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2022年2月21日 (月)

無内容な答弁が続く、総理、「しっかり」してよ!(2)

 朝食を終えて、一段落、きょうが最終日らしい衆院予算委員会の中継を10時から一時間ほど見ていた。立憲の大串議員と江田議員の質問だった。よくもまあ、国会答弁用語、岸田首相答弁用語満載の答弁であった。主に物価・原油高対策、コロナ対策についてであった。「しっかり」の頻出はもちろんだが、どんな質問、問題についても以下の言葉が繰り返されていた。

①(現状や実態について)「認識しております」 「承知しております」

②(3回目接種の遅れ、救急搬送不能多発、自宅療養者の死亡など問われて)「現場の”混乱”につきましては・・・」

③(対策を問われて)「重層的に」「あらゆる選択肢を排除せず」

④(決断を迫られて)「注視してまいります」「用意しております」「検討しております」「努力してまいります」

 現状や実態について「認識」はするが、政策の不備や失敗は現場の「混乱」と言い換え、「重層的に」「あらゆる選択肢を排除せず」は、対策の何一つも満足に機能していないことの言い訳にしか聞こえない。どんな対策を、どんな選択肢の何をかを示すことがない。
 高齢者の3回目ワクチン接種の遅れ解消、前倒し実施はについては、「とにかく、皆さんに足を運んでいただくこと」が大事と繰り返していた。これって、まさに「自己責任」ですよね。気楽なものなのですね。現場では、訪問接種の努力がなされているというのに。

   私の場合は、かかりつけ医からは、当初よりワクチンの供給が前回の半分なので、予約はかなりむずかしいと言われていたし、接種券の配達を待ち受けて、予約すべく、パソコンに向かったが、もうすでに、大方は埋まっていて、モデルナの集団接種しか残っていなかった。モデルナについての副反応の情報が先行し、政府が慌てて、交差接種の安全性や有効性を強調しても、にわかに信じがたく、不安が先だったこともある。

 

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2022年2月19日 (土)

無内容な答弁が続く、総理、「しっかり」してよ!

・さっきから「しっかり」ばっかり言っている総理の会見しっかりしろよな(千葉 山本信明)「読者歌壇」(荻原裕幸選)『現代短歌』2022年3月)

 ご近所の山本さんの短歌である。重厚な作品も多い山本さんだが、「やったな」というより「やられたな」の思いだった。たぶん昨年12月21日の記者会見に取材したものだろう。私もこの「しっかり」を詠んでみたかったのだ。

 2月17日、岸田首相の2か月ぶりの記者会見、何も変わってはいなかった。短歌はできなかったが、やはり、どうしても調べておきたかった。首相官邸のホームページには、会見の文字起こしが収録されている。改めて読んでみよう。数え間違いはあるかもしれないが、この「しっかり」がなんと19回!は確認できた。さすがに冒頭発言は、読み違いや読み飛ばしがないように「しっかり」原稿を読んでいたようで、「しっかり」は登場しなかった。ところが、質疑になると、俄然、頻発してくるのである。たとえば、以下のような具合である。ただの言葉の上げ足とりではなく、岸田首相の発言の無内容を象徴しているようではないか。それに、記者会見をNHKの夜の7時のニュースにぶつけ、ジャックし、NHKは国営放送と化す。

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コロナの感染法上の2類・5類の引下げの問題
 「引き続き厚生労働省の審議会等において、政府としてもしっかりと専門家の意見も聴きながら議論は続けていきたいと考えています。」

ワクチンの3回目接種について
「更なる接種の加速化に向けてしっかり努力をしていきたいと思っています
(他の記者からの再度の質問)
「是非希望する入所者の方等への接種はしっかり進めていくべく全力で取り組んでいきたいと考えております
「安全性、さらに有効性についてしっかり説明しなければいけないということで、SNSももちろんですし、様々なメディアを通じてその有効性、あるいは安全性についてしっかり説明をさせていただいている」

水際対策について 
「検疫体制等をしっかりにらみながら、この数字につきましてもどうあるべきなのか、しっかり検討は続けていきたい」

最悪の事態を想定しての対策について
「昨年の夏の状況をしっかり振り返って、十分な医療提供体制をしっかり用意」「一つ一つももちろん大事でありますが、こうした「全体像」をしっかり用意することによって」「この「全体像」をしっかりと説明することによって、国民の皆さんに少しでも安心を感じていただけるように、努力を続けていくことが大事であると思います

原油高はじめ物価高が国民に与える影響について
「大きな問題意識をしっかりと持ちながら、今後これに何を加えるべきなのか、何を改良すべきなのか、これはしっかり議論を続けていきたいと思います。具体的な状況をしっかり見つめながら、具体的な対策、用意してまいります」

米軍基地のコロナ感染状況/ゲノム解析について
「日米でしっかり協議して」「医療提供体制をしっかり充実させること、これが地元、県民の皆さんの命や健康を守る上で重要であるという観点から、そちらの充実にまずはしっかり努めていかなければならないと思っています

 折しも、今朝の朝日新聞で、プチ鹿島が、衆院予算委員会の首相答弁を分析していた(「首相は<後回しの人> 野党はどんどん突っ込んで」『朝日新聞』2022年2月19日)。首相が答弁でよく使うのが「認識しております」「謙虚に受け止めます」「引き続き考えていきたい」だという。一見「聞く力」を発揮しているようだが、ただ受け止めているだけで、「後回し」にしているに過ぎない、と厳しい。鹿島は「時事芸人」と自称しているそうだが、新聞14紙を読み込んでいるとかで、報道番組の並のコメンテイターよりよほど見識があるかもしれない。かつて、レギュラーで出演していたテレビ番組があったのだが、いまは、文春オンラインでの連載が面白い。

 17日の記者会見でも、上記のゴシックの「しっかり」とセットでも見られる「努力」「全力」の文言も、ほかの何か所かにも登場する。「後回し」というのか、ただの「言うだけ努力」の人ではないのか。記者たちの質問ももちろんだが、予算委員会の野党の質問すら「受け止め」や「見通し」を尋ねることが大半だから、「しっかりと努めます」の答弁で流されてしまうのだ。 現場の実態、データやファクトに基づいて、政府の不備を質す具体的な対案の実現を迫る質問を展開してほしい。しっかりしてほしいのは、記者や野党の方もなのである。

 

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2022年2月17日 (木)

秋篠宮家の長男の進学先が決まったらしい

 在学中の中学校と進学先の筑波大学付属高校との間の時限的な提携校進学制度を活用した上、一般入試も受験し、2月16日に合格が確定したとの報道である。ちなみに今年の募集要項をみると、男女ほぼ同数の合計80名、英・国・数・理・社の五教科(300点満点)と調査書(80点満点)をもって総合的に判断する、となっていた。大学名は変わったが、私の母校には違いなかったので、なんとなく気にはなっていた。
   私が受験した当時は、五科目に加えて、音楽、体育、職業・家庭、図工が加わっての9科目であった。苦手だった音楽と体育の実技の試験が不安であった。体育は、運動場に出て、先生(後から思えば広井先生)の前で逆上がりをやった記憶がある。この実技に、私は半そでの体操服でのぞんでいたのを、手伝いか何かで、どこかで見ていた内部進学の生徒がいたらしい。あとで、「寒いのに、かなり張り切っていたじゃない」とからかわれたのを覚えている。また、音楽は、一人づつ教室に入って、黒板に書かれた楽譜の楽典的な知識と歌唱のテストであったと思う。

 募集定員は男子30名、女子15名であった。付属中学校からの内部進学者と合わせて各クラス男子30名、女子15名の5クラス編成で、高校からの外部入学者は、五クラスに男子6名、女子3名が配属されたことになる。入学当初は、「付属文化」?みたいなものに戸惑いながら、高校からの女子3人が固まっていることも多かったが、それぞれの性格や選択科目の違いもあって、まじりあっていくことができたのだろう。私は、嫌いではなかった「書道」を選択、上条信山先生の時間は楽しかった思い出がある。高校なのに、第二外国語があるというので、ドイツ語を選択したものの挫折した。大学でもドイツ語を選択、英語も一緒なのだが、まったくものになっていない。後に海外旅行をするたびにいやというほど知らされた。
 担任は三年間、化学の米山勝太郎先生だった。授業では「なぜって、おめぇ」が口癖だった。数年前、白寿を全うされた。数学の横地清先生は「もう、人生に疲れたな」風のボヤキで始まる授業だったが、指導はきびしく、あてられて黒板で立ち往生、解答できないと、妙な宿題が課せられた。理不尽ながら従うしかなかった。そうして、時どき、勧められたのが「ヴィーチャとその友達」という少年向けの物語だった。ロシアの子どもたちはみな教え合って向上するという話らしかったが、読みかけたものの登場人物の名がややこしくて、こんな余裕はないみたいなことで挫折?いまだに先生の宿題は果たしていない。世界史の山本洋幸先生は、物語調の弁舌で、聞いていて楽しかったが、受験対策としてはどうであったのだろう。
 数年後、大学での「社会科」の教育実習で、母校でお世話になるのだが、指導の金原左門先生には絞られた。「一般社会」で「国際社会の成立」?あたりの授業だったのだが、人前で話すことが苦手だった私は、「君は教職には向かないかも」とも言われた。一方、池袋の薬屋で育った私は、店番に立つことは、けっこう好きで、栄養剤を勧めたり、資生堂の高い化粧品を売って、花椿会入会の勧誘をしたりした。土地柄、男性用品を買いに来たお客には「ダースですか、バラですか」なんて応じていたのだから。

 高校での校外生活、夏の富浦海岸、蓼科高原での生活、二年の東北、三年の関西の修学旅行は、かなりの日数、家を離れることになり、出先から、何枚ものハガキを家に書いていたらしい。休業日もなく働いていた家族たち、旅行などというものは七つ上の兄が高校の修学旅行に出かけたくらいだったからだろう。いまのようなスイミングスクールなどない時代、富浦では、クラスのほとんどが遠泳に挑戦していたが、私はボートから氷砂糖を渡すくらいの応援しかできなかった思い出もある。
  スポーツでは、対外戦も盛んで、学習院との大掛かりな試合は「院戦」と呼ばれた。馬術とか開成とのボートレースとかの観戦も体験することができた。

 私の最初の就職先が学習院大学で、二年で飛び出したっけ。そして、いつの頃からか、天皇制への関心が高まった。妙な因縁ではある。
  コロナ禍の前に、高校最後の同期会というので、何十年ぶりかで参加した。これも数十年前のたった一冊の同窓会名簿も処分した。会費は納めていないが、同窓会「会報」だけは頂戴している昨今である。

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岩波少年文庫で、1954年1
月に出版されてたというから、当時は新刊であった。

 

 

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2022年2月12日 (土)

「建国記念の日」だった2月11日、祝日を振り返る

 窓を開けると、前夜からの雪は止み、朝の陽ざしがまぶしかった。2月11日は何の日だっけ、三連休の初日というが。

「建国記念の日」だったのだが、近頃の祝日は、その由来も、だんだん訳がわからなくなって来た。天皇の代替わりの2019年には、天皇誕生日というものがなかったのは、私としてはすっきりしたものの、代替わり報道のものものしさに、辟易としたし、元号と西暦の換算の混乱はいまでも続く。昨年の東京オリンピックの年は、カレンダーの山の日、海の日、スポーツの日は、オリンピック日程に合わせ、移動した。

 そもそも、敗戦後の祝日法は、1948年7月に制定され、その当時は、元日(1月1日)、成人の日(1月15日)、春分の日(春分日)、天皇誕生日(4月29日)、憲法記念日(5月3日)、こどもの日(5月5日)、秋分の日(秋分日)、文化の日(11月3日)、勤労感謝の日(11月23日)だった。この九つの日であった。私の小学校からの学生時代のすべては、この祝日しかなかった。大学生になって、文化の日はかつての明治節、明治天皇の誕生日、勤労感謝の日は新嘗祭、春分の日は春季皇霊祭、秋分の日は秋季皇霊祭であったことを知った。社会人になって、退職するまで、土曜日は出勤日だった。

 いわゆる紀元節復活の動きは、占領軍か去って始動し、9回も国会に提出されながら、成立することはなかった。1965年、佐藤栄作首相は、政府は、2月11日を建国記念日とする法案を提出すると表明、神話にもとづく神武天皇の即位由来の「紀元節」「建国記念日」と名付けることを避け、「建国記念日」を設けるという祝日法改正法案が、1966年6月25日成立してしまった。同法改正では、敬老の日の9月15日、体育の日の10月10日を新設するが「建国記念日」だけは、何月何日にするのかは、政令で定めるとしたあいまいな形であった。総理府に設置した「建国記念日審議会」は9回の会議、5回の公聴会、世論調査を経て、9人の審議委員中7人の賛成多数で「2月11日」を答申、ただちに1966年12月9日の政令で、2月11日が「建国記念の日」となったという経緯がある。 敬老の日や体育の日をセットにして祝日、休日を増やすという世論操作が功を奏したのではなかったか。ちなみに、その審議会メンバーをみると、いかにも政府のシナリオ通り、出来レースの感が強いのは、現在も変わっていないのではないか。
 ちなみに、審議会の会長:菅原通濟、会長代理:吉村正、桶谷繁雄、榊原仟、田邊繁子、舟橋聖一、松下正壽各委員が2月11日に賛成。反対の阿部源一(東洋大学教授、経済学専攻)は、祝日とするのは望ましくない、強いて挙げるなら1月1日とする意見、奥田東(京都大学総長、農学専攻)は、人間社会でなく国土に重きをおくべきで、立春の日がよいとする意見であった。

 1973年からは、祝日と日曜が重なると、振替休日制度が導入され、休日は増えた。また、労働時間の短縮の流れの中で、まず、1992年4月から国家公務員の週休2日制が導入され、国公立学校においては、1992年から月一の土曜休みが始まり、完全に週休2日になったには2002年4月からであった。

 2000年代に入ると、これまで月日が固定していた祝日を移動することで、日曜日・月曜日の連休が増える仕組みが始まった。

成人の日:1948年から1月15日  ⇒ 2000年から1月第2月曜

体育の日:1966年から10月10日  ⇒  2000年から10月第2月曜

            (2020年からスポーツの日)

海の日: 1996年から7月20日  ⇒ 2001年から7月第3日曜

敬老の日:1966年から9月15日  ⇒ 2003年から9月第3日曜

 さらに、2007年から5月4日の「みどりの日」、2016年から8月11日の「山の日」を新設して、5月ゴールデンウイークの3連休の確保、8月のお盆休みのスタートを早めた。もちろん、祝日、休日が増えることは悪いことではないが、まずその恩恵に浴することできるのは、公務員や学校、大手企業の社員たちではないか。その一方、出勤日の残業、待ち帰り残業が増えたりすることもある。そもそも暦通りに休めない職種や中小・零細企業の労働者がいる。正規労働者の休日を確保するために非正規労働者で補完、夜間労働や長時間労働を非正規のシフト制でカバーする事業も増え、サービスを受ける利用者や経営者の利便性や効率性と裏腹に、労働環境の格差はますます広がっていくのが現実ではないのか。
 定年延長や再雇用が進む一方で、非正規の若者が増加し、結婚や出産が遠のいてゆく中で、ほんとうに休日を楽しめる人たちが増えているのだろうか。「新しい働き方」?弱者切り捨て、放置につながりかねない。

 祝日・休日とは、縁遠くなった身ではあるが、そんなことを考えた「祝日」ではあった。

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2月12日、今朝の雪。つばきが蕾をつけはじめたが、水仙はまだのようで、いつもより遅いかな。

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このところ、ヒヨドリに陣取られ、近づけなったメジロ、夕方になって、ようやくエサ台に現れた

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2022年2月 3日 (木)

根付く「不平等」の壁

 以下は、『ポトナム』に寄稿した歌壇時評である。
 一つ前の記事は、貞明皇后の短歌を引いた。今回は、明治天皇美子皇后、昭憲皇太后の短歌の引用で始まる。今は、旧著でも、このブログでも何回か触れているが、平成期の美智子皇后の短歌を読み、少しまとまった文章を書こうと思っている。昭和期の良子皇后、現代の雅子皇后も含めて、近現代の皇后は、それぞれに、ことなった性格や能力を持っていたと思うが、彼女らの行動や例えば短歌にしても、政治に利用されるという大きな役割からはみ出すことはなかった。あったであろう葛藤や配慮が痛ましいだけに、現代こそ、天皇制そのものが、不平等や格差を広げ、その根源になっていることを自覚しなければならないだろう。

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・松が枝にたちならびてもさく花のよわきこころは見ゆべきものを(「男女同権といふこと」)

・むつまじき中洲にあそぶみさごすらおのづからなる道はありけり(「夫婦有別」)

 最近、明治以降の皇后の短歌を読んでいる。類歌が多い中で、「詞書」が珍しかったので、この二首に立ち止まった。一八七九年、明治天皇の美子皇后の歌である。教育、とくに女子教育の普及に熱心であったことは知られるところだが、女性の「よわきこころ」、「おのづからなる道」、その弱さ、役割分担というものをわきまえ、それを積極的に自覚すべきだと説いている。皇后としては、女性の「エリート」の育成を目論みながらも、女性低位の教育制度をはみ出るものではなかった。当時、中村正直によるJ・S・ミルの訳書や福沢諭吉の『学問のすすめ』などが刊行され、「新聞紙上では”男女同権”が一大流行語になった」(関口すみ子「男女同権論」『女性学事典』岩波書店 二〇〇二年六月 三三三頁)ことを、見逃さずに詠んだものと思う。

 「男女同権」とは、もはや死語に近いのかもしれない。近年は、ジェンダーの平等、多様性の尊重という言葉に入れ替わりながら、平等が語られるようになった。二〇一五年、国連サミットで、二〇三〇年を達成期限として採択された「SDGs(持続可能な開発目標)」の一七の目標の一つとして「ジェンダー平等を実現しよう」が掲げられた。政治家やタレントたちが、あの一七色?のドーナツ型のバッジをつけはじめた。「世界中の人々が豊かに暮らし続けていくための世界共通」の「開発目標」の一環なのかと思うと、どこか違和感を持ってしまう。さらに、社会的性差、文化的性差をなくすことが「多様性の尊重」に束ねられてしまうことにも危惧を覚えてしまう。あのバッジが氾濫しても、現実には「世界経済フォーラム」によるジェンダーギャップ指数はいずれの分野でも低位から抜け出せず、各様のパワハラ、セクハラは後を絶たない。夫婦別姓すらも法制化することができない。

・「新しい女」と言ひしは百年前いまなほ上書き入力つづく
    寺島博子『歌壇』二〇二一年八月

・旧姓を筆名とするその後の厨の海鼠は真夜ふとりぬ
    大野景子「作品点描」『角川短歌年鑑』二〇二二年版

   新刊の『角川短歌年鑑』では、「作品点描」「自選作品集」の配列が、従来の世代別から五十音順に変更された。「編集後記」によれば年代を超えてより多くの作品に触れ、氏名による検索がしやすいようにということであった。年齢によって作品の評価がされがちなことから解放されるという意味でもよかったと思う。
   また、最近、大学を拠点とする短歌会出身の若い歌人たちが活躍するようになった。すると、歌壇では、大学院生とか大学教員などの肩書がさりげなく表示されることが多くなり、いまだ学歴社会を引きづっているようにも思う。そして、職業に貴賤はないというものの、「図書館長になった」の詞書のある、つぎのような一首に出会った。館長は閑職ではなく、激職のはずなのに。

・大学の最後の仕事 書生らの守り神なりわれはよろこぶ
   坂井修一「漏刻」『短歌』二〇二一年一〇月

   三〇余年、その大半を大学図書館で働いてきた身としては、「いまだに変わっていないな」の思いしきりであった。教員にとって、図書館職員は「書生?」なのである。(『ポトナム』2022年2月) 

 

 

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