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2022年7月22日 (金)

『朝日新聞』川柳欄への批判は何を意味するのか

 わたしは、長年、短歌を詠み、かかわってきた者ながら、新聞歌壇にはいろいろ物申したいこともあり、この欄でもたびたび書いてきた。最近は、毎日新聞や朝日新聞の川柳欄をのぞくことの方が多くなった。

・疑惑あった人が国葬そんな国

・利用され迷惑してる「民主主義」

・死してなお税金使う野辺送り

 7月16日の「朝日川柳」は「国葬」特集なのかな、とも思われた。短歌やブログ記事ではなかなか言えなかったことが、短い中に、凝縮されていると思った。

 安倍元首相の銃撃事件について、「民主主義への挑戦」といった捉え方に違和感を持ち、さらに、全額国費負担で「国葬」を行うとの政府にも疑問をもっていたからでもある。こうした川柳をもって、安倍元首相や政府方針を「揶揄」したのはけしからん、ということであれば、安倍批判や政府批判を封じることに通じはしまいか。政府への「忖度」が、言論の自由を大きく後退させ、自粛への道をたどらせたことは、遠くに、近くに体験してきたことである。  

 大手新聞社やNHKは、たださえ、安倍元首相と旧統一教会との関係、政治家と統一教会との関係に、深く言及しないような報道内容が多い。もっぱら週刊誌やスポーツ紙が取材や調査にもとづく報道がなされるという展開になっている。テレビのワイド番組が、それを後追いするような形でもあることにいら立ちを覚える昨今である。

 朝日新聞社は19日、J-CASTニュースの取材に対し「掲載は選者の選句をふまえ、担当部署で最終的に判断しています」と経緯について説明。「朝日川柳につきましてのご指摘やご批判は重く、真摯に受け止めています」と述べ、「朝日新聞社はこれまでの紙面とデジタルの記事で、凶弾に倒れた安倍元首相の死を悼む気持ちをお伝えして参りました」とし、「様々な考え方や受け止めがあることを踏まえて、今後に生かしていきたいと考えています」と答えたという。どこか腰が引けたようなスタンスに思えた。さらに7月22日には、重大な訂正記事が載っていた。上記「利用され迷惑してる『民主主義』」の作者名が編集作業の過程で間違っていたというのである。なんとも「シマラナイ」話ではないか。

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二句目のの作者が、「群馬県 細堀勉」さんだったとの訂正記事があった(『朝日新聞』2022年7月22日)

 また、今回のNHKの報道姿勢について、当ブログでも若干触れたが、視聴者団体「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は、7月19日、「犯罪捜査差の発表報道に偏せず、事件の社会的背景に迫る公正な調査報道を」とする要望書を提出した。番組のモニタリングから、容疑者の銃撃の動機についての解説や識者のコメント、安倍元首相の政治実績の情緒的な称揚、東日本大震災の復興政策、経済再生政策、安全保障政策において、事実と国民の意識とはいかに離反していたかの分析もない報道を指摘している。NHKはどう応えるのか。

 NHKには「政治マガジン」というサイトがある。事件後の関連記事には、安倍元首相と旧統一教会、政治家と旧統一教会の記事は一本も見当たらず、もっぱら警備体制、国葬に関する記事ばかりで、7月19日号の特集では「安倍晋三元首相銃撃事件<政治が貧困になる>」と題して、政治学者御厨貴へのインタビュー記事が掲載されている。「戦後日本が築き上げてきた民主主義が脅かされていると同時に、今後の政治全体の調和までもが失われる深刻な事態だと警鐘を鳴らした」という主旨で、今度の事件は「民主主義への挑戦」とのスタンスを展開している。NHKよ、どこへゆく。

 

 

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2022年7月18日 (月)

動機は明白になって来た~容疑者に「精神鑑定」は必要か

 安倍晋三元首相銃撃報道における容疑者と旧統一教会との関係、容疑者が「なぜ安倍をねらったのか」について、大手メディア、とくに、テレビの報道番組のスタンス、メインキャスターやコメンテイターの発言は、そろいもそろって、旧統一教会と安倍との関係を薄めよう、薄めようという意図が歴然としてきた。加えて、安倍の功績をたたえ、その上塗りをするものであった。安倍の銃撃事件と旧統一教会・政治家との関係は切り分けて考えないといけないとの論調も依然として有力である。

 NHKは、容疑者は旧統一教会と安倍が密接な関係があると「思い込み」によって犯行に及んだと「7時のニュース」では言い続けている。旧統一教会と容疑者の母親の寄付・金銭トラブルや安倍との関係は極力触れず、旧統一教会の記者会見後も 「宗教団体(世界平和統一家庭連合)」というのがテロップでの表示である。7月12日の「ニュースウオッチ9」ではこともあろうに、第一次・第二次安倍政権で、防衛大臣や党の副総裁を務めた高村正彦を登場させ、安倍晋三の“政治的功績”をるる述べさせた。そして「(安倍への)批判も確かにあったが、その評価は後世の史家に委ねられる」と締めくくり、MCの田中正良もなんと高村と同様に「事件の判断は歴史に委ねられる」と言い放った。メディアの機能不全、自殺行為にも等しい。ちなみに、高村は、弁護士時代、旧統一教会の訴訟代理人だった人である。政権・政治家への擁護がここまで露骨だと、視聴者の疑問をかえって深めてしまうだろう。

  テレビ朝日「報道ステーション」の大越健介は、容疑者がなぜ安倍を狙撃したのかは「理解不能」とまで明言した。日テレ「ウエークアップ」(7月16日)の野村修也は、安倍元首相の銃撃事件を「教団を壊滅させようと道具として利用した面もあるかもしれない」などと述べる。複数の局の番組で、田崎史郎は「政治家は、選挙で一票でも欲しいから、頼まれれば、祝辞やメッセージ、行事への参加も断れない」などとぬけぬけというではないか。

 そして、政府は、警備体制の不備を強調し、今後の強化を進めるといい、捜査当局は、容疑者の銃や火薬の製造やその性能をしきりに究明するのに熱心で、挙句の果て、奈良地検は、容疑者の動機には「飛躍」があり、刑事責任能力を調べるために本格的な「精神鑑定」を実施する方針を固めたという(毎日新聞7月17日)。容疑者の動機の解明、政治家と旧統一教会との長期間にわたる密接な関係究明からはますます離れてゆく様相がみえてきた。

 さらに、岸田首相は、早々と全額国費で、秋には、安倍晋三の「国葬」を実施すると表明し、憲法改正を突破しようという魂胆である。コロナ感染が収まらず、物価高騰に歯止めがかからず、経営苦の中小企業、生活苦の非正規雇用の人たち、医療費の負担増額が強いられる高齢者たちは、事件や人の死を利用した税金の無駄遣いを許せるわけがない。

 

 

 

 

 

 

 

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2022年7月17日 (日)

忘れてはいけない、覚えているうちに(2)「告知版」というミニコミ誌があった

 茶封筒から出てきたのは、『告知版』というミニコミ誌304~322号((1997年9月~1999年3月)だった。影書房の庄幸司郎(1931~2000)さんを発行人とする毎号20頁に及ぶミニコミ誌である。
 309号(1998年2月)の巻頭言に当たる「寸言」によれば、1972年1月、庄建設(株)の広報紙としてわずか150部でスタートして26年余りで27400部に達したとある。庄建設関連の建築関連情報、影書房の出版情報、映画・ビデオ事業情報に加えて、「平和憲法(前文・第九条)を世界に拡げる会」「第九条の会」などのさまざまな運動や集会などでの「人的交流の結晶であり、本誌は、それらを通して一つの市民運動の”広報誌”に発展した」と振り返っている。

 編集部やゲストによる「寸言」を巻頭に掲げ、「もの言う広場」というさまざまな市民活動のかっちりした報告だったり、呼びかけだったりする論文が数本掲載されている。さらに充実しているのが「『告知版』への便り」と「便り」で、読者からの感想だったり、投稿者の出版・活動報告だったりするが、ほぼ省略なしで掲載されているようだった。「告知版=ネットワーク版」では、寄せられた全国の集会や講演会・学習会などの催事の予告がなされている。

 この『告知版』との縁を、いま思い起してみるが、あまりはっきりしない。実は、314号の「便り」の欄に、1998年4月3日付で拙文が掲載されていた。それによると、影書房出版の山田昭次『金子文子』(1996年12月)出版記念の講演会に参加してから、送っていただくようになったらしい。ちょうどその頃、拙著『短歌に出会った女たち』(三一書房 1996年10月)を出したばかりで、金子文子についても一章を設けて書いていたものだから、講演会にも参加したのだろう。また、1998年1月、地域の主婦たち4人で創刊したばかりのミニコミ誌『すてきなあなたへ』の第1号を編集部に送っていたらしく、その画像も紹介されていたのである。

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  日本で、「九条の会」が発足したのは、2004年6月だったが、1991年、オハイオ大学教授のチャールズ・オーバービー教授(1926~2017)は「第九条の会USA」を立ち上げ、「日本の憲法第九条は全人類の宝」「九条を守る創造性のある多様な取り組みを」と提唱していた。オーバービー教授は、朝鮮戦争時、B29のパイロットだったことから、湾岸戦争をきっかけに、この運動を展開するようになったという。1998年10月には来日し、各地で講演会を開いている。これを全面的に支援したのが『告知版』だった。日本の「第九条の会」のスタートは、「九条の会」の十数年前にまでさかのぼることになる。手元にある『告知版』の「寸言」には、「日米新安保ガイドラインと有事立法に反対する百万人運動」の呼びかけ人として本島等(315号)、家永三郎(316号)、江尻美穂子(321号)、針生一郎(322号)らの熱いメッセージが続く。そんな雰囲気のミニコミ誌だったのである。 

 

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1998年5月2日『朝日新聞』より。「平和憲法(前文・第九条)を世界に拡げる会」 の紹介記事も封筒から出てきた。新聞はかなり劣化していて「会員から寄せられるメッセージを整理する庄幸司郎さん」の写真がうまくスキャンできなかった。

 『告知版』の発行人であった庄幸司郎は、惜しくも2000年に他界、その後、『告知版』はどうなったのだろう。影書房は、未来社の編集者だった松本昌次(1927~2019)が1983年に創業した出版社である。庄は、松本が都立夜間高校の教師であった時代の大工として働く生徒であったという(松本昌次「庄幸司郎」『戦後出版と編集者』 一葉社 2001年9月)。『告知版』は二人の友情の結晶でもあったミニコミ誌だったと言えよう。

 なお、松本昌次のお別れ会に参加した時の記事に以下がある。

2019年4月9日
「松本昌次さんを語る会」に参加、その前に「東京都戦没者霊苑」へ: 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/04/post-1208.html

 

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2022年7月13日 (水)

安倍晋三死去報道の虚実~いつから”偉大な”な政治家になったのか

 安倍元総理が選挙の応援演説中に撃たれた直後からの報道を視たり、読んだりしていると、その異様さと不気味さに恐怖さえ覚えた。
  殺人という犯罪は許されないことは当然だが、容疑者の現場確保の直後から捜査サイドは、動機として「政治信条にかかわらない、特定の宗教団体への恨み」としていた。にもかかわらず、詳しい背景が不明なまま、その当日、各政党のどの党首もが「民主主義」への「挑戦」「破壊」とのコメントがなされ、午後の選挙活動を自粛する政党が大半であった。事件の翌日7月9日の各新聞の社説は、「民主主義の破壊許さぬ」(朝日)、「民主主義の破壊許さない」(毎日)「言論は暴力に屈しない」(東京)「卑劣な凶行に怒り禁じ得ない―要人警護の体制不備は重大だ」(読売)「テロに屈しないためにも投票に行こう」(日経)「卑劣極まるテロ 断固糾弾する」(赤旗)という見出しで、いずれも「民主主義への挑戦」としてとらえていた。
  この時点で、「なぜ民主主義の破壊なのか」、私には理解できなかった。この殺人事件とは別に、元総理の追悼記事に、政治家としての安倍晋三の「功罪」「光と影」といった表現で検証され始めた。しかし、安倍政権こそが、オリンピック招致とその後の経緯、東日本大震災・原発事故対策、安保関連法強行採決、アベノミクスと称される異次元経済対策、プーチンとトランプとの接近による北方領土問題・日米安保強化の結果としての沖縄基地建設、北朝鮮の拉致問題の解決どころか後退していったという経緯、そしてアベノマスクに象徴されるコロナ対策への拙劣さなどを想起すれば、どこに光があったのか、とすら考えてしまった。
  そして、昨日7月12日「霊感商法対策弁護士連絡会」の記者会見では前日の旧統一教会の記者会見は事実に反する発言があったとして、寄付や霊感商法によるトラブルや悲劇は続いていると、あらためて知らされた。きょう7月13日の「デイリー新潮」の記事によれば、容疑者の家族の旧統一教会との壮絶な関係が明らかにされ、容疑者の家庭を破壊に追い込んだ過程が分かってきた。ネットやテレビでは、旧統一教会の友好団体とされる(と言っても創設者は同一)UPFへの安倍元総理のビデオメッセージが流されている。教会の世界平和志向への共感と創始者への敬意を表している映像を見た被害者たちは、何を思っただろうか(2021年9月12日)。犯罪的行為を繰り返していた教会と政治家との関係をチェックする手段はなかったのか。総理、元総理の名前への忖度が働いていたとしたら、モリ・カケと同じ構図のような気がする。先の弁護士連合会は、昨年、すでに安倍元総理に警告抗議文を届けたが、東京の事務所は受け取りを拒否し、山口の事務所からは回答がなかったという。(日刊ゲンダイ)大手主要メディアも、きちんと取材して報道すべきではないか。NHKは、いまだに「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)を、「宗教団体」としか報道してないのはどういうわけか。

<デイリー新潮>「統一教会」から5千万円返還させていた……「山上容疑者」が抱えていた教団との金銭トラブル

https://www.dailyshincho.jp/article/2022/07131132/?all=1

<日刊ゲンダイ>旧統一教会と国会議員の“ただならぬ関係”…霊感商法対策連絡会はずっと危惧していた

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/308224

  事件のあった日の前日に、地元の教会の関連施設に弾丸が撃ち込まれ、近辺には銃声が響いたという。その施設からは、110番も、被害届もなかったという。容疑者による試し撃ちだったこともわかってきた。その時点で捜査がなされていれば、もしかしたら未然に防げたかもしれないのに。
 その後の報道では、読売が「社説」が先駆けて取り上げた「要人警護に問題がなかったか」の論議が盛んになり、使用された手製の凶器が話題になっていったのも、今回の事件の核心からはどんどん遠のいていくようだった。

 さらに、家族葬のはずの通夜に2500人もが参列したといい、7月12日の告別式の規模とその報道の過熱ぶりには、目を蔽いたくなるほどだった。このコロナ禍の中、遺族や関係者は、参列者や一般市民の献花や記帳をなぜ野放しにしたのか。そして、それを重々しく報じるメディアの見識も疑った。何時間も並んで献花した中学生を追跡したり、母親と一緒に献花した子どもにコメントを求めたり、挙句の果て、6歳の子どもが悼む手紙を渡したりとか・・・。仕立て上げられた「少国民」の再現をみるようであった。昭恵夫人が病院に到着するまで延命措置を依頼したとか、夫人が握りしめた手を握り返してくれたとか、何分間頬ずりをして別れを惜しんでいたとか、身内の話でしかないことを公表し、それをメディアがことごとしく報じ、「家族葬」と言いながら、人の死の政治的利用しているようにしか思えなかった。
 霊柩車が議事堂正門前を通り過ぎたときに、参議院選挙で議席数を減らした野党の議員たちまでもが最前列に並んで見送っていた。

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2022年7月 2日 (土)

目取真俊ロングインタビュー「死者は沈黙の彼方に」を聴いた

 初回放送は2021年8月29日だったそうだが、7月2日、NHK沖縄復帰50年シリーズの一環としての再放送だったらしい。マスク越しの目取真の話はやや聞き取りにくいこともあったが、彼の怒りは切々と伝わってきた。NHKの質問者に詰問する場面もあるにはあったが、だいぶ編集されているのではないかとも思われた。
 1960年生まれの彼は、身近な人々が語る戦争体験から想像もつかない凄惨さを知り、多くの人びとが戦争体験を語ることなく、この世を去っていくのを目の当たりにしたという。彼にとって小説とは、彼らの「代弁」というよりは、少しでも「近づく」ことであると力説していたように思う。
 番組での「水滴」などの朗読は、沖縄出身の津嘉山正種によるものだったが、あの思い入れたっぷりの、重々しい演技と声は、私には、むしろ聞き苦しかった。というより、もっと淡々と朗読した方が、聞き手には、届きやすかったのではないか。 
 いや、それ以上に、目取真のインタビューというならば、「こころの時代 宗教・人生」という番組ではなく、行動する小説家に至った過程をもっと丹念に追跡する番組にしてほしかった。辺野古での基地反対活動のさなかに逮捕(2016年)されたことや天皇制と真正面に取り組んだ数少ない小説「平和通りと名付けられた街を歩いて」(1986年)などに触れるべきではなかったのか。「こころ」の問題、宗教?に集約してしまうのが、NHKの限界?だったと済ましてしまってよいのか。
 番組では、去年の6月23日、慰霊の日に「国頭支隊本部壕・野戦病院跡」を訪ね、供え物をしていた場面で、傷ついた兵士たちには手りゅう弾が手渡され、放置されたことが語られていた。彼は、今年も、平和祈念公園の追悼式典には参加せず、本部町の八重岳にある「三中学徒之碑」と「国頭支隊本部壕・野戦病院跡」を訪ねたとブログ「海鳴りの島から」に記されていた。(以下参照)
沖縄戦慰霊の日/本部町八重岳の「三中学徒之碑」と「本部壕・病院壕跡」

https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/aada4eefbafc810d153c75d719f8b102?fm=entry_awp 2022-06-23 23:43:23 

 また、私は一度だけ、数年前に、目取真俊の講演会に出かけたことがある。(以下参照)

目取真俊講演会に出かけました(2018年7月16日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/07/post-a28a-1.html

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「スコットランド国立美術館展」へ

 こともあろうに、猛暑日の続く6月末日、連れ合いの誘いで、久しぶりの展覧会である。スコットランドは、私には、初めての海外旅行で出かけた地、家族三人の旅行でもあっただけに、思い入れも深い。何せ1996年のことだから、四半世紀以上も前のことである。エディンバラ城へ登っていく途中で、ナショナルギャラリーの前を通り過ぎた記憶がかすかにあるものの、入館することはなかった。
 なので、今回は是非と思ったが、前準備がないままで掛けた。私は、下調べもさることながら、音声ガイドというのもあまり好きではない。ふらっと、気の向くままに観賞する方が性に合っているのかもしれない。だから、帰って来てから、え?そんな著名な絵もあったんだと気づかないこともあったりして、もったいない気もしないではないが。
 入館時にチラシがもらえず、作品一覧を頼りにまわった。大きく、ルネサンス/バロック/グランド・ツアー/19世紀の開拓者たちといった時代区分であった。 
 宗教画が多いルネサンスの部屋で目を引いたエル・グレコの「祝福するキリスト」(1600年頃)は、端正な青年の趣をもつキリスト像で、宗教画らしくないとも思った。バロックの部屋では、かなりの大作のベラスケス「卵を料理する老婆」(1618年)のリアルな描写の迫力に引き寄せられた。キャプションによれば、ベラスケス十代の作であるという。ベラスケスといえば、ウィーン美術史美術館で見たスペイン王家のマルガリータ王女(後、ハプスブルク家のレオポルドⅠ世と結婚)の愛らしい肖像画を思い出す。宮廷画家の印象が深かっただけに、思いがけないことだった。そして、帰りがけに手にした本展覧会のチラシにも、この「卵を料理する老婆」が載っていたのである。

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どんな卵料理かも気になるところだが、卵を油で揚げているらしい。少年が持つのは南瓜と何のビン?二人の深刻にも見える表情は何を語っているのか。

 この部屋のオランダの画家ヤン・ステーン「村の結婚式」(1655~60年頃)は、相変わらず騒々しくも陽気な村人たちの暮らしが息づいているかのようだった。レンブラントの「ベッドの中の女性」(1647年)は、説明によれば、おそろしい物語が秘められているのを知るが、不安げな表情の女性のモデルは、レンブラントと長い間暮らした女性だという。
19世紀の部屋になると、コロー、モネ、ルノアール、ドガらが登場し、親しみ深いものがあった。シスレー、ターナー、スーラの絵にはいつも癒される。

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ランドシーアという画家の「荒野の地代集金日」(1855~68頃)、ノートを持つ集金人と交渉する人、待つ人、それに、絵の左右には、二頭の犬も描かれている。左手前の犬は待ちくたびれたと寝そべっているが、右側の犬は、小作人の飼い犬だろうか、不安そうな表情が絆を思わせる。他にも牛や馬が登場する絵は数点あったが、労働をともにするという思いがにじみ出ている作品だった。

 館内の精養軒でのランチは、久しぶりの外食、ほとんどが中高年の女性たちだった。コロナは収まってくれるのだろうかの不安がよぎる中、昼下がりの上野の暑熱は、記録的だったかも知れない。

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 古いアルバムを繰ってみても、当時の旅行写真は極端に数が少ない。エデインバラには二泊していた。お城の夕景のパノラマの絵葉書と、城内でのスナップ(1996年8月31日撮影)である。

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古いアルバムの案内パンフレットから、はらりと落ちてきた押し花である。エディンバラの前日はヨークに一泊、その散歩中に摘んだ野の花だろうか。いまとなっては、花の色も枯葉色で、その名の検索のしようがない。

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