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2020年1月17日 (金)

きのうは、「歌会始」の日だったのだが

 

 昨日116日の午後は、私たちの短歌教室の歌会であった。参加者の一人が「希望」を詠み込んだ作品を提出、午前中の皇居での「歌会始」のテレビ中継の様子を話し始めて、「そうだ、今日は歌会始だったんだ」と気づき、ウオッチャーとしては抜かりがあった次第。午前中は、テレビをつけることも、もちろん録画をとることもしていなかった。どんな様子だったのか、朝刊によれば、皇族の作品についてのエピソードは宮内庁発表のままだし、特別の話題もない「令和最初の歌会始」のようだった。ただ、皇后が、十七年ぶりの歌会参加であったという。これまでの空白は、たんなる体調の問題だったのか、の疑問も残り、不思議な思いだった。また、5人の選者以外に、召人としての栗木京子の詠進歌が

 

観覧車ゆふべの空をめぐりをりこれからかなふ望み灯して

 

 とある。うーん、これは、なかなかのサービス精神にあふれた作品と思ったのだ。栗木京子の「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」は、現在の中学校の全社の国語教科書に短歌教材として掲載されている一首なのだった。一方で、応募歌数は、今年15324首とのことで、近年2万首前後を推移していたが、1993年の13912首に次ぐ低さである。今後は、皇族方がどうしてもと望むのであれば、国民を巻き込むことなく、宮中での歌会を静かに楽しまれたら、というのが、私のせめてもの「望み」である。そしたら、歌壇も妙な軋轢もなく、少しは風通しがよくなるのではないか。

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朝日新聞デジタルより。左手の中央の天皇夫妻、手前に秋篠宮一家成人4人、奥に女性皇族4人という寂しさだ。右手、前列が選者・召人、後列に入選者が並ぶ。奥の一団が政府関係者、手前の後ろ姿の一団が陪聴者、中央のテーブルには読み手の一団がみえる。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

歌会始がしたいのであれば国民を巻き込むことなく、宮中での歌会を静かに楽しまれたらいい。
本当にそのとおりだと思います。

投稿: | 2020年1月18日 (土) 22時34分

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