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2020年2月 5日 (水)

東北へ~今回も短い旅ながら(2)東北大学「中善並木」

  いつも素通りの仙台、気になっていた、美術館と文学館は是非と思っていた。私は、少々足に自信がなかったので、地下鉄東西線の国際センター下車、まず、目の前から始まる東北大の川内キャンパスに入る。緩い坂を上った交差点を左に折れると「中善並木」があるはずである。「中善並木」とは、1961年東北大学法学部中川善之助先生が退職される折、先生への感謝の意を込めて、学生たちが植樹をした桜並木で、その銘板には、経緯が詳しく記されていた。

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「中善並木」由来の銘板。

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「三太郎の小径」の案内標識、教授だった阿部次郎『三太郎の日記」に由来するとのこと。まっすぐ進むことにする。

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銘板の向かいは図書館、さらに進んだ辺りから振り返る。

 私が大学を卒業しての就職先が学習院大学政経学部の共同研究室だった。政経学部を経済と法学の二学部に分離創設する一年前のことで、中川先生は、すでに着任されていて、一年後、初代の法学部長になられた。私は、法学部新設を挟んだわずか二年間、共同研究室要員として在籍していたのだが、中川先生には、お世話になった上に、楽しい思い出を沢山いただいたような気がしている。在職中、共同研究室での何気ない会話や折に触れての談論風発の話は、魅力的だった。民法、とくに親族法が専門だったが、エッセイ集も出されていた。法律の勉強に熱心でなかった私も、先生の離婚における「破綻主義」の提唱者としての印象が強かった。先生は、東北大学時代、宮城県での「青少年条例」には断固反対、政治的、社会的な解決こそが先決だとする社会的な活動でもリベラルな考え方をする先生だった。学部の先生方と一緒に自宅に招かれたり、修善寺の職場旅行にお供したりした。私の退職後も、金沢大学学長になられたばかりの頃、能登半島旅行の仲間にも入れてくださったり・・・。そんなこともあって、話に聞いていた「中善並木」をぜひ訪ねたいと思っていたのである。先生は1975年、仙台へ向かう上野駅で倒れられ、急逝された。私共の結婚式に祝電をいただいた数日後だったのである。、

  冬の中善並木、裸木の桜はすでに老木も多く、少し寂しげではあった。開花や新緑の季節は、また別なのかもしれない。

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大学百周年記念会館萩ホールへ向かうタクシーや中高年の人たちがやたら多いと思って、近づいてみると、午後から「音楽宅急便・清塚信也」のリサイタルがあるらしい。全席指定6000円、当日券アリの看板も・・・。

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中善並木の突き当りが植物園で、迷子になるくらい広いそうだ。左手に進むと、羽生結弦選手が練習していたという五色沼があるとも聞いた。 この暖冬では凍っていそうにもないが。

 

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