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2020年11月20日 (金)

奈良・京都、何回か来ているはずなのに(2)

京都国立博物館「皇室の名宝」展へ

 新型ウイルス対策のため、見学は30分刻みの事前予約が必要とのことで、家を出る前に、当初は11月14日の午前中にと思ったが、すでに満杯だった。13日ならば、当日でも入館できる状況だったので、京都駅の観光案内所で確認、バスで博物館・三十三間堂前下車。私たちは、午後3時入館、制限している割には混んでいた。
  皇室の所蔵する美術品などは、平成になって、大方、三の丸尚蔵館に移管され、即位10年、成婚50年、改元などの記念展や、テーマを持った特別展が年に2・3回開催されていたのは知っていた。今年に入っては、「即位記念・令和の御代を迎えて」も開催されていたのだが、いずれにしても、そのテーマからして出かける意欲を失っていた。しかし、今回は、京都に行くついでながら、伊藤若冲と円山応挙がみられるということで出かけた。夫は、あまり乗り気ではなかったが、付き合ってもらうことにした。

展示の構成は以下の通りであった。
第一章 皇室につどう書画 三の丸尚蔵館の名宝
 筆跡のもつ力/絵と紡ぐ物語/唐絵のあこがれ/近世絵画の百花繚乱
第二章 御所をめぐる色とかたち
  即位の風景
/漢に学び和をうみだす/天皇の姿と風雅/王朝物語の舞台

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出品目録とチケット

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恩命帖」(藤原佐理 982年)、矢の調達が整わなかったことの詫び状らしい。このコーナーには藤原定家の「更級日記」や「和歌懐紙」があった

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蒙古襲来絵詞」(13世紀)、このコーナーには、「「春日権現験記」〈1309年頃)もあり、前日、春日大社に参っていただけに興味深った

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私の高校時代の日本史教科書『新日本史』(池田教科書出版 1956年)にあった「蒙古襲来絵詞」(御物)とあり、『中学日本史』(清水書院 1951年)にもあった

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伊藤若冲「旭日鳳凰図」(1755年)

 若冲がブームになったのはいつごろだったか。2009年、即位20年ということで東京国立博物館で開催された「皇室の名宝~日本美の華」においては、「動植綵絵」30幅がすべて公開されていたという。2016年にも生誕300年で、大々的な展覧会が開かれていた。「動植綵絵」は元々相国寺に寄進されたものだったという。今回は、前期・後期あわせて8幅が展示されていて、下記の「南天雄鶏図」「菊花流水図」など4点を見ることができた。

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  私には近世の美術が興味深かった。大半は豪華な屏風であった。狩野永徳、海北友松、俵屋宗達、狩野探幽など、教科書に出てくる画家たちの作品が並ぶ。とくに、宗達の「扇面散図屏風」の意匠に目をとめた。宗達は、京都の町絵師で、料紙や扇も商ってもいたというが、生没年もはっきりしないらしい。弟子たちと工房のようなところで作品を描いていて、町民に人気があり、寺社や貴族からの依頼は後期になってからともいう。

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俵屋宗達「扇面散図屏風」八曲一双(17世紀)

 なお、「即位の風景」のコーナーには、江戸時代の天皇の即位の図を描いた屏風があった。なるほど、今回の即位の礼のテレビ中継で見覚えのある「高御座」を中央に描かれている絵は、現代よりよほど質素に思えた。わざわざ京都から運んでまでする儀式だったのだろうか。それに、このコーナーには、どこか真新しい屏風があったのでよく見ると、「令和度 主基地方風俗和歌屏風」といい、「和歌 永田和宏詠筆 絵 土屋礼一筆」と記されている。「なんだ、これは」というと唐突さであった。所蔵をよく見ると「宮内庁用度課」となっていた。すでに「名宝」なのかな、というのが率直な感想であった。京都の四季にちなんだ和歌の色紙は、屏風の上部の左右にあるので、文字は読めなかった。なお、悠紀地方の屏風は、「和歌 篠弘詠筆 田渕俊夫筆」とあり、前期に展示されたらしい。土屋礼一は、芸術院会員、日展副理事長、永田和宏は、歌会始選者である。

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「令和度 主基地方風俗和歌屏風」(和歌永田和宏詠筆 絵土屋礼一 2019年)。
大嘗祭では、天皇が大嘗宮の悠紀殿(ゆきでん)と主基殿(すきでん)でお米などの新穀を神前に供えるが、その新穀は東日本の「悠紀地方」と西日本の「主基地方」からそれぞれ納められることになっており、今回は栃木県と京都府が選ばれた。2019年11月の大饗の儀の調度品として披露されたという

 なお、出品目録を見ると、所蔵機関はほとんど三の丸尚蔵館なのだが、宮内庁書陵部などとともに「御物」となっているものがあった。御物とは、昭和天皇死去後の、天皇家の相続にあたって、美術品の評価が高く相続税がかかるので、「国有財産」「御由緒物」とに仕分け、その残りにあたる。国有財産になったものは三の丸尚蔵館に収められ、皇位に伴って伝えられるべき三種の神器や儀式関連文書や装身具が「御由緒物」となった。しかし、その仕分けの基準が曖昧で、貴重な美術品が含まれているようだ。なぜ、すべて国有財産にしなかったのだろう(森暢平『天皇家の財布』119~126頁)。
 夫とは、途中から別行動になり、先に出るという。ロダンの「考える人」の辺りで待っているとのメールが入っていた。

 

 

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