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2021年8月28日 (土)

マイナンバーカード、全面広告、朝日の見識を問う

 8月28日、朝日新聞の朝刊を開いて驚いた。朝寝坊の上、朝食後、パソコンを開く方が先なもので、かなり遅かったのだが、いつものようにスポーツ欄とテレビ欄を飛ばそうとして、「ウッ!」その途中に現れたのが、ハデハデしい、つぎのような全面広告である。

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 よく見ると、広告の中央の文字は「そろそろ、あなたもマイナンバーカード」とあり、三人のタレントが各世代の代表のように、大きな顔がイヤでも目に入る。一番上のタレントの名前は知らない。その三人には、つぎのようなセリフが付されている。

「最近、メリットが増えて気になってます。」
「いま、3人に1人が持ってるんだって。」
「デジタル苦手だから作っちゃった。」

 まあ、なんと無責任な勧めよう。マナンバーカード制度は、2016年1月、発足当時から、問題が多く、セキュリティ「安心・安全」の面から、その危険が指摘されていた。私も当ブログで何度か記事にしている。
 朝日新聞は、近年の社説だけから見ても、マナンバーカードには警鐘を鳴らし続けていたのである。

「マイナンバー カード普及策は再考を」2019年9月10日
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14171125.html?iref=pc_ss_date_article
「マイナンバー カード普及を焦る不毛 2019年12月2日
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14278328.html?iref=pc_ss_date_article
「マイナンバー 性急な議論は危うい」2020年6月4日
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14500660.html?iref=pc_ss_date_article
「マイナポイント 国民の理解がなくては」2020年9月19日
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14627555.html?iref=pc_ss_date_article
「マイナンバー カード強要は許されぬ」2020年11月30日
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14713197.html?iref=pc_ss_date_article

 その朝日新聞が、の思いも強い。朝日新聞は、自社の広告としての審査は、どのように進められたのか。全面広告料に目がくらんだのか。
 全面広告では、三人のタレントを囲むように、さまざまな生活の場面で、便利さ?メリット?を掲げるのであるが、これも実に、おおざっぱな話で、何の根拠もなく一概に信頼できないコピーなのである。

「子育てがラクになりました」
「持ち歩くカードの数が減ったのよ」
「健康保険証としても使えるんだって」
「友達が作ったから気になってます」

 どれもこれもまぜっかえしたくなる。昨年の一律給付金の折は、マイカード申請の方が手間取って遅れたというし、保険証としても使えるのは、ことしの10月からの予定だったけど・・・。持ち歩くカードが減るということは、マイナンバーカードに個人情報が集中しているというリスクがあり、第一、持ち歩いてなくしたらどうするのだろう・・・。若い人は、そんなにも自主性がないんだろうかと。ちなみに、マイナンバーカードの政府によるスケジュールは以下のようなのだ。

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東京新聞 (2021年5月11日)から

 この広告のスポンサーは、内閣府・総務省・厚生労働省である。こんな全面広告に、どのくらいの税金が使われているのか。この広告に登場したタレントが、お金に困っているとも思えない。今後どんな発言や行動をしたとしても、私は信用しないだろう。
 朝日新聞! 政府! タレント!・・・・。私の怒りは募るばかりの暑い一日だった。

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当ブログの関連過去の記事

・なんとも鬱陶しい、マイナンバー 私は使わない(2021年4月3日)

・マイナンバーその後、保険会社からマイナンバー申告書書類が届く(2016年8月14日)

・マイナンバーに法的根拠はあるのか~内閣官房も自治体もその説明に苦慮している(2016年1月15日)

・マイナンバー通知到着、どうしますか。「ニューデンシャ」って何?(2015年12月5日)

・「マイナンバー制度」は日本だけ!?先進国の失敗からなぜ学ばないのか(2015年11月25日)

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2021年8月24日 (火)

『野にかかる橋』が紹介されました。

 我が家の朝は、段々遅くなって(宵っ張りの朝寝坊!)、パソコンを開いてから新聞を取りに出ることの多い昨今である。8月22日、朝、友人からのショートメールで、『東京新聞』の新刊紹介コラム「歌の本」で、紹介されているのを知った。

・戦没の少年たちの写真が並ぶ視線のすべてを背に受け去りぬ

 たった一首の紹介ながら、ありがたいことだった。 この一首は、2014年11月、ちょうど翁長知事誕生の知事選さなかに、沖縄を訪ねた折のものである。首里高校の前の路地を入って、ようやく探し当てた「一中健児之塔」であり、「学徒隊資料展示室」だった。県立第一中学校・県立首里高校の卒業生で組織する養秀同窓会が、創立125周年記念事業として、同窓会館内に開設したのが「一中学徒隊資料展示室」だった。
 1945年3月27日の卒業式後、3年から5年生の144名が鉄血勤皇隊として、2年生110名が通信隊として動員され、4月中旬首里への空爆、5月27日からの南部撤退の過程で254名のうち171名が犠牲となり、ほか75名の生徒が、その他の部隊に動員され犠牲となっていたのである。
 展示室では一中学徒隊の動きを解説するとともに、関係者から寄せられた遺影や遺品、戦前の学校生活を物語るノートや教科書、衣服などを展示している。遺影が壁いっぱいに貼られていたのだが、だれもの写真が、まだ幼い少年の面差しの中学生であり、なかには、在学中の写真がなく、幼児だったころの写真だったりする。家族全滅で一枚の写真すら見つからない生徒もいて、氏名のみが記されていた。見学し終わって、部屋を出る際、振り返って、あらためて目にした少年たちの遺影の視線が一斉に向けられたように思えたのであった。

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 なお、『短歌往来』9月号では、ロンドン在住の渡辺幸一さんが、一頁の書評を書いてくださっていた。『野にかかる橋』から沖縄と天皇制にかかる作品をとりあげ、評していただいた。その中でも、上の一首を紹介してくださっていたのは、偶然とはいえ、私の沖縄への思いをあらたにするのだった。

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2021年8月15日 (日)

13日、NHKドラマ「しかたなかったと言うてはいかんのです」を見た―「九州大学生体実験」とは

 私は、以下の当ブログにもあるように、ドラマの原案となった『九州大学生体解剖事件 七〇年目の真実』(熊野以素著 岩波書店 2015年)を読んでいたので、どんな展開になるのかな思いつつ見たのである。

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『朝日新聞』より、1950年撮影

『九州大学生体解剖事件』を読む~スガモ・プリズンの歌会にも触れて
2018年2月12日 (月)
 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/02/post-80e7.html

  いわゆる「八月ジャーナリズム」の一翼を担っているNHKの<終戦ドラマ>やドキュメンタリー番組は、最近、とくに好きになれないでいる。歴史に学ぶということは大事だが、そこに今日的なメッセージがなかったとしたら、とてもむなしい気がしてしまうのだ。
 今回のドラマの原案は、主人公の鳥巣太郎の姪にあたる熊野さんが、身内という立場を超えて、克明に裁判・再審査資料をたどり、関係者求めるとともに、自身と叔父との共通体験をもとに書き綴られたドキュメントである。
 敗戦直前、一九四五年五月、阿蘇山中にB二九が墜落し、捕虜となった乗員たちのうち八人が、九州大学医学部で行われた「生体実験」で殺された。当時医学部第一外科の助教授であった鳥巣太郎は、軍の命令だとして、この「実験手術」を続ける教授に、中止を申し入れたが、手伝いを余儀なくされる。一九四六年七月一三日、上司教授らとともに逮捕され、教授は自殺する。七月一九日には、巣鴨プリズンに移送され、一九四八年三月一一日、横浜法廷で、裁判は始まり、さまざまな曲折がある中、一九四八年二七日、「首謀者」として死刑判決を受ける。鳥巣は、苦悩しながら、死刑をも受け入れようとするが、妻は、夫の言動から無罪を信じ、さまざまな妨害を乗り越え、関係者の証言や証拠を求めて再審査にこぎつけ、一〇年に減刑された。一九五〇年には講和条約発効の恩赦により、釈放されている。
 裁判や再審査の過程やさまざまな関係者による証言、嘆願書などにより、刻刻と状況が変わっていくのだが、ドラマでは、その様子がわかりにくい。福岡での軍部と九大医学部との間の確執や裁判上の駆け引きなどには若干触れるが、医学部の医師同士の確執、利害関係も具体的にはわかりづらかった。ただ、巣鴨プリズン内の死刑囚同士の交流には焦点があてられていた。実際、当時の巣鴨プリズン内の受刑者たちの往来も一部認められたり、外出も認められ、上記二〇一八年の当ブログにも書いたように、外部の歌人たちと歌会を開いたりしている。ドラマでの同室者やプリズン内で人望を集めていたという岡島(岡田資陸軍中将がモデル)との交流はなんとなく人情味あふれるストーリーになってしまった感があり、妻の献身は、愛情物語に仕立てられた感がある。戦時下の軍部と研究・医学との関係、占領下の勝者の裁判の在り様や仕組み、それを受容する政治や市民たちに立ち入って欲しかったなと思う。「戦犯」とされた人々の遺族や家族たちの歩んだ道も過酷で様々であったと思う。

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 ドラマは、その舞台の「九州大学医学部」を「西部帝国大学医学部」などと言い換え、主人公の名前「鳥巣太郎」を「鳥居太一」にするなど登場人物の名前を、本名に近い姓名を付けたりしている。そのような操作をするより、私は、正面からドキュメンタリーにするべき内容ではなかったかなとも思う。イメージ画像や再現ドラマなどやたらに挿入するのではなく、残っているニュース動画や写真、資料、遺族、関係者の証言などの画像や映像による方がはるかに迫力があるのではないかと思う。そして、主人公が生涯背負った「しかたなかったと言うてはいかんのです」の思いが伝わるのではなかったか。

 つぎの新聞記事によれば、今回のドラマの制作統括の一人熊野律時さんは、熊野以素さんの次男で、NHK大阪局の職員だったことがわかった。また、熊野さんは、三〇年にわたる教員生活の後、大学院で福祉を学びながら豊中市の市民活動にかかわる中、二〇一一年には市議となり二期八年間務められ、『“奇天烈”議会奮闘記 市民派女性市議の8年間』(東銀座出版社 二〇二〇年九月)などを出版するという活動家でもある。
 二〇一八年一月、森友問題の地元でもあった豊中市の市議として、森友問題の院内集会に参加されていた頃に、私はお目にかかったことになる。

・西日本新聞(2021/8/11 6:00)
「生体解剖事件」戦犯となった医師の悔い 親類が企画、ドラマ化
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/783471/

・西日本新聞(2021/4/14 12:20)
伯父に学んだ「あらがう強い意志」 九大生体解剖事件【狂気のメス<2>】
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/723180/

 なお、鳥巣太郎は、短歌を詠み、<戦犯歌集>と呼ばれた『巣鴨』(第二書房 一九五三年九月)には、「孤心」五〇首が収録されている。後に『ヒマラヤ杉』(一九七二年一〇月)という歌集も出版している。二〇一八年の当ブログは、『巣鴨』の成り立ちや鳥巣の作品を紹介している。繰り返しの部分もあるが、一部紹介しておこう。

・永らへし命思ひぬ秋づきて朝はすがしき窓に佇ちつつ

・咳をするも一人とよみし山頭火おもひ出でつつ臥床をのぶる

・講和調印終りし今朝も平凡に護送車の中にうづくまり居り

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上は、セロファン紙に包まれた状態で、帯には改進党総裁重光葵の「民族の悲歌 歌集『巣鴨』」の推薦文が記されている。下は、セロファンも帯も取ると、「巣鴨プリズン本館」と題された木版画が表紙になっていた。この木版画は、巣鴨絵画班の制作とあり、各人の短歌集の扉に表題とともに各様の木版画が配されている。その数30枚にも及び、短歌作品とともに、プリズン内の日常が描かれているので、貴重な資料となるのではないか。

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上は、モノクロでスキャンした、鳥巣太郎の「孤心」の扉で、木版画には「洗濯場」と題されている。
 

 下は、「孤心」から。見開きの右の頁には次のような短歌がある。

・三つの年別れしままの末の子が折紙切紙ここだ送り来

・死に就きし友の監房に入りゆけば鉛筆がきの暦のこれり

・星光も清らけき夜の刑場に冴え透りけむ南無妙法蓮華経のこゑ(岡田資氏)

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歌集『巣鴨』の目次の扉にあった木版画で、「刑場に祈る」と題されている。第13号ドアの先が刑場とされている。

 

 

 

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2021年8月 4日 (水)

「命切り捨て」の言い訳でしかない!統治能力はすでにない

 政府は、新型コロナウィルス感染者の入院ルールの一挙転換に踏み切った。これまで、中等症患者は入院が原則であったが、医療のひっ迫を理由に、中等症患者までは、自宅療養にするのだという。
 中等症といえば、呼吸困難・肺炎症状から酸素投与が必要な場合まで含む。新ルールによれば、これらの患者は自宅で療養せよというのである。往診、オンライン診療や新しい治療薬投与の活用によって治療するというけれど、現実は、かかりつけ医も持たず、往診やオンライン診療を実施している医療機関をどうやって探すのか、オンライン環境は整っているのか、だれが診療して、処方箋を出すのか、薬はどうやって手に入れるのか、私などは見当もつかない。

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東京新聞「政府の甘さ露呈 急転換」(8月4日)
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東京新聞「中等症患者の急変や重症化に対応できるのか」(8月4日)

 私たち夫婦の場合だって、かかりつけ医と言えるかどうか、かかったことのある、近くのクリニックが閉院し、その後、病気もしない連れ合いは、ワクチン接種にも、診察券を持たなくても可というクリニックを見つけ、二回の接種は別々のクリニックだった。詳しい問診もなく接種、その後、副反応が出てないのは幸いながら、不安であった。私も、通院している整形外科や歯科などはあるが、そこでのコロナ感染者の対応は無理だろう。
 東京都ではフォローアップセンタ―があると知事は胸を張っているが、これもなかなかつながらないのが現実で、すでに自宅療養者が万を超えている。自宅での死、自宅からの救急搬送先が見つからない場合、家庭内感染が急増している報道も絶え間ない。
 千葉県や佐倉市ではどうなのだろう。発熱外来でさえわずかで、人口17万の佐倉市全体で4か所しかない。昨年から増えていないし、不安は絶えない。 
 病院での入院体制がひっ迫しているのならば、少なくとも、ホテルや施設などを借り切って、医師・看護師が常駐する、という便法ながら、継続・拡充すべきではないか。中等症はもちろん、軽症でも自宅療養が出来ない患者を受け入れるべきではないのか。 

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NHK「新型コロナ”自宅療養”家族全員が感染のケースも 課題は?」(8月3日)

  ほんとうは、五輪を中止して、選手村や関係施設、在来の国の施設を活用して備えるべきだったのである。人流、人の滞留時間の増加やデルタ株の伝染力などが感染拡大の最大の理由のようにいう、いや、人流が減っているなどというウソまでつく首相。五輪を強行しながら、若年層に何を言っても説得力はないだろう。特例ばかりの水際対策、バブルとやらも無きに等しい状況ではないか。
 ワクチンの供給も滞っているなかで、「地域と連携して、症状に応じた適切な対応をするため」の新ルールは撤回し、重症患者受け入れを強化すると同時に、感染者の早期発見の検査、中等症、軽症の患者の早期診察・診断の整備・強化こそがなされるべきではないか。

 夕方の報道によれば、東京都の新規感染者は二度目の4000人超えで過去最多となった。自民党が政府に、新ルール撤回を求めたという。すでに公明党も表明しているのだから、まさに統治能力を失った政府というべきだろう。

 

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