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2021年4月11日 (日)

沖縄「一中健児の塔」を「顕彰碑」とした歴史教科書が検定を通過?!

 4月3日の『東京新聞』によれば、沖縄戦に動員された沖縄県立一中の学徒隊の慰霊碑が、「顕彰碑」と紹介され、戦争を美化するような表記がある教科書が、文科省の検定をパスしていたというのだ。2022年度から使用される高校の新しい科目「歴史総合」の教科書(明成社)は、とくに問題がないと検定をパスしていたが、報道機関や元学徒らの抗議、訂正の要請を受け、出版元は訂正の意向を示しているという。

明成社:日本会議メンバーの著作を多く出版。2002年の検定にパスした地理や日本史の高校教科書での「竹島は日本の領土で、韓国が不法占拠」との記述に対して韓国政府から抗議を受けた。私の手元には『天皇陛下と沖縄』(日本会議事業センター編 明成社 2012年)がある。

 この記事に接して思い出したことがある。

 私が初めて那覇空港に降り立ったのは、2014年11月、ちょうど沖縄県知事選挙・那覇市長選挙戦が終盤に差し掛かっていたときだった。ゆいレールへの陸橋を渡るときには、すぐ下で「オール沖縄で<建白書>実現を」の横断幕をつけた宣伝カーからオナガ支持を訴えていたし、どこからか「オナガ夫人が城間市長候補の応援に駆けつけました」との声も風に乗って届くのだった。翌日、最初に向かったのが首里城だった。ゆいレールの終点首里駅の周辺には「共産党支配のオール沖縄!!」という明らかな選挙妨害のノボリが、あちこちの電柱に括りつけられ、選挙戦の激しさを物語っていた。

 首里城の長くて、高い城壁は壮観だった。あの守礼門、そして、中庭を囲む絢爛たる正殿・南殿・北殿に圧倒されたことを思い出す。2019年10月、なんとそのほとんどが炎上してしまったというニュースには驚かされたのだった。

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  その首里城と玉陵を見学した後、立ち寄ったのが、現在の首里高校とは道を隔てて、少し入ったところの首里高校同窓会館に接して建てられた「一中健児之塔」1950年4月建立)であった。

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 同窓会館の2階には「一中学徒隊資料展示室」(2005年12月開設)がある。その展示によれば、1945年、沖縄県立第一中学校では3月27日卒業式が行われた後、3~5年生を中心に鉄血勤皇隊に動員された者約144名、2年生を中心に通信隊に動員された者110名、4月19日養秀尞が艦砲弾で全焼、軍と共に南部へ撤退し、犠牲者は続出、289名を数える、という。

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  沖縄戦における学徒隊の動員は、兵力の不足を補うため、すべての中学校、高等女学校の生徒を対象とし、男子が14歳から19歳、女子は15歳から19歳の生徒で編成された。一中の生徒たちは、第32軍司令部の直轄部隊の各部に配属されていた。展示室には、爪や遺髪などの遺品、遺書、遺影、追悼集のほか、焼失前の校舎や教室の写真、教科書なども並び、学び続けたかったであろう学園生活の一端も伝えていた。

 私にとって、最も印象深かったのは、ずらりと並んだ、生徒たちの遺影であった。どれもみんな幼く、はにかんだような表情を見せる少年たちは、一見、やさしくも思えたのだった。わずかに残された写真から、拡大し、トリミングした顔写真が並ぶ。ぼやけているものも多いし、なかには、幼少時の写真が掲げられているものもある。見学を終えて、展示室を出ようと、何気なく振りかえったとき、その少年たちの視線は、いっせいに私に向けられ、悲しくも、鋭く、懸命に訴えるようにも思えたのだった。犠牲者の家族も全員亡くなって、写真一枚も見出せず、遺影がないままの生徒もいるという。

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上記の写真は。いずれも2014年11月11日、筆者撮影。展示室内の写真撮影は不可であった
下記の写真は、『養秀ニュース』56号(2016年10月)から拝借。家族にあてた遺書。教官が生徒らに遺書を書かせ、二つの壺に収められたものが地中から発見され、修復されたものの一部が展示されている

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 なお、沖縄戦における学徒隊の全貌は、沖縄県子ども生活福祉部保護・援護課の下記のホームページに詳しいです。下記の画像はその一部です。拡大してみてください。

file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/XLUAEPA6/0106220gakuto21.pdfImg108

 

 

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2021年4月 3日 (土)

なんとも鬱陶しいマイナンバー、私は使わない

 銀行や保険会社から、マイナンバーの提供依頼の文書が何度でも届く。そのたびに無視しているが、カードも持たないし、提供する気もないので、なんと、鬱陶しいことかと、閉口している。

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総務省のHPより、ここまでやるの?
 

  そもそも、政府は、マイナンバー制度は何のために、進めようとしているのか、私にはわからない。マイナンバー制度は何のためにと、このブログでも何度か触れているが、現在、大きな曲がり角に来ていると、書き始めたのだが、なかなかまとまらないうちに、きのう4月2日、マイナンバー改正法案を含むデジタル関連法案63本が一括で衆議院内閣委員会において可決されてしまった。その審議時間は27時間に過ぎなかったという(『東京新聞』4月3日)。
 
一括とは、「束ね法案」ともいい、政府提案の法案の審議時間をなるべく短縮し、反対意見を極力スルーするための審議・議決方式であって、安保関連法案、働き方改革関連法案に続く手法である。その上、これまでもあったかもしれないのだが、今国会で、法案の条文のミス、たんなる字句に限らない、内容的にも整合性を欠く条文がさまざまな法案で発見されているというのだから、お粗末きわまりない。「束ね法案」は、政府にとっては、質疑応答の過程で、その本質や不備が質されるのが避けられるという「手口」であって、国民にとっては、国会軽視の何物でもないだろう。

 マイナンバー制度は、個人情報の一元管理により行政の効率化を図るというのが主旨であったが、笛吹けど踊らず、国民は、個人情報が束ねられることへの不安、暮らしの上でのメリットがないまま、なかなか普及していないのが現状である。

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NHK「政治マガジン」より

 なお、今日4月3日のjijicom(時事通信社)の記事によれば、3月年度末時点での普及率は、急激に増加して、28.2%にまで上昇したという。さらに、今日の7時のNHKニュースでは、急増して36%に達したとの報道もあった。政府としては、2022年度末(2023年3月)までに、国民すべてにマイナンバーカードを普及させたいと、武田良太総務相が語っていたが、あの武田大臣が胸を張ったところで、説得力はない。さらに、最高額5000円のマイナポイントで、マイナンバーカードの普及を図ろうとするも、意外に伸びず、この3月で申請を打ち切るはずだったが、1か月延長、その付与も9月まで延長するなど、躍起になっている。

 マイナンバーカードには、メリットがないばかりか、さまざまな分野でのマイナンバーの「活用」は、システム上の不具合と称してとん挫しているではないか。昨年、国民一人当たり10万円の「特別定額給付金」は、マイナンバーを利用したばかりに、かえって支給が遅れるという事態が生じたし、この3月には、一部の医療機関で保険証代わりにマイナンバーカードを使用できるとしていたが、これも不具合があって、10月までにはと延長となっている。10月からといっても、使えるのは、全国で24都道府県、54医療機関に過ぎないというから、文字通り、試験運用にすぎないだろう。運転免許証代わりという計画は、当初2026年度中にはと言っていたのが、2024年度末に前倒しをするとの意向が昨年末に示されたが、どうなることか。

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厚生労働省のHPでは、「2021年3月(予定)から、マイナンバーカードが健康保険証 として利用できるようになります!」となっていて、訂正されていない

 一時、マイナンバーと銀行口座との紐付けを義務化するという話も、マイナンバーカードが普及せず、断念したのだったが、今回の「束ね法案」の中の「預貯金者の意思に基づく個人番号の利用による預貯金口座の管理等に関する法律案」では、金融機関が預貯金者に紐づけの意思を確認することが義務付けられるが、紐づけ自体は預貯金者の任意となっている。紐づけの布石にならなければよいが。さらに、これまでは、各自治体の個人情報保護条例に拠っていた部分が一元化・標準化されて、自治体の自主性や独自性が損なわれる危険性も伴うことになる。
 また、個人情報の目的外使用は「相当の理由」により拡大するおそれやマイナンバー事業の民間委託、再委託など業者との不明確な契約による漏洩の危険をはらんでいる。

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「東京新聞」4月3日より

 私たちはどうしたらいいのか。残る国会審議に時間をかけて、法案の不備を質し、廃案にしてほしい。 ナンバー自体は、すでに、いま、否応なくつけられてしまっているのだから、極力このナンバーを他に伝えない、カードはつくらないことに尽きるのではないか。

 

 

 

 

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