihane-chiba.jp/publics/index/3/

*はねっと佐倉市(共同募金の使い道)

https://hanett.akaihane.or.jp/hanett/pub/homeTown?data.jisCd=12212

 

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2019年10月 1日 (火)

消費増税と歌会始~2019年9月30日

 9月30日は、消費増税実施の前日である。テレビなどでは、秒読みよろしく、巷の駆け込みや買いだめに走る様子やイートイン・テイクアウト、レジ対応の混乱などを伝えている。垣間見たNHKのニュースでは、女性アナウンサーがにこやかに消費税の値上がりが迫りました!と声を弾ませていた。まるで何かの世界大会で、日本のチームが優勝したかのような。NHKに限らず、消費税値上げ分増収、軽減税率ほか様々な還元対応、経過措置の期限、残る増税分が何に使われるか、現在の法人税や累進課税、分離課税の在り方など税体系自体などに切り込むことはなく、肝心な部分は、ほとんどスルーするのが、マス・メディアの流儀でもあった。野党にしても、凍結、中止、廃止、引き下げなど、その対応はバラバラである。増税ストップはかなわず、高齢者も若年層も、もはや将来へのかすかな希望も断ち切られるニュースばかりが続く。政府は、もっぱら未来志向の“やってる”パフォーマンスに終始し、10月1日発表の日銀の短観(9月調査)も四半期ごとの調査で三期連続景気悪化ということで消費増税駆け込み需要も低迷、2013年6月以来の低水準で、米中貿易摩擦などによる海外経済の減速が影響したという。私たちができることといったら「消費」しないことぐらいしかない。

 9月30日は、来年の歌会始の応募締め切り日でもあった。改元後、初めての歌会始で、題は「望」というのも皮肉なことではある。選者は、篠弘、永田和宏、三枝昂之、今野寿美、内藤明としばらく変わらないメンバーであるが、世の中や歌壇での改元フィーバーが応募状況にどんな変化を与えるのか、注視したい。

 ところで、9月のはじめ、『赤旗』の「ひと」欄(2019年9月4日)に、つぎのような記事があった。「9条守れと戦う青森の歌人」として登場したのは、小作人の長男として生まれ「劣等感と屈辱の少年時代」を過ごしたが、新憲法とともに、自分の地を耕し、基地反対運動に携わり、農協の組合長も務め、地元選出の共産党の衆議院議員の後援会会長も務めたという91歳の方だった。地道に、粘り強く活動を続けてこられた方なのだろうな、と思う。20代には、歌も小説も書いていたとのこと、文学青年だったことも書かれていた。読み進めると、記事の末尾近くに、つぎのような一文があった。

―好奇心も旺盛です。80歳の時、初めて「宮中歌会始」に応募しました。「現代の秘境を見てみたかった」と挑戦し、見事入選しました。―

 インタビューにあたった記者は、エピソードの一つとして、書き添えているという印象である。これが一般の新聞だったら、読み過ごしていたかもしれないが、革新政党の「政党紙」だったから、目に留まったのかもしれない。登場の歌人の選択には、いろいろな思いがあったことだろう。しかし、「宮中歌会始」を「現代の秘境」とのたとえを、全肯定することは、一記者の一存ということではなく、この記事が「宮中歌会始」に対して、『赤旗』は「お墨付き」を与えたと理解されても仕方がない。近年の共産党は、「天皇制」という言葉を避けて「天皇の制度」という言い方をし、現憲法下の象徴天皇制は、守るべきものとしての位置づけをするようになった。

 1947年以来、共産党は,天皇が出席する国会開会式には、「憲法の天皇の『国事行為』から逸脱する」として、出席してこなかったが、2016年1月4日開会の通常国会から、出席するようになった。その理由が、天皇の開会の言葉が「儀礼的、形式的な発言が慣例となって、定着した」からというものであったが、私などは、天皇が、議長席より高い、あの玉座で開会の言葉を読み上げること自体が、主権在民や平等主義を基本とする日本国憲法とは抵触しているので、開会式に出席しないことには、一つの抵抗の意味があると思っていた。
 さらに、『赤旗』紙上には、一般の全国紙のように文化欄の中に「歌壇」があって、週交代で、二人の選者による入選歌が掲載されている。上記、開会式出席とほぼ時を同じくして、2016年1月から、その「歌壇」選者に、今野寿美を起用した。彼女は、2015年から「歌会始」の選者を務め、現在に至っている。これら二件を、「2015年のクリスマス・サプライズ」として、当ブログ記事にもしているので、参照していただければ幸いである。結果的に、今野は、2年間「赤旗歌壇」の選者を務め、辞めている。

*ことしのクリスマス・イブは(4)~歌会始選者の今野寿美が赤旗「歌壇」選者に(2015年12月29日)https://www.jcp.or.jp/web_policy/2019/06/post-807.html

 また、今年の改元5月1日、新天皇即位の折、共産党の志位委員長は祝意を示す談話を発表し、その後、衆参院本会議での、即位に祝意を示す「賀詞」に、共産党は賛成している。2004年には「君主制廃止」の党綱領を改定し、「憲法にある制度として、天皇制と共存」することにしたのだが、一方で、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだ」との立場に立つ。

*天皇の制度と日本共産党の立場(2019年6月4日)
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2019/06/post-807.html

 こうした一連の動きを見ていると、共産党の天皇制への接近は今世紀に入って顕著になったのは明らかである。ウィングを広げ、支持の拡大に努めたかったのだろうが、結果は逆だった。「国民の声」に引きずられたのか、「国民の声」に近づいたのか。政府やマス・メディアにコントールされがちな「国民の声」から、本当の声や叫びを聞き分ける力がなくなってしまったのかもしれない。不都合な事実や異なる意見を無視することによる「排除」は、多くの人の目には触れないだけに、陰湿である。「いじめ」や「モラルハラスメント」にも通じ、現在の政府や官僚がやってきたことにも似てはいないか。大同小異だからと、目の前の発言にまどわされ、ときには天皇にまで縋りつく姿に、愕然とする。

 

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