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2019年10月 1日 (火)

消費増税と歌会始~2019年9月30日

 9月30日は、消費増税実施の前日である。テレビなどでは、秒読みよろしく、巷の駆け込みや買いだめに走る様子やイートイン・テイクアウト、レジ対応の混乱などを伝えている。垣間見たNHKのニュースでは、女性アナウンサーがにこやかに消費税の値上がりが迫りました!と声を弾ませていた。まるで何かの世界大会で、日本のチームが優勝したかのような。NHKに限らず、消費税値上げ分増収、軽減税率ほか様々な還元対応、経過措置の期限、残る増税分が何に使われるか、現在の法人税や累進課税、分離課税の在り方など税体系自体などに切り込むことはなく、肝心な部分は、ほとんどスルーするのが、マス・メディアの流儀でもあった。野党にしても、凍結、中止、廃止、引き下げなど、その対応はバラバラである。増税ストップはかなわず、高齢者も若年層も、もはや将来へのかすかな希望も断ち切られるニュースばかりが続く。政府は、もっぱら未来志向の“やってる”パフォーマンスに終始し、10月1日発表の日銀の短観(9月調査)も四半期ごとの調査で三期連続景気悪化ということで消費増税駆け込み需要も低迷、2013年6月以来の低水準で、米中貿易摩擦などによる海外経済の減速が影響したという。私たちができることといったら「消費」しないことぐらいしかない。

 9月30日は、来年の歌会始の応募締め切り日でもあった。改元後、初めての歌会始で、題は「望」というのも皮肉なことではある。選者は、篠弘、永田和宏、三枝昂之、今野寿美、内藤明としばらく変わらないメンバーであるが、世の中や歌壇での改元フィーバーが応募状況にどんな変化を与えるのか、注視したい。

 ところで、9月のはじめ、『赤旗』の「ひと」欄(2019年9月4日)に、つぎのような記事があった。「9条守れと戦う青森の歌人」として登場したのは、小作人の長男として生まれ「劣等感と屈辱の少年時代」を過ごしたが、新憲法とともに、自分の地を耕し、基地反対運動に携わり、農協の組合長も務め、地元選出の共産党の衆議院議員の後援会会長も務めたという91歳の方だった。地道に、粘り強く活動を続けてこられた方なのだろうな、と思う。20代には、歌も小説も書いていたとのこと、文学青年だったことも書かれていた。読み進めると、記事の末尾近くに、つぎのような一文があった。

―好奇心も旺盛です。80歳の時、初めて「宮中歌会始」に応募しました。「現代の秘境を見てみたかった」と挑戦し、見事入選しました。―

 インタビューにあたった記者は、エピソードの一つとして、書き添えているという印象である。これが一般の新聞だったら、読み過ごしていたかもしれないが、革新政党の「政党紙」だったから、目に留まったのかもしれない。登場の歌人の選択には、いろいろな思いがあったことだろう。しかし、「宮中歌会始」を「現代の秘境」とのたとえを、全肯定することは、一記者の一存ということではなく、この記事が「宮中歌会始」に対して、『赤旗』は「お墨付き」を与えたと理解されても仕方がない。近年の共産党は、「天皇制」という言葉を避けて「天皇の制度」という言い方をし、現憲法下の象徴天皇制は、守るべきものとしての位置づけをするようになった。

 1947年以来、共産党は,天皇が出席する国会開会式には、「憲法の天皇の『国事行為』から逸脱する」として、出席してこなかったが、2016年1月4日開会の通常国会から、出席するようになった。その理由が、天皇の開会の言葉が「儀礼的、形式的な発言が慣例となって、定着した」からというものであったが、私などは、天皇が、議長席より高い、あの玉座で開会の言葉を読み上げること自体が、主権在民や平等主義を基本とする日本国憲法とは抵触しているので、開会式に出席しないことには、一つの抵抗の意味があると思っていた。
 さらに、『赤旗』紙上には、一般の全国紙のように文化欄の中に「歌壇」があって、週交代で、二人の選者による入選歌が掲載されている。上記、開会式出席とほぼ時を同じくして、2016年1月から、その「歌壇」選者に、今野寿美を起用した。彼女は、2015年から「歌会始」の選者を務め、現在に至っている。これら二件を、「2015年のクリスマス・サプライズ」として、当ブログ記事にもしているので、参照していただければ幸いである。結果的に、今野は、2年間「赤旗歌壇」の選者を務め、辞めている。

*ことしのクリスマス・イブは(4)~歌会始選者の今野寿美が赤旗「歌壇」選者に(2015年12月29日)https://www.jcp.or.jp/web_policy/2019/06/post-807.html

 また、今年の改元5月1日、新天皇即位の折、共産党の志位委員長は祝意を示す談話を発表し、その後、衆参院本会議での、即位に祝意を示す「賀詞」に、共産党は賛成している。2004年には「君主制廃止」の党綱領を改定し、「憲法にある制度として、天皇制と共存」することにしたのだが、一方で、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだ」との立場に立つ。

*天皇の制度と日本共産党の立場(2019年6月4日)
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2019/06/post-807.html

 こうした一連の動きを見ていると、共産党の天皇制への接近は今世紀に入って顕著になったのは明らかである。ウィングを広げ、支持の拡大に努めたかったのだろうが、結果は逆だった。「国民の声」に引きずられたのか、「国民の声」に近づいたのか。政府やマス・メディアにコントールされがちな「国民の声」から、本当の声や叫びを聞き分ける力がなくなってしまったのかもしれない。不都合な事実や異なる意見を無視することによる「排除」は、多くの人の目には触れないだけに、陰湿である。「いじめ」や「モラルハラスメント」にも通じ、現在の政府や官僚がやってきたことにも似てはいないか。大同小異だからと、目の前の発言にまどわされ、ときには天皇にまで縋りつく姿に、愕然とする。

 

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