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2022年4月23日 (土)

五月三日は、何の日?まさか・・・

 8月15日前後に、さまざまなメディアが<終戦>特集を組むのを「八月ジャーナリズム」と呼び、この時期に集中して、活字メディアでは、平和や戦争を考える特集や連載記事が企画され、テレビでは、ドキュメンタリーやドラマが放映される。しかし、近年はそれも、風化の一途をたどっているのではないか。
 そして、四月末から五月といえば、コロナ禍前であれば、世の中はゴールデンウィークながら、近年では、何日が何の日で休みなのかが分かりづらいし、曖昧になっているのではないか。それでも、5月3日の憲法記念日と5月5日の子どもの日というのは、定着し、それにかかわる情報もメディアをにぎわしているように思っていた。
 ところが、最近、ちょっとした出来事に遭遇した。私が、定期に通院している病院、この地での中核病院といってもいいかもしれない病院が発行している「毎月のお知らせ」のようなリーフレットがあり、診療日と担当医師の一覧とともに、季節の健康情報などが記されている。帰宅後、4月号の最終頁のカレンダーを見て「?」と一瞬目を疑ったのである。下をご覧ください。
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 なんと、5月3日がこともあろうに「建国記念日」となっているではないか。このミスが誰にも気づかれずに印刷され、積み置かれ、多くの人の手に渡っているはずである。余計なこととは思えず、私は、病院の広報に電話して、「訂正」を要望した。「ご連絡ありがとうございます」と、事務的な言葉が返ってきた。次の通院日に、カウンターに積んである4月号を覗いてみたが、やはり「建国記念日」のままであった。ことほど左様に「憲法記念日」は地に落ちてしまったのか。日本の憲法教育、護憲運動は何であったのかと思うと力が抜ける思いだった。

 短歌ジャーナリズムでも、一部の雑誌が、五月号に<憲法>特集を組む。『新日本歌人』という雑誌から<平和の危機に「日本国憲法」を考える>というテーマで短歌五首と200字コメントの依頼があった。連日、ロシアのウクライナ侵略の惨状を目の当たりにし、思わず寄稿したのが以下であった。

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2022年4月 9日 (土)

1922 -2022 年、『ポトナム』創刊100周年記念号が出ました(2)

 ほんとは『ポトナム』の歴史を少しでも伝えねばと思いつつ、いまは、ポトナム私史として、嫌われるのを承知で、あまりにも個人的な記録になってしまうかもしれない。

 私が、ポトナムに文章らしきものを初めて寄稿したのは、カール・サンドバーグ(1878~1967)の『シカゴ詩集』についてであったと思う(「『シカゴ詩集』について1~2」1964年8月~9月)。英文科出身で中学校の英語教師をしていた次兄の話を聞いて、『シカゴ詩集』(1916年)を岩波文庫の安藤一郎訳(1957年)で読み、いたく刺激されたのを覚えている。サンドバーグは、スウェーデンからの移民の子として生まれ、さまざまな職に就き、放浪もし、入隊もする。私淑していたP・G・ライト教授の影響で民主社会党員としても活動、20世紀初頭から、シカゴでの新聞記者生活が長い。「霧」といった、短い抒情的な詩も好きだが、「でっかい肩の都市」シカゴの文明と野蛮が交差する繁栄と猥雑を歌い、反戦・反軍を訴える。

 戦争

 昔の戦争では馬蹄の響きと軍歌の足音。

 今日の戦争ではモーターの唸りとゴムタイヤの騒音。

 未来の戦争では人間の頭では夢想だにされなかった無音の車輪

 と棒の擦過。・・・

「戦争」と題する、上のような一節もあった。過去の戦争と21世紀の戦争は、ない交ぜとなって、遠く離れた地からの砲弾は、住居や病院、劇場を破壊し、原発まで襲う。戦車や銃は、人間をなぎ倒して行く・・・。サンドバーグはもちろん、現代の人間でさえも夢想だにしなかった戦争が止められない現実を目の当たりにして、再読しているところである。そして、ほぼ同時代のベンシャーンの重い画集も取り出して眺めている昨今でもある。
 1970年に、「冬の手紙」30首で、前述の白楊賞を受賞、1971年7月に、第一歌集『冬の手紙』(五月書房)を上梓した。

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『ポトナム』550号(1972年2月)は、『冬の手紙』批評特集を組んでいただいた。評者は、大島史洋、佐佐木幸綱、森山晴美、菅野昭彦、島田修二、岩田正さんの六人であった。『閃』17号(1972年1月)では、田谷鋭、藤田武、水落博、西村尚、近藤和中、佐藤通雅さんの六人であった。当時「閃の会」代表の増田文子さんらの尽力で、お願いできたメンバーであった。励ましや叱声を受けたスタートではあったが、ようやくたどり着いたのが今日となると、忸怩たる思いである。

 1970年代に入って、『ポトナム』には、つぎのような論稿を発表した。静枝追悼号の年譜と解題は、荻原欣子さんとの共同作業であった。

・戦時末期における短歌弾圧 1973年6月

・占領期における言論統制  1973年9月

・阿部静枝著作解題・著作年譜 1975年2月(阿部静枝追悼号)

 1980年代に入ると、歌壇時評や作品合評などにもたびたび参加するようになり、2006年来の和田周三、芝谷幸子、安森敏隆代表時代は毎月エッセイを寄稿することもあり、苦しかったときもあったが、現在は、年に数回の時評などを担当、論争のきっかけにもなったりして、執筆の際の緊張は続いている。

 一方、その傍ら同人誌『風景』(醍醐志万子編集発行)に連載の「歌会始と現代短歌」(1983年10月~1988年1月)と合わせて、1988年10月には『短歌と天皇制』(風媒社)を上梓することができた。昭和天皇重病報道で、さまざまな規制がされる中だったが、決して便乗のキワモノでないことを短歌雑誌以外の月刊誌・週刊誌、全国紙・地方紙などの書評で論じてくださったのはありがたいことだった。以来、私のメインテーマの一つとなり、『現代短歌と天皇制(風媒社 2001年)『天皇の短歌は何を語るのか』(御茶の水書房 2013年)につなげることができ、「祝歌を寄せたい歌人たち1~4」(1993年9月~12月)、「戦後64年、「歌会始」の現実」(2009年8月)なども収録することができた。

 また、2000年1月より一年間、『図書新聞』に「短歌クロニクル」欄で歌壇時評を担当したことが縁で「インタビュー内野光子氏に聞く<現代短歌と天皇制>」という一面・二面にわたる特集記事を組んでいただいたことも忘れがたい。同じ頃、立教大学の五十嵐暁郎さんの呼びかけで、「天皇制研究会」に参加、遅れた出版ではあったが『象徴天皇の現在』(世織書房 2008年)にも参加できた。研究会では、二次会も含めて、共同通信社在職中の高橋紘さんらの貴重な話が楽しみでもあった。

 なお、『ポトナム』で、阿部静枝の晩年に指導を受けたこともあって、女性歌人への関心もあったからか、阿木津英さんの呼びかけで立ち上がった女性短歌史の研究会に参加、2001年には、阿木津さん、小林とし子さんとの共著『扉を開く女たち―ジェンダーからみた短歌史1945-1953』(砂小屋書房)でも、私は、阿部静枝らに、言及している。なお、この書は、石原都政最後の東京女性財団の出版助成を受けることができた。そして、つぎのような論稿も、今回の記念号の阿部静枝稿につなげることができた。

・阿部静枝―敗戦前後の軌跡 1997年6月

・内閣情報局は阿部静枝をどう見ていたか(上・下)2006年1月~2月

・戦時下の女性雑誌における「短歌欄」と歌人たち―『新女苑』を中心に 2017年4月(創刊95周年記念号)             

・女性歌人の評価は変わったのか―『短歌研究』『短歌』の数字から見る 2020年4月                       

 そして、あわせて、現在参加している「新・フェミニズム批評の会」での報告を経て、以下の論集に静枝論を寄稿することができた。

・阿部静枝の短歌は何が変わったのか~無産女性運動から翼賛へ(『昭和前期女性文学論』翰林書房 2016年)  

・阿部静枝の戦後~歌集『霜の道』と評論活動をめぐって(『昭和後期女性文学論』 翰林書房 2020年)

 私にとっての『ポトナム』は、生涯の師であり、友であり続けるだろう。

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左『ポトナム』816号(1994年4月)は、「小泉苳三生誕百年記念特集号」で、「小泉苳三著作解題」を寄稿、「小泉苳三資料年表」を相良俊暁さんとの共編で作成している。右『ポトナム』586号(1975年2月)は、前述の「阿部静枝追悼」特集であった。

 

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2022年4月 6日 (水)

1922~2022年、『ポトナム』創刊100周年記念号が出ました(1)

 1960年、私が入会した短歌会『ポトナム』が、この4月で創刊100年を迎えた。1922年4月、朝鮮の京城で、京城高等女学校教諭の小泉苳三らにより、植民地で生まれた雑誌である。100年といえば、1922年3月3日、部落差別を掲げ、水平社が京都で創立大会を開き、7月15日に非合法下で日本共産党が結成されている。ともに、紆余曲折があって今日に至っている。
 そして、1922年12月30日には、ロシア、南コーカサス、ウクライナ、ベラルーシを統合したソビエト連邦が成立していたのである。1924年レーニンの死後、スターリンが政権に就き、大粛清が実施され、1991 年のソ連崩壊とともにウクライナは独立した。いまのウクライナは、少なくともこの100年の歴史を背負っていることを知る。

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 そんな100年を思いながら、振り返ってみたい。この記念号の締め切りは一年前ほどにさかのぼるが、編集部の皆さんの尽力には計り知れないものがある。私は、文章としては、以下を寄稿している。これは、昨年2021年3月号の『阿部静枝の戦後~歌人、評論家、政治家としての足跡<1>付「阿部静枝著作年表<1945~>及び「阿部静枝関係参考文献一覧」に続くもので、面倒な年表は、協和印刷の方にも工夫をしていただいた。2回分の本文と年表1945-50年は以下の通りである。ただし、草稿をpdf化しているので、本文は縦組み、年表は横組みという雑誌の体裁とは異なる。まだ、1950年までなので、没年の1974年までだいぶ残っている。

・阿部静枝の戦後歌人、評論家、政治家としての足跡<2>付「阿部静枝著作年表<1945~>」及び「阿部静枝関係参考文献一覧」

ダウンロード - sizuenosengohonbun12.pdf

ダウンロード - sizuenenpyo194550.pdf

 

 歌詠みのブログにしては、自分の歌がさっぱり登場しないではないか、とよく言われるのだが、今回は、3か所に発表していることもあって、思い切って載せることにした。ご笑覧いただければありがたい。Img244

 今回、歴代の「白楊賞」受賞者の一人として、新作8首を寄稿した。誌名の『ポトナム』は朝鮮語で、「白楊」を意味するところから、「白楊賞」と名付けられたらしい。また、つぎの「窓という窓」は、記念号のアンソロジーという企画で、新旧問わず10首ということだったので、昨年出版した第4歌集『野にかかる橋』から選んだ旧作である。横組みの6首は、普段通りの4月号詠草稿である。

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風呂敷に『少年朝日年鑑』を携え通学の日々のありしを

結膜炎病みてプールは見学となりし六年の夏の水しぶき

旧友の営む地下喫茶室もうクラス会は最後かもしれぬ

平和通り進みて細き路地に入り旧島田邸「池袋の森」へ

池袋西武デパート店内を堤清二はひとりめぐりき

北口は「西口(北)」に変わりいて事件のありしホテルはどこか

 

下は、今回の記念号のグラビアから、記念号の表紙をコピーしてみた。(続く)

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2022年4月 2日 (土)

108兆円予算、好きに使ってもらっては困ります

 はや、もう四月、我が家に「新年度」という感覚はないが、3月22日、岸田総理は、閣議決定通りの新年度予算107.6兆円が成立したと頭を下げていた。税収65.2兆円に対して国債が36.9兆円という借金は増えるばかりだし、歳出では国債の償還と利払いで歳出全体の4分の1近い24・3兆円を占めるという最悪の財政が続いている。国債依存率は、補正でもっと増える可能性もあり、日本の国家財政における国債の占める位置は異常ではないか。

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日本経済新聞(2021年12 月24日)より

 報道では、新年度予算について、岸田総理は、デジタル、気候変動、イノベーション、科学技術、人への投資をはかり、「成長と分配の好循環」の持続可能性を自負しているらしいが、ケタの違う防衛費5.4兆円もわすれてはいけない。新年度予算のポイントとしての次の予算が、実際どのように使われ、あるいは使われずに残されるのかが、重要である。

①コロナ感染対策            95億
②看護・介護者賃金3%引き上げ     395億
③住民税非課税世帯学生らの授業料減免 
6211億
④脱炭素               1468億
(電気自動車155億、省エネ住宅1113億、自治体支援200億)
⑤デジタル田園都市国家構想      1000億

 上記は、目玉というにしては、②の看護・介護者賃金引き上げにしてもケタが違うし、③は授業料減免の申請条件や手続きがネックにならないか、④に至っては、関連企業の支援になっていても、生活困窮者には、まったく縁がない。⑤となると、トヨタあたりが熱心らしいが、地方の活性化の名のもとに、自然と人間との長い歴史をほんとに変えられるものなのか、私などは信じられない世界ではある。①のコロナ対策にしても、アベノマスク関連の無駄遣い、見切り発車のコロナ治療薬アビガンへの投資、自宅療養者の不安などは、仕方がなかったことなのか。本来の目的を果たす使われ方をするのだろうか、不安は尽きない。不祥事が起きれば、会社も、行政も、大学も、第三者委員会とやらが設置されるが、「自浄」作用が機能しないことが当たり前になってしまったのか。

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旧聞に属するが、 お彼岸の中日だったか、やや肌寒い夜、自転車置き場に、黒い動くもの・・・。私の手を広げたほどの大きさだ。懐中電灯に驚く様子もない。ウシガエル? カエルなら近くの中学校のプール辺りでよく鳴いているし、遠くの田んぼに水が入る頃には、その声が聞こえてくるのは毎年のこと。しかし、ウシガエルの声は、ちょっとそれとは違う。それにしても愛らしい顔をしているではないか。ともかく、水辺がよかろうと、夫は、塵取りに乗せて、中学校のプール沿いの垣根の下にと置きに行った。我が家への珍客、彼岸の夜の訪問者だった。

 

 

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