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2020年10月30日 (金)

女川原発2号機はどうなるのか~再稼働反対の声が届かない(付年表改訂版)

 

改訂版の「女川原発関係年表」です。

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その後の女川原発2号

 宮城県議会は10月22日、女川原発2号機再稼働を求める請願を採択、県議会は再稼働の容認を表明したことになり、村井嘉浩知事が近く、再稼働同意に踏み切るとみられている。10月23日には、東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)30キロ圏の石巻市民17人が、重大事故時の住民避難計画の不備を理由に、県と市の2号機再稼働への同意差し止めを求めた仮処分で、仙台高裁は、申し立てを却下した地裁決定を支持、市民側の即時抗告を棄却する決定を出した。

 8月の下記の当ブログ記事にも書いたように、1号機は廃炉に決まったが、2号機の再稼働はなんとしても阻止しなければならないと思っている。宮城県議会へは、すでに県民11万に及ぶ署名によって住民投票条例制定を求めたが、自民・公明による反対で否決、さらに野党による条例案も否決されている。要するに住民投票の結果、民意が示されるのを畏れているとしか思えない。私が女川原発にこだわるのは、2016年に、一度女川町を訪ね、1960年代より、父親の代から夫妻で原発設置反対運動を続けてこられたAさんの話を聞いているからかもしれない。

女川原発のいま、東日本大震災から9年が過ぎて(2020年8月28日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/08/post-413b15.html

 上記記事の年表にもあるように、東北電力の土地買収当初から1984年の1号機運転開始、95年の2号機、2002年3号機運転開始を経て、2011年東日本大震災での被災・自動停止、福島の原発事故に至り、その後も国内外での原発事故が続出している。 
 女川町議会の再稼働容認の意思表示はあったが、周辺自治体の中には、原発事故が起きたときの避難計画の実効性への疑念から反対している市や町がある。大震災後、女川原発は耐震対策や津波対策として海抜29mもの防潮堤を建設したが、そもそも巨大地震を繰り返す震源に近く、福島第一原発と同型の原子炉であるというリスクも抱えている。
 
女川町の場合は、過疎化、高齢化に加えて、大震災被害からの復旧の遅れによる経済的な疲弊から脱出のため原発マネーをアテにせざるを得ない状況下に追い込まれての「未来志向」の選択であった、というのが賛成派の大義名分であろう。しかし、こうした構図は、女川町に限らない。
 
ところが、その原発マネーは、政府、電力会社と自治体、工事受注会社をめぐりにめぐるが、自治体や市民に残されるのは、安全性に疑問を残したままの原子炉、いわゆる立派な箱モノ、不安定な雇用だけというのは、原発を持つ自治体に共通するのではないか。原発によってだれが潤っているのかは、よく見極めなければならない。関西電力と高浜町をめぐる大掛かりな汚職事件は記憶に新しい。地元市民や電力消費者は、もっと怒ってもいいはずなのに。

Jijicom:関西電力・高浜町原発マネー還流事件まとめ
https://www.jiji.com/jc/v7?id=201909kdkzgm

ほんとうに原発は必要なのか
 
こうした現実を前に、私は、いま、果たして、ほんとうに原子力発電が必要なのかという基本的な問題に突き当たってしまう。10月26日の菅首相の所信表明では、「温室効果ガス排出量を2050年までにゼロ」を打ち出したが、その裏付けは未知数である。日本の電源構成は、2018年の実績と2030年エネルギー基本計画によれば、以下のようになる。

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 原子力による電源の推移を見てみると、2011年東日本大震災の福島原発事故以来、限りなくゼロから再稼働により若干増えて、数パンセントなのが現状である。これを、政府は、1930年には20~22%にすることを目標とした。大震災直前に近い数値で、原発の再稼働・新設は必至ということになる。新設はもちろん、再稼働や廃炉、廃棄物処理への過程での安全性の担保を考えると、その人材と時間に加え、そのコストは、とてつもない数字になる。原発は安全で安価という神話は、すでに崩れつつあるのを、私たちはうすうす知ってしまった。エネルギーミックスによって、原子力発電は供給の安定性がメリットとも言われてきたが、ひとたび事故が発生すれば、福島原発事故に見るように、一斉に稼働を停止し、点検の必要が生じるのではないか。 

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  電気事業連合会のホームページより 

   私は、将来の人口減に加えて、省エネの覚悟と水力・風力・太陽光などの再生エネルギーによる電力供給を拡大することによって、原発ゼロも温室ガス排出量を限りなくゼロにすることも、不可能ではないと考えるようになった。

 女川原発の歴史を振り返ってみよう。1967年末、女川町を含む石巻地区の石巻市他9町による原発誘致の請願に始まり、翌年、東北電力は女川町の小屋取を適地として建設地と決定した。それ以降、雄勝、牡鹿、女川三町の建設反対期成同盟と漁協による反対運動が盛りあがったが、東北電力の土地買収交渉が強引に進められた。小屋取の大地主さんは、当初反対であったが、東北電力の分裂工作にのってしまう革新政党があり、とうとう買取りに応じてしまったと、女川で話を聞いたAさんは、その悔しさを語っていた。そんなことでも苦労されたのだなと思う。1973年第一次オイルショックにより各漁協が漁業権を売り渡し、埋め立て工事の同意が続いたという。1979年アメリカのスリーマイル島、1986年ソ連のチェルノブイリ原発事故と続く中でも、工事は着々と進み、2002年3号機運転開始にまで至るのである。上記建設反対運動に始まり、1号機運転差し止め、2号機設置許可取り消し行政不服審査異議申し立て、3号機建設反対1・2号機運転中止申し入れなど、要望や法廷闘争を繰り返すなかで、2011年、東日本大震災により、1・2・3号機が自動停止となって、前述のように1号機廃炉、2号機再稼働の道が進められている。3号機のプルサーマル計画はどうなるのか、いずれも住民には大きな不安をもたらしている。

女川と鹿島 
 一方、ゼネコンの鹿島建設とそのグループは、東北地方では、原発に強いといわれ、女川原発3機とあわせて関連工事もすべて鹿島であった。2011年の段階で、全国で54機ある原発の20機以上が鹿島による建設だった。公共事業ではない電力会社と建設会社との民・民契約であるため、競争入札はないので、粗利益は高いとされている。関連工事のみならず、今後は廃炉にも多大の資金が投入されるだろう(「なぜ鹿島は原発の建設に強いのか」『週刊東洋経済』2011年12月3日号)。
 また、東日本大震災前ながら、鹿島建設のホームページには、「鹿島紀行」というコーナーがあって、鹿島の施工工事と女川町との関係をつぎのように記している(「宮城県女川町~緑あり・海あり・魚あり」『鹿島紀行臨時版』2005年11月)。 

【女川町と鹿島】
 当社と女川町との関わりは,1960年の日本水産女川冷食工場建設(79年同工場増設)と,68年の野々浜地区の牡鹿半島有料道路(コバルトライン)工事に始まる。前後して女川原子力発電所取付け道路などを施工した。
 女川原子力発電所は79年から敷地造成工事に着手し,以降1号機(80年),2号機(88年),3号機の各本館建屋(96年)に着工した。
 女川町総合運動場では85年に造成工事を受注。引き続き町民野球場,町民庭球場,陸上競技場を受注した。02年に万石浦トンネル,04年に(仮称)第1五部浦トンネルを受注している。

 さらに、東日本大震災の津波により壊滅的な被害を受けた女川町の復興事業の概要は、以下の通りだが、2012年3月に、女川町と独立行政法人都市再生機構は「女川町復興まちづくりパートナーシップ協定」を締結、同年10月に、独立行政法人都市再生機構と鹿島・オオバJVは「女川町震災復興事業の工事施工等に関する一体的業務」について協定を結んでいる。女川町は、都市再生機構を通じて鹿島に丸投げしたことになる。以降、復興まちづくりのモデル事業として、しばしば報道され、話題にもなっていた。そして、今年2020年3月、7年半にわたる復興事業は完了したという。

 あの大掛かりな造成工事は完了したのだろうか。駅前のみならず、街のにぎわいを見せているのだろうか。

【女川町震災復興事業】
事業者:女川町
発注者:独立行政法人 都市再生機構
施工者:鹿島・オオバ女川町震災復興事業共同企業体(おながわまちづくりJV)
業務内容:震災復興の造成工事に関するマネジメント業務、
地質調査、地形測量、詳細設計、許認可に関わる図書作成および施工業務
工事概要:中心市街地222ha、離半島部14地区55ha
工期:2012年10月~2020年3月

首相と天皇 
 私たちが女川を訪ねたのは2016年4月、女川駅と周辺のわずかな区画の商業施設が完成したばかりであったが、いかにもにわか作りの感がぬぐえなかった。食事をしようにも満足な店が見つからず、どこか半端な店が並んでいた程度だった。あたり一帯はかさ上げ工事のさなかで、大量の重機が首を振り、大きく削られた山肌が生々しかった。そして、直前の3月17日には天皇夫妻が、2月21日には安倍首相がすでに立ち寄っていたことを教えられた。迎えるための準備と警備は、格別のことであったろう。行幸や視察の実質的な意味は、まず皆無であろう。被災者の気持ちに「寄り添い」「励ます」というが、私などは信じがたいのだが、それよりも先にやることがあるだろうと、いつもやるせない思いに駆られてしまう。

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首相官邸のホームページより

  2015年3月、女川駅が開業した折の美智子皇后の短歌「春風も沿ひて走らむこの朝(あした)女川(をながは)駅を始発車いでぬ」が、すでに16年1月に発表されていた。宮内庁の発表によれば、天皇夫妻の3月17日の女川での日程は、以下の通りであった。昼食をはさんで、滞在時間はどのくらいだったのだろうか。「ヤマホン」というのは、水産加工会社のようであった。女川の日程の前後には、石巻市で「宮城県水産会館(時間調整のためお立ち寄り・宮城県漁業協同組合東日本大震災犠牲者慰霊碑ご拝礼)」、帰りにも、「時間調整のためお立ちより・宮城県漁業協同組合経営管理委員会会長ご懇談」とあった。「ご聴取」「ご視察」「ご覧」「ご訪問」「ご懇談」との使い分けがあって、なかなかややこしい・・・。

女川町長より復興状況等ご聴取(女川町まちなか交流館)
昼食会ご主催(宮城県知事,県議会議長,女川町長,町議会議長)(女川町まちなか交流館)
ご視察(シーパルピア女川(テナント型商業施設)
ご覧(女川駅)
ご訪問(株式会社ヤマホン、施設概要ご聴取,ご視察)

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産経新聞より。この日の丸は、だれが用意したのだろう。  

  最近、女川町の江島出身の知人Wさんに会う機会があった。女川は「ふるさと」ながら、訪ねるたびに、どんどん変わっていく様を目の当たりにして、やりきれなさというか、女川の記事や映像も拒みたくさえなるという。2万人が暮らして漁業が盛んな町だったが、原発が出来て1万になり、大震災の被害でさらに半減してしまったことにもなると嘆くとしきりであった。「女川に来なくても短歌は作れてしまう」と皇后の短歌の話にも及んだ。

 女川町のもう一つの島、出島(いずしま)のこんな記事を見つけた。

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出島の人口は、大震災後、5分の1の100人になった。2023年には、本土との橋が開通するそうだ。河北新報(2020年7月22日)

関係年表を以下改訂しました。クリックして拡大できます。
冒頭のPDF版もご利用ください。

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2020年10月24日 (土)

誰も言い出さない「オリンピック中止」~近頃の政党やメディア

 10月23日の「東京五輪・パラリンピック大会推進本部」の会合で首相は、「コロナに勝った証しに」東京五輪開催への決意を示した。 

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「日本の陽性者数の推移」厚生労働省ホームページより

  世界の各地で、とくにヨーロッパ諸国では、新型コロナウイルスの一日の感染者数が、記録を更新している。日本では、第一次のピーク4月下旬の一日の感染者数700を越え、第二次ピーク8月初旬の1600を超えたあと、500~700を推移していて、決して収束したとは思えない。一日の死者数の推移をみると、5月2日31人がピークであって、減ってきたとはいうものの、10月に入ってからも10人を超える日があった。今日23日の感染者数748人、死者12人であった。Go toトラベル、イートなどとはしゃいでいる場合なのだろうか。受け入れる観光業界や飲食業界にしても、潤うのはわずかで、不安も大きいという。一方で、職場や仕事を奪われ、食事にもこと欠く人たちがいるというのに。

  こうした世界と日本の感染状況から見れば、来年7月に迫る東京五輪の開催は限りなく無理なのではないか、と思っている人は多いにちがいない。現に、7月中旬のいくつかのメディアによる来年の五輪開催についての世論調査によれば、開催33%、再延期32%、中止29%(朝日新聞)、開催25.6%、再延期35.1%、中止31.3%(NHK)開催23.9%、再延期36.4%、中止33.7%(共同通信)で、再延期と中止で60~70%を占めている。
  にもかかわらず、政府や東京都は、感染対策なるものを躍起になって進めているが、どの政党からも、政治家からも、メディアからも「中止」の声は聞こえてこない。政府は、決めるのはIOCだとばかりに、ずるずると感染対策なる入国規制の緩和や簡素化、サイバー攻撃対策など準備を進めているうちに、選手は来ない、観客は来ないとなったらどうするのだろう。中川日本医師会会長は、7月以来、ワクチンが開発されなければ開催は困難だと語り、尾崎東京都医師会会長は10月13日の会見で、開催するなら無観客が妥当、医療体制では対応困難との発言もあった。IOCは、スポンサーやその他のお金の絡みで、コロナウイルス感染拡大に関係なく開催と強気で、自ら中止を言い出せず、日本が不可能だというのだったら仕方がない、という形にするのではないか。それでも、このまま開催するということになれば、オリンピックの体をなさず、悲惨を極めるだろう。
 
IOCやJOCの汚職疑惑にもフタをし、日本のスポーツ界を見れば、スポーツ団体のいくつかの不祥事が明るみに出ても、明確な改革はなされないまま、ウヤムヤに処理され、選手たちの環境が大きく変化したとは見られなかった。メディアも、その後は報じないし、国民の関心も薄れてしまったようだ。
  そして、与野党を問わず、メデイアさえも、「東京五輪中止」はタブーのように言及することがなくなった。NHKニュースでは、他国での感染状況を詳しく伝え、日本の、その日の感染状況は、簡単にしか伝えなくなった。感染対策や多様な働き方改革の紹介、ワクチン開発や検査薬・治療薬など断片的な周辺の「明るいニュース」の最後に伝えるという編成に変わってきている。新内閣ができてから顕著になったのではないか。他のマスメディアにおいても、潮が引いたように、新型コロナウイルス感染状況の基本的な情報や解説は減って、さまざまな“go to”関連情報が増え、“go to 東京五輪”のモードに切り替えてゆく気配が感じられる。一見過激なコメンテイターたちもオリンピック中止の声は決して上げない。その同調圧力というのが恐ろしい。

感染状況については以下を参照

厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/stf/covid-19/kokunainohasseijoukyou.html

NHK特設サイト新型コロナウイルス
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all/

 

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2020年10月19日 (月)

秋の自然観察3題

 午前中、薄日が差していたので、昨日、少しばかり伐っておいた庭木の枝を、燃やせるごみの袋詰めをしていて気が付いた。

① 物置に接して、窮屈そうなキンモクセイ、今年はあまり花がつかなかったが、葉裏に、なんとセミの抜け殻が二つ残っていた。体長は2センチ以上ある。ネットで調べてみると、クマゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミの部類らしい。クマゼミは背中が丸く、ひっくり返してみると、おへそのようなものがあるらしい。葉っぱから引き離すのは遠慮したが、写真の下方の抜け殻は、背中が大きく曲がっているので、クマゼミかもしれない。アブラゼミとミンミンゼミは、触覚の節の長さが微妙に違うらしい。もうどちらでもいいと、そのままにしておいた。

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② 枯れかけたドクダミ、シダなどの雑草を抜き、枯葉を集めていたところ、枯葉の下に、なんと小さな白いタマゴが現れた。何のタマゴ?我が家の庭には、ヒヨドリとメジロ、ムクドリくらいしか来ないはずなのだが。そういえば、9月から10月ごろにかけて、大きく茂ったヤマボウシをめがけて飛んでくる鳥影は見ていた。そしてそこを中継点のようにして、反対側に飛び去っていたことが何回かあったが・・・。とくに巣らしいものも見当たらない。真っ白い小さなタマゴ、これもネットで調べてみると、真っ白いのはメジロかもしれないと思った。

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③ そして、このタマゴの横に目をやると、次のようなものが倒れていた?これまで見たことはなかったのだが、ウラシマソウがあった辺りである。こんな風な実?が成るのは知らなかった。

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 コロナ感染は一向に収まりそうもない秋、いやむしろ、寒さを迎えて、一層危険が増すという。不安は募るばかりである。

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「エール」で「NHKはウソをつきません」というセリフがありましたが ~「NHK森下経営委員長の義務違反の究明を求める」請願書を国会に提出へ

 朝ドラ「エール」は急展開の上、先週、敗戦後になりました。10月16日放送で「鐘の鳴る丘」の作者、菊田一夫と思われる人物とNHK職員との会話で、職員が「NHKですからウソをつきません」とのセリフが飛び出した。これって、その演出も、まさしく自虐ネタと思われるフシがあった。スポニチもウェブで流していたが。というのも・・・。   

 放送法では、個別の番組には介入してはいけないはずのNHK経営委員会が、かんぽ生命保険の不正販売を報じた番組に対して、当時の上田NHK会長に「厳重注意」をしたこと、その経緯を示す経営委員会の議事録を公開しないことについて、多くの視聴者やメディアから批判されているにも関わらず、頬かむりのまま動かない。

 表題のような「請願書」を国会に提出するのを期して、以下のような集会が開かれます。この時期に、一見、地味に見える請願であり、集会でありますが、表現の自由を侵す重大な問題なので、国会でも十分究明して欲しいということで、衆参両院に請願書を提出することになったそうです。全国で40名近い世話人の努力で請願者は2200人を超えています。私も請願者の一人に加わりました。

       ***************

       請願書提出にあたっての院内集会 

日 時:  2020年10月26日(月) 16時~17時30分(予定)
会 場:  衆議院第二議員会館 多目的会議室(1階) 

世話人会からの出席者:
岩崎貞明(「放送レポート」編集長) 
小田桐 誠(ジャーナリスト/大学講師)
小玉美意子(武蔵大学名誉教授) 
杉浦ひとみ(弁護士)
楚山大和(「日本の政治を監視する上尾市民の会」代表)

醍醐 聰(「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」共同代表)
長井 暁(NHK・OB/大学教員)
日巻直映(「郵政産業労働者ユニオン」中央執行委員長)|

 ご出席の衆参両院の紹介議員へ請願書を提出します。なお集会参加者は、ご自身の体調管理とマスク着用などの対策をお願いいたします。 

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2020年10月14日 (水)

朝ドラ「エール」は、戦時下の古関裕而をどう描いているか

  9月末の週から「エール」は戦時下に入った。これまでのドラマの進行は、古関裕而の自伝『鐘よ鳴り響け』とも、いくつかに評伝とも、かけ離れていって、古関作曲の歌と周辺の都合のよい事実をつなぎ合わせたフィクションであることは、本ブログ記事でも、『現代短歌』の拙稿でも述べているが、戦時下に入ってからは、その度合いが一層色濃くなっている。この間、朝ドラを欠かさず見てるわけではなかったが、昼の再放送、土曜日のまとめ、NHK+などを利用して、なるべく見るようにはしていた。9月半ばの、放送再開前後の、8時半からの「あさイチ」での番組宣伝が半端ではなかった。ドラマに登場のタレントを連日ゲストとして出演させていたし、「歴史ヒストリア」などでも取り上げるという熱心さであった。

 肝心のドラマでの古関裕而(古山裕一)が、あのように立て続けに、戦時歌謡、軍歌を作曲し続けていたことだけは、隠しようもない事実なので、NHKは、そして脚本家たちは、必死になって周辺人物を作り出し、彼らに、戦争への疑問、統制・弾圧の強化、戦局の厳しさ、生活の不自由さを語らせている。今週は、従軍先の、さらにインパール作戦の前線での小学校の恩師との再会と戦死という展開を見せる。現実の古関は、ラングーンに留まり、危険な戦場には赴いていない。恩師や自分の歌をさっきまで歌っていた兵士たちが斃れていくのを目前にした古山は、恐怖と驚愕で、何かを叫んでいる?のが、10月14日のラストであった。だが、恩師との再会も戦死も事実ではない。古関裕而の妻の実家は、10人近くものきょうだいがいたが、ドラマでは、作家となる妹と軍人の妻になる姉の三姉妹という設定で、母親とともにクリスチャンということで、常に特高に監視されたり、妹の夫の家業の馬具づくり職人も入信し、馬具が軍隊に納められて、戦争に役立っていることへの疑問を語り、古山(古関)に「戦意高揚の歌は作らないで下さい」と願う場面を作ったり、商魂たくましいレコード会社や映画会社のプロデューサーは、コメディタッチで描かれたりするなかで、「国のために、戦っている兵士のために」作曲するという信念は動かない・・・。妻も、音楽教室から音楽挺身隊への転換を見せながらは、普通の家庭の主婦らしさが強調され、こんなブラウス、こんな割烹着、代用食・・・みたいな時代考証がなされているが、資料には妻・実家サイドの動向があまり見えないなか、盛りに盛ったストーリーに仕立てているように思えた。

 ドラマの古山の活躍は、さらに拡大する戦争末期に入ろうとしているが、どんな展開になるのだろうか。

 そんな折、「NHKとメディアを考える会(兵庫)」のニュース54号(2020年10月)が届いた。今号は、「ヤジと民主主義~小さな自由が排除された先に~」(北海放送制作 2020年4月26日放送)がギャラクシ賞報道活動部門優秀賞、日本ジャーナリスト賞の受賞を記念しての、24頁に及ぶ再録特集であった。連れ合いに送られてくる、この兵庫の会の会報とその活動ぶりには目を見張るものがあって、感心していたのだった。その会員のどなたかの目に留まったのか、先の本ブログ記事で紹介した拙稿「古関裕而はだれにエールを送ったのか」(『現代短歌』2020年11月号)の要約版を会報に載せたいとの依頼があったのだ。 
 表を含めて3頁をとってくださったのである。以下要約版ではあるが、ぜひ読んでいただきたく、ここにPDF版を掲載した。この作業の中で、雑誌での私の校正ミスをただすことができた。『現代短歌』の「古関裕而作曲の戦時歌謡の主な公募歌・委嘱歌一覧」89頁、「防空青年の歌」の作詞者は「柴野為亥知」であった。お詫びして訂正したい。

ダウンロード - e585b5e5baabe381aee4bc9ae3838be383a5e383bce382b9no54ke7a2bae5ae9ae78988e58fa4e996a2e8a395e8808c.pdf

下記の画像を拡大するか、上記のPDF版をご覧ください。

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2020年10月 4日 (日)

ほんとうの「学問の自由」とは~日本学術会議、日本芸術院、文化勲章は必要なのか

 202010
秋は確実にやってくる。花をつけはじめた、東側のきんもくせい

 首相が学術会議人事に介入したとして、騒動になっている。日本学術会議が新会員候補者として105人推薦したところ、6名の任命が拒否されたというのである。従来は、内閣総理大臣の任命は、形式的なものとして運用されていた。拒否された6人は、いずれも現政府の意に沿わない発言や活動を続けている人たちである。政府が、研究者の萎縮を狙っていることは確かなのだが、学術会議が首相に提出した要望書は以下の通りで、10月3日にホームページで公開された。

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第25期新規会員任命に関する要望書
令和2年10月2日
内閣総理大臣 菅 義偉 殿
日本学術会議第181回総会
第25期新規会員任命に関して、次の2点を要望する。
1.2020年9月30日付で山極壽一前会長がお願いしたとおり、推薦した会員候補者が任命されない理由を説明いただきたい。
2.2020年8月31日付で推薦した会員候補者のうち、任命されていない方について、速やかに任命していただきたい。

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 要望書は、10月1日の学術会議の総会で決まった新会長梶田隆章の名ではなく、「総会」名義で、いわば、たった二件の短い「お願い」文書であった。新会長は、10月3日の記者のぶら下がりで、「任命拒否の説明をしてもらわなければ、どうしていいかわからない」とオロオロするするばかりであった。この件について、手元の新聞の社説の見出しは以下の通りである。

東京:任命拒否の撤回を求める
毎日:看過できない政治介入だ
朝日:学問の自由脅かす暴挙

 論調のスタンスは、ほぼ一緒である。常々、そもそも「学術会議」って何?という疑問が私にはあった。会員が、現役であれ、OBであれ、その肩書が付されるのをよく目にした。日本学術会議は、戦前の学問が、軍部によって自由を奪われ、利用されたことへの反省から、1949年に発足している。日本学術会議法上では、「優れた研究又は業績」のある会員をもって組織する、となっているが、その基準は曖昧である。3年を一期として、役員が決まり、会員は二期6年の任期で、定員210人の半数が改選されてゆく。当初は、各学会、団体などの推薦によって候補を決めていたが、長老ばかりが推薦されるので、2004年には、推薦は学術会議内部で行われることになった。いまでは、70歳という定年制も導入されている。しかし、新会員の推薦の実態は、改選の該当者が後任を推薦して退くことになっているという(経団連「日本学術会議の見直しに向けて」、日本学術会議の新たな展望を考える有識者会議「日本学術会議の今後の展望について」いずれも2015年)。  
 会員は、非常勤公務員なので、手当や旅費は出る。さらに、事務局には国家公務員として50人程のスタッフがいて、年間の総予算は10億を超える。https://www.cao.go.jp/yosan/soshiki/r2/pdf/50.pdf

 政府とは独立したアカデミーをもつ国は多いが、日本の学術会議のような政府直轄の組織はない、と上記見直しの会議でも議論されていた。政策提言機関を自認するならば、政権から独立した、自律性が問われるのではないか。その会員の任命が拒否されたからと言って、崩れてしまうほどの「学問の自由」だったのだろうか。研究者が、この程度の介入で、学問の自由を失い、萎縮してしまうのだとしたら、まさに、政府の思うツボである。介入は、エスカレートしてゆくだろう。 
 この時期に、首相が、こうした決断をした背景には何があるのか、どんな意味があるのかを探ることは大事だが、「日本学術会議」自体についての議論がなされてもいいのではないか。

 私は、かつて、「勲章が欲しい歌人たち」(拙著『天皇の短歌は何を語るのか』御茶の水書房 2013年、所収。初出『風景』100~101号 2002年)の中で、日本芸術院の成り立ちと会員となった歌人について調べたことがある。日本芸術院は、1937年、7月には盧溝橋の武力衝突により日中戦争が始まり、内閣情報部が設置された年であり、“文芸奨励政策”の名のもとに設置された帝国芸術院を前身とする。文芸の奨励ではなく、懐柔策とみて良いだろう。敗戦後改称の上、1949年、日本芸術院令のもとに発足している。定員120名、終身制なので、会員の死亡による欠員が生じた分野で推薦を受けた者が総会で承認の上、文科大臣が任命することになっている。その基準は、上記院令では、「芸術上の功績顕著な芸術家」ということで、会員には、年金250万円がつく。
 また、文化勲章の前提ともなる文化功労者(年金350万円)は、文化庁の文化審議会内の文化功労者選考分科会で選考され、メンバーとしては、国立の博物館、美術館の館長、大学の学長、教授、ノーベル賞受賞者、作家、評論家などの名前が並ぶ。しかし、彼らが、学術・芸術各分野全般に目が届くとは考えられない。実際の候補者選出の基準や過程は非公開で、詳細は不明だが、おそらくは担当部局が担っていると推測できる。分科会は、形骸化して、承認機関になっているのではないか。歌人で言えば、今年の7月に会員である岡井隆が死去して、岡野弘彦、馬場あき子、佐佐木幸綱の3人となった。補充されるのはだれなのか。
 それはともかく、文科省による芸術選奨にしても、選考委員、推薦委員が固定化される中で、若干の入れ替えがなされるものの、受賞者との関係を見ると、選考委員と同じ結社であったり、年を超えて結社間の互酬性らしきものが垣間見えたりする。

 こうしてみてくると、日本学術会議、日本芸術院の成り立ち自体、文化功労者(⇒文化勲章)の選考過程自体が、政治介入を前提としていると言えないか。そして、それぞれの会員であることや受章が、一つの権威となって、それを利用している会員たちも無視できず、学術や芸術の世界を脅かしているようにさえ見えてくる。

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左が近くの中学校で拾った桜、中央が庭の東側の紫木蓮、右が夏椿、自然の造形に癒されて
 

 

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